ゴールドウインの歩み

1951年、富山県西部の小矢部市に、ゴールドウインの前身である株式会社津澤莫大小(メリヤス)製造所を設立。以来、スポーツウエア専業メーカーの道を歩む。
1963年、社名を株式会社ゴールドウインに改める。
1964年の第18回東京オリンピック大会では、ゴールドウイン製品が競技ユニフォームとして採用され、体操、バレーボール、レスリングをはじめとする、金メダリストの8割がゴールドウインのユニフォームを着用。
その後、エレッセ、チャンピオン、ザ・ノース・フェイス、ヘリーハンセン、スピードなど、世界の一流スポーツブランドと提携を結び、日本におけるスポーツ用品メーカーの地位を築く。

1950年代

  • 1950年

    ・富山県西部の小矢部市に、ゴールドウインの前身である津澤メリヤス製造所を創業。

    戦後の富山県、小矢部市。
    津澤メリヤス製造所という小さな工場から、ゴールドウインの歴史が始まった。

    創業者の西田東作は、8人兄弟の末っ子として富山県西砺波郡の農家に生まれた。長兄と3番目の兄を戦争で亡くし、さらに終戦後は次兄も分家して実家に戻らなかったため、東作は必然的に一家の長として家計を支える立場に置かれた。
    みんなが、食べていくのに必死だった時代。紡績工場に勤務した経験があったことと、義兄が東京でメリヤスの技術者だったことから、メリヤス業を始めることを決意する。
    1950年(昭和25年)、旧津沢町(現小矢部市)で創業。翌年法人化して社名を株式会社津澤メリヤス製造所として、今日のゴールドウインの歴史が始まった。
    約40坪ほどの工場で兵役時に負傷した義兄を工場長に、未亡人となった親類やメリヤス職人、そして近所の女性らを20人ほど集め、靴下や腹巻き、ベストやセーターなどを作りはじめた。文字通り、ゼロからのスタートだった。
    現在もゴールドウインに流れる、どこか家族的で温かい雰囲気は、この創業時から脈々と受け継がれているのかもしれない。

  • 1951年

    ・法人化し、社名を株式会社津澤メリヤス製造所とする。

  • 1952年

    ・今日のスポーツ産業の隆盛を先取りし、一般メリヤスメーカーから、スポーツウエア専業メーカーへと転身。
    現在の方向性を確定づける。

    まじめに、ひたむきに、いいモノを作りつづける。
    登山ソックスの品質の高さが、評判になった。

    モノのない時代にあって、最初は飛ぶように売れたものの、他の産地からきれいな製品が出回ると、返品の山となる。それを乗り越えるには、とにかくいいモノを作りつづけるしかなかった。
    まじめに、ひたむきに作ること。彼らの財産は、それしかなかった。
    そんな中で、登山ソックスの品質が評判になる。何よりも、原毛の産地にこだわった。けっして安くはないが、丈夫で長持ちする。その評価は、津澤メリヤス製造所のモノ作りの姿勢が認められた証だった。
    東作には、先を読む力があった。創業の前年に開かれた水泳の全米選手権1500mで、フジヤマのトビウオと呼ばれた古橋廣之進氏が世界記録で優勝し、戦後間もない日本に明るい話題をもたらした。
    その時、日本も平和になりスポーツの時代が必ず来ると直感した彼は、1952年、創業3年目にしてスポーツウエア専業メーカーへと切り替える。
    それは、今日のゴールドウインの基盤を築く大きな決断だった。そうして手がける商品の幅も広がっていく。

  • 1956年

    ・大阪営業所開設。

  • 1958年

    ・東京営業所開設。

    ・自社ブランドであるゴールドウイン製品の生産を開始。

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1960年代

  • 1963年

    ・社名を現在の株式会社ゴールドウインに改める。

    世界と日本の技術の差を、その目で見るために。
    創業者の西田東作は、ヨーロッパへ渡った。

    1964年、東京オリンピック開催の前に、東作はインスブルック冬季オリンピックを視察しにヨーロッパへと渡る。
    当時、羽田空港からローマまで、約30時間かかる時代。それは彼にとって、初めての海外旅行でもあった。1カ月をかけて、イタリアからドイツ、イギリス、スイス、フランス、ノルウェー、そしてデンマークを回った。その視察は、世界と日本の技術の差を、自らの目で確認するための旅でもあった。
    中でも、フランス・フザルプ社のスキーウエアに、大変な衝撃を受けたという。その機能的な美しさを生み出す技術を学ばなければ、日本のスポーツウエアメーカーも、日本の選手も、海外勢に勝てないことを痛感したのだ。もちろん、その技術を獲得しようと考えるのは、一社だけではない。そこには常に、ライバル会社との競争があった。そして、それを乗り越えていく東作のエネルギーがあった。この時の経験が、その後のゴールドウインと海外のさまざまなメーカーとの関係を築き上げる礎となっている。創業者の目は、常に世界を見ていた。

  • 1964年

    ・第18回東京オリンピック大会において、当社製品が競技ユニフォームとして採用される。体操、バレーボール、レスリングをはじめとする、金メダリストの8割がゴールドウインのユニフォームを着用。

  • 1968年

    ・第10回グルノーブル冬季オリンピック大会に続き、第19回メキシコオリンピック大会に当社製品が採用される。

    庶民には、まだ高嶺の花のスポーツだったスキー。
    ゲレンデで輝いていたセーターがあった。

    『1969 WINTER COLLECTION
    CATALOG』より転載

    1950年代から60年代、戦後の復興期を経て、レジャー型のスポーツとして庶民にとってはまだまだ高嶺の花だったのが、スキーである。当然、スキーウエア自体も発展途上で、いわば日常着であるセーターやパンツを代用し、ヤッケを被って滑るのがあたりまえだった。それは、身体にフィットせず、十分な前傾姿勢すらとれない、まるでダブダブの割烹着のようだった。メリヤス製造からその歴史をスタートさせたゴールドウインにとって、スキーセーター作りは、得意な分野であった。素材である糸選びから、編み方まで。セーターの機能性とデザインを追求していった。それは日常で着るセーター作りとは全く違うものになった。そしてゲレンデで、ゴールドウイン製のセーターを着たスキーヤーたちが美しく輝いた。

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1970年代

  • 1970年

    ・札幌営業所開設。

    ・スキーウエアメーカー、フランスのフザルプ社と技術提携を結ぶ。

  • 1971年

    ・福岡営業所開設。

  • 1972年

    ・仙台営業所、名古屋営業所開設。

    ・第11回札幌冬季オリンピック大会に続き、第20回ミュンヘンオリンピック大会に当社製品が採用される。

  • 1974年

    ・第7回アジア大会(テヘラン)に当社製品が採用される。

  • 1975年

    ・アメリカNo.1のアスレチックウエアメーカー、チャンピオンプロダクツ社と技術提携を結ぶ。

    チャンピオン社との契約。スポーツ大国である
    アメリカの若者のライフスタイルが、日本に広がる。

    スポーツ王国アメリカで、陸上競技やバスケットボールをはじめ、当時、実に28種目にわたってアスレチックウエアやユニフォームを提供していたNo.1メーカーが、チャンピオンプロダクツ社。1975年、ゴールドウインは同社とライセンス契約を結ぶ。同社との取り組みは、単なるアスレチックウエアの提供を超えて、本物のアメリカンスポーツを日本に輸入することであり、さらにはアメリカの若者のライフスタイルを日本に広める始まりにもなったのだ。チャンピオンの製品の多くは、やがてアスリートたちだけでなく、若者たちの定番になっていく。スポーツが、その枠を超えて文化になっていったのだ。

  • 1976年

    ・イタリア、エレッセ社の高級スキーウエアの生産販売を開始する。

    イタリアのエレッセ社と提携。
    新しい素材とフィットするデザインで、スキーシーンに鮮烈にデビューした。

    『50 years of ellesse』より転載

    フランスのフザルプ社のスキーウエアのヒットから、海外ブランドの可能性を実感したゴールドウインは、フランスのブランドの魅力とは一線を画するイタリアのブランドに着目する。それが、エレッセだった。
    当時、イタリアのナショナルチームの台頭とともに、評価を高めていたエレッセの魅力は、何よりもイタリアらしい美しさにあった。スキーウエアの中でも、特にパンツには出色のデザイン力を持っていた。
    素材開発や立体裁断などの新しい技術の導入を先駆けて行っていたエレッセ。1958年にエレッセ社を創業したレオナルド・サルバディオ氏には、高貴で情熱を秘めたイタリア貴族の血が流れていた。
    その魂がエレッセの中に息吹き、気品あるアグレッシブなスポーツウエアが生み出されていることを、提携を進めた東作は感じとっていたのだ。
    その後、スキーだけに留まらず、エレッセとの関係はテニスなどへと大きく広がっていくことになる。

    ・国際スポーツ見本市(ISPO)への出展を開始。

  • 1978年

    ・世界で圧倒的な信頼を得ているアウトドア用品メーカー、アメリカのザ・ノース・フェイス社製品の輸入販売を開始。

    1978年、ザ・ノース・フェイスの販売開始。本物のアウトドアスポーツを伝えていく。

    1966年、アメリカ西海岸のバークレーで誕生した、ザ・ノース・フェイス。彼らは設立当初から独自性に満ちあふれていた。そして、サンフランシスコから車で30分のバークレーという環境が、当時の若者たちのエネルギーを吸収し、このブランドの個性を育んだ。ゴールドウインは、78年に日本での輸入販売を開始する。厳しい品質基準、完全なアフターサービス、徹底した機能美の追求。世界中から高く評価されてきたアウトドアブランドは、日本でも瞬く間に広がっていく。多くの冒険家たちに愛用されてきたプロダクトの確かさが、当時、ヘビーデューティな本物を求める若者たちの絶大な支持を集めた。
    高品質のグースダウンを惜しげもなく使用したクオリティの高いスリーピングバッグ、全てのダウンパーカの原型といわれるシェラ・パーカ、世界初のドーム型テント「オーバルインテンション」など。その製品のひとつひとつが、テクノロジーの限界に挑戦しつづけてきた証なのだ。

    ・エレッセ社のテニスウエア輸入販売も開始する。

  • 1979年

    ・生産、販売部門を分離し、本社を東京に移転。

    ・株式会社トヤマゴールドウインを設立。

    世界初、アルプス三大北壁の冬季単独登頂に成功した長谷川恒夫氏を、
    ゴールドウインの製品が支えた。

    1977年にマッターホルン北壁、78年にアイガー北壁、そして79年にグランド・ジョラスの北壁を制した長谷川恒夫氏。アルプス三大北壁の冬季単独登頂は、世界初の偉業となった。
    その中で、フランスとイタリアの国境にそびえ立つグランド・ジョラスへの挑戦に使用された装備を、ゴールドウインが担当する。スキーウエアの開発で培ってきた技術の高さを期待されてのことだった。
    ヤッケ、オーバーパンツ、オーロンワンピース、セーター、ダウンジャケット、ソックス、ツェルト、シュラフなど。寒さから身を守る衣服をはじめ、ハーネス(登山用の安全ベルト)に至るまで一式が提供される。冒険家の命すら左右しかねない装備たち。そこには強力な信頼関係が求められる。それに応えるには、長谷川氏の要求を理解して製品にするメーカーとしての技術力しかない。その進化は、いつの時代も人類の挑戦とともにあったのだ。
    長谷川氏とゴールドウインとの共同作業は1年に及び、その挑戦を成功させることとなった。

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1980年代

  • 1981年

    ・名古屋証券取引所第二部へ上場。

  • 1982年

    ・広島営業所開設。

  • 1983年

    ・「スポニチ山中湖ロードレース」への協賛を開始。

    ・「ダンスキン」販売開始。

    アメリカでムーブメントになっていたフィットネス。
    脱・競技、女性専用カテゴリーへと市場を拡げた。

    1984年「ダンスキン」ブランドの広告

    1983年、アメリカのダンスウエア部門で80%以上のシェアを誇っていたダンスキンの日本での販売をゴールドウインが開始する。ダンスキンは1882年にニューヨークで生まれ、「IN MOTION」をコンセプトに、インドアからアウトドアまで、スポーツをライフスタイルにしている女性のための幅広い商品を提案するブランド。中でもレオタードは高く評価されていて、プロのダンサーから一般女性まで幅広く愛されてきた。女性のワークアウトブームを背景に、ジャズダンスをイメージの中心に置いて、女性向けのフィットネスウエアを展開していく。

    ・ノルウェーのヘリーハンセン社と提携および販売を開始。

    全てのものは、環境に応じて形づくられる。
    ノルウェーの厳しい自然が生んだマリンウエア、ヘリーハンセン。

    1877年、商船艦隊の艦長だったヘリー・ジュエル・ハンセンがリタイヤし、ノルウェーの港町モスで亜麻仁油をしみ込ませた防水キャンバス製のオイルスキン作りからスタートしたブランド、へリーハンセン。世界で最も伝統ある防水衣料メーカーである。ノルウェーの厳しい自然に培われた独自の防水素材ヘリーテックの開発とウェルダー縫製など、防水縫製技術によって世界のセイラーたちからの支持を得ている。流氷の浮く北海の海に落水しても9時間以上の生命維持を約束するサバイバルスーツが、ヘリーハンセンの高い技術を物語っている。日本では1983年に、ゴールドウインがライセンス契約を結ぶ。

    ・ゴールドウイン モーターサイクルウエアの販売を開始。

    ・新創業宣言を発表し、新CIを導入。

    ・日米対抗ゴルフ「ゴールドウインカップ」開催。

  • 1986年

    ・防塵服をはじめとする、特殊環境作業衣(ハイテックウエア)の開発、販売を開始。

  • 1987年

    ・スウェーデンナショナルスキーチームのオフィシャルサプライヤーとなる。

    ・ショップ運営会社、株式会社ウエザーステーションを設立。

  • 1988年

    ・ゴールドウイン開発株式会社設立。

    ・店頭管理、販売戦略を支援する「GOALサービス」を開始。

  • 1989年

    ・兼松(株)と共同で、スポーツ用品会社シークラフトを設立し、オーストリアの「フィッシャー」ブランドスキーの輸入販売を開始。

    ・「ダンスキン」の日本における商標権を取得。

    ・アウトドアのオリジナルブランド、「ラテラ」の販売を開始。

    ・トヤマゴールドウイン新工場稼動開始。

    ・社長西田東作、藍綬褒章を受章。

    トヤマゴールドウイン新工場

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1990年代

  • 1990年

    ・「エレッセ」の日本における商標権を買い取り、経営基盤の充実を図る。

  • 1991年

    ・プロゴルファー森口祐子選手とゴールドウイン所属契約。

    ・富山県小矢部市に「ゴルフ倶楽部ゴールドウイン」オープン。

    ・東京証券取引所第二部へ上場。

    ゴルフ倶楽部ゴールドウイン

  • 1992年

    ・韓国ソウル市に合弁会社、ゴールドウインコリア(現ヤングワンアウトドアコーポレーション)を設立。

    ・ゴールドウイン スキーウエアの韓国販売を開始。

  • 1993年

    ・渋谷区松涛に新本社ビル竣工。

    ・イタリア・ミラノにゴールドウインヨーロッパ設立。

    ・ゴールドウイン スキーウエアの欧州販売を開始。

    新本社ビル

  • 1994年

    ・「ザ・ノース・フェイス」の日本における商標権を買い取る。
  • 1995年

    ・東京、名古屋証券取引所第一部に上場。

    ・富山県小矢部市に流通加工センター竣工。

  • 1997年

    ・(株)ゴールドウインロジテム、(株)ゴールドウイントレーディング、(株)ゴールドウインエンタープライズを設立。

  • 1998年

    ・ハイテック部門が、品質管理、品質保証の国際規格ISO9001の認証を取得。

  • 1999年

    ・富山地区において、環境マネージメントシステムの国際規格ISO14001の認証を取得。

    ・株式会社ジー・アール・ディを設立。

    ・障がい者福祉を支援する取り組み「北陸ウェルフェアゴルフトーナメント(現:寬仁親王記念杯 北陸ウェルフェアゴルフトーナメント)」への協力を開始。

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2000年代

  • 2000年

    ・次世代のトップスキーヤーの育成を目指した、「ゴールドウイン ナスターレース チルドレン/キッズ ジャパンカップ」の協賛を開始。

    ・社長西田東作、勲四等旭日小綬章を受章。

    ・新会長に西田東作、新社長に西田明男が就任。

    ・創業50周年を迎える。

  • 2001年

    ・株式会社カンタベリーオブニュージーランドジャパンへ資本参加。

    ・株式会社ジーパーソンを設立。

  • 2002年

    ・着心地の良い服を追求する、全社横断型プロジェクト「快適生活宣言」を発表。第一弾は静電気抑制商品。

  • 2003年

    ・(株)トヤマゴールドウインと(株)ジー・アール・ディを統合し、(株)ゴールドウインテクニカルセンターを設立。

    ・ザ・ノース・フェイス製品を使用した三浦雄一郎氏、世界最高齢70歳でのエベレスト登頂に成功。

    ザ・ノース・フェイス製品を使用した
    三浦雄一郎氏

  • 2004年

    ・中国上海に高得運(上海)服装貿易有限公司を設立。

    ・(株)ゴールドウインテクニカルセンターが参画する「近未来宇宙暮らしユニット」がJAXAの「宇宙パートナー制度の事業提案」に選定される。

  • 2005年

    ・(株)テイースポーツを子会社化。エレッセブランド事業の総合力向上を図る。

  • 2006年

    ・ゴールドウイン バイクウエアの販売を開始。

    ・ニュージーランドの高機能アウトドアブランド「macpac」の輸入販売を開始。

    ・ゴールドウイン全事業所と染色センターで国際規格ISO14001の認証を取得。

    ・ザ・ノース・フェイスを軸に、当社が扱うアウトドアブランドをセレクトした「ザ・ノース・フェイス+(プラス)」の一号店をオープン。

    ・人体が放射している遠赤外線を吸収し、エネルギーを増幅させて身体に送り返す「光電子(こうでんし)」を全社キャンペーンで展開。

  • 2007年

    ・ナノテクノロジーで、消臭効果と抗菌効果を実現した高機能ウエア「マキシフレッシュ」を発売。

    ・世界のリーディングスイムブランド「Speedo」の事業を開始。

    ・ヘリーハンセン製品を着用した海洋冒険家・白石康次郎氏単独世界一周ヨットレース“VELUXファイブオーシャンズ2006-07”で総合2位を獲得。

    ヘリーハンセン製品を着用した
    海洋冒険家・白石康次郎氏

  • 2008年

    ・(株)ウエザーステーションと(株)ジーパーソンを吸収合併。

    ・スイムブランド「Speedo」よりハイテク・スイムスーツ 『LZR RACER(レーザー・レーサー)』を世界同時発表。

    ・JAXA(宇宙航空研究開発機構)が主管する『近未来宇宙暮らしユニット』に株式会社ゴールドウインテクニカルセンターが参画し、宇宙船内用日常服の開発の一翼を担当。日本実験棟「きぼう」の打ち上げミッションにおいて、土井飛行士が着用。

    ・総合ショッピングサイト「GOLDWIN WEB STORE」を開設

    ・(株)シークラフトと(株)テイースポーツより全事業を譲受け事業統合。

    ・ザ・ノース・フェイス製品を使用した三浦雄一郎氏、75歳で2度目のエベレスト登頂に成功。

  • 2009年

    ・循環型の衣料品リサイクル・システムを開始。

    ・着るだけで『加齢臭』をカットする「マキシフレッシュプラス」のアンダーウエアの販売を開始。

    ・「一般医療機器」のコンプレッションウエア「C3fit」を発表。

    ・(株)ゴールドウインテクニカルセンターの沼田喜四司、黄綬褒章を受章。

    ・会長の西田東作が相談役に就任。

    「一般医療機器」の
    コンプレッションウエア「C3fit」

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2010年代

  • 2010年

    ・宇宙下着の技術を応用した、着るだけで加齢臭と汗のニオイを大幅に減少させる素材「マキシフレッシュ®プラス」を採用したアンダーウエア「MXP」を発売。

    ・サンフランシスコにベースを置く都市型アウトドアのブランド「ALITE」の輸入販売を開始。

    ・北米においてゴールドウイン スキーウエアの販売を開始。

    「マキシフレッシュ®プラス」を採用したアンダーウエア「MXP」

  • 2011年

    ・ココロとカラダを楽しく整えるためのスポーティライフスタイルセレクトショップ「Saturday in the park」の一号店をオープン。

    ・独自のダブルメッシュ構造によるエアアクセル効果により運動時に優れたクーリング効果を実現するスポーツウエア「So Cool ! PLUS」を、全社横断で展開。

    ・ブラックアンドホワイトスポーツウェア株式会社を子会社化し、「Black & White」ブランドのゴルフウェア・カジュアルウェアおよびグッズ類の展開を開始。

    ・旅に出るときに持っていく便利なモノや、機能的なモノをセレクトしたショップ「THE NORTH FACE globe walker(現:globe walker)」の一号店をオープン。

  • 2012年

    ・富士山麓を一周するレース「ウルトラトレイル・マウントフジ」の特別協賛を開始。

    ・スポーツへの想いを込めた新しいタグライン「SPORTS FIRST:スポーツ・ファースト」を発表。

    ・メリノウールによるアウトドア・ウエアというカテゴリーをつくったパイオニア「アイスブレーカー」の輸入販売を開始。

    ・スイス・バーデンにGOLDWIN EUROPE AGを設立。

    ・創業者・西田 東作 逝去。

  • 2013年

    ・アスリートとモードな感性を「&」で繋ぐという思いを込めて名付けた、オーセンティックでミニマルなデザインに、プレイに必要な機能を備えた高感度なゴルフウエア「アンパスィ」の展開を開始。

    ・世界最高齢80歳で3度目のエベレスト登頂の偉業を成し遂げた三浦雄一郎氏率いる「MIURAエベレスト2013プロジェクト」をサポート。

    ・米国カリフォルニアにGOLDWIN AMERICA,Inc.を設立。

    ・限りある資源であるダウン(羽毛)を回収、精製し、再び新たな製品に利用する「GREENDOWN RECYCLE PROJECTを開始。

    ・「アンパスィ」を着用したプロゴルファー森田理香子氏が2013年のLPGA賞金女王に。

    ・スポーツフィールドに隣接した、お客様が使いやすい機能的なウエアやギアをセレクトして取り揃えるキオスク型の小規模ショップ「MOUNTAIN GEAR STAND」をオープン。

    三浦雄一郎氏

  • 2014年

    ・国別対抗戦「デビスカップ」の日本代表チーム(男子)に、エレッセのオフィシャルウエアの提供を開始。

    ・ミクロの活性粒子によって吸水速乾性を向上した機能素材「ALPHADRY」の全社展開を開始。

    ・日本車椅子バスケットボール連盟のオフィシャルサプライヤーとして、男女ともに日本代表チームのユニフォームをサポート。

    ・ザ・ノース・フェイスでは初となるキッズ専門のアウトドアショップを原宿キャットストリートにオープン。

    ・着用するだけで心拍数・心電波形などの生体情報を取得できる機能素材「hitoe」を活用したウエア型のトレーニングデータ計測用デバイス「C3fit IN-pulse」シリーズの発売を開始。

    ・アウトドアフィールドに隣接した地で四季を通じてアウトドアスポーツを提案するTHE NORTH FACE GRAVITY を北海道ニセコにオープン。

    ・「1週間の滞在」をコンセプトに、利便性の高いアイテムを独自の視点でセレクトしたホテル内キオスク、BY THE WEEKを北海道ニセコにオープン。

    デビスカップ日本代表チーム

  • 2015年

    ・日本障がい者スポーツ協会とのパートナーシップ契約を締結

    ・スポーツを一番に考えるWEBマガジン「SPORTS FIRST MAG」を開設。

    ・シチズンサイエンス社(仏)とウエアラブルセンシングテクノロジーを利用し効率的なトレーニング、試合戦術を実現するための計測ディバイスを搭載したゲームシャツとソフトウエアの共同開発を行うことに合意。

    ・本格的なゲームウエアから、ファッション性の高い観戦スタイルなど、様々なアスレチックスポーツのスタイリングを提案するセレクトショップ「Athletic Dept.」をオープン。

    ・アイコとのパートナーシップによる、「どのブランドの服でも、全て回収する」新たなGREENCYCLEの取り組みを開始。

    ・新世代タンパク質素材の実用化へ向けた第一歩: THE NORTH FACEで開発したプロトタイプ「MOON PARKA」を発表。

    ・第1回富山マラソンのゴールドパートナーとして大会を支援。

    MOON PARKA

  • 2016年

    ・日本身体障がい者水泳連盟とオフィシャルパートナー契約を締結。

    ・ココロとカラダをニュートラルな状態に整えるコンディショニングストア、NEUTRALWORKS. BY GOLDWIN をオープン。

    ・日本ウィルチェアラグビー連盟とオフィシャルサプライヤー契約を締結。

    ・MXPユニホームプロジェクトをスタート。

    ・当社独自の縫製技術「スマートシームテクノロジー」のロングタイツ、ゲイターを発売。

    ・ビーチテニス日本代表チームの公式ウエアサプライヤーとして、エレッセブランドからオフィシャルウエアを提供。

    ・単独・無寄港・無補給 世界一周ヨットレース「Vendèe Globe」に挑戦する海洋冒険家・白石康次郎氏のセーリングウエアをサポート。

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