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流れていく“今”を踏みしめて生きる

暖かな春が例年より10日ほど早く訪れた長野県・小谷村には、4月中旬、山野を彩る桜が美しく咲き、村を縦断する姫川に雪解け水が勢いよく流れ込んでいた。それでも白馬連山の頂上一帯を見上げれば、数日前の急な冷え込みで真新しい雪を被り、残雪が純白に色を変えていた。
「コゴミ、今年はもう出ていましたよ。明朝、摘みに行きましょう!」
夕暮れ時、到着するや否や、深沢祐介のよく通る太い声が耳に心地よく響く。その声質も用意周到さも、山に生きる男の匂いがする。アスファルトではない、土の大地を踏みしめてきた人間独特の懐の深さだ。
栂池高原の鐘の鳴る丘ゲレンデの麓に建つ、実家の「ホテルベルハート」の経営者として、昨年の秋、深沢は正式に親から引き継いだ。子どもの頃から特別に意識をした覚えもないが、いつかこの日を迎えるだろうことはごく自然なことだったと言う。
その業務は幅広い。シーズン前の営業活動から予約窓口までを一手に引き受け、繁忙期には従業員たちを流れるように動かす司令塔となる。年末年始の予約は開始早々に常連客で埋まり、学校単位のスキー教室から、最近増えている外国からのツアー客まで、12月からの4カ月はとにかく目まぐるしく過ぎていく。
それに加えて、長年所属する栂池スキースクールでのレッスンや検定員の任も継続している。50mも離れていないスクール事務所との往復で、毎日が分刻みの忙しさだ。

導かれた華やかなスキーの世界

5年前、10度にわたって挑み続けた全日本スキー技術選手権大会から身を引いた。戦った世界を振り返ると、幼少期から高校、大学まで競技に明け暮れた日々からの転身は、眩しさに目がくらむほどの別世界だった。
その扉を開いたのは、すでに参戦していた同級生の誘いがキッカケだった。その頃、深沢は大学のあった京都に卒業後も残り、将来を見据えて京都のホテルで働いていた。冬期間の休暇を認められて準備が整うと、学生時代に培った技術を試すように大会に挑んでいった。
そして、甲信越ブロック予選を突破して本大会へ進み、一気に最終の決勝戦まで勝ち進む。学生時代にダウンヒルやスーパーGを得意とした深沢の滑りは、種目別の大回りでも結果を残した。
だが、そこからの周囲の動きは、予想していないものだった。初めて自分の滑りを見た観客からは握手やサインを求められ、メーカーからはサポートの話をしてもらい、メディアには注目され取り上げられる。それまで味わったことのない、華やかな世界だった。興奮に湧き立つ心のまま、その後の見つめる先は定まっていく。

山の恵み、スキーの恵みを知る

競い合う世界で生きることは、結果がすべてで、さまざまな感情に翻弄される。順位を上げていく喜びも、思うような滑りができない苦しみも、周りからの励ましを受ける感謝も、認めてもらえない苦みや渇望も。その中心にあるスキーとの向き合い方に、再び開眼の時を与えてくれたのは、目の前にある栂池の山々だった。
――森の中を滑るって、こんなにも気持ちよかったのか。深雪の上を浮くような滑走感は初めてだ……。
すぐそばにあった自然の恵みの奥深さを知った。
「昔に、子どもの頃に戻ったような気分だった。最近では、技術選で戦っていた仲間たちと、気兼ねなく滑る時間が楽しい」
次第に山の奥へと導かれて行き、一度は心が山にばかり向いている時期もあったが、今は多忙の隙間を見つけてはゲレンデを滑る時間も愛おしく感じている。
また、山を滑る中で、パートナーのような写真家の存在は、いい作品を残し、多くの人に伝えられる機会となっていった。雑誌や広告に掲載された数々の作品は、深沢の滑りと大自然が溶け合い、とても美しい。作品を通じてスキーを語ることもまた、大切な時間になる。

離れることのない故郷に生き続けるとは

今、深沢は小谷村のことをもっと知りたいと話す。東西に14km、南北に20kmほどの広大な村の9割近くを占める林野に、春夏秋冬、分け入って行きたい。
冬が終われば、今では一人で行くことも少なくないが、幸運にも周囲には教えてくれる地元の先輩たちがいる。山菜のよく生えている場所や採り方、調理の仕方、山のこと、山の中での遊び方。一緒に山へ行って、自然と覚えたこと。それでも、まだまだ知らないことは山ほどある。それをひとつひとつ、探っていきたい。
そして冬の間には、少しずつでもいい、隅々まで歩き、滑ってみたい。そうして、おじいちゃんになっても滑っている自分が理想だ。
「泊り客の若者たちに、『今日はあそこがいいよ』って、(状態のいい雪のポイントを)サラッと教えてあげられるようなオヤジになりたい(笑)」
その頃にはきっと、来春に高校受験を控えている娘か、小学校に入ったばかりの息子のどちらかが、経営を引き継ぐ未来を考えているのかもしれない。
「小谷村を知ることは、『守っていくこと』。ちょっと大袈裟かな(笑)」
深沢はまもなく40歳になる。不惑。これまでの多くの経験から何が起きても動じず、この先どんなことが起こっても受け入れる柔軟さが備わる頃。
「恵まれているなぁ……」
よく通る声がゆっくりと、小さくそう呟いた。栂池高原の麓に生まれ育ち、流れるように導かれるように、今ここにたどり着き、ふわりと溢れ出るような言葉だった。

冒頭のコゴミ摘みへと行く途中、蛇行する坂を下って行くその道は小学校、中学校までの通学路だったそうだ。ショートカットの山道を駆け下りたり、冬は板を履いて登校したり、やんちゃだった子どもの姿を想像するが、片道4km強の道のりは遠い。どんな荒天でも毎日その道を歩いて行く。田舎に育つとはそういうことだ。当然のように、幼い頃から鍛えられていく。強靭な身体と、懐の深い精神と。
次の冬までの間、深沢には休む間のない日々が続く。立夏を過ぎれば田植えの準備が始まり、秋には稲刈りが待っている。畑仕事もある。そうして、迎えるお客に味わい喜んでもらうのだ。丁寧な仕事の一つひとつが、また新たな恵みにつながっていく。

Text by Junko AOYAMA