THE ORIGIN

50 Years Of Adventure,
A Lifetime To Go

ニュージーランドのアウトドアブランドmacpacは、
今年で創業50周年を迎えることになりました。
これまでに提供してきたシンプルかつ丈夫な製品は、
本国はもちろんヨーロッパやアジアでも高い評価を得ています。
〈アウトドアでの体験が人生をより良いものへと変える〉という理念。
そして、自らに課し続けてきた
〈長く使い続けられる、機能に優れた道具をつくる〉という使命。
これらは私たちが創業当初から現在まで大事に守り続けてきたものです。
めまぐるしく変化する時代の波にもまれながらも、
進むべき道を見失うことなく歩みを重ねてきたブランドの足跡を、ご覧ください。

THE ORIGIN

創業者が語るmacpac誕生物語

ブルース・マッキンタイア

macpacの歴史は、いかにして始まったのか?
実家のガレージでキャリアをスタートさせた創業者のブルース・マッキンタイアに、1970年代の記憶を辿ってもらいました。

私の祖父は、クライストチャーチでバッグや小物を作るスモールビジネスをしていました。父もその仕事を手伝っていて、私も11歳になると、放課後の数時間はアルバイトするようになったんです。稼いだ小遣いで自転車を買ったことを覚えていますよ。父が仕事を引き継いだ頃には、私も学校が休みの日には必ず働くようになっていました。バックパック作りに必要な縫製技術は、その頃に覚えたんです。
1年間大学に通って、「そろそろ自分の道を」という時期に、友人とキャンプに行こうという話になりました。でも、誰もテントを持っていなかった。だから、父に手伝ってもらいながら、自分で作ったんです。構造を把握して、防水性を考えながらデザインをする。3×3メートルの大きなテント製作の過程で、私は“創造”が楽しいことを知ったんです。
その直後に同業者が引退することを父が聞きつけ、私は銀行から2000ドルを借りてミシンや作業台を買い取って、実家のガレージでバックパックを作り始めました。それが1973年のこと。私は19歳でした。macpacのブランド名は、ミシンを買い取った会社の名前〈macsac〉、それからマッキンタイアという私の名前を合わせて付けました。

ブルース・マッキンタイア

最初の転機は、開業から数ヶ月後、アメリカ人の旅行者が持ち込んだバックパックでした。そのアメリカ製のバックパックには、インターナルフレームをはじめ、様々なアイデアが盛り込まれていて、今までに見たことがないデザインだった。ブランド名も覚えていないけれど、「新しい試みをしていいんだ」と、私のマインドを変えてくれたんです。そのバッグの真似をしながら、自分なりの改良を加えて新しいデザインを始めたんです。今から振り返ればmacpacも、アメリカに端を発するカウンターカルチャーの大きな潮流の一つと言えるかもしれません。

1970年代、私たちの世代が求めていたのは〝自由〟でした。自然に身を浸す自由、それから海外へと出ていく自由。ニュージーランドには山で泊まりながら歩くトランピングという文化があるけれど、同じように価値あるものと考えられているのがOversea Experience(海外体験)です。私たちがOEと呼ぶこの文化もまたカウンターカルチャーの一部だと思いますが、そこにはどんな人生を歩むのかという自己決定の自由も含まれている。「自由」という価値観がmacpacにはあったのだと思います。

さらに半年後くらいでしょうか、ある登山隊から「遠征用のバックパックを作ってほしい」と頼まれたんです。当時の海外製のバックパックは、雨の多いニュージーランドのタフな環境に合っていなかったんでしょう。彼らと一緒にデザインに取り組んで、どんな機能が必要かを考えました。アイゼンをバックパックの外側に固定したいと言われて、世界で初めてバンジーコードを付けたんです。その時に作ったALPINE BURROが、macpacの本当の始まりだったと思っています。

何よりも大切にしていたのは耐久性です。1975年にはパタゴニア遠征に使うためのTorre Eagerを作りますが、岩だらけの山でタフな旅ができるだけでなく、一度買ったら一生使える耐久性を大切に考えていました。現在ではサステナビリティと呼ばれるこの考え方は、macpacの始まりから今でも受け継がれています。

自然はいつもエネルギーを与えてくれますが、山から降り街へと近づくにつれ、自然に包まれていた時の高揚感は消えてしまう。けれども〝自由〟と同様に〝自然への敬意〟も、macpacにとっては重要な礎です。だから私は常に、その想いを心に留めながらバックパックを作ってきたのです。

ブルース・マッキンタイア

ブルース・マッキンタイア

2008年にmacpacの経営を退いてからは教育改革に取り組み、自然教育に力を入れたオルタナティブ・スクール〈SEVEN OAKS〉を運営している。

HALL OF FAME

時代と共に進化を続けてきたマスターピース

backpacksbackpacks

50 YEARS OF ADVENTURE

さまざまな冒険を支えてきたmacpacのバックパック

1973
1973年の写真
macpac創業者ブルース・マッキンタイアが自宅のガレージでパックの製造を開始
1975
1975年の写真
インターナルフレーム型パックトーレエーガーがNZ登山隊のパタゴニア遠征に採用される
1977
1977年の写真
素材をアップデートして現在でもロングセラーを続けているティアドロップ型のデイパックLitealpが初登場
1990
1990年の写真
登山家のロブ・ホールとゲアリー・ボウルがアルパインパックを背負い、世界7大陸の最高峰を完登
2010
2010年の写真
マーティ・シュミットがアルパインパックを背負い、ヒマラヤ8000メートル級3座の無酸素登頂に成功
2010
2010年の写真
イギリスの探検家エド・スタッフォードがmacpacを背負い、人類初のアマゾン川全長踏破に成功