New Sports Vol.02 相撲 -前編-

土俵が大きくなったら相撲はどうなるだろう

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  • 2021.8.18 WED

相撲の土俵は15尺。この大きさが変わったら相撲はどう変わる可能性があると思いますか? 土俵の大きさや土の種類に場所ごとローカル性があったら、強さの基準は分散するかもしれません。対談相手に、日体大相撲部監督で相撲の研究者でもある齋藤一雄教授を迎え、変化の少ない神事でもある相撲の世界に「もし」という視点を入れ、相撲というスポーツ性、運動性から、新しいスポーツへの可能性を探ります。

土俵は前に攻めていくと相手の陣地はどんどん狭くなる

何をおいてもまず押し相撲から。

為末 齋藤さんは日体大相撲部の監督ですが、相撲の研究者でもあります。普段はどういう研究をされているんですか? 以前一度伺った、決まり技とその前のくずし技の話もおもしろかったです。

齋藤 相撲は立ち合い、攻防、土俵際という3つに大きく分けられて、寄り切りや押し出しなどいろいろな「決まり技」があります。その決まり技を決めるため手前の一手を「くずし技」と定義して、くずし技から決まり技への流れを研究したことがあります。
 投げ技ひねり技などを「横に攻める技」、押し技などを「前に攻める技」、引き技などを「相手の力を利用して攻める技」としました。横に攻める技と相手の力を利用して攻める技は、決まり技の傾向に偏りがあった。一方で押し技でくずした場合は、いろいろな展開が起きたんです。つまり、相手からすると前に攻める技は何で決めてくるのかわかりにくく、横と力を利用して攻める技は次に何をやってくるか可能性が狭まく対応しやすいということ。だから押してくずすというのが、情報エントロピーや分散という観点からも不確定要素が多くてくずし技として有効性が高いと結論づけました。それゆえに私は何をおいても、まずは押し相撲だと教えています。

為末 押していくと相手も反発して押し返してくるから、反動を利用して引くこともできるし、いろいろな技の可能性があるわけですよね。それでまずは押しを覚えろと。

齋藤 また、土俵は前に攻めていくと相手の陣地はどんどん狭くなるんです。つまり自分が攻めていくと自分の陣地が広くなるということでもあります。

ーー 陣地という観点はおもしろいですね。

齋藤 陣地が広くなるといろいろな選択肢が取れるけど、狭いと少ない。

為末 押して陣地を広くすると攻める時も守る時もどちらも選択肢が増える。

ーー これは円形だからこそ生まれることなんでしょうか。

為末 そうでしょうね。縦だったらどこまで行っても前後しかないですもんね。

土俵がもし野球場サイズだったら

為末 僕が以前齋藤さんに伺った話で一番おもしろかったのが、まさに陣地の話で、土俵を広げてみたらどうなんだろうということでした。僕はそんなこと考えたことがなかったんです。

齋藤 個人的な意見としてはぜひ土俵は大きくしたい。極端な話、土俵が野球場だったら「押し」はほとんど意味がなくなる。

為末 あぁ、たしかに。

ーー 押し出すべき縁(俵)がほぼないような状態。

為末 もしかしたら、僕らの陸上競技みたいに走るのが主な運動になるかもしれないですね。

齋藤 野球場は極端ですが、現行の土俵の大きさは昭和6年に15尺(約4.55m)に決まりました。その後、昭和20年にGHQの指導の元、一時16尺(4.8m)になりました。

為末 過去に大きくなったことがあったんですね!

齋藤 昭和20年の11月場所だけ、GHQがもっと広げた方がおもしろいだろうと。

為末 そんな簡単に。

齋藤 でも現場からやりにくいと声が上がってやめになったそうです。1尺は約30.3cmなので、直径30.3cm大きくなりました。それぞれの立ち合う場所からすると、15cmだけ自分のスペースが余計にできたことになります。たった15cmと思うかも知れませんが、それだけ違うと全然違います。以前、横浜キャンパスの土俵を16尺で作ってデータを取ったこともあります。


為末 どうなるんですか?

齋藤 能力が高い人はここまでいくと俵があるということを体で覚えています。尺が変わるとそれができない。その戸惑いはありましたね。

ーー 空間認識が追いついていないということですね。

為末 技の種類に変化はありましたか?

齋藤 その時のデータではそこまで変化はなかったですね。ただ体の大きな人と小さな人で相撲を取った時は、土俵が広がった方が、小さな人の勝つ確率は上がりました。

為末 それは何が起こったということですか?

齋藤 極端な話、土俵を直径2mくらいまで小さくした時は大きな人が絶対優位なわけです。その逆で広がれば一発で押し出されるようなことが少ない。圧倒的な体格差、体力差が有益ではなくなったのだろうと。

(土俵は)体感的に小さく感じる

変わった体、変わらない俵

齋藤 かつて昭和の時代は、戦後の食糧難の時代もあり、大きくなりたくてもなれない力士がある程度存在していたと思うんです。時代を経て、今はどんどん体が大きくなっていく傾向にあります。

為末 にもかかわらず、土俵の大きさは変わらないと。

齋藤 だから体感的に小さく感じるわけですよ。

為末 変えられるとしたら未来の土俵はどのくらいになり得るんでしょうね。

齋藤 一尺という単位で考えるので、まずは一尺広げて16尺でしょうね。

ーー 印象として、どこまで広げたら現状の相撲として難しいと思いますか。

齋藤 どうなんでしょう。ただ嫌な人にとってはほんの少しでも嫌だと思いますよ。おもしろみという点で言うと、以前はたびたびあった土俵際のうっちゃりとか投げ技とか、大きくなればなるほど土俵際の攻防として見れるようになると思います。つまり押し相撲一辺倒のような単調さはなくなる。

為末 いろいろな技がでるようになるわけですね。

土俵の土が違えば、違う可能性があったのではないか

ーー 土俵のサイズではなく、土俵の素材である土は決まったものが使われるんですか?

齋藤 ルールとして決まっているものはないんです。ただ今は両国国技館をはじめ、「荒木田土」という土をどの場所でも使っています。荒木田土は、昔から壁土や焼物用の土として使われてきた土で、以前は東京都荒川区荒木田原の土でしたが、最近では埼玉県川越市の荒木田土を使っています。

ーー どこでも同じなんですね。

齋藤 以前は地方巡業先の土を使っていたこともあるんですが、不評だったんです。それで結果的に環境が統一されました。

ーー 土が場所ごと違えば、テニスの全米や全仏のコート違いみたいに、戦う環境によって強い選手が変わることもあったかもしれないですね。

齋藤 得意な相撲のスタイルによっては違いが出るかもしれないですね。

上下に揺れ、躍動する宇良の身体操法

為末 この時代から相撲は変わったという分かれ目はあるものですか?

齋藤 主観的なひとつの例ですが、宇良関(うら)という力士がいます。この力士は176cmで、いまは143kgほどですが、元々80kgくらいでした。彼は取り組み中、俵まで自分で下がるんですよ。そんな力士は初めて見ました。普通、力士は積極的に俵を背負うことはしませんが、宇良関はレスリングの選手のように、「上下の動きで相手の動きをかわす」んです。相手も力が伝われば勝つんですが、伝わらないと力が逃げて不利な状況になってしまう。

為末 押そうと思ったら上下に動かれて力が逃げていく。

齋藤 一方で宇良関自身は体幹が強いのでなかなか崩れない。宇良関はタックルするみたいに低く足を取りにいく技を使います。レスリングでは姿勢を低くしてタックルを取りに行くのが当たり前です。でも相撲は膝をついたら負けになるので、そういうタックル的な選択をする人を見たことがなかった。彼も関西学院大学という大学を出ているんですが、大学を出たあとでないと身につかなかっただろうなと。中高卒で相撲部屋に入って既存の鍛え方をしていたらきっと今の彼は生まれなかったでしょうね。

為末 レスリングのタックルのような、他競技からの影響はあるものですか?

齋藤 ありますよ。相撲に世界選手権ができてから、相撲をほとんど取ったことのない人が選手権に出てくるようになりました。ちなみに27年ほど前の第一回目の世界選手権には私も出ました。当時、日本やハワイ、アルゼンチン、ブラジルなどは日本人移民がいたので、相撲経験のある人が出てきましたが、他の国はほぼ相撲を取ったことのない、レスリングやサンボ、モンゴル相撲のチャンピオンが出てきました。

為末 異種格闘技というか天下一武道会みたいな。

齋藤 そうそう。困ったのが立ち合い。大相撲と一緒で、両手をついて行事を入れた三者の呼吸が合った時がゴーサイン、というのが経験のない人にはわからない。それで翌年以降両手をついて「ハッケヨイ」に変わりました。また、レスリングの選手が相撲じゃ考えられないような技を使ってチャンピオンになったこともありました。

為末 レスリングだと首を取りにいくみたいな感じですか。

齋藤 そうです。大相撲のモンゴル出身力士も、モンゴル相撲の技をそのまま使っていたこともありました。

為末 相撲も外から様々な影響を受けて変化してきてるんですね。

土俵の大きさに関しては神事は関係ない

相撲の体はずっと大きかったわけではない

ーー 相撲は1500年以上続く歴史がありますが、相撲協会の相撲史を見ると、力自慢の遊びとしてはじまり、豊穣を願う儀式を経て、戦国時代には試合をして強いものは召し抱えられることもあったそうですね。江戸時代に興行化されて歌舞伎と並ぶ娯楽になったとありました。当時の体つきを描かれた絵で見ると、戦国時代は筋肉質な絵で、江戸時代になると急に大きくなって今の力士の体型になっていました。その変化は相撲だけじゃない戦う人間としての体だったことが理由なのでしょうか。齋藤 おそらく召し抱えられるようになってご飯がたくさん食べられるようになったんだと思います。

為末 それですか(笑)体を作れるようになったと。

ーー 江戸時代はどの力士も同じような体型で描かれています。歌舞伎のように娯楽でもあったことでエンターテイメントとしての身体性という意味もあったのでしょうか。

齋藤 歴史が専門ではないのですが、2mを超えるような極端に体が大きな力士がいたみたいで、手形や何かが残っているんですね。そういう人の昭和の映像もあるんです。でも決して強くない。出てきただけで喜んでもらえる存在だったようです。

ーー 娯楽、興行としての側面もあったと。

齋藤 そうじゃないかと思います。


為末 神事でもあるじゃないですか。相撲はスポーツなのか神事なのか、相撲界の人はどう答えますか?

齋藤 アマチュア相撲はスポーツです。だから女子もやります。プロは神事だと思います。昔からの決まりごとがあって、女人禁制や装束などさまざまな決まりがある。

為末 なるほど。

齋藤 子どもがやる相撲はスポーツなので、ルールはどんどん変えていっていいと思っています。

為末 子ども相撲も基本的にはプロと同じルールだと思いますが、将来的に変わっていくこともありえるんですか?

齋藤 一時、学校体育として子ども用の土俵を小さくしたこともあるんです。そもそも規定があるわけではなかったので、少し小さな方がいいんじゃないかと。私よりも前の世代の人ですが、体感的なものとすれば合理的だと思いますね。ただ今では子どもも大人と同様の土俵に戻りましたけども。

ーー 大相撲のルールが変わりにくいのは、神事だからということですか?

齋藤 いや、土俵の大きさに関しては神事は関係ないと思います。さかのぼった時、昭和6年より前は13尺だった。15尺の内側にもうひとつ俵があったんです。

為末 へー!

齋藤 二重俵といいます。ルールは変わってきたわけです。昭和3年、大相撲がラジオ放送を導入することになりました。塩を撒いて蹲踞の姿勢を何度かやりますよね。仕切り直しと言うんですが、昭和3年のラジオ導入前は何回やってもよかったんです。お互いに気合が入るまでやった。それがラジオ放送が導入されてから「制限時間」ができたわけです。

為末 メディアの放送時間に合わせて!

ーー 神事なのに。

齋藤 だから神事とはいえ、変えようと思えばいくらでも変えられるんです。GHQの一声で土俵の大きさが変わったように。ちなみに仕切り線も元々はなかったんですよ。おでことおでこがぶつかるんじゃないかという仕切りもありましたから。

相撲の「撲」は「殴る」であるということ

為末 そこまで柔軟性があるとすると、どこが変わると相撲じゃなくなるんでしょう。相撲が相撲たる由縁というか、特徴づけるものは何だと考えていますか。

齋藤 プロである大相撲を相撲と捉えるのであれば大銀杏のちょんまげだとか、スタイルの方が大きいんじゃないかな。

為末 でも肩をついてもOKになったら相撲じゃないですよね?

齋藤 初期の神事まで遡ると相撲は手をついても負けじゃなかったんです。背中が着いたら負けでした。まわしもなかった。犢鼻褌(とくびこん)といって柔道のズボンみたいなのを履いていたんです。

為末 行事が履いているものに似ている感じですか?

齋藤 そうですね。空手着みたいなのを着て。

為末 なるほど、手をついたらアウトは相撲にマストではないんですね。

齋藤 殴るという意味の「撲」という漢字でわかるように、相撲は元々は殴ってもよかったんです。何をしてもよかったんですよ。

ーー バーリトゥード!

「私は手に何も持っていません」と、
天の神様と地の神様に約束する


齋藤 バーリトゥードよりもひどいですよ。そういうルールだった。神事としてやられていた頃は何でも良かった。そもそも土俵もなくて、フィールドの制限がなかった。

為末 ほとんど果し合いですね。

齋藤 その代わりひとつだけ。武器は絶対持っちゃいけなかったんです。塵手水(ちりちょうず)という相撲の型で、手を叩いてから手を開き、腕を広げて手のひらを下にする動きがあります。これは「私は手に何も持っていません」と、天の神様と地の神様に約束するという意味なんです。

為末 はー、なるほど、そんな意味が!

齋藤 そもそも草原でやっていたので、草をちぎってその草の露で手を清めるという動作もありました。

ーー 急に神事感が出てきましたね……!

為末 出てきましたね(笑)

齋藤 塵手水はきちんとした儀礼で礼儀なんです。

為末 生身というか裸一貫というのは相撲を決定づける大事な要素なんですね。

齋藤 男と男が武器を持たない真剣勝負をするという。

ーー 手をつくと負けなどは興行化の流れの中でルールが決まったのでしょうか?

齋藤 おそらくそういうことでしょうね。足の裏以外を着いたら負けだよと。

為末 戦い方もまったく変わるし、体型も変化するでしょうね。

後半に続きます