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土地の力
#NORIKO
MATSUDA_
PROFESSOR

土地の記憶を丹念に掘り起こし、
未来につながる問いを
提起し続ける研究者。

PROFILE
松田法子 / NORIKO MATSUDA
学者
京都府立大学大学院 生命環境科学研究科 准教授。建築史・都市史。近年は建築や集住体のフィールドワークを、地形・地質・水系・地域史などを複合した広域なエリアスタディとして取り組み、これを領域史として提起する。現在の研究テーマは、「地-質からみる都市と集落」「汀の人文史」「生環境構築史」など。単著に『絵はがきの別府』(左右社、2012)、共編著に『危機と都市 -Along the Water』(同、2017)、『熱海温泉誌』(熱海市、2017)など。芸術・建築系プロジェクトにも積極的に協力する。

今ここにある「問い」を更新するために、
自分の足で土地土地を歩き、
地球の時間や空間とつながり合う。

現在は、建築のなかでも都市史や領域史を専門とされていますが、興味を持ったきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

建築はまずひとつには、ある表現を目指して空間をかたちづけていく行為かと思いますが、そのひとつ手前の段階として、「なぜそういうかたちなのか」ということも先に尋ねておきたかったのではないかと思います。建築の歴史分野は、そういう批評性をもっています。そしてそこには、人がある土地にどう住んできたのか、どう住んでいくのかといった根本的な問いも含まれていると思います。都市はそうした現象が集中する極地だともいえます。そして都市は、都市のなかで暮らしているとよく見えなくなりがちですが、その内部だけでうまくまわっているということは一切なくて、都市の外の様々な「領域」と関係を取り結ぶことで、構築されています。最近は都市のそのようなメカニズムや歴史を、時間や空間のスケールもできるだけ引き延ばしながら考えてみたいと思っているのです。

松田さんが研究している、都市と、領域や時間、また土地との関係とは、もう少し具体的に言うとどのようなことなのでしょうか。

現代都市は、人が大地を大きく改変しながらつくり上げてきたものです。工学の力で自然を制御したり、建設技術と経済の力で高層ビルを大量に建てたりしているわけですが、例えばその足元の地面のことなどは忘れがちです。その時間を巻き戻していくと、初期に人が住み着いたような土地の、相応の重要性や特徴なども浮き上がってくる。その違いは例えば、意外とちょっとした土の質の違いだったりするんです。その場所の土壌が、砂がちなのか泥がちなのか、といったこととか。現代都市では、たくさんの人が脆弱な地面の上に暮らしている。例えば洪水の被害を受けるところは、もともとは河川の領域だったところが少なくありません。災害はそのほとんどが人災だと言っても過言ではない。危機は、どこに住むかという選択から既に始まっています。

また、都市の歴史を考えるときはふつう人の時間を基準にするので、長くても数100年の時間幅を扱っていくのですが、東日本大震災など「1000年に1度」と言われるような地球のエネルギーの噴出を目の当たりにした後に現代都市や建築、居住を考える上では、もっと長い地球的な時間も組み入れる視点と方法が必要なのではないかとも思っています。こうしたことを研究し始めています。

松田さんはまずどのような土地から研究をスタートされたのでしょうか。

大学院生のときに、温泉町について研究を始めました。温泉町って、とっても面白いんです。大地の裂け目から温かい鉱水が湧いてくる。地球科学的なその現象を目指して人が集まり、そこにまちができる。都市はふつう、商業や政治、宗教上の拠点などとして成立するわけですが、温泉地では、人が地球活動と直接触れ合い、またそのことで自らの肉体の治癒を願う結果として、まちができてしまうわけです。また、大地のどこからどんなふうに温泉が湧くかということがまちの位置や形、規模を決めていきます。人が全てを決めきれない。そしてそのまちでは、人が地球の力を頼りにしている。温泉町のそういう空間史と社会史がすごく面白いと思って、そのことについて研究を始めました。

研究に対してのモチベーションは、どこからやってくるのですか。社会に対しての使命感のようなものは考えているのでしょうか。

研究の始まりは小さなクエスチョンであることが多いです。それが大きな問いにつながっていくことが、きっと研究のモチベーションでしょうね。研究を通じて世界をよりよく知ることができたなら、それを伝えていけるといいですね。世界を深く知ろうとするのはすごく難しいことですが、それでもやっぱり、近づきたいと思うんですよ。少しでも何かに触れた気がしたり、全く予想していなかったことが見えてきて、さらに別の疑問とつながっていく……。世界を知るためのとっかかりになる何かの尻尾をつかむこと。それと、「問い」が洗練されていくことが大事だという気がします。もちろんこれは、一人だけでできることではありません。ところで今、個人としてのわたしを前提にインタビューを受けていると思いますが、「人」とは、色々な物事の影響を受けてかたちづくられた歴史的で時間的な存在ではないかとも思います。

未来は永遠に未来。
根気よく「今ここ」に
付き合うことがすごく大事。

活動の中で、壁にぶつかったり立ち止まったりすることはないのでしょうか。

壁にぶつかるとしたら、「これはこういうものだ」として、ある決まったような形になっているもののあらわれに、もやもやするという感じでしょうか。価値、体系、規範、理想。最近はそもそも、「こういうものだ」というその事態の前提を考えてみるでしょうね。ある事態の初期設定を問うてみるということです。また、立ち止まることがあるか、と聞かれれば、毎日のように立ち止まっていますね。迷うことがあるかと聞かれれば、「うまく迷えるようになることが目標」だと答えるかもしれません。

色々な課題の要請に応えていくような仕事をする一方で、「その問いはどうしてできたのか」ということを問うていく。それができるようになることが必要だと思っています。問いを問うために、経験を積むんでしょうね。

女性だから抱けた問いや、活動していく上で女性であることを意識することはありますか。

「女性だから、女性として」という前置きがなくなるのが一番いいんじゃないかと思っています。女性という属性や女性性、あるいは逆に男性という属性や男性性が取り沙汰され続けざるをえない状況を意識していきたいと思っています。もちろんこれは、世界中で同時に問われていくべきものでもあるでしょう。

研究を進めていった先の未来については、何か考えていますか。

特に決まった最終的なイメージは考えていません。「未来」はまだここにはないし、未来は永遠に未来。わたしたちにあるのは基本的に「今ここ」で、そしてその「今ここ」は、どんどん過去になっていく。ひとりひとりの小さな歴史が生成され続けているのが、わたしたちの日常です。そして未来はやはり、その延長上にあるでしょう。だから、「今ここ」をどうするかを考えること、根気よく「今ここ」に付き合うことが、すごく大事なのではないかと思います。それが、よりよく生きるための技術につながっていくのではないでしょうか。それは、「今が良ければいい」という考えの対極にあるようなものだと思います。わたしたちは常に、過去のすべてが流れ込む「今ここ」と、未来との間を歩いています。そこにいったい今、どんな痕跡を残しているのかということを意識してみるとよいのではないでしょうか。

松田さんの土地へのアクセスの仕方を教えてもらえますか。

ある土地を訪ねるとき、わたしにとって一番大切な時間は、そこに降り立つ最初の一日だということも多いんです。できるだけ全ての感覚を開く気持ちで、最初に土地を歩いてみて感じたことは、その後の研究に重要な示唆を与えてくれます。私には現場が必要です。行ってみないとわからないことは、あまりに多い。ここまで「都市」や「領域」と呼んできたような大きな空間も、全て、身体スケールかそれよりも小さいミクロな空間のあり方とつながっています。それは、現場を歩くことではじめて感じられるようなものごとです。そして同時に、そのミクロな場所には、時間的な深さと空間的な広がりを兼ね備えた、大きな問いに通じる道があると思います。その扉が開く瞬間のために、歩きたいですね。


  • Photo / Chikashi Suzuki
  • Movie / Yu Nakajima
  • Illustration / Yutaro Mineyama
  • Interview / Rio Hirai