Interview with
Geoff McFetridge

「美術館にいる時間よりも、外でスポーツしている方が圧倒的に長い」

今日は朝6時に自宅から車で20分ぐらいの場所に位置するグリフィスパークでトレイルランニングをし、その後はグリフィスパークとアトリエの間にあるコストコの駐車場でスケートボード。そして10時ぐらいにアトリエへ。朝からものすごく体を動かされているな、というのが第一印象です。

Geoff:こんなことをほぼ毎日やってるよ。飽きやすい性格だから、スポーツ自体はコロコロと変わるんだけどね。正直、僕の場合は美術館にいる時間よりも、外でスポーツしている方が圧倒的に長いから。それはずっと昔からだね。

他のアート作品を見て勉強し作品にするというよりも、実際に体を動かしている中で体験したものを作品にしているわけですね。ちなみに今はどのようなスポーツをされているのですか?

Geoff:スケートボードは若いころからやっていて、他にはサーフィンやサイクリング、トレイルランニング、クライミングにスキーとかマラソンも。あと最近フライフィッシングもはじめたね。道具はすべてガレージに入れているんだけど、もうパンパンで。

ニューヨークとは違い、ロサンゼルスという自然豊かな地域だからこそできるライフスタイルです。なぜあなたのクリエイションにとってスポーツが大事なのでしょうか?

Geoff:そうだね、例えばスケートボードの話をしていいかな? スケートボードをやっていて、教わったことのひとつに、繰り返し練習することで上達するということがあるんだ。トリックひとつでも、順序を飛ばして急にクレイジーな大技ができることは、ほぼないと言っていい。それはドローイングも同じ。手で描くこと自体、ミスは必然的についてくるもの。ミスを修正し続けることで、前進することになる。同じミスをしないようにしていると、また違う間違いをする。面白いだろ? スポーツもドローイングもそんなところが面白いんだ。

アトリエでは、何かの資料を見るわけでもなく、思いつくままにすらすらと鉛筆を滑らせて絵を描いていました。コンピューターを使わない理由は、あえてエラーを引き起こすためなのでしょうか?

Geoff:制作過程で全くコンピューターを使っていないわけではないよ。でも基本は、この様にしてトレーシングペーパーの上を3Bの鉛筆でドローイングしている。ほぼ無意識に近い状態でね。それに僕は今まで何か動物を描くために、インターネットで検索したこともない。コヨーテを描くために、コヨーテの写真をグーグルでイメージ検索をすることもないんだ。どこかに行った時、どこかで遭遇した動物であれば、その時の印象のままを描くようにしている。曖昧な感覚で描くことで、僕らしさというものが出てくると思う。つまりはオリジナリティ。この描き方は、ある意味どのようにして被写体に似ないように描けるのかということでもあるんだ。それが僕にとってのドローイングなのかな。

「動物図鑑を開いて、キツネの絵を描いたら、決して同じものにはならなかったはず」

今回Goldwinとのコラボレーションで描いたキツネについても同じことでしょうか? どのようなストーリーがあったのか教えていただけますか?

Geoff:このドローイングは、僕が北海道に旅行に行ったときのとてもパーソナルな経験がベースになっていてね。1月のニセコ町の雪はパウダースノーと呼ばれるものすごく柔らく軽い雪だった。森全体にそんな軽い雪の粉が舞って視界を遮っていた。この状況は、僕にとっても初めての経験で、手探りでスキーを楽しんでいた。少し高い丘に辿り着いたところで僕は立ち止まるんだ。なぜなら僕の目の前に一匹のキタキツネが現れたから。そのキツネもじっと僕のことを見つめ返してきて、まるでアイコンタクトをして、何かを話かけられているかのようだった。彼が山道を走ると、僕はスキーを滑りながら追いかけた。もう作り話の世界だろ? 1、2、3、4、5、6、7って、そのキツネを追ってターンをして、僕は傾斜を滑って下った。僕は下ることしかできない。彼はどこへでも行けるはずなんだけど、一緒に山を下ったのさ。最終的に山奥へ入って行き、見失ってしまうんだけど。とにかく素晴らしい時間だった。日本昔話にあるような体験が、Goldwinのグラフィックには落とし込まれている。当然、映像もなければ写真もない。僕はその時の記憶を辿りながら、彼の耳も目も、脚も描いた。動物図鑑を開いて、キツネの絵を描いたら、決して同じものにはならなかったと思う。

信じられないような体験ですね。話をスポーツに戻します。トレイルランニングやマラソン、あなたが行っているスポーツのほとんどがグループ競技ではなく、個人スポーツになると思います。しかも、限界へ挑む系のハードなものが多い。

Geoff:そうかもしれない。それはきっと自分自身の「孤独な追求に、どれくらいの時間を費やすことができるか」ということにつながると思っている。自転車を4時間走らせ、スタジオに到着し、孤独な状況で作品を作る。アーティストの制作状況と、これらのスポーツ環境はとても似ている。「どこで終わりとするのか?」、「どれくらいできるのか?」という問いに答え続けていくというかね。

もちろんレースなどに参加することもあると思いますが、今回一緒に取材していて思ったのが、スポーツをするというよりも、その場所や時間など環境にいること自体を楽しんでいるように感じました。

Geoff:そうだね、レースにはあまり参加しない方かもしれない。今朝、グリフィスパークで走ったように、「日の出を見たい」とか「朝焼けの空を見たい」とか、そのためには暗闇の中を走って、頂上まで登るしかなかった。じゃ果たして、これがランニングなのかと言われると、僕の中ではそういうことではない。午後、どこかで誰かに「今朝、何していたの?」と聞かれると、僕はきっと「グリフィスパークに日の出を見に行ってきました。山を登ってる途中で、コヨーテと野ウサギにあってね」と答えるだろう。つまり「ランニングをしていました」とは答えない。目的の違いだけで、疲労するかしないかは変わってくる。きっと走るのが目的だと疲れてしまう……。だからアトリエに到着しても、あぁ〜今日は運動しすぎたなぁ、疲れたなぁ〜と思うことが本当になくてさ。

作品を見れば、「あ、これはジェフが描いた作品だ」とわかるように、あなたの作品にはスタイルがあります。そのスタイルに飽きてしまうことはないのでしょうか?

Geoff:不思議なことにそれがないんだ。さっきも言ったけど本当に飽きやすい性格なんだけど、ドローイングすることには飽きたことはない。多分他のことをコロコロと変えているからかもしれない。自分自身に飽きることもあるし、だけども自分が描くもの、描きたいものに飽きたことは今までにない。さっき言ったことの繰り返しになるかもしれないけど、ドローイングの素晴らしいところは、スケートボードやスキーと同じように、繰り返しやることでどんどん上手になるということにある。上手になることで、さらに自由にトリックができたり、描くものの幅が広がる。だから5年前、いや2年前と比べても自分のドローイングは確実に上手になっている。そんな成長を感じることってなかなか普通の生活の中でないからさ。だから楽しいんだ。

おそらく言葉のない表現というのもあるでしょうね。クラシックミュージックの言語、油絵の言語、そして写真の言語があるように、あなたのドローイングにも、独特の言語があるように思います。

Geoff:僕がドローイングを始める前にすることがある。それはもともとあるイメージを再考すること。普段見る景色から角度を変えたり、または全く違うちょっとファンタジーな世界感を入れてみたり。僕が話している言葉はちょっと特殊な言語。まさにドローイングの言語。だからこそオリジナルに感じると思うし、また違う世界へ旅をさせてくれる。これこそが言葉を使わない表現の魅力さ。僕は本が好きだから、言葉で考える時もある。でも、その言葉をなくした時に何が残るのだろうか。その残ったものを見る人に委ねるというか、考えさせる。一方的に情報を与えるのではなく、作品に参加させてしまう。そうすると僕の作品が普遍的なものになる。僕のドローイングは詩に近いものだと思っているよ。