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自分を信じて滑った復帰戦

2018年3月、北海道ルスツで開催された全日本スキー技術選手権大会のトピックのひとつが、13年~16年まで四連覇を果たし“絶対女王”と呼ばれた佐藤麻子の技術選復帰だった。出産によって1シーズン戦列を離れていた佐藤の滑りに注目が集まる。予選2日目を終えた時点で1位。抜群のエッジング操作から生み出すダイナミックでスピード感あふれる滑りは、観衆を魅了してあまりある輝きを放っていた。ふたたび女王の座に返り咲くかと誰もが思ったが、決勝初日の「大回り」のゴール直前、スキーが外れるアクシデントにより転倒、53位に沈む。その後の怒涛の追い上げで暫定5位まで這い上がり、スーパーファイナルへ進出。ハイスコアを叩き出して総合4位を獲得した。1シーズンのブランクなどなかったように佐藤は帰ってきた。2歳年を重ね、子育てで練習時間も満足にとれないにもかかわらず。
「30年間やってきたスキー技術は裏切らないと思ったんです。スキーっていきなり上手くならないのと同じで、いきなり下手にはならない(笑)。
練習時間も明らかに他の選手とは違うし、はじめてのルスツ。もう自分で自分を信じて滑るしかないんだと割り切って滑りました。1歳になる息子を連れて行っていましたから、試合直前まで“ママ”でいられたことで、必要以上に緊張しなかったのかもしれませんね」

ルーツ 岩木山の麓に生まれて

青森県の最高峰・岩木山の麓、旧岩木町(現・弘前市)は岩木山への登山ルートの中で最も標高差のある弥生コースのある町。佐藤はここで生まれ育ち、岩木山のガイドである夫と3年前からリンゴ農園をはじめている。岩木山を背中に、視界いっぱいに弘前の街を見下ろし、その奥に広がる八甲田連峰の後ろから神々しい光を放ちながら太陽が昇ってくる。実家を改装した自宅から見える毎朝の光景。地球の鼓動に合わせるように、佐藤の1日もはじまる。
物心がつく前からスキーを履いていた。自宅近くにあるロープトゥのある小高い雪山をぐるぐる滑っていた小さな女の子は、当然のように地元のスキークラブへ。はじめてスキー場でリフトを見たとき「こんな素晴らしい、楽なものがあるのか!」と感動したと言う。リンゴ畑の中を縦横無尽に滑りまくり、父親に連れられて岩木山の自然のままの斜面を滑り、友達とポールで競い合いながら育っていく。
同じ雪、同じ天気、同じ斜面は二度とない──。そんなシチュエーションを楽しむ、それがスキースポーツの原点だ。その原点に忠実な、どんな斜面にもフィットさせる佐藤の卓越したスキー技術は、生まれ育った環境で育まれていった。

“あと3日”と言われ続けた高校時代

「あと3日がんばれ。あと3日したら迎えに行くから」──。名門、東奥義塾高校スキー部にはじめての女子部員として入部。規則で縛られた生活とオフトレの厳しさに耐え切れず、毎日母親に「やめたい」と訴え続けた。
「『あと3日したら迎えに行く』って言ってたのに、結局、ぜんぜん迎えに来なくて(笑)。夏はつらかったけど、冬の遠征は楽しかったですね。高校選抜で白馬に行ったときは、山がこっちとぜんぜん違うから俄然気持ちも大きくなっちゃって楽しく滑ってた記憶がありますね」
高校卒業後、日本女子体育大学スキー部へ。最新のトレーニング環境が整う学内のトレーニング室で、他競技の選手たちに刺激を受け、トレーニングに励みながら楽しく過ごす。卒業後アルペンスキーに終止符をつけようと考えていた佐藤は、4年時、「卒業旅行で白馬の温泉に行こう!」という軽い気持ちで学連から技術選に出場。20位という記録を残す。
「はじめて見た基礎スキーの世界は何もかもが違いました。選手のファッションもお客さんの数にもびっくり。技術に対する解説ナレーションがあるなんて、衝撃的過ぎました!」。卒業後、地元に帰って中学校の非常勤講師として1年間勤務したのち、2度目の技術選チャレンジ。決勝に手が届かず、もう一回チャレンジすることを決意。ふたたび上京し、企業のクレーム対応オペレーターとして働き、必死でお金を貯め、冬は地元の鯵ヶ沢スキースクール(当時)で働いた。この頃から、“技術選”を視野に入れ、スキーで食べていく決意を固めていく。そして翌シーズン、4月から月山でアルバイトしながら毎日コブ斜面を滑り込むという、ほぼ1年を雪上で過ごす生活にシフト。東京で働くよりも、月山のアルバイトで得らるスキーヤーたちとの出会いが、自身のスキー観に大きく影響を与える。
「お金をいただいて練習してコブが滑れるようになって、スキーがおもしろくなったんですね。社会に出はじめたタイミングで、真剣に楽しんでいる大人のスキーヤーたちと一緒に滑れる機会があったことも私にとって大きな出会いでした。みんなで岩木山の四季を楽しみながら滑っているとき、ふと小さいときにお父さんに連れてってもらっていた岩木山で『こういう雪が滑れなかったら上手くなれないんだよ』って言われたことを思い出し『ああ、そうか~、こういうことだったんだ』と、すべての出来事がリンクしてつながったんです。岩木山や月山を滑ることは、大会に出るためのひとつの技術ではありますが、いろいろなことがうまくつながらないと、ちゃんとは滑れないんだなあと」

“心の強さ”の重要性を感じた苦い経験

佐藤には、ある才能に秀でた天才肌の人たちに共通する愛すべき特徴がある。通り慣れているはずの道を何度も間違える。子どもの保険手続きをするために行った市役所で、肝心の母子手帳を持って行くのを忘れる。佐藤いわく『やらかし系』。日常生活の笑い話は数え切れないというが、照準がいったん“スキー”に定まれば、爆発的な集中力を発揮する。さらに特筆すべきは技術選4連覇を可能にした“心の強さ”。2012年技術選、1位で迎えた最終種目で逆転され、つかみかけた栄冠はたった1点差で手の中からこぼれ落ちていった。その苦い経験から学んだのが“心”の重要性だった。「もう頭の中は真っ白で、スキーも履けないくらい足が震えちゃって、滑り終えた記憶もないんです。優勝するには技術よりも気持ちだ。そう思ってメンタルトレーニングを始めました。本で勉強し、自分なりに瞑想をしたり、気持ちをコントロールする方法や考え方を研究しました。もちろん筋トレ、陸トレもやりましたけれど、自分と向き合うことにたくさんの時間を費やしましたね。克服するまで時間はかかりましたよ。そのことを考えるだけで心臓がバクバクして、寝られないこともありましたが、次の年の大会が近づいた頃には緊張しないようになっていました。最初に優勝したときは『絶対に勝ちたい』って思っていましたが、ゴールドビブを着けて臨んだ二連覇、三連覇のときは、一回優勝してるし、そこまでこだわらなくてもいいんじゃないって。でも自分の分析によると、連覇を気にしないつもりでも、心のどこかにひっかっかっていたから、わざとそう思うようにしていたんでしょうね。でも、いまは心の底から解放されています。今年の技術選は、決勝1日目でスキーが外れちゃったから、スーパーファイナルに行けるってわかったとき、すごく嬉しくて感動しちゃいましたし、順位も気にしなかった自分がいて、すごい楽しかったです」
いまの自分と真摯に向き合い、緻密に自己分析した上で、素直に自分の心に従って行動する。いつでも自然体。そんな佐藤は、今後の技術選参戦についてどう考えているのだろうか。
「子どもが生まれたら技術選をやめて、できる範囲でレッスンをして、好きな山に行って滑ったりしようと思っていたんです。でも子どもがいても技術選に出られるということがわかったので、挑戦する場はあったほうがいいと思っています。そうは言っても子どもが具合悪かったりしたら、母親ですからそれは無理。“出られたら出る。“出られなかったら出ない”ということでしょうか(笑)」

雪があるから行ける場所、雪があるから見える景色

10月末から6月末まで約8カ月。多いときで240日、少ないときで200日。何年もこのペースで滑り続けてきた。それでも未だ飽きることなくスキーが好きだと語る。「数えたことなかったですけど、すごいですね。どんだけ好きなんですか(笑)。スキーって技術を追求しても、スピードを追求しても、遊んでも、楽しみはいっぱいあります。私が一番好きなのは、天気のいい日に友達とワイワイ滑っているとき。山でもいいし、ゲレンデでもいい。同じですよ、普通のスキーヤーと。楽しいですね、本当に。雪があるから行ける場所、雪があるからこそ見える景色。夏だったら木や岩があってそんな高い位置には行けませんからね。いまは自分が滑ることで見た人が「ああかっこいい!私も滑りたい!」って思ってもらえるような活動がしたい。そう考えると、やはり技術選に出ること自体が、自分のやりたい活動につながっていくように思いますね」
山に隠れゆく太陽を見て、おおよその時間を知る。季節によって変わる雨の降り方、山の色彩のグラデーションでリンゴ農園の作業を見極める。自然に抗うことなく、あるがままに毎日を生きる。そして彼女のそばにはいつもスキーがある。技術選のトップシーンで闘うプレイヤーであり、スキー教師である前に「スキーが楽しくてしかたがない」と言う純度の高いひとりのスキーヤーであり続ける。

Text by Yukiko DAZAI