SPECIAL TALK SESSION

TORU NAKAJIMA × IMASHI HASHIMOTO

[写真右] 中嶋徹 / TORU NAKAJIMA
23歳 長野県出身。父親の影響で4歳でクライミングにふれ、8歳か本格的に向き合い始める。外岩おける最年少記録を更新するなど成果を出し、14歳で小川山にある「伴奏者」5段V14を完登。その後も次々に高難度を登る。リードにおいても12歳で完登した「白髪鬼5.13d」でトラッドクライミングに興味を持ち15歳で単身渡英、クライミングの幅を広げていく。2012年からTHE NORTH FACEのサポートクライマーとなりコンペティションにおいても2014年のTNFCで準優勝と成績を残す。現在は大学院生という顔を持つ傍ら、国外の岩場においても成果をだし、積極的にツアーも行なっている日本を代表する若きクライマー。


[写真左] 橋本今史 / IMASHI HASHIMOTO
33歳。クライマー、フィルマー、薬剤師、と言う独特の経歴を持つ。自身もハードなクライミングを追求する一方、中嶋徹を始めとする個性派揃いの長野県クライマーを世界中のクライマーに知ってもらいたいという思いから2012年よりクライミング動画制作を開始。それまでカメラや動画編集の経験はなく、すべて独学にて身に付けていく。2014年に個人ブランド「MONOLITHIC BLOCK」を立ち上げ本格的に事業をスタートさせる。クライマーだからこそ捕らえられるシーンを常に追い求めフィルムに収めて代表作にD16、THE CROSS BORDER、ACTIVATORなど。

『BEYOND』を見て

―― 『BEYOND』、ようやく完成しましたが、通して見た感想はどうでしたか? 橋本 「計3回ツアーに行っているんですけど、1回目のツアーのときの映像をあらためて見ると、徹くん若いよね。2年以上前だもんね。」 中嶋 「ですよねー。」 橋本 「1回目の映像はほんのちょっとしか使っていないんだけど、こうして3回分混ぜて編集すると、若さというか成長がよくわかった。」 中嶋 「2回目のツアーの最終日に撮った映像なんか、あまりに登りが硬くて、われながらビックリしましたよ。」 橋本 「3分30秒ぐらいのところでしょ、足プルプルしてたよね。」 中嶋 「左足なんか、もうガクガクしていて……。ここ、かなり踏み込まなきゃいけない足なんですけど。」 橋本 「テンポも遅いよね。徹くんはいつも速く登るタイプだけど。」 中嶋 「このときは、全力を出せば登れるみたいな、力めば登れるという間違った気持ちがあったんです。」 ―― 京都にも撮影に行っていましたね。 橋本 「行きました。徹くんは京大大学院の学生なので、ふだんの姿のカットも欲しくて、実はいろいろ撮っているんです。研究室で顕微鏡のぞいているシーンとか。本当は『京大ウォール』でのトレーニングのようすの撮影が目的だったんですけどね。」 ――「京大ウォール」ってなんですか? 中嶋 「大学にあるクライミングウォールです。そこにLucid Dreamingと同じような課題を作ったんです。似たようなホールドをつけて、シミュレーションできるように。これは本物より難しかったです。本物のランジは2回目で止まったんですけど、シミュレーションは4日かかりました。」 橋本 「おれは浮くこともできなかった(笑)」 中嶋 「V16あるでしょうね(笑)」

Lucid Dreamingという課題

中嶋 「Lucid Dreamingって、ごまかしがきかなくて、純粋に指の保持力勝負の課題なんです。ツルツルのピンチグリップとカチホールドをどれだけ持てるかということにかかっていて、実は苦手系の課題なんですよね。最初にトライしたときに『あ、これ、ワンツアーはかかるな』と感じました。結局、ワンツアーどころか3ツアーかかっちゃいましたけど。」 橋本 「ランジは1日目で止まって、下のムーブもすぐできたし、はたから見ているぶんには、すぐ登れそうだなという感じだったんだけどね。」 ―― 全部で何手あるんですか? 中嶋 「核心を越えるまでは、中継入れて4手しかないんです。とくに悪いのが2手。」 ―― 1手1手説明してもらえますか。 中嶋 「スタートホールドは、わりと掛かりのいい水平エッジです。1.5cmくらいあって、えぐれているので、指の第一関節がしっかりかかる。そこから、高めの位置にある、三角形に尖ったアンダーホールドを右手でとりにいきます。これが厚みが1cmもないくらいで小さくて、しかも尖っているので、よく指を裂いてしまっていました。次の左手も、第一関節の4分の1くらいしかかからない、極小のカチ。それで中継して、さらに次の左手が、問題のiPhoneピンチです。」 ―― iPhoneピンチ? 中嶋 「厚みとか、角の丸まり具合とかが、iPhone6を机に置いてつまんだ感じにそっくりなんですよ。」 橋本 「ああ、確かに(笑)」 中嶋 「幅はもうちょっと狭いんですけど、まさにこんな感じ。これが傾斜130度の壁についていて、それを全力で押さえ込んでいくんです。」 橋本 「厳しいよね。」 中嶋 「小さいのもさることながら、iPhone6的なこのツルツルがきつくて、フリクションがきかないので、純粋な保持力で押さえつけるしかないんです。このピンチが、Lucid Dreamingの象徴的なホールドになってますね。その次は一発ランジ。それをとったら、あとは初段くらいしかない。」 ―― 初段くらいしか……。 中嶋 「ヒールフックとかトウフック、キョンなど、足技はほとんど使えなくて、正対の真っ向勝負。ごまかしがきかない課題というのは、そういう意味です。指にすごい負荷がかかるし、ホールドが尖っているので、もう、何度、指先を裂かれたかわからない。一度指を裂いてしまったら、回復に3日かかるとか、そんな感じでしたね。」

2年間の結晶

橋本 「徹くんが完登したとき、岩場には、ぼくと徹くん以外だれもいなかったんですよ。完登シーンの目撃者はぼくだけ。だから、この貴重なシーンを撮り逃してはいけないと夢中でしたね。実は完登シーンも肉眼では見ていないんです。ずっとカメラのモニターを見ていて、フレームから徹くんを外すわけにはいかないと必死だったので。後ろに下がったときに、荷物に足引っかけたりしてるんですよ。その音も入ってます(笑)」 中嶋 「あれ、リアルですよね。」 橋本 「でしょ。「ザザッ」ってやつ。7分30秒くらいのところ(笑)」 中嶋 「最後、ぼくが泣いてるじゃないですか。あれは完登した瞬間じゃなくて、下に下りてきてから泣いてるんです。完登して泣いたことってそれまでなかったんですけど、今史さんの顔を見たら、これまでずっと付き合ってくれた感謝の気持ちとか、やっと今史さんに完登をプレゼントすることができたとか、そういう感情がいっきに湧いてきて。」 橋本 「マジか。そういうことだったんだ、ヤバいな、おれが泣きそう。」 中嶋 「あれね、完登したこと自体に泣いてるんじゃないんですよ。」 橋本 「そうだったのか……。徹くんが泣いている姿を見て、おれも感動して、声をかけたり抱き合ったりしたいんだけど、カメラまわしているから、必死で無言で「うんうん」ってうなずくしかできなかったんだよ。」 中嶋 「核心を越えて、上のスラブで冷静になったときに、2年間3回もツアーをして、なんでこれまでできなかったのか、2年間なにやってたんだって、自分に対して怒りも覚えたんです。ただ、そこから上まで登っていく間に、これまでのことをいろいろ思い出してきたんですね。」 橋本 「解放された感じもあったのかな。」 中嶋 「それもありましたし、今史さんへの感謝もありましたし、いろんな感情がいっきに来たんです。苦労したけど、自分は少しずつ前進していたんだなとも思えたし。一年前の自分より今の自分のほうが間違いなく総合的に強いし、自分は逃げずにこの壁を越えることができたんだって。そういうことが上に立ったときに実感できたんです。」

メンタルが強く影響する

橋本 「苦労したからね。」 中嶋 「最初のうちは、1回目のツアーでできるつもりでいたんですけどね。」 橋本 「おれもこんな大プロジェクトになるとは思いもせず(笑)」 中嶋 「とにかく指のダメージが思った以上に激しくて。完登トライのときも、実は指に穴があいていたんですよ。なので、あのトライで決められなかったら、また数日後までトライが先延ばしになっていたはずです。ムーブの悪さ以外のところの難しさがありましたね。」 橋本 「海外にツアーで来てやる課題じゃないよね、これは。」 中嶋 「地元で、ローカルがコツコツとトライを重ねていくような課題ですよね。」 橋本 「でも、街からこんなに近いところにあるのに、7年で3登しかされてなかったというのは、それ以上に難しいんだと思うよ。だって、あのメゴスが11日もかかっているんだよ。」 中嶋 「自分のクライミングそのものは、1回目のツアーのときからあまり変わっていないような気もするんです。3回のツアーを通じて、自分のクライミングに進化した点があったかというと、そんなにはない。じゃあ、なにが変わったのかというと、やっぱり精神面だと思うんです。3回目のツアーは、トライしているときも『これ、登れないかもしれない』という不安がよぎることはほぼなくて、精神的に安定していたということが、成功の最大の要因だった気がする。」 橋本 「見ていても、2回目のツアーとは雰囲気がまったく違ったんだよね。あれはなんで?」 中嶋 「どうしてなんですかね……。京大ウォールのシミュレーション課題が登れていたというのも大きかったですけど、それだけじゃないですね。うーん……、なんでだろう……? ひとり暮らし始めたことかな(笑)」 橋本 「ひとり暮らし?(笑)」 中嶋 「大学院に進学して京都に引っ越して、環境の変化がクライミングにも影響を与えたような気がするんです。」 橋本 「それは、京都の生活がよかったということ?」 中嶋 「京都に行く前は、研究についていけるんだろうかとか、ずっと長野の実家にいた生活を離れる不安とか、悶々としていたときもあったんですけど、いざ行ってみたらなにも問題はなくて。ムービーのなかでも言っているんですけど、ぼくはベースが学生であり研究者なんですよ。そっちが安定しているというのは、クライミングをしていくうえでもすごく重要なんじゃないかな。私生活がうまくいっていないと、クライミングもダメじゃないですか。」 橋本 「それ、すごいわかる。私生活でなにか引っかかるものがあると、全力が出せないというか、なんかうまくいかないよね。」 中嶋 「うん。メンタルってやっぱり複雑で、クライミングしているときでも、クライミング以外のことってなにかしら作用しているはずなんですよ。ルシッドはすごくメンタルが影響する課題だった気がします。」

やりたい課題ではなかった

―― そもそも、どうしてLucid Dreamingだったんですか? 中嶋 「Lucid Dreamingという課題は前々から知ってはいたんですけど、実は、打ち込んでトライするつもりはなかったんです。たまたまなんですよ。」 橋本 「ビショップ初めてだったし、とくにやりたい課題とか決めてなかったよね。」 中嶋 「Buttermilker(V13)とかSpectre(V14)とか、考えていた課題はあったんですけど、両方とも初日で登れちゃって。で、『ルシッドでもやってみるか』と。」 橋本 「で、はまってしまった。」 中嶋「そう。でも、魅力にはまったというよりも、越えられない壁に当たってしまったという感じ。さっきも言ったけれど、ぼくは指の保持力はあまり強くないので、この課題は苦手系なんですよね。それができなくて悔しくて……。そういうマイナスのモチベーションから始まっているので、トライ中はそんなにポジティブな気持ちでいたわけじゃないんですよね。」 ―― 「これに費やした3シーズンは無駄だった」というようなことをFacebookに書いていましたけど、あれはどういう意味ですか? 橋本 「クライミングキャリアという意味では無駄じゃないかもしれないけど、人生を豊かにするっていう意味では、必要なかったということ?」 中嶋 「うーん……、ルシッドという課題は、ぼくが今やりたいことでもないし、これからやっていきたいようなことでもないんです。」 橋本 「でも、今後のクライミングにつながるということはないの?」 中嶋 「完登までのプランニングの大切さとか、指皮の状態が最終的にはすごくきいてくることとか、学ぶことはいっぱいあったんですけど、それは他の課題でも学べることではあるんですよね。」 橋本 「なるほど。」 中嶋 「そういう意味では、ルシッドである必要はまったくなくて、もっと言うなら、ルシッドであっちゃいけなかったんです。ぼくというクライマーの特性を考えたら、この2年間はもっと別の課題に打ち込むべきだったんですよね。ただ、じゃあ、登れなかった時点であきらめるべきだったかというと、それは違うなと。壁にぶち当たってしまったあとで逃げ出すというのは、ただの挫折でしかないなと。それでは、つらかった体験を、あとでいい思い出として振り返ることができないんじゃないかと思ったんですよね。」

BEYOND

橋本 「ムービーを作るうえで、なにかテーマが必要だと思ったんだけど、徹くんのその話を聞いて、『これだ』と思ったんだよね。」 中嶋 「帰りの車で話しましたね。」 橋本 「話したねえ。こうしてかなり苦労した課題だったので、クライミングのカッコいい映像ばかり入れても、見ている人に伝わるものが少ないだろうなと。よく考えてみたら、クライミングに限らず、ふと壁に当たっちゃうことって、たぶん、どんな人でもあるよね。そのことを軸に、作品を作ればいいんじゃないかと、思いついたんだよ。だからタイトルが『BEYOND』。壁を越えていくということがテーマ。」 中嶋 「うん、そうそう。」 橋本 「その壁って、避けることもできるし、無理して乗り越えなくてもいい場合もあるかもしれないけど、それって避けてどうなのかな、と。」 中嶋 「壁に当たった人のなかでいろんな葛藤があると思うんですけど、やっぱり、当たった壁から逃げずに、それに挑戦し続けて越えるということには、すごく意義深いものがあるんじゃないかなと感じてますね。」 橋本 「おれは、これまでいろんなものを付け加えていくという編集が好きだったし得意だったんだけど、今回はとにかく削って削ってという編集をした。尺(時間)の制限があったせいもあるけど、そのほうがシンプルにテーマを際立たせることができるので。そういう意味では、自分の作品作りにとっても新しい挑戦ではあったな。」 中嶋 「でもやっぱり今史さんの作品っぽいんですよね。」 橋本 「そうだね。おれ臭がするよね。抜けないね(笑)」 中嶋 「削っても残るところが個性なんじゃないかと思いますよ。」 橋本 「最後までこだわったのは、徹くんのインタビュー。徹くんは撮り直したいって言ったけど、おれは当時撮ったものを使いたかった。確かに、今聞くと、言っていることに矛盾があったりもするんだけど、それがリアルな中嶋徹の2年間だろうと。それはそのまま出したほうが、ひとりの人間として、悩みながら壁を越えていく姿が表現できるはずだと思うんだよね。だって、それがまさに、徹くんがルシッドをトライしていたプロセスそのままだったんだよ。」 中嶋 「という話をさんざんしましたね。」 橋本 「したね。編集も苦労したから、たくさんの人に見て、感じてほしいよね。」 中嶋 「ですね。作っては直し、作っては直しで、バージョン16までやりましたからね。」 橋本 「そうだよ(笑)。だからぜひ見てほしいな。」