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雪との距離はさらに近く、さらに深く

新潟県十日町市は小学生の社会科の教科書でも紹介されるほどの日本有数の豪雪地帯。降り積もる雪は2~3mにもなり、そこに暮らす人々の日常生活をときに阻害することもあるが、子どもたちにとっては格好の遊び場となる。日本を代表するトップデモンストレーター水落亮太は、ここ十日町に生まれ育ち、たしかな記憶は残っていないものの3歳くらいからスキーを履いて両親の後ろを滑っていた。「5、6歳のときに、いまも所属している十日町スキークラブに入って、ポールの大会に出ていましたね。でもポールだけじゃなくて、自分で裏山にジャンプ台を作ったり、両親に雪かきのブルで斜面を作ってもらって、ポールを立てたり、遊び感覚でスキーをしていました。小学校に入ってからも、学校が終わったら毎日スキーでしたね」
成長するにつれ、雪との距離が遠くなっていく人たちが多い中、39歳のいま、雪との距離はさらに近く、さらに深くなっていく。子どもの頃大好きだったものを職業にできる人間の確率は、トップアスリートの世界に限れば高いだろうが、社会人全体を見れば、おそらくほんの一握り。大きな喜びは観衆と分かち合うことができるが、抱える苦悩はわれわれには計り知ることはできない。

新境地を開いた今年の技術選

スキーのたわみを最大限に活かし、斜面の上から重戦車が迫り来るような独特の滑りで人々を魅了する。全日本スキー技術選手権大会のトップ10の常連としておなじみの水落が、昨年の技術選の予選で40位という予想外の順位となる。決勝では総合12位まで順位を上げたもののトップ10圏外に。しかし今年、北海道ルスツのバーンで新境地を開き、これまでにない魅力を解き放って総合6位に復活。
「夏の陸トレの成果もあるかもしれませんが、コーチが変わり、いままでの自分になかった部分を指摘されたことがとても新鮮で、そこを変えるきっかけになりました。さらに、シーズンはじめのオーストリア合宿でも、先輩デモからいろいろなことを教えていただける機会があり、それらのピースがうまくはまったんだと思いますね。他の選手や先輩に『すげーうまくなった』って言われましたよ(笑)。『ここでこの技術をやろう、あそこはこれで』とかいろいろ考えちゃうとダメですね。最終的には“無の境地”って言うんでしょうか、考えずに滑れるようになるまで練習すること。今年はそれが大切だと思いました。
去年の技術選は予選でもう順位すら覚えてないほどダメで……。結果12位まで上がったんですが、かなり精神的にやられてしまいました。このことで、相当メンタルが強くなったように感じています。技術選って本当にメンタルで左右されるんです。極端に言えば、上位になればなるほどメンタルが大事。今年の技術選でも、去年の自分を見ているような選手が何人もいたんです。どうなるのかなと思って見ていましたが、やはりグッと上がってくる選手は少ない。予選で悪かったらそのまま沈んでしまうような感じです。それぞれの選手のライフスタイルがあると思いますが、技術選に賭けるのか、仕事(レッスン)がメインになるのか。そのあたりのバランスの差がダイレクトに出るのが技術選だと感じています」

スキー一本で生きていく

湯沢スキー&スノーボードスクールに所属。スキーを辞めて就職するという選択肢はまったく頭になかった。「スキーしかできないし、雪がすごく好きなんです」──少し照れたように、しかしまっすぐに語る。その笑顔の向こうには、雪が大好きで毎日スキーをしていた子どもの頃の姿が見え隠れする。
冬はスキースクール、夏は測量の仕事という二足のわらじを履きながら、技術選を目指した生活をスタートさせ、現在のライフスタイルを確立できるようになったのは、2008年技術選で総合5位に入った頃。“スキー一本”で食べていけるようになってから、ナショナルデモンストレーターの同期、育美と結婚。ともに技術選プレイヤーとして、彼女が2014年に選手を引退するまで同じ高みを目指し続けた。「結婚して成績が上がる選手と落ちる選手っていると思うんです。育美や仲間たちとよく話すんですが、大会に出たら、とくに男性は奥さんの成績が気になったりするじゃないですか。そんなことを考えているようじゃだめだと。だからお互い大会中は自分のことだけに集中する。僕も考えないようにはしていましたけど、多少は気になりますよね、やっぱり(笑)。いままでずっと二人でキャンプをやってきましたので、彼女が引退してからはもっと頑張らなくてはという気持が大きくなっています。育美のお客さんもいますからね、そういった意味でも責任重大。まあ、彼女がいなければ、ここまでやってこられたかどうかわからないですね」

デモ1期目で辞めようと思った理由

シーズン中はガーラ湯沢スキー&スノーボードスクールに所属し、選手活動をメインに指導も行い、オフの週末はサマーゲレンデなどでレッスン。月曜は休み。火曜から金曜までがトレーニング。これがここ10年の年間スケジュール。
「自分はそこまでスキーの実力がないと思うので、レッスンがメインになると、たぶん落ちていくと思うんですよね。“選手”でいたい気持ちがすごく強いんです。練習量が十分に取れる環境を与えていただいているガーラ湯沢のスクールには感謝しています。本当にありがたいですね。育美(旧姓・高橋/元デモ、2010年に結婚)も『どうせやるなら、お金を稼ぐ仕事ではなく、いま自分にやれることをやってこい』って言いますね(笑)。いま39歳ですから、トレーニングしないと技術選では絶対上位にはいけません。筋力・体力面のトレーニングメニューも年々増えていますよ」。
「寮生活がきつかった」飯山南高(現・飯山高)から「高校時代とは比べものにならないくらいきつかった」近畿大学へと進み、学生時代は競技スキーに専念。大学卒業後は、ステージを技術選に移し、十日町スキークラブの先輩を通じてガーラ技術選に参戦してからスキーのおもしろさは倍増し、ナショナルデモンストレーターになってからは、明確に滑りが変わっていったと言う。しかし水落には乗り越えるべき大きな壁があった。
「自分からどんどんしゃべったり、人とのコミュニケーションというか、そういうのがあまり得意じゃないかったんです。
でもインストラクターを仕事にすると、しゃべらないわけにはいかないじゃないですか(笑)。最初はスキー用語とかもよくわからなくて……。ナショナルデモンストレーター1期目に認定されたときなんて、もうめちゃくちゃたいへんでした。長野県のコーチや白馬の検定部長というようなベテランの方々に研修をしなくてはいけなかったんですが、うまく伝えようとすると、へんに言葉が長くなっちゃったり、難しい言葉を使おうとして失敗したり。最悪でしたね。なんとか乗り越えたんですが、1期目のときは、自分には向いてないから辞めようと思ってたんですよ、ほんとに。いまでもそんなにしゃべるほうじゃないですが、昔を知ってるスキークラブのコーチは、きっと僕が人前でしゃべってるなんて想像できないと思いますよ(笑)」

新しいものを吸収しているときが一番楽しい

なぜスキーを続けているのか?そんな質問を投げかけてみる。「やっぱりうまくなりたいんですよね。そしてうまくなって教える立場に立ったとき、できるだけお客さんや生徒さんにうまくなってほしいと思うんです」。水落は自らアルペンW杯を舞台に闘ってきたレーサーたちのキャンプに参加したり、現役レーサーと話す機会があれば、スキー技術について熱心に質問する。「デモ認定7期ですし、この年齢になると誰かに習う機会ってあまりないんですよ。メーカーの合宿や県連合宿、キャンプなどで自分が習いたいと思った人に習ってるときって、すごく時間が過ぎるのが早い。そういうときが一番楽しいんです。映像や誌面ではわからない部分って絶対にあるから、生の声を聞いて、それをうまく技術選に活かしていきたいですね。さらにそれをレッスンに来てくださったお客さんにもフィードバックできれば」
これだけスキーを続けていてもなお「うまくなりたい」と切望する。
「スキーってまだまだわからないことがたくさんあるし、つねに進化できるところがおもしろい」
スキーを探究する旅は終わることはない。真正面からスキーと向き合い、“探求”と“進化”を繰り返す。さまざまな叡智を吸収し、スキーという一本の糸をただひたすらに紡ぎ続ける。その糸を、より強く、より太いものにするために。

Text by Yukiko DAZAI