親と子とアスリート vol.03 三浦雄一郎/豪太

三浦家4代、育児の系譜

  • 親と子とアスリート
  • 2021.10.13 WED

 冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さんと息子でモーグルスキーのオリンピック選手である三浦豪太さん。雄一郎さんの父、敬三さんも亡くなる101歳まで現役のスキーヤー、そしてスキー山岳写真家として活躍した方でした。
 スキーが大好きだった雄一郎さんと、スキーが嫌いだった豪太さん、そしてスキーとは違う世界へ向かう4代目の世代たち。三浦家で受け継がれてきたこと、放任してきたこと、最も大事にしていることを伺いました。

うちの息子が一番好きなのはおそらくゲームなんです

放任主義は受け継がれているか

ーー 雄一郎さんはお父さんである日本のスキー界のくさ分け、山岳スキーヤーの三浦敬三さんから「放任主義」で育てられたというお話を本などで書かれています。放任主義はその後、息子さんの豪太さん、そして豪太さんのお子さんへと4世代で受け継がれているのでしょうか。

豪太 どうでしょうか。うちの息子は地元のアウトドアクラブに入れたり、キャンプに参加させたりという感じで、直接一緒にやるのは時々一緒に山に登ることとマウンテンバイク、そしてスキーぐらいでしたね。お父さんは家にいないことも多かったですけど、僕たちに自分のことを「相棒」と呼べと言って、一緒に遊んでいました。

ーー 雄一郎さんと豪太さんは友だちのような感じで接していたわけですね。

豪太 うちの息子が一番好きなのはおそらくゲームなんです。この間までトレイルランニングが好きで一緒に走っていたんですけど、運動の興味は卓球の方に移っています。逗子から北海道に引っ越したのですが、せっかく北海道に引っ越したからスキーもできるし部活に入らなくてもいいんじゃないと思ったんだけど卓球部に入った。「卓球は冬場も練習があってスキーができなくなるよ」と言っても、「うーん、まあそれでもいいや」って。だからあまり干渉せずですね。

ーー おじいちゃんと孫の交流は?

雄一郎 いや、こっちが何やれ、こうしろというわけにいかないし、豪太に任せっきりで時たま「やってる?」「元気?」という程度ですね。でも割合運動神経もいいしね。

豪太 いやいや、あんまり良くないよ。

ーー (笑)見る人の違いですか?

豪太 お父さんはあんまり見てないと思う。スキーはそこそこできるけれども、やっぱり北海道の子どもたちとの実力差はありました。スキーはさせてたものの中学校から北海道に移り住んで、いざスキーとなると、常にスキーができていた北海道の子たちの環境とはぜんぜん違う。本人がスキー選手になりたいということでなければ、卓球でいいと思います。

ーー 雄一郎さんは大ぼらを吹いて、騙しながら豪太さんを山に連れて行きましたが、豪太さんは息子さんに同じようなこともされたんですか?

豪太 キリマンジャロには、山頂にライオンや象がいて動物園みたいになっていると大ぼらを吹かれて連れて行かれましたけど、僕としてはことその子がやりたいものに関しては、無理に方向転換しなくてもいいと思っています。ましてやスキーで三浦家となると、結構なプレッシャーになるし、今の状態から本当に選手を目指すんだったら、もうすごく本人の努力が必要になる。本人がやると言ったらそこはサポートしますけど、それ以外は無理くりやることじゃないなと思って。スキーは、本来とても自由で楽しいものだと思ってるから。好きでやっていることにアスレチズム(スポーツ熱)があれば僕はいいと思ってます。

豪太には強制していないんです。むしろ自分で切り開いてきた。

孫はeスポーツのトップ選手

ーー 雄一郎さんは豪太さんに嘘を交えながら山やスキーに誘ってきたわけですが、三浦家とスキーについて豪太さんのプレッシャーになるんじゃないかということは考えましたか?

雄一郎 あんまり考えてなかったですね。豪太の上に兄と姉がいて、それぞれ小中学校まではスキー選手として全日本レベルでベストテンに入っていました。ただオリンピックに出るようなレベルまで続けたのは豪太だけ。豪太には強制していないんです。むしろ自分で切り開いてきた。後の2人は、こっちが一生懸命あれやれこれやれ言ったけど、かえってやらなくなりました。

ーー 豪太さんとしては、上の二人があれやれこれやれ言われている状況を見て、自分で考えていたのでしょうか。

豪太 うちではスキーが中心にあったから家業としてスキーをやっていたわけです。姉と兄はアルペンスキーだったんですね。正直僕はちっちゃい頃からアルペンスキーはなんとなく性に合っていなくて、ジャッキー・チェンが好きでアクションで表現できる場を求めてたら、フリースタイルスキーの世界にいったという。

雄一郎 一番自然かも。

豪太 今ならスロープスタイルやスノーボードという選択肢もあったでしょうね。

雄一郎 豪太の兄、雄大の息子(雄輝)はスキーやゴルフはそこそこなんですけども、 eスポーツでは友人たちとグループを組んで一時、世界のトップ 0.03%になったのです。

豪太 シューティングゲーム「エイペックスレジェンズ」で、です。

雄一郎 私はどうなっているのかよくわからない(笑)。

豪太 エイペックスで0.03といったらもうアイドルですよ。ただしアマチュアですが。

ーー 雄大さんはエンジニアですし、そうした側面が繋がっているのかもしれませんね。

もしスキーがやれなくなったらどうする

ーー 雄一郎さんはお子さんたちに、「学校を休め」「一緒に山に行くぞ」というスタイルで家族を引っ張ってっきましたが、結果的にお2人とも獣医学部とスポーツ生理学部に行って勉強されています。学校や勉強をどう捉えていたのでしょうか。

雄一郎 僕自身は嫌々ながら取り組んでいました。スキーでオリンピックに行きたいんだと思いながら。スキーも自由にやりたいから競技スキーを諦めて、山岳スキーに転向したんです。

ーー 受験も基本常に嫌々だったんですね。豪太さんにとって勉強はどんなものだったんですか?

豪太 小学校の頃は本当に勉強が大嫌いで、中学校に入っても勉強が大嫌い。勉強というだけで眠くなって、何にもできない。うちの父親から勉強するぐらいだったらスキーしていた方がいいと言われていたんですけども、変わったのはアメリカに留学してからです。

留学したホームステイ先のフィルさんが、空軍で元トップガンの教官をしていた少佐でした(ちなみにその教官と一緒に当時「トップガン」を観に行きました)。その方が最初に「君たちは今までスキーばかりやってきたかもしれないけれど、もしスキーがやれなくなったらどうする」「怪我をしたらどうする」と。ましてやスキーのトップ選手になったとしても、頭が良くないとそれ以上はできないと。だから、君らはまず、今スキーができるんだったらもっと勉強しなきゃ駄目だって。留学した高校がアメリカ西海岸でSATスコアが一番のプライベートスクールだったんです。勉強のペースも早いし量も多い。成績が落ちたらスキーもやらせてもらえない。
本を読んでも全然わからなくて、10ページあったら3ページぐらいしか進まないんです。そしたらフィルさんが夜中の2時、3時まで勉強に付き合ってくれて。残りを全部説明してくれる、というのを長いことやってくれていました。フィルさんは当時現役の軍人ですから、朝の4時や5時に起きる生活。、日々2時間ぐらいしか寝ていないんです。おかげで勉強のやり方から勉強するという癖がそこで身につきました。

ーー 雄一郎さんは、ちゃんと勉強してるということを知っていたんですか?

雄一郎 後で、日本に来るたびフィルさんのことを聞いてはいましたね。そういう意味では非常に運が良かったですね、いい人に出会えて。

「たまには勉強しなさい」

ーー お2人にとってそれぞれの母親はどういう存在でしたか。

雄一郎 僕の母親は非常にのんきな人で掃除洗濯料理が全部大嫌い。勉強しなさい、これしなさいと一切言わない。よく「あんたのおじいさんは」と自分の父親の話しをよくしてくれました。そういう意味では家族のプライドみたいなものは染み込んでいます。

ーー 豪太さんはお母さんと過ごす時間があったんですか?

豪太 もちろんです。うちは父が家にいなかった分、誰かが僕を育ててくれないといけませんから(笑)。母はずっと一緒でしたね。年を取ってからの母親のイメージがあまりにも強いんですが、父がいなかったから口うるさかったかな。でも基本はおおらかでした。

ーー 口うるさいというのはどういう時に?

豪太 「片付けなさい」「電気消しなさい」「靴下ほっぽらかすな」「たまには勉強しなさい」などなど。生活の細々したことですが、今もうるさいです(笑)

ーー 雄一郎さんも言われているんですか?

雄一郎 しょっちゅう言われています(苦笑)。聞きはしないけどね。

まず「健康」。それから「友だちをたくさん作れるように」

ーー 三浦家の教育方針は、結果的にそうなったということなんですね。

雄一郎 本能的というのは変だけども、そうですね。あとはまず「健康」。それから「友だちをたくさん作れるように」。そのくらいですね。非常に原則的なことだけで、あとは自分たちのやりたいように。

ーー 奥さまとお話をしながらというのではなく、お1人でそう考えたということ?

雄一郎 家内と子育てに関して相談、打ち合わせは記憶にないですね。僕は僕のやり方、家内は家内のやり方で。僕は放任主義でしたから。

ーー 遠征で家から長期離れて帰ってきても、なんでそうなってるんだ、みたいなこともなかったんですね。

豪太 特にお父さんからとやかく言われた覚えはないですね。ただ、この本が面白いから読んだ方がいいとか、その都度お父さんは読んでいる本から影響を受けるので、そのことについてよく話をしますね。

ーー 小さい頃からですか?

豪太 小さい頃は、寝る前にずっといろんな作り話をしてくれました。

ーー 即興で作っていたんですか?

雄一郎 そうそう。

ーー 雄一郎さんが寝付かせる役割だったんですね。

雄一郎 作り話は趣味でやってただけです。

ーー 豪太さんが覚えていて、そのまま子どもに話しこともありますか?

豪太 ないですね。ほんとにすっちゃかめっちゃかな話しで、筋もあってないようなものばかりでしたから。浦島太郎とウルトラセブンが出てきて、亀に乗ってどっかの宇宙人と戦うみたいな。

これが本当の冷血(ケツ)動物だ

人間にはユーモアが一番大事

ーー 子育てしてきた中で、自分で言っていたけどちょっと違ったなみたいなことは何かありますか?

雄一郎 今となれば結果論ですけど、全部うまくいってました。よく育ってくれました。

ーー 豪太さんからすると、あれは全然意味がわからなかったみたいなことはありますか?

豪太 大筋合っていたような気がしますね。もちろん細かいことはありますけれども。お父さんは大枠がズレなければいいという人間なので。そんな中でも何が一番かと言ったら「ユーモア」です。人間にはユーモアが一番大事で、どんなつらいときでもどんな難しいときでも、冗談一つ言えるようじゃないとせっかく山に行っても面白くないぞと。

ーー 山で過ごす時間や仲間から導かれた考え方だったわけですね。

雄一郎 そうですね。

ーー 子どもたちも、実際自分で山に入って、実感しながら覚えていくということですね。

豪太 そうですね、うちの父から登山の技術やスキーのことを教わったことはなくて、唯一教わったのはどんなときでも冗談が言えるぐらい冷静でいろということです。ある状況で冗談ひとつ浮かぶかどうかが、そのときの心理状態や体調の条件をすべて表しているんです。

ーー 一番やばい状況で出たユーモアは何だったか覚えていますか?

豪太 70歳でエベレストを登ったとき、ずっとジェット気流が降りてきていました。当時の山の気象情報があまり当てにならなくて、いける予定だったのに6,300m付近で5日間ビバークしなきゃいけなかったんです。2ヶ月ぐらいかけて高度順化していて、本来だったらもう山頂に着いてもおかしくない頃。やっと登れるぞとなった6日目、やっとローツェフェースという氷壁に上がれたけど、天候は好転せずまた朝方2時か3時ぐらいからすごい風が吹くという状況。さすがに5日間いて、体力的にも、精神的にもきてました。
朝の3時頃、ヘッドライトを付けてどうやって行こうかと相談をしているとき、お父さんが何か溜息をついていたんです。「いやそうだよね、もうこんな状況になったら心配だよね」って話したら、「いや、そうじゃない」と「わしは今、雉撃ち(トイレ)に行くか行くまいか悩んでる」と。これから仮に天気が良くなっていざ行くぞとなってから用を足したくなったら大変です。45度とか50度近くの壁をずっと登っていくわけで、ロープで繋がっている真下には僕がいるからお尻を出されても困る。もう行ってくださいと。ただローツェフェースという壁に掘って作ったテント場なので、ちょっとでも間違ったら本当に滑落するわけです。風もバタバタ吹いているし、テントも濡れるから開けておくわけにもいかなくて見ていられない。10分ぐらいしてテントに戻ってきたと思ったら、「はぁ、はぁ、死ぬかと思った…。お尻が凍るかと思った…。これが本当の冷血(ケツ)動物だ」って。結構危うい状況ですよ。頭大丈夫かしらって(笑)

ーー 覚えてますか?

雄一郎 そりゃもちろん。

ーー テントに戻りながら、言うぞ言うぞと思いながらだったんですか?

雄一郎 いや、無意識です。

豪太 いつもだいたい無意識に言ってます。それから8000mでまた天気が悪くなって、エベレスト登頂への最終キャンプ地であるサウスコルでまた一日追加しなきゃいけなくなりました。そうしたら暇ができて、お父さんはサウスコルの平らなところで鷲の死骸を見つけたんです。チベットやネパールのチベット密教では鳥が聖なる鳥なので、2人でお墓をつくろうと。モニュメント的なものを立てながら、「これは鷲の墓だから、わしの墓になるかもしれないな」なんてブラックジョークを最後の最後に言っていました。

ーー 全部無意識で出てきちゃうんですね。

雄一郎 癖があるんです。

豪太 そういうことがあると、お父さんはどれぐらい余裕があるのかわかるし、こっちとしてもまだまだこの人は大丈夫と思える。ユーモアがあると、やっぱり周りをよく見渡せます。登山中はずっと緊張していて視野が狭くなったりするところもあるんですけど、お父さんとやってておもしろいのは、そういう冗談がどんなときでも出てくるところなんです。そういうユーモアを大切にするこころは、受け継いでいきたいですね。