Goldwin×Spiber
VISION QUEST
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Goldwin×Spiber

物語のパラドックス

1つの問いから始めましょう。サステナブルな未来を築き上げることについて、文学は私たちに何を指し示すことができるのでしょうか?
ここで少し遡ってみましょう。「文学」という言葉は、多くの含みを持っており、過度に自己充足的で、深遠な象牙の塔や司祭者だけが立つことのできる講壇を多分に暗示しています。「文学」という言葉を使うということは、暗黙裡にその言葉を支えている土壌を指し示すことであり、言うまでもなく、価値ある実り多き存在だと仮定することになるのです。
出版産業のけばけばしさや艶やかさ、あるいは賞や批評にまつわる悲痛さや取るに足らない諍い、解釈理論の専門知識やベストセラーリストの星占いなどを剥ぎ取ることができた時――つまり、名声や注目、富のための情け容赦のない、しかし、究極的に無意味な混乱を企てるために発明された累々の儀式を、ほんの一瞬でも剥がすことができたのならば――文学とは、古風な物語伝達 / ストーリーテリングに過ぎません。
しかし、物語は私たちの〈重要な問い〉とどのような関係があるのでしょうか? より良く、優しくてサステナブルな未来を夢想しても、それは摩訶不思議と実現することはありません。気候変動や核戦争、大量絶滅、民族紛争、経済破綻、致死的な伝染病、これまでに想像だにしなかった危機など、差し迫る黙示録的な脅威の中を生き延びるために奮闘している75億もの人類の生活の改善のために、テクノロジーや制度、具体的なプランが求められている最中、物語はなんの役に立つのでしょうか?
物語は新たな発明を生み出したり、より良い政府をもたらすことも、空腹を満たすことも、あるいは病を治すこともできません。物語とは、対GDP比から客観的に見れば重要ではないのです(映画産業全体だけでも、2019年の世界興行収益は過去最高の425億ドルに達しました。しかし、2019年に462億ドルの利益を出した中国工商銀行という1つの銀行に鑑みても、経済において統計上の誤差は存在する)。文学は現実世界や差し迫る脅威に対して明らかに無力であり、時として逆効果にさえなります。実際、陰謀論――これもまたストーリーテリングの1つである――の世界的な拡散、そして2020年のパンデミック中に私たちを苦しめたその害悪を見れば、ある者はプラトンの導きに従い、理想の「国家」から詩人と語り部を追放したいという欲望に駆られるでしょう。
しかし、私たちはフィクションや映画、就寝前の読書やおとぎ話の読み聞かせ、あるいは、くだらないTikTokのパロディー、単純なアプリのゲーム、200時間にもおよぶRPG、スタンダップコメディー、ホメロスの叙事詩、『竹取物語』や『失楽園』、ジェイン・オースティンの恋愛物語や金庸の武侠小説が存在しない世界を思うと身震いするでしょう。そして『華氏451』の反逆者たちのように、密かに小説を暗記、戯曲を暗唱し、逃亡中の詩人を匿いながら、悪戯なVRプログラマーを支援し、境界線を超えて本をこっそりと持ち去り、デジタルの壁を潜り抜ける――言い換えれば、私たちは物語を擁護する側へと飛び込むのです。私たちは、理由だけでは正当化できない情熱と献身をもって、本能的かつ躊躇うことなくそれを行うのです。これはファンタジーではありません。世界中で数百万、数千万のもの人々が毎日行なっていることなのです。私たちは誰もが伝えたいと願う物語を自由に表現できない世界に生きています。
これこそが、ストーリーテリングのパラドックスです。その価値を突き止めようとすると、物語は価値のないものになり、価値が不在の時にのみ、私たちはミルクを求めて泣き声をあげる赤子のように価値を求めます。
物語とは、かけがえのない価値を伝えるための手段なのです。

物語の価値: 価値の物語

データとロジックは世界を正確に把握するためには極めて重要ですが、私たち人類にとっては、それらが知識や信条信仰を所持したり、伝達するための最も自然な方法とは言えません。私たちは宇宙の本質的な無作為さに秩序をもたらす物語を通じて世界を理解し――私たちの関係性、そして私たちの行いや築き上げるものに――意味を見出します。
30秒間目を閉じて、あなたの存在の根幹をなすと感じられる重要な信条や価値を1つ思い浮かべてみてください。寛大さ、誠実さ、プロフェッショナリズム、愛国心、共感、勇気、自由など様々な言葉があるでしょう。それでは始めてください。

私が思い浮かべた言葉は「愛」でした。

ある日の夜遅く。9歳だった私はキッチンにある、1個の白熱電球の黄色い光の下で宿題をしていました。すでに4時間ほどは取り組んでいたと思いますが、まだまだ終わりは見えませんでした。私はとてもとても疲れており、孤独を感じていました。
祖母はあくびを堪えながら、私の様子を見にきました。
「千枚通しが必要だと思う」と私は言います。
「何のために?」
私は祖母に、中国戦国時代の偉大な軍師である蘇秦の古い物語を思い浮かべていたことを言いました。私が持っていた『子供のための昔話』の中で、蘇秦は学生時代から大変勤勉であり、寝ずに勉強を続けるために自分の太ももを千枚通しで刺していたと書かれていたのです。
「それは馬鹿げているね」と祖母は言います。「あなたが必要な分だけ私が一緒に起きていてあげる。」
彼女は自分で編んでいたセーターを手に取り、私の横に座りました。縫針の柔らかく控えめな音が聞こえます。彼女の関節炎でごつごつした指で針を扱うことは一苦労でした。
なぜだか彼女が隣にいると宿題を終わらせるという任務が絶望的ではないように感じられました。
カチカチという針の音が次第に遅くなり、止みました。
私が目を向けると、彼女の指は動いておらず、頭は下がっていました。
「ナイナイ(おばあちゃん)、寝たほうがいいよ。」
彼女はハッと目を覚まします。「私は全然疲れてないから、続けていなさい。」
私は捉えがたい答えを求めて、ページからページへとペンをシャカシャカと走らせます。すると、また針の音が遅くなるのが聞こえてきました。しかし、目を向けたいという衝動を抑えます。彼女には眠って欲しかったのです。
「私は全然疲れてないからね。」カチカチという針の音がまた聞こえ始めます。
カチカチ、カチカチ、カチ…カチ…
「疲れてないからね」
カチカチ、カチ…カチ…
「まだ疲れてないよ」
カチカチ、カチ…カチ…

私が、あなたにとって重要な価値を考えて欲しいと頼んだ時、このような子供の頃の思い出や、もう手元にはないボロボロのアルバムから出てきた物語、あるいは価値と同義語になり、刺激を与え、背中を押し、絶望したときに力を与えてくれる、聞いたり読んだり、どこかで作られたりした物語を思い浮かべるだろうと思っていました。

おそらく、本当に大切な言葉の辞書的な定義は知っているかと思いますが、その抽象的な定義はあなたが感覚的に感じる意味とは違うでしょう。実際、大切にしたいと思っている価値は、主人公が体現する物語や原型という形で私たちの心に刻まれており、やがて彼らの行動を私たちは見習おうとするのです。これらの物語のあるものは個人的なものであり、あるものは集合的でもあります(一部のアメリカ人にとって、それはジョージ・ワシントンの桜の木における正直さであり、ネイサン・ヘイルの「私はこの国のために失う命が一つしかないことを悔やむだけだ」という愛国心になります)。しかし、本質は同じであり、物語とは、次の世代へ価値を伝達するための媒体であり、それは私たちのアイデンティティや個人、家族、職業、都市、州、国家の感覚の土台を形成するのです。

現実の世界には、筋書きも、登場人物の内面的な成長の道筋、あるいはテーマもありません。あなたの生涯の伴侶や親友とどのように出会ったか、あるいは現在の職業に至った方法や、自分の家と呼べる場所にたどり着くまでを思い返してください。そのほとんどが思いがけないものであり、別の方向へと容易に進みうる偶然の出来事に基づいています。しかし、それは私たちが自分自身の人生を理解する方法ではありません。因果関係に結びつけ、自らの選択に意味があったかのように、記憶を登場人物の内面的な成長の過程の中に構成し、それを自分に言い聞かせることで、宇宙が投げたサイコロの中にあらすじを与えるのです。

しかし、物語の力は過去だけに制限されるものではありません。同時に未来への地図にもなるのです。

私たちは壮大なファンタジーの主人公です。しかし、この壮大な叙事詩は人生の幕が降りるまで終わることはなく、私たちは常に新しい章を書き足し、思わぬ事件を繰り広げ、次のページでは読者と来世の手前にいる裁判官を驚かせる次の展開を見せることができるのです。若い頃、私たちが生まれる前に現れて、国家を解放し、侵略者と戦い、権利保護の拡充を図り、暴政を抑止した人々の偉業に触れ、私たちの文化の神格化された人々として彼らを祝福することを学びました。私たちを愛した人々の行いを目の当たりにし、不確かな茂みから自己定義へと向かう私的な旅が書かれた写本の中の、明るく装飾された章のなかへ組み入れるように、彼らを自分のなかに内面化するのです。そして、歳を重ねるにつれ、語り手を引き継ぐのです。物語は他者の冒険の理解や、共有された人間性への共感を手助けします。私たちは主人公を選びだし――そしてその人を見習おうと願い、他者の壮大な旅の導き手や英雄になるために彼らの役割を演じようと願い、私たちのために生命を落とし、夜遅くまでいくつもの仕事を果たし、私たちを信じ、愛し、今度は後世の人たちが同じことをやれるように、私たちに最初の物語を与えてくれた人々にふさわしい生命の物語を紡ごうと願うのです。
私たちはホモ・ナラトゥス、いわば物語る種なのです。

子供たちの物語

未来の想像を試みる前に、私たちが子供たちに語り継ぐ物語に関して考えてみたいと思います。結局のところ、子供たちは未来を象徴しているため、彼らに語る物語とは、私たちが種として、何が最も人類たらしめているのかという内容を内包しているべきなのです。


私が本を熟読し、妻と一緒に子供に読んであげる中で、心地よさや安全さ、身体や心、そして魂を持続させる良い人生を送るとはどういう意味なのかに関する物語を見つけました。


「なんとのう地面の穴の中で、ホビットは住んでおったのじゃ。むかむかするような、きたならしい湿った穴なんぞではなく、虫たちがにょろにょろはっていたりするしめっぽい臭いが鼻につくような所でも、かといって乾いた砂だらけの穴でもないぞ、そこで座ったり食べたりするべき家具の見当たらぬ無味乾燥としたものでもない:要するにホビットの穴居なんじゃよ、快適に決まっとる。」

― J.R.R.トールキン 『ホビットの冒険』(1937年 / 瀬田貞二訳 1999年)

プーの家とコブタの家の、ちょうどまんなかへんに、よくふたりが、たがいに会いたくなって、出かけていって、ぱったり出くわす場所がありました。そこは、日あたりもよく、風をよけていましたので、ふたりは、しばらく腰をおろし、さて、もう会ってしまったんだから、こんどはなにをする? とかんがえるような、そこは「思案のしどころ」でした。ある日、ふたりがなんにもしないことにきめたとき、プーは、この場所について歌をつくって、みんなにこの場所のわけがわかるようにしました。

このあたたかい日だまりは
プーのものでありまする
こんどはなにをしようかと
プーはここでかんがえる
ああいやんなるわすれてた
コブタもここの主人です

― A. A. ミルン 『プー横丁にたった家』(1928年 / 石井 桃子訳 2000年)

あるあさのことです。がまがえるくんは、
ベッドの上におきあがっていました。
「ぼくにはすることがいっぱいあるんだ。」
がまくんはいいました。
「みんな一まいのかみにかいてしまおうっと。
そうすりゃおぼえられるもの。」

あさごはんを たべる
ふくをきる
かえるくんのいえへいく
かえるくんとおさんぽする
ひるごはんをたべる
おひるねする
かえるくんとあそぶ

― アーノルド・ローベル 『ふたりはいっしょ』(1971年 / 三木 卓訳 1972年)

おやすみおへや
おやすみおつきさま
おやすみおつきさまをとびこしてるうしさん
おやすみあかりさん
おやすみあかいふうせん
おやすみくまさん
おやすみいすさん
おやすみこねこさん
おやすみてぶくろ

― マーガレット・ワイズ・ブラウン『おやすみなさいおつきさま』(1947年 / せた ていじ訳 / 1979年)

これらの物語をしっかりと読んだ時、ある一貫した一連の価値が浮かび上り始めます。

まず、私たちは社会的な生き物であるということです。友達は私たちにとって重要であり、もし彼らが歩いて会いに行ける距離に住んでいるならば、それ以上のことはありません。仲良く隣同士に座るだけでも、一緒に時間を過ごすことを好みます。私たちは遊ぶことが好きです。これは、ゲームや物語だけでなく、自身が成長を体験できるクリエイティブな行為も含まれています。私たちはどこかに帰属することを求めています。生物学的な存在として、孤立した状態や自然と隔離された状態で存在することは不可能です。緑は私たちを幸福にします。楽しい状態であるためには、沈黙のための私的な空間と、コミュニティや繋がりの助けを同時に必要とするのです。私たちは本来持っている力を発揮できる瞬間を必要としています。私たちは自身の家や環境に影響を与えたり、支配するとき、充足感を感じるのです。自分の空間を築き、改善し、デザインし、名前をつけることを好みます。私たちは自己定義を切望しています。モダニストの「ミニマリズム」と一緒に蔓延する不毛な空間よりも、私たちは自分の記憶や物語が染み込んだ心地の良い――時には散らかった――部屋を好むのです(あぁ、祖母が編んでくれたセーターがまだ手元にあればとどれだけ私が願っていることか!)。私たちは自分が何者であるかを知る冒険において、明確な道しるべがあればと思っているのです。何にもまして、私たちは組織やソーシャルネットワーク、そして遊びや仕事がヒューマンスケールであり、把握可能かつ、有機的であることを望むのです。

果たしてそうでしょうか?

現実には、私たちの大半――特に、このエッセイを読みたいという興味を持っている人たち――は、緑や自然からかけ離れたコンクリートジャングルに住み、ほとんどコントロールすることができない、ガラスと鋼鉄で並べられた近代建築の中で働いています(「自由時間」さえも、管理、スケジュールされています)。私たちは密閉された自動車の中で自宅と職場、消費の礼拝堂を往復するだけの車庫と駐車場を行き来し、友人は遠くに住みなかなか会うことが叶わず、実家は遠い記憶のかなたにあり、自分の周辺でモダニストのミニマリズム的な隔離された箱の中に住む見知らぬ人よりも、ソーシャルメディアの方がよりリアルにコミュニティを感じられる生活を過ごしています。仕事とは退屈なもの(退屈でなければならないもの)であり、遊びとは不真面目なもので、私たちの価値はGDPへの貢献によって測られると教育されました。

なぜ、私たちは、子供たちのための物語が伝える理想の生き方のように生活を送らないのでしょうか?

モダニティのパラドックス 1 幸福と都市デザインに関しては下記の文献を参照してください。
Morel, J. C., et al. “Building houses with local materials: means to drastically reduce the environmental impact of construction.” Building and Environment 36.10 (2001): 1119-1126.
Covatta, Alice. “From infrastructure to playground: the playable soul of Copenhagen.”
Hermansen, Bianca, et al. “The Human Habitat: My, Our, and Everyone’s City.” Integrating Human Health into Urban and Transport Planning. Springer, Cham, 2019. 113-133.
Pfeiffer, Deirdre, and Scott Cloutier. “Planning for happy neighborhoods.” Journal of the American planning association 82.3 (2016): 267-279.
Seresinhe, Chanuki Illushka, et al. “Happiness is greater in more scenic locations.” Scientific reports 9.1 (2019): 1-11.

私たちはこうした子供のための物語を、ノスタルジックな時代を象徴しているだけであったり、決して存在しないものであるとして、跳ね除けることはできません。ある研究は、人類は子供の物語のキャラクターたちが過ごしているような生活を実際に送ることを好むと発表しています。徒歩、あるいは自転車での移動のしやすさに配慮され、友人を尋ねたり、新鮮な食べ物を買うために車の中で渋滞にとらわれることなく、「隣人」という言葉が本当の意味を持ち、個人が物理的なコミュニティに根付く都市は、車中心で、集団の中で孤独を感じ、駐車場に支配される点描画的な現代のメトロポリスよりも幸福な生活を発展させるのです。巨大な鋼鉄とガラスとコンクリートでできた現代の建築物は、建物を温めたり、冷やしたり、光を灯すのにも、空気を循環させるのにも、より多くのエネルギーを必要とし、再生可能で現地の素材を用いて、その土地の気候に合わせて作られた伝統的な建築物と同じように快適さや環境性、構造的な堅固さや健全さを再現することはできません。陶芸は、クリエイティビティや環境をコントロールする感覚、そして充足と希望を感じさせるスキルの成長といった体験をもたらしてくれるのです。

しかし、この研究がなかったとしても、私たちは自分たちの心の中ですでに真実を知っています。物語は私たちが大切にして、意味があると知っている人生の価値を内に秘めています。すなわち社会的で、地域に根付いた、遊び心のある、力を発揮でき、誰でもわかる物語で定義される価値です。1

私たちはそのような暮らしを送れてはいません。なぜなら、物語が力強いものであるように、モダニティはより魅力的なもう一つの偽りの物語、〈効率の神話〉を提示しているからです。この物語は、より幸福になるためには、より生産的にならなければならず、そうすることで、さらなる消費を可能にするより一層の生産性を必要とする消費を果たすことができると語ります。この終わりのないウロボロス幻想の信仰は、孤立し、帰属する場所を持たず、仕事に取り憑かれ、従順で、そのシステムの貨幣の循環の速度への貢献によって測られる定量化可能な性質以外に定義されようのない、〈取り替え可能な個人〉を称賛する社会を導きます。後期資本主義は私たちが子供の時に愛した物語を捨て、代わりの神話に屈服することを求めるのです。この神話は、彼らの理論に反する、対となる物語への私たちの切望を腐敗させるのです。

規格化されたスキルや夢、欲望、さらには恨みによって――ソーシャルメディア・プラットフォームが大衆の怒りや口論の中で育つことは決して偶然ではありません――〈取り替え可能な個人たち〉は、脆くて、重苦しく、同時にサステナブルではない非人間的構造へと大規模化するための、理想的な構成要素を作り出します。ソーシャルネットワークは世界中に普及しながらも、ゲームの仕様を模したクリック操作や陰謀論、そして実りある対話の代わりに、怒りを促進させる論争ばかりを提供するのです。サプライチェーンは大陸と海を横断しますが、権力とリスクを集めるばかりです。なんでも取り揃えた小売業者は最低価格競争の中で全ての多様性を奪い去ります。費用ばかりかさむ作者不明のスペクタクルは、特殊効果と無分別な爆発で生み出される幻想によって価値ある物語を取り除こうします。

これこそが、モダニティのパラドックスです。たとえ現代を生きる私たちが過去のいかなる時代の人々よりも他者との繋がりを持ち、よりクリエイティブになり、より知識を持ち、生まれではなく、目的と選択によってコミュニティを作り上げ、そこに帰属し、自分自身と子供たちに語る物語において、より優れた主人公になる機会と可能性を手にしていたとしても、これらの理想からは遥かに遠ざかっているのです。

私たちは冷酷で人間味のないものからヒューマンスケールでサステナブルなものを再生させる物語、〈効率性の神話〉に代替するものを必要としています。


では、この物語とはどのようなものでしょうか?

ストーリーテリングのテクノロジー; テクノロジーのストーリーテリング

この物語をより詳しく知るためには、明らかに迂回ですが、テクノロジーの問題を取り上げなければなりません。

テクノロジーはしばしば、まるでその進歩が独裁国家の成長に寄与するかのように、ディストピアに関する単語として想起されます。実際、私はテクノロジー文化としばしば同義語とみなされるモダニティに毒づいていなかったでしょうか? しかし、テクノロジーの見方にはもう一つの方法があります。ストーリーテリングの手段と方法としてのテクノロジーです。

人類の歴史において、最も早く登場し、最も変革力を持ったテクノロジーの一つは書くことの発明です。音を文字に組み込み、記憶を視覚的、物質的に認知させる――この発明は私たちの物語の経験に根幹的な革命を刻みました。これはあまりにも革新的であったため、プラトンは抗議し、書くことが私たちの思考と真実の探究の方法を変えると警鐘を鳴らしました。つまり、この些細な出現により、私たちを真の知識から遠ざける可能性があったのです。それは私たちをテクノロジーに依存させ、活きいきとしたした呼吸の上昇の代わりに、静止した言葉の独裁国家に服従させ、人間らしさを減ずるのです。
2 これらの違いに関しては、Ong, Walter J. Orality and literacy. Routledge, 2013を参照してください。
書くことは、プラトンさえ過小評価した方法で人間の体験を変容させました。学者たちは教養ある文字言語(グラフォレクト)――書くこと中心に標準化された超‐弁証法言語――をもった社会は、口承社会とははっきりと異なる方法で言語を思考し、展開すると示しています。私たちは異なる方法で文を構成し、議論し、意味づけをし、物語を語るのです。2

しかしながら、書くことは私たちの人間性を減ずることはありませんでした。世代から世代への記憶を口伝えするよりも確実な方法で辿ることは、祖先の知恵を頼り、過去の物語からひらめきを得て、未来に向けて再想像することで、今という長い時間に益するように、この瞬間を超越することを可能にしました。書くことによって、今日に至るまでプリアモスがヘクトールの遺骸を請うたときの怒りを感じることができるのです。書くことによって、屈原が彼の理想の唯一の理解者であった妹への愛の言葉を書き並べたときの、感謝の念と誇りを体験することができるのです。書くことがなければ、トルストイの『戦争と平和』や、E・E・カミングスの詩、王羲之の書、ジョナサン・サフラン・フォアの技巧的に作られた『Tree of Codes 』(文字通りセリーナ・ウィスニエフスカが訳したブルーノ・シュルツの『The Street of Crocodiles(邦題 : 大鰐通り)』を切り取ったものである)を読むことができません。書くことは、広範囲にわたって物語の可能性を拡張し、ホモ・ナラトゥスのさらなる潜在性を実現したのです。それは私たちをより人間らしくしました――あるいは、もしあなたが話し言葉や口伝えを人間存在と結び付けるプラトンの概念を主張するならば、書くことはポスト・ヒューマンの領域への第一歩となったのです。

技術的な進歩は、物語が語られる方法を変化させ、過去を理解し、現在の指針を決め、未来を想像する手段を拡張しました。テクノロジーは新しいメディアを生み出し、消費のパターンを変容させ、その射程を拡大しました――いわば、ストーリーテリングのための新しい言語を発明したのです。例えば、何世代もの映画監督、撮影監督、そして観客は、物語を舞台の様式から解放し、時間を思いのままに刻むことができる新しいメディアに適応させるために(モンタージュやリアクション・ショット、フィルターやレンズなど)、映画の全く新しい言語を共に生み出さなければいけませんでした。複数の脚本家がシナリオを書くライターズ・ルームは――エピソード方式のテレビ番組の時代の発明品ですが――、視聴者がファン・ウィキを頼りにし、内容を理解するために熱中して見ることを求めるような、複数年にまたがる物語の展開とシーズンごとに事欠かない山場を伴う、グループ・ベースによる新しい形式の視覚的なストーリーテリングを作り出しました。今日、MMORPGs(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)やライブRPG、バーチャルリアリティ、拡張現実、あるいは人工知能や大規模接続を使用するそのほかのストーリーテリングの新しいメディアは、私たちが物語を伝える方法を変容させ、その結果私たちがまだ完全には理解していないやり方で、現実を理解する方法も変えていくでしょう。 3 テクノロジーとしての言語に関する観点の詳細はArthur, W. Brian. The nature of technology: What it is and how it evolves. Simon and Schuster, 2009を参照してください。

さらには、テクノロジーの入念な修練それ自体もまた、ストーリーテリングの1つの形式となります。技術者たちは新しい問題を解決するために素材(語彙)と手法(文法)を組み合わせます。彼らの解決方法は新たな問題に取り組むためにこれまで以上に複雑で革新的な方法で、組み合わされ、再構成された表現形式(イディオム)となるのです。3良きにつけ悪しきにつけテクノロジーが人類の可能性を拡張し、次第に私たちの生活の軌道における重要な要因となるにつれて、最良の、最も聡明な人々の知性と心を、これまでよりますます魅了するようになりました。〈シリコンバレーの神話〉とは、1人の人間が、半田ごて1つといくつかのソフトウェアのコードによって世界を変えることができ、それまでのいかなる人間による組織よりも畏怖の念を抱かせる、1兆ドル規模の巨大企業を何もないところから閃きによって生み出すというものでした。テクノロジーは私たちの時代の〈グレート・アメリカン・ノベル〉、オペラ、交響曲、大叙事詩となったのです。

しかし、テクノロジーの中で、あるいはテクノロジーを用いて、私たちが語る物語とはどんなものでしょうか?

ウィンストン・チャーチルは、イギリスの議会制民主主義の両院制の視覚的なメタファーとして機能している正方形の、対立を促進させる形状の庶民院本議会室に関して、「我々は自分たちの建物をつくりあげる。 すると今度は、我々がつくった建物が我々をつくりあげる」という言葉を残しました。

メディアは私たちが語る物語と、想像することが可能な未来を形づくります。2020年の後半である現在、時代における支配的な物語は孤立し、帰属する場所を持たず、仕事に取り憑かれ、本来の力を発揮する瞬間を失い、物語に飢えた、取り替え可能な個人が生きる時代の物語であり、それはQAnonとして知られる陰謀論かもしれません。しかし、この集合的な妄想の出現は(これを集合的なストーリーテリングと呼ぶことを躊躇う人もいるかもしれませんが)物語の根底に潜んでいるテクノロジーと密接に関係しています。一度、ソーシャルメディア・プラットフォームに広告を通じて資金を供給すれば、人の感情を釣り上げる技術と、陰謀志向のコミュニティが真実味に欠ける物語を語ることをさらに駆り立て、そうしたコミュニティに迎合するビジネスや政治運動をますます儲けさせ、広告にさらなる貨幣の流動をもたらし、ユーザー・エンゲージメントが最大限に利用すべき主要な測定基準であることを理解するでしょう。

過去を振り返ってみると、私たちは自ら選び取った道を不可避なものと宣言したのであり、テクノロジーの発展はまるでオイディプス王の物語のようでした。しかし、この道程の全ての歩みには意識的な決断、すなわち政府、企業、個々の技術者、そしてユーザーの選択が関与していたのです。
4 Burrington, Ingrid. "How railroad history shaped internet history." The Atlantic (2015).
https://www.theatlantic.com/technology/archive/2015/11/how-railroad-history-shaped-internet-history/417414/

5 Watts, Jonathan. "Concrete: the most destructive material on earth." The Guardian 25 (2019).
https://www.theguardian.com/cities/2019/feb/25/concrete-the-most-destructive-material-on-earth

私たち自身の壮大なファンタジーの作者が、私たち以外の何者でもありえないと受け入れるのと同様に、なぜストーリーテリングのテクノロジーとそのテクノロジーによって語られた物語が運命的なもので、不可避なものであると受け入れなければいけなかったのでしょうか? モダニティは決して有害なものである必要はなく、テクノロジーは怪物のような〈効率性の神話〉を実現しなくてもよかったのです。私たちは自分が生きたいと願った主人公や読み手、そして生活を送っているのです。

しかし、希望の兆しも存在します。QAnonを可能にさせた一連の広範なテクノロジーは、異なる構成であれば、脱中心的で主導者を持たず、自活的な正義のための運動であるBlack Lives Matterもまた促進させたのでした。これらの正反対の対極的で革新的な集合的ストーリーテリングの運動は世界を再構築します。私たちがサステナブルな世界へ向かうための新たな物語――テクノロジーで語られる物語と同時にテクノロジーの物語――をどのように前進させるのかは、私たちの時代における決定的な問いなのです。

新しい物語の形

新しい物語の形とはどのようなものでしょうか? それはまだ、いかなる人にとっても答えを得るのは難しく、あまりに形が定まっておらず、出現したばかりです。しかし、未明の霧を通してかすかに見え隠れするヒントはあります。

その新しいテクノロジーの物語は、声をもたず(西洋にとっての)周縁で、歴史的に疎外されてきた人たちの声を目立たせるべきものです。「先進国」の歩んできた歴史の道筋は、植民地主義と奴隷制の嫌悪感をもよおす亡霊に取り憑かれています(ほんの一例を示しましょう。北アメリカの光ケーブルは実際電信ケーブルに沿って走っており、その電信ケーブルは鉄道通行権のある路線に沿って走っていて、さらにはその鉄道通行権のある路線は原住民を侵略し追い立てたルートに沿って走っているのです)。4つまり、私たちが新しい物語を探し求める時、私たちはサステナブルな発展と人類の可能性を解き放つ新しいアプローチを押し進めるモデルを求めて、グローバル・サウスと先進国の不利な部分に向き合わねばなりません。西欧のモデルは重要視されたり、特権化されてはいけないのです。

〈効率性の神話〉に奉仕するような規模重視の普遍化・画一化を押し進める代わりに、この新しい物語は土着的でユニークなものや、輝かしい意味と人間性を重視します。なぜ世界中のあらゆる都市の建築家たちは、気候や地形、自然災害の影響度、地元でとれる素材の有用性にも関わらず、ガラスや鋼鉄、アスファルト、コンクリートを用いて建築物を作らなければいけないのでしょうか? 世界規模のモダニズムへの執着は、無駄が多く、醜くて、その土地の伝統や環境を破壊するような建築物の建造を引き起こすのです(コンクリートの製造は最も環境汚染を引き起こす行為の一つです)。5これは単純に反サステナブルかつ非倫理的な行為です。私たちが未来で暮らし、働き、遊ぶ空間は、その土地の素材を用いて、その土地の英知や伝統的な体験、自然のモデルからインスピレーションを得たものでなくてはなりません。それこそが、サステナブルかつ、再生可能で、美しく、人間的な空間なのです。

商品および事実完全に商品として扱われる人々の世界市場的動きの容赦のない追求の代わりに、この新しい物語は心、知識、サービス、経験の解放と交換を促すものであるべきです――肉体性は抜きにしてです。どれだけリサイクルを実践し、電気自動車を運転し、あるいは、環境活動に参加したとしても、海を渡る飛行機に乗る活動をしてしまえば、環境を改善するすべての努力は無駄になってしまうのです。現代的旅行の病理は、この地球と未来の世代に莫大な費用を負わせて得られた豪奢、いわば象牙やサイの角などで作られた飾りも同然の、飛び回るだけの飛行機の中に座り、人工的に作られた欲望を満たすためだけの目的に奉仕する「目的地のないフライト」に示されています。6しかし、5Gや同様のワイヤレス通信テクノロジーは、道路や空港、リゾートなどの破壊的なインフラを構築する必要なしに、人々を接続し、テレツーリズムやテレプレゼンスなどの実践を実現する可能性を提供します。 テレツーリズムで撮影されたガラパゴス諸島やグレートバリアリーフへの旅行を想像してみてください。これらは、特権のある少数の人々だけが利用できる環境破壊的な遠足ではなく、自然に害を与えることなく自然に浸る民主化された体験です。 広域な接続性は同時に、デジタル格差を埋め、開発と起業家精神の新しいモデルを促進し、空虚なスケールの単一な神話ではなく、世界中の小さなスケールの成長の新しい物語を活性化させる可能性があります。

貿易から政府、都市、ソーシャルメディア・プラットフォームに至るすべてにおいて、大きくなる一方の組織の規模の絶え間ない推進や、特権エリートの帝国主義的および全体主義的傾向を推し進める代わりに、この新しい物語は選択肢、セキュリティ、多様性、帰属を提供する有機的かつ、自治的、ヒューマンスケールなコミュニティを強化するはずです。パンデミックは、集中型のオフィススペースがかつて信じていたほど必要ではないことをすでに証明しており、将来の作業は、データによって接続された分散型の、その場限りの、プロジェクトベースのチームで構成されるかもしれません。私たちは、ガンのような大都市と制御不能な都市の広がりの一見不可逆的な傾向もまた、避けられないものではないと大胆に想像しなければいけないのです。最近の(Black Lives Matterによって例示されている)社会正義のための主導者のいない自己組織的な運動は、集団的行為のなかの自決する主体としての新たな生活と引き換えに、個人がコモディティ化されたシステマティックな抑圧の縛りを捨てる方法として、伝統的な政党や他の組織的なテクノロジーへの可能なオルタナティブを指し示しています。

欲望は形を帯び、趣向は導かれ、新しいビジョンは思い描かれます。 〈効率性の神話〉の圧力に抵抗し、後期資本主義が誇示的消費と持続不可能な開発を美化するのと同じくらいに、平凡な日々や地域的、ヒューマンスケールなもの、内に秘められたものを美しく見せることはできるのでしょうか?  物理的に世界中を飛び回り、搾取的な観光客として行動する代わりに、家にいながらも、無視された周縁の人々の声を発見することはできるのでしょうか? 民主政治の基本的な生命線である――正義と共感のための情熱を持った集合的なストーリーテリングに力を与え、私たちの時代の壮大な叙事詩にすることが可能でしょうか? 真実には、私たちがいつも心の中で知っているように、敵はいません。私たちはお互いを支え合う必要があります。他に誰もいないのだから。
6 Mzezewa, Tariro, “The Flight Goes Nowhere. And It’s Sold Out.” The New York Times, September 19, 2020.
https://www.nytimes.com/2020/09/19/travel/airlines-pandemic-flights-to-nowhere.html

全ての未来の始まりは物語です。より社会的で、より帰属意識を持ち、より遊び心に溢れ、より本来的な力を発揮し、より意味のある技術的・社会的な変化の壮大な物語は、無数の小さくて私的な物語から作られるのです。集団として、テクノロジーに精通した語り部として、自分たちの人生の物語だけではなく、生まれくる世界の物語を語るのです。語ることを切望し、あなたが継承し、次の世代へ繋ぐために努力してきた、あなたの行いに愛を吹き込んでくれた物語に、あなた自身がなってほしいのです。

1 幸福と都市デザインに関しては下記の文献を参照してください。
Morel, J. C., et al. “Building houses with local materials: means to drastically reduce the environmental impact of construction.” Building and Environment 36.10 (2001): 1119-1126.
Covatta, Alice. “From infrastructure to playground: the playable soul of Copenhagen.”
Hermansen, Bianca, et al. “The Human Habitat: My, Our, and Everyone’s City.” Integrating Human Health into Urban and Transport Planning. Springer, Cham, 2019. 113-133.
Pfeiffer, Deirdre, and Scott Cloutier. “Planning for happy neighborhoods.” Journal of the American planning association 82.3 (2016): 267-279.
Seresinhe, Chanuki Illushka, et al. “Happiness is greater in more scenic locations.” Scientific reports 9.1 (2019): 1-11.
2 これらの違いに関しては、Ong, Walter J. Orality and literacy. Routledge, 2013を参照してください。 3 テクノロジーとしての言語に関する観点の詳細はArthur, W. Brian. The nature of technology: What it is and how it evolves. Simon and Schuster, 2009を参照してください。 4 Burrington, Ingrid. "How railroad history shaped internet history." The Atlantic (2015).
https://www.theatlantic.com/technology/archive/2015/11/how-railroad-history-shaped-internet-history/417414/
5 Watts, Jonathan. "Concrete: the most destructive material on earth." The Guardian 25 (2019).
https://www.theguardian.com/cities/2019/feb/25/concrete-the-most-destructive-material-on-earth
6 Mzezewa, Tariro, “The Flight Goes Nowhere. And It’s Sold Out.” The New York Times, September 19, 2020.
https://www.nytimes.com/2020/09/19/travel/airlines-pandemic-flights-to-nowhere.html
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