THE NORTH FACE

8歳の娘と、旅という教え

  • 文:エレン・フライス
  • 写真:オリヴィエ・カーヴェン

この前、娘と日本へ旅行をした。彼女はまだ8歳。しかし彼女にとっては2度目の日本だった。1度目は、彼女が4歳の頃。おそらく山梨県で出会った“テト“という犬のこと以外何も覚えていないはず。しかし今回の旅は、きっと彼女の中に何かを残していることだろう。

8歳という年齢は、旅を始めるのにちょうどいい年頃なのかもしれない。私自身もちょうど8歳の頃から、両親に連れられてよくフランス国外へ行くようになった。ヨーロッパの人たちは、長い休暇をとる習慣がある。当然、私の両親もまたその習慣をフル活用して長期間休みをとり、子どもを連れてはいろいろな国を訪れ、いろいろな人に出会い、そして思い出を作ってきた。

父は旅をすることが大好きだった。そしてどこへ行こうが自分なりの“楽しみ方“を見つけることができる人だった――今の私のように。そんな父と母、兄と私の4人での旅だ。フランスから出発し、目的地を目指すわけだが、まずは寝床の確保。当時はまだ、インターネットはおろかファックスさえもない時代だった。だからガイドマップを参考にしたり、友達に聞いたりして、旅に必要な情報を収集する。今のように便利な予約サイトなんてものも当然なく、すべて電話で行う。当然、目的地によっては言葉がわからないこともあっただろう。でも私たちはツアーに参加したことは一度もなかった。

今では想像できないぐらいの難関をくぐりぬけ、ようやく目的地に着くと、父はいつも地元の新聞を買っていた。例えばニューヨークへ行ったとき、すぐにコンサートのチケットを予約し、さらに美術館や博物館などでどのような企画展が行われているのかをチェックする。父は、私たち子どものことも忘れてはいなかった。私も兄も、子どもと大人の遊びの両方を旅先で楽しんでいた。父はアンティークのディーラーであり、アートギャラリーのオーナーだった。そのためネットワークも広く、旅先に誰かアーティストやディーラーがいると、すぐ彼らに電話をかけ、家族全員で家におじゃましていた。見知らぬ土地を歩くだけではなく、そこに住む人と会い、話すことも大切だ。旅がさらに面白い経験になるから。一緒に話ができる人であれば(国の代議士とかでなければ)、本当に誰でもいい。そこで生活している人たちと時間を過ごすことは、その旅の経験をアップグレードしてくれる。私が1990年代初めに『Purple Magazine』というファッションカルチャー誌を出版した頃、頻繁にニューヨークを訪れていた。少なくとも1年に2〜3回は通っていたはず。パートナーであり、現在編集長を務めるオリバー・ザームと一緒にいつもアーティストを取材し、そしてソファを一晩だけ借りて、雑魚寝させてもらっていた。そんなことをしているうちに、私は深い意味でニューヨークのことを知っているような気持ちになり、今ではもう一つのホームのように感じている。

旅の面白みは異文化を知ることだけではない。自然だって場所によって表情が異なるし、ほかにもいろいろと発見がある。カナダの湖にボートを浮かべて、サーモンを釣ったこともあった。ハワイでは、噴煙や溶岩を見ながら火山の周りを歩いたこともあった。ブラジルにあるマトグロッソという地域では1か月間滞在し、小さな木製のモーターボートに乗り、食料用のピラニア釣りも体験した――積極的に食べようとは思わなかったけれど……。こんな父の旅、そして私の旅には、いわゆるツアー的な考え方はない。何か特別なことをするのかを目的にするわけではなく、何気ない時間を他人と共有するのが旅であるという考えだから。ツアーでは味わうことのできない価値ある時間の流れ、そして人との出会い……。

何か予想していなかったことが起こったとしても、それは最終的によい思い出になるのも不思議なことの一つだろう。その瞬間はけっして気持ちのいいことではなかったとしても、振り返るとそんな出来事が旅のいいスパイスになっていたりする。家族との旅にもトラブルはたくさんあった。移動はほとんどが飛行機で、行く場所によっては、車をレンタルしたりもした。アメリカ国内を移動するのにも車は便利な道具だった。だけども当時はナビがなく、唯一頼れるものが地図。それでも、ほとんど困ることはなかった。一つ忘れられない体験がある。ロサンゼルスで、延々と続くハイウェイに迷い込んでしまった時のこと。とりあえずハイウェイを降りることにした私たちの車は、アフリカ系の人たちが住む地域に入り込んでしまった。閑散とした町並みからは独特の緊張感を感じ、それが車内まで流れ込んできた。どこを走っても白人は私たちだけだった。若干パニックになって焦る母の横で父は、ハンドルを握りながら笑っていた。「心配しなくていい!」と……。当然、何も起こらなかった。むしろ親切な人たちが私たちに帰り道を教えてくれた。この出来事は、私がステレオタイプな発想に対して疑問を持ち始めるきっかけとなった。旅から学んだ大切なことの一つ――“リアリティ“とは何か? その何かと向き合うために、正しい視点を持つ必要がある。それは、ずっと家にいてテレビやネットから情報を得るだけでは身につかないもの。

話を、娘と日本へ行った時に戻す。日本への旅行から帰って、今回の日本旅行についてたくさんの人たちと話をした。友人はもちろん、近所の人やマーケットで食べ物を売っている人とさえも。私たちは「THIS IS JAPAN!」と例えられているような“クリシェ“ではなく、今の日本を目の当たりにしていた。私だけでなく、娘が抱く日本についてのイメージは、実際に足を運んだことがない人の持つそれとはまったく違うものである。テレビや雑誌などで紹介される日本は、何十年も前からあまり変わることはない。例えば日本人は生魚を食べているだとか、高層ビル群と大型スクリーンにあふれた、まるで映画『ブレードランナー』のようなテクノロジー大国のような……とか。でも実際に行ってみると、少し違う印象を持つことができる。旅をすることで、本当に起きていることの一部をきちんと知ることができる。文学作品も、そのような意味で旅と似ている。永井荷風や、鮎川信夫や、志賀直哉の作品を読んだ。彼らの作品はもうかなり前に書かれたのにも関わらず、私が持つ日本のイメージとリンクする部分がある。私には、旅をすることや、文学作品を読むことは、むしろ自分たちの住む世界を理解する手段であるように思えてしまうのだ。

今回の日本の旅で、籠を一つ購入した。とても美しいハンドメイドの籠。でも、あろうことか京都から山梨に向かうバスの車内に、それを忘れてきてしまったのだ。山梨に着いてから、友人がバスの会社に電話をしてくれて、10分後にその籠が見つかったという折り返しの電話をもらったときの安堵感は今でも忘れない。バス会社の人が私の滞在先である東京の友人の家にそれを送り届けてくれた。そこに戻ると、私の籠がとても丁寧に包装され届いていた。そればかりか、私の娘の折り紙もちゃんと中に入っていたのだ。日本以外の国でこんなことってあるのだろうか……。私にとってはこの一連の経験が、日本という土地の特徴を物語っている。

幼い頃――2か月の休暇を終えた9月に学校は新学期を迎えるのだが、私はしばらく旅の余韻にひたることが多かった。旅の経験を時折思い出しては嚙み締めていた。私と同じような経験をしていた友達は周りにほとんどおらず、自分はどこか“アウトサイダー“のように引け目を感じていたことを思い出す。子どもというのは、みんなと同じであることがいいと考えるもの。だから学校では、旅の経験をこっそり自分の胸にしまっていた。そんな当時のことを思い出し、最近自分の娘に、学校の友達に日本への旅行の話をしたかどうかを聞いてみた。彼女も、学校の友達にはあまり旅の話をしていないようだ。私といるときや、私の友人には旅の思い出話をするのだが、やはり子どものときの私と同じように感じているのだろう。でも、彼女はその思い出を大切にしていて、時々それに浸っているようだ。私たちが経験したことは、何ものにも代えがたいことだから。

エレン・フライス
1968年フランスのブローニュ=ビヤンクール生まれ。アートディラーでありギャラリーのオーナーであった父に連れられ世界中を幼少期から旅をする。1992年にオリビエ・ザームと『Purple Magazine』を立ち上げ、2004年までディレクションを手掛ける。その後『Purple Journal』や『Les Cahiers Purple』『Les Chroniques Purple』を発行。ときにフォトグラファー、執筆家としても活躍する。現在はパリを離れ、フランス南部に位置するサン・アントニン・ノーブル・ヴァルで生活を営む。

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