鍛えあげられた上腕と広背筋がうなりを上げる。そこは地面と30cmの世界。地を這うように、一瞬で目の前を通り過ぎる。「ゴォー、ゴォー」と東京都心のアスファルトに硬質な音を響かせながら-。
第10回目を迎える「東京マラソン2016」は2月28日、9時5分に車椅子部門からスタートが切られる。今年で4回目の東京出場となる西田宗城選手は、今年、車椅子マラソンの世界大会でメダル獲得を目指す国内屈指の実力者だ。現在の世界ランキングは4位。そんな一人のトップアスリートの競技に対する情熱と日々のトレーニング内容、そして車椅子陸上の魅力に迫っていく。

できることを考えて生きていく

40歳を超えるベテラン選手も多く車椅子競技の中で、西田選手は現在31歳(3月で32歳)。若手だが、競技歴としては10シーズン目になるベテラン選手だ。
車椅子競技に出会う前の西田選手は、小学生から大学時代まで野球一筋だった。身長179cmの恵まれた体格を生かして、キャッチャーやサードとして活躍した。
ところが、2004年、大学3年の春に、自動車事故に遭ってしまう。脊髄を損傷し下半身付随となり車椅子生活が始まる。
「目が覚めたら病室のベットの上でした。そして、もう大好きな野球ができないということが辛くて現実を逃避したくもなりました」と当時を振り返る。そんな時に、リハビリの先生が掛けてくれた言葉があった。
「できないことを、考えてはダメだよ。できることを考えて生きていきなさい」
その言葉は辛いリハビリに励む西田さんを前向きにさせていった。
「僕は腕が動かせる。野球はできなくても、車椅子で他のスポーツはできると考えるようになりました。そんなある時、偶然テレビで車椅子マラソンのレースを見たんです。腕っぷしの太い人が河川敷を楽しそうに疾走する姿に一目惚れしましたね」
22歳、2006年の時だった。当時は地元の市役所に勤務しながら、仕事終わりにトレーニングをしていたが、レースに出るたびに自己記録を更新。3年もするとよりレベルの高いレースにも出場するようになり、トップクラスの選手たちと一緒に走る機会が増えた。一方で、彼らとの実力差も痛感。
「負けず嫌いの性格が、より上を目指したいという気持ちを強くさせたのでしょう。練習量を増やすためには環境を変える必要があると考えました」
2013年、西田選手は大きな決断を下す。事故の翌年から7年間勤めた地元の市役所を辞め、プロアスリートとしての人生をスタートさせた。そして、現在、クリスタル商品の販売を手がける「バカラパシフィック株式会社」にサポートしてもらい競技に集中している。
その結果は現れた。2014年秋の大阪マラソンを、独走の中で1時間29分で優勝。2015年の大阪も1時間27分で連覇。
「目標とするライバルこそ参加していませんでしたが、独走の中で、どれだけのタイムで走れるかが課題でした。その点、これまで取り組んできたトレーニングが間違っていなかったんだと自信を深められました」

時速30kmのレースに対応する練習と機材

現在は、毎日、大阪堺浜にある海沿いの公道を使ったロードトレーニングに励む。信号や車通りの少ない1周5kmの周回ルートで45kmほど乗り込んでいる。
「サイクリストたちも多くトレーニングしている場所なので、時速35kmくらいで走る彼らの後ろにつかせてもらって走っています。自転車のほうが速いので、強度を上げられるよいトレーニングになっています。そして、後ろから抜かれた時にしっかり付くことで、実際のレースでのアタックに対応する力も鍛えることができています。ポイント練習では2km全力走を繰り返すインターバル走も取り入れたり、コーチの車の後ろについて時速40kmほどの高速域で走り続ける練習も行います」
車椅子競技は、上半身の筋力強化が大切だ。それと同時に、上半身を最大限活用する使い方もポイントになる。
「車輪を回すための腕力は欠かせません。以前はジムの器具を使って筋力強化に取り組んだこともありましたが、今は走りながら筋力をつけるようにしています。そして、筋肉の使い方を強く意識しています。腕先は使いやすいんですけど、そこばかり使っているとすぐに乳酸が溜まってしまいます。腕よりも筋肉量の多い背中の広背筋を積極的に使うようにしています。そのあたりの考え方は市民ランナーの皆さんと同じかもしれません。さらに、下半身は動きませんが、背中から引き上げる意識で下半身全体を使って漕ぐイメージを持つことが大切。そうすることで、ブレない安定したフォームで走れます」
また、車椅子競技は機材スポーツでもある。3輪の競技用車椅子は、そのほとんどが軽量で高剛性なカーボン素材で作られる。車重は8kgほどで、軽く100万円を超える。
「身体とフィットしたレーサーであることがパフォーマンスに直結します。細かいセッティングが重要です。たとえば、後輪のホイールの角度(キャンバー角)が1°違うだけで、走りに影響を与えるシビアなスポーツなのです。車輪を回すために手につけるグローブなんかも、一人ひとりこだわりが凝縮していますね」
42.195kmを1時間25分というスピードで駆け抜ける西田選手。フルマラソンといえど、下りでは時速50kmにも達し、平均時速30kmを超えるスピードレース。それを支える機材も大切な身体の一部だ。

積極的な走りで、勇気を与えたい

今は、車椅子生活になってよかったと思えているんですよ」
そう真面目に話す西田さん。前向きな気持ちで辛い状況を乗り越え、現在は車椅子競技で世界最高峰の夢の舞台への出場を目指している。
「車椅子生活になったことで、車椅子マラソンの存在を知ることができ、多くの知り合いもできました。また、視線が低くなったことで、新たな視点が加わり、あらゆる物事を考えるにしても様々な側面から捉えることができるようになりましたね。今では、仮に医学が進歩して足が治ると言われても、今のままでいいですよと言ってしまいそうです。世の中には、様々な障害を持った人がいます。なかなか前向きになれない人に、今こうして自分がスポーツに取り組み、楽しんでいる姿を見てもらい、少しでも前を向いて進む一歩になれればと考えています」
日本人1位で、総合3位以内。そして1時間28分30秒以内が、世界大会の日本代表内定の条件だ。マラソンの代表枠は3つ。
「タイムを突破する必要があるので、東京マラソンは序盤からハイペースのサバイバルレースになると予想されます。前半が下り基調のコースになるので、序盤から気が抜けません。前半から前方でレースを進めて、自ら仕掛けていきたいです」と、集団の後ろにいるうちに、アタックがかかり、置いていかれてしまった昨年のレースのリベンジを誓う。西田選手の強みは、向かい風などに強い強靭な肉体とスタミナだ。
「世界ランクは4位ですが、日本人では3番目です。代表になるのは簡単ではありませんが、必ず代表権を勝ち取って世界で戦いたいです」