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10代に迫られた選択、育った心の根

22年前のオーストリア、ザルツブルク。15歳の河野克幸少年が見上げるその地の空は、広く高かった。
――もっと、もっと速く滑りたい。
高速系のスキー競技に夢中だった少年の心の内にあったのは、ただそのことだけだった。
ちょうど1998年の長野冬季五輪を目前に控えた時期で、ナショナルチームや県代表の遠征に合流することも多く、滑り込みに滑り込みを重ねる。だが、生活は慌ただしく、落ち着いてトレーニングを積む環境にはなかった。次第に、のちにワールドカップで活躍する選手へと成長した周囲の仲間たちとの差が広がっていく。今振り返ってもその日々の色合いは鮮やかで、濃い。そうやってザルツブルクでの生活は5年間続いた。
10代半ばで、自ら選択できることはそう多くない。親の保護の下にあっては、その甘え心を省みることも難しいだろう。河野少年はその時期を家族から離れ、住み慣れない異国で過ごした。日常の些細なことや思わぬ障壁にはたと立ち止まり、自分で悩み考え、決めていく。そして、離れたことで見えるもと居た場所や自分の姿に気づく。そうして思い巡らす少年の頃の経験は、心の核に大きな刺激を与えたに違いない。

試行錯誤を止めない道程の先に

37歳になった今、河野克幸は生まれ育った野沢温泉村でレンタルショップ2店とカフェの経営を管理し、実家の宿の未来を託されている。冬になれば村に点在するそれらを見て回りつつ、滑りつつ、慌ただしいが少しずつ描く姿に近づく日々だ。
20代前半で経営について語りだすと、周囲の大人たちは当然のように反対した。先の見えない観光地での厳しさを肌で感じている大人たちの言葉はズシリと響く。だが、当初は無言を通していた父親に胸の内を吐露すると、「やれ。」と背中を押された。と同時に、中途半端には立ち止まれない、薄ら覚悟のような重みを含んでいた。
「たまたま、うまく行っただけ。それでも、『こういうことだったのか……』との思いもある」
一昨年の12月、実家の「やすらぎの宿 白樺」に隣接する建物を自らの手でリノベーションし、オープンした「七良兵衛珈琲」は順調だ。最初に手掛けたレンタルショップは10年以上経って手応えがあった、と河野は目を細めて振り返る。そして、先の言葉は、経営のさまざまな成功や失敗を繰り返す中、鍛えられた末の勘の鋭さと、生まれた余裕の証なのかもしれない。

体感から生み出す想像が未来をつくる

店の奥にある小さな木製バルコニーからは、眼下に民家や宿が所狭しと軒を連ねる街並みと、遠くまで開けた西の空に夕陽が見える。冬の一日の終わり、その日の雪の味わいを振り返り、心地よい疲労感を癒すようにここで飲み、語らう人たちの姿を想像する。旅先で過ごす、とても贅沢な時間だ。
河野は旅が好きだと言う。こんなに多忙な今でも、年に2回の国外への旅は欠かさない。
「旅は、想像の源」
旅先で過ごす時間を大事に思う。そうして、そこで見た風景、味わった料理や感覚を持ち帰るのだ。七良兵衛珈琲の壁にかかった黒板には「オール200円」とある。愛する国スペインのバルのカウンターで、多種多彩に並ぶ“ピンチョス”を真似たメニューだった。夕食前のひと時、安価につまみとお酒を一杯と、談笑する人々の伸びやかさに包まれた空間をここに再現している。
体感こそ、いい仕事を生む。ただ働くのではなくて、お客との“共通言語”を持つこと。一緒に働く者、例えば、店や宿の自分では手の及ばない箇所の修繕などを託す大工にはスキーを愛する者を選ぶし、また河野の下で働くスタッフたちにもそれを望んでいる。
「例えば、店で出す料理にはメッセージがほしい。そのために、『頼むから(忙しくても)滑りに行ってくれ!』って、シェフには言っていますね(笑)」
それはまた、時間的に余裕ができて数年前から指導を手伝うようになった、野沢温泉ジュニアスキークラブの子どもたちにも思うことだ。黙って指導されるままに滑るのではなく、滑りの中で「自分で考える」ことを伝えたい。
「『(指導者たちの言葉の)すべてが合っているわけじゃないから、いいと思うことを拾っていけ!』と子どもたちには言います。小さくまとまるなよ、って(笑)」
そして彼らには、野沢出身者として恥ずかしくない人間になってほしいという思いが心の奥底にある。いつか故郷を出ることになっても、ここに留まっても。経営者になって、雇用する立場になって初めてその思いを抱いたと河野は言うが、それは通ったわが道で体感してきたからこその育成心ではないだろうか。

野沢温泉村に生きる者として

野沢の誇り。確かに河野が話すように、今こそ村人たちの胸の内に問い直す必要があるのかもしれない。野沢温泉村には外国人観光客が2000年代半ばから訪れ始めて、2010年以降は急増し続けている。押し寄せる波に乗っただけでは去ることを待つのみだ。そうではなく、その波を利用して、今こそ魅力を秘めた旅の目的地になるように。古くから自然の恵みによって結束した村人たちの力を基盤として。
河野の目には、これからの野沢温泉村の可能性は明るく映る。
――世界的なマウンテンリゾートにしたい。
山も人も、それだけのポテンシャルを持っている。変えていく余地はまだまだある。冬も、そして夏も。できれば10年ほどの長期を見据えて、毎年少しずつ変わっていきたいと河野は話す。変化とは、どんなに現状が多忙でも先に向ける目を忘れぬこと。歩みを止めないこと。そうした先に、「世界で3本の指に入るように」、日本人をも誇る山麓の街へと辿りつく。

変わろうとする最中で、その流れの行方を定めて行くのは、詰まるところ、その中に在る人たちの感覚なのだろう。かつて、この国が大きく変わった時、その中心者たちは世界を知っていた。いや、世界の目になってこの国を見ることができたと言った方が正しいかもしれない。
今、日本の至るところで変化を望んでいる。信濃の北の端、野沢温泉村も例外ではない。永く温泉とスキーで保たれたこの村が変わっていく流れの中心のひとりに、河野克幸はいる。

Text by Junko AOYAMA