UNVEIL - YU OKUMURA

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鮮やかな若い緑が陽射しを浴びて輝き、透き通った鮮烈な水が深井プールを作りながら岩間を流れていく。高知県奥物部。山あいに深く刻まれた谷には石灰石のボルダーが無数に転がっている。大きく前傾した、丸みを帯びたカンテラインを見上げる二人のクライマー。外傾した縦カチを中嶋徹より先に捉えたのは、今年17歳になる奥村優だった。
滋賀県在住の高校2年生。名の知れたクライマーであり、多くの優秀なクライマーを輩出したクライミングジムKO-WALLのオーナー奥村晃史の息子である。
 コンペ中心の若手が多いなかで、奥村は岩場を中心に登り続ける。少々長くなるが、奥村の登った高難度ルートの一部を紹介しよう。
リードRP=Era Vella(9a)、open your mind direct(9a)、Seleccio natural(8c+/9a)、OS=Gaidoura dura(8b+)、ボルダーRP=Ill Trill(8b+)、New Base Line(8b+)、Never Ending Story(8b+)、FL=Swallow tail(三段+)
 登った5.14以上のルートは実に27本にも及ぶ。クライマーなら、この成果に驚愕するだろう。しかもまだ成長期が終わるか終わらないかの17歳、いつでもどこでも登りに行けるわけではない高校生である。
そんな奥村がTNFのクライミングアスリートに仲間入りした。彼を強く推薦したのは、他でもない中嶋徹だった。

クライマーとしての
奥村優という存在

中嶋「優くんを知ったのはけっこう昔、彼が小学校に入るくらいのことです。奥村さんの息子がすごいと、噂で聞いていました。すごく強いクライマーがいるっていうことは認識してましたが、雑誌などのメディアには出ていなかったので、実際に彼がどういうクライミングをしているのかは噂でしか知りませんでした。噂だけでもすごい成果を挙げてるのはわかるんですけど。
 一緒に登ったのは2年前、わりと最近になってからです。滋賀のローカルエリアにボルダーに行きました。もうすでに彼は相当強くて、これからさらにすごいクライマーになるんだろうなと思いました。
 優くんをTNFに推薦した理由はもちろんすごく強いということ。ただ、日本にはすごく強いクライマーはたくさんいるので、それだけでは推薦する理由にならない。すごく魅力的に感じたのは、ぼくと同じように自然の岩をメインに登っているというところでした。岩場で高難度ルートにガンガンチャレンジしていく、次の時代を担う若手がTNFチームに欲しかったんです」
 子どもの頃からその名を馳せ、ボルダー、スポート、トラッドとあらゆるジャンルで世界トップレベルのクライミングを続ける中嶋徹。彼にこれほど言わしめる奥村優とは、いったいどんなクライマーなのだろうか。

クライミング一家に
生まれ育ち

奥村「初めてクライミングをしたのは幼稚園くらい。その頃から両親の海外ツアーにも付いて行っていました。ぼくは全然覚えてないんですけど、幼稚園の年長のときにフランスの岩場で自分から「これ(ルート)やりたい!」と言ったらしくて、そのときの写真は今も飾ってあります。証拠はあるんですけど、記憶がない(笑)」
 やわらかい物腰で、はにかみながら話す奥村優。その表情にはまだあどけなささえ感じられる。幼稚園でのフランスクライミングツアー。そのとき初めて自分の意思でルートを決めてトライした。これほど早くクライミングに取り組むことになったのは、両親、とりわけ父親の存在が大きい。
「お父さんは親でもありクライミングの先生でもあります。マルチを一緒に登ったりすると経験が全然違うなって思います。いろんな種類のクライミングをするようになってからは特にそう思うようになりました。クライミングに対する考え方をいつも話してくれますね。尊敬しています。
 クライミングを本気で始めたのは小1くらい。当時はコンペを目標にしてて、いろんな大会に出るにつれて友だちもいっぱいできました。コンペで競い合ったりセッションしたり、それもたのしかったんですけど、小学校高学年で海外ツアーに行ったときに、やっぱり岩場のほうがクライミングしてるなって思いました。ちょうどぜんそくになったり中指を疲労骨折してコンペに出ていない時期で。お父さんは絶対このメニューをやらないかんっていうことはなくって、それぞれの目標に向けて自由にやっていけばいいよっていう感じだったんで、岩場に通ううちに岩で登るほうにモチベーションが高くなっていきました。
 最初はシングルピッチのリードばかりだったんですけど、マルチや、最近はボルダーのツアーにも行くようになりました。マルチやっているときが一番クライミングしてるなって気持ちになりますね。ビレイ点を作ったり自分ですることが多くて、そういうのがたのしいです」
 17歳にして岩場でのクライミング経験が非常に豊富である。しかも毎年のように海外へ出かけている。
奥村「海外ツアーには小5くらいから行くようになりました。最初の2年間はフランスのセユーズとスペインのロデジャ。セユーズはランナウトがすごくて、めっちゃびびったんです。でも最初にそういうとこに行けたのは良かったし、歴史もあってすごくおもしろかった。セユーズはシビアなフェイスをじっくり登る感じなんですけど、ロデジャはコルネをガシガシ登るおおざっぱなクライミングでそれもまたおもしろくて。冬休みにはスペインのオリアナやサンタリーニャに行って高グレードのルートをトライしました。去年の春休みはリードでシウラナ(スペイン)、夏はマジックウッド(スイス)にボルダーに行きました。友だちと一緒に登れてすごくたのしかった。今年の春はギリシャ。ロケーションも良くて、食べものもおいしくて、気候もあったかくて、とってもいいところでした。
 これまでに登った印象に残ってるルートは・・・セユーズの「Dures Limites」っていう8cですね。セユーズに2回目に行ったときにやりました。最後の、核心をあと一手止めればっていうとこまで行ったんですけど、結局そのときは敗退。で、次の年にぜったいに登りたいなって、トレーニングして行きました。身長がだいぶ伸びてて、前の年に落ちた上部はさっくり行けたんですけど、逆に全然大丈夫だった中間部でだいぶ苦戦して。今年もやばいなっていう不穏な雰囲気だったんですけど、最後は気合いで登りました。それが一番うれしかったです。高グレード一本だけに集中することはあんまりないというか、モチベーションを保ち続けるのが得意じゃないんですけど、わりと何度もトライしたルートなんで印象に残っています。13歳か14歳のときです」
 中学生での8c完登。ちなみに8c(5.14b)というグレードは何十年とクライミングをしていても登ることが非常に困難な、一部のエキスパートだけが登ることのできるレベルである。奥村がいかに早熟なクライマーであるかがわかる。自身も早熟クライマーだった中嶋は、奥村と自分を重ね合わせる。
中嶋「優くんはぼくと育った環境がよく似ています。親がクライマーであることもそうですし、周りにすごく強いクライマーがいて、岩場やコンペに連れて行ってもらったりと、そんな環境で育ってきたので、やっぱり通じるものがあるなって思います。
 あと、クライミングのスタイルが似ているですよね。ぼくはなるべく力を使わないように、力を逃がしながら登って行くスタイルなんですけど、優くんもけっこうそういうスタイルで。なおかつ、ぼくが中高校生だった頃より強いですし。ぼくをどんどん越えて行ってくれるんだろうなと期待しています」

 一方、奥村にとって中嶋は小さなときからの憧れのクライマーだ。

中嶋 徹という存在

奥村「徹さんはすごすぎるっていうか、ちっちゃい頃からいろんなクライミングをして、いろんなことを知ってはるし、まず経験が違いすぎる。12歳でトラッドなんてやったことなかったし、スラブもめっちゃ下手やし。あんな年で「白髪鬼(5.13d R)」登れるんや、「伴奏者(初登時五段)」いけるんやっていう。
 今年の春に徹さんからTNFアスリートの件で連絡をいただきました。徹さんが、ぼくのことをめっちゃ押してくれ てるってことで(照笑)。徹さんと一緒に登る機会もあるんじゃないかと思って、二つ返事で「はい!」って言いました。今回も一緒に登ることができてとっても良い経験だし、置いて行かれないようにくらいついていってるって感じです」
 お互いを尊重しつつ、同じ課題をトライするクライマーとしてのある一定の緊張感が漂う。クライミングスタイルの他に、中嶋は奥村のクライミングを見て気付くことがあった。

クライミングの熟練度

中嶋「17歳してはホールドの探り方がすごい。熟練の域に達していると感じました。外岩って人工壁みたいにホールドが単純じゃないし、無数にあるホールドから自分にベストなものを見つけなくちゃいけません。力のかかる持ち方を見つけてムーブを作っいくわけですが、そのスピードがすごく早いんですね。彼はぼくとは体格差がすごくあります(身長差12cm)。ぼくが作ったムーブに惑わされることなく、自分にとって最良の解を出して登る。その一連のサイクル、解決法が彼のなかでしっかり確立されている。すごいなと思いました。なかなか17歳のクライマーにできることじゃないです。ぼくもここ数年でようやくできるようになってきたと感じていたので、あ、もうできるんだっていう。ちょっと驚きを感じています」
 さて、今回のツアーの舞台である高知について、ふたりはどんな印象を持ったのだろう。
中嶋「数年前のロックトリップでもすごく良いところに連れていっていただいたんですけど、今回はそれを上回るような内容です。ああ、まだこんなにすごい場所があるのかと。まだまだポテンシャルの高さを見せつけてくれるんだなと思いました。
 昨日初登した「イービルカー(四段)」はすごくかっこいいラインです。内容もすごく濃かったですし、思ったより悪かった。いろんな要素を要求される課題です。四国の難しい課題って大きい筋肉を使って登るものが多いんですけど、あの課題はそれに加えてテクニカルな要素が強いので、四国でも異色の課題になったんじゃないかと思います」
奥村「四国に来たのは今回が2回目です。めっちゃすごいエリアがあるっていうことは知ってたんですが、予想以上に岩があるし、でかいし、ホールドもあって、登れないラインが少ない。岩天国だなって思いました。一生あっても登りきれへんちゃうかなみたいな。めちゃわくわくで、テンション上がりまくりです。一番印象に登っている課題は、昨日徹さんが初登した「イービルカー(四段)」。まずかっこいい。ムーブも多彩で変化に富んでる。身体全体を使わへんと無理っていう。久しぶりにああいう課題をトライできたなって思いました。ホールドが欠けて、ムーブを作り直しながらトライするのがたのしかったし、最後も気が抜けへん地獄みたいなフェイスがあって。そこで5回くらい落ちて結局ぼくは敗退したんですけど。徹さんはさっくり行って、もうあんぐりっていうか、すごいなぁって思いました。
 今後は開拓もしたいです。地元の岩を掃除して初登ししてっていうことを重ねていけば、その経験がどっかに活かせると思いますし。これからもずっといろんなクライミングを続けたいです。たのしいから。クラックとか新しいクライミングにも手を出したりしつつ、難しいルートもやって限界を押し上げていければなと思っています」
 まだあどけなささえ残る奥村優だが、その口調は実にはっきりとしていた。これから彼がどんなクライミングを見せてくれるのか。次の歴史の新しい1ページは、まだ開かれたばかりである。

奥村優(おくむら ゆう)

2001年滋賀県生まれ。幼少期から両親の影響でクライミングをはじめ、村岡達哉、濱田健介などKO-WALLで強力なクライマーのいる環境で育つ。素顔はツアー中にも宿題に勤しむ高校2年生。