Notes on Islands
CHAPTER_3
Oki Shrine
Oki Shrine

隠岐の社の夜は
ずいぶん深い

 われこそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け(『遠島百首』)
 1221年、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は流罪となった。そうしてたどり着いたのが隠岐の中ノ島、源福寺。60歳で崩御するまでの19年間をこの地で過ごすことになる。京の都とはまるで違う気候と風土と暮らしぶり。苦労も深かったに違いないが、文武に優れた才が尽きることはなかったのだとか。いやむしろ、詩情は深まったのかもしれない。新古今和歌集の編纂者でもあった人は、この島で七百首もの和歌を残すことになる。冒頭のものもそのひとつ。意気を込めるような雄壮な歌だ。
「隠岐神社」はその後鳥羽院を祀るために創建された。歴史は80年ほどだが、広い境内には玉砂利が敷き詰められ、銅板葺き隠岐造の本殿は美しく厳か。隠岐随一ともいわれる桜並木や屋根をいただいた土俵もある。
 拝観はいつでもどうぞ。ただし予約をして夜の特別な参拝をしてみるのもまた格別。日が落ちて、驚くほど深い闇に包まれていく。しんと静まり返った境内で、いつの間にか背筋が伸び、祈り、お守りをいただく。日常から離れていくような時間。幽玄というものに触れたような気すらして。

Student

高校はちゃんと卒業します

 隠岐島前高校の学生、井出上漠くん、15歳。あるいはご存知かもしれないが、昨年、著名な美男子コンテストでセルフプロデュース賞を受賞。いずれは生まれ育った故郷、海士町を離れて上京し、華やかなスポットライトを浴びるのだろう。寂しくなんてないわけない。けれど大きな夢もある。
「今、憧れているのは雑誌のモデルさんです。藤田ニコルさんとか菅田将暉さんとか。中学校の頃は美容師になるのが夢だったんです。でもコンテストに応募して、出場できて、賞までいただいて。すごく愉しくて、いいきっかけになりました。たぶん、春からは東京でお仕事もさせてもらうことになるんじゃないかな。学校の友達は、遠い人になるみたいで寂しいって言うんですが、そんなつもりはないですよ。勉強は得意じゃないけど、高校もちゃんと卒業したいし。隠岐は好きですもん。やっぱり、生まれ育った場所なので。夏の島は賑やかになって、キレイな海でいっぱい遊べます。春は隠岐神社の桜を見てほしい。感動しますよ。でもやっぱり、東京にも憧れちゃいますね。この前、原宿の古着屋さんで買い物したんです。今着てるトレンチコート。楽しかったな」
 小さな島で生まれ育った豊かな感性。願えばきっと、いろんなことができる。だって素潜りだってできちゃうんだもの。

Sekiheki

地球がむき出しに
なっている

 島前三島で最も小さいのが知夫里。ここで暮らす人の数よりも、タヌキのほうがずいぶん多いらしい。次いで多いのが放牧された牛。だからだろうか。この島を車で走ると、動物がのんびり、というか我が物顔をしている。特に山道は、人よりも放牧された牛が優先。路面に寝転んでいれば、その脇を通していただく。ようするに、きわめてのどかな島。
 あるいは、自然と人との距離感がずいぶん近いともいえる。たしかに道はアスファルトで舗装され、電線だって走っている。しかし、そこから一歩足を踏み出せば、もう、むき出しの自然があるという感じ。見慣れてるはずの常緑樹も、枝ぶりがなんだか強そうだ。
 知夫里の名勝、「赤壁」を間近に見る。200メートル級の断崖がつづいていた。荒々しく走る濃淡さまざまな灰色の岩脈は、かつてマグマが地中を走った痕跡。そして真っ赤な岩肌は、吹き出たマグマのしぶきに含まれる鉄が急速に酸化したため。それらを風雨と波が砕いて、迫力の景観を作り出したという。むき出しになっていたのは、地球のエネルギーそのものだ。柵もなく、迫るように近い。

Ama-mare

オープンマインドな
交流の場所

 自分の住む町にこんな場所があったなら。思わずそんなことを考えた。中ノ島のコミュニティスペース、「あまマーレ」。その「勉強部屋」と名のついた、ワーキングスペース(Wi-Fi完備!)の椅子に座って、セルフカフェのコーヒーを飲んでいた時のことだった。木材をたっぷり使った優しい空間は、もともと保育園だった建物を再活用しているため。大きくとられた窓からは、日の光が差し込む。利用は無料。いうことなし。
 最初にオープンしたのは2009年だが、2014年に島の人々の交流を深め、子育てを支援し、リサイクルとリユースを進めるために現在の運営形態になったのだとか。ワーキングスペースだけでなく、広々とした遊戯場(ビリヤード台付き)に子どもの遊び部屋、さらに島の人が手放した古道具の販売スペースまである。誰にでも開かれていて、遊びかたは自由。旅の途中に立ち寄るなら、ご注意を。初めてでも、なんだか長居してしまうのだ。

Mother and Son

末っ子もすごく上手に
潜ります

 島の人に話を聞く。母であり、島の銀行員でもある岸本利花さん。西ノ島に生まれ、高校卒業後は「ごうぎん」へ。山陰合同銀行浦郷支店に就職。70人ほどいた同級生でただひとり地元に残った。以来ずっとこの島で暮らしている。働き、結婚して、3人の子供を育てる。末っ子で次男の丈くんは小学生。ずいぶん仲が良さそうなのは、素潜りと、たぶんディズニーランドのおかげ。
「やっぱり隠岐の子は、海に潜れないとダメだと思うんです。最近は時代も変わって、あまり潜らない人もいますけど。しっかり漁業権もとって、夏が来るとお気に入りのポイントで潜るんです。もちろん海が相手ですから、危ないこともあります。大きなアワビとの格闘に熱中しすぎて、気を失いかけたこともあるんですよ。息を長く止めすぎちゃったんですよね(笑)。それから、海で知らぬ間に差し歯がとれて諦めかけていたときに、奇跡的に丈が見つけてくれたこともありました。その時は、泳ぎが得意な子に育ってよかったな、って心から思いましたね(笑)。素潜りがあるから、毎年夏が楽しみです。あとはディズニーランドも。私も丈も、とっても好きなんです。海外も入れたら20回は行ってるかな」
 家にもグッズが山ほどあるとか。好きな キャラクターは断然ドナルドダック。意外とも思ったけど、ああそうか。足に泳ぎやすそうな水かきがついてるもの。