目の前に紙があったら何をする?

これは遊びではない – 遊びと表現についての本 vol.3

  • COLUMN
  • 2021.12.23 THU

 気づくとやっている、無意識にやってしまうことってありますか? ハリー・スミスという不思議な男がニューヨークの路上で集めた紙ひこうき、イースト・ロンドンのハックニーでアノニマスな記録を取り続ける写真家、スティーブン・ギルが撮りためた捨てられたハズレ馬券。ふたつの拾われた紙ゴミから考える、人と手と紙の関係。

何とはいえない何かに仕上がります

割り箸を入れている紙を折ってしまうこと

 目の前にあとは捨てるだけの紙があると、思わず何かの形に折ってしまうことがあります。

 たとえばこんな風に、端の三角形部分に合わせて折り重ねていってみたり。

 子どもも、目の前に紙があるとペンを手に絵を描き始めるか、何かわからない折り紙を折っていたりします。つくり慣れた正方形でないと、知っている折り紙をつくることができず、大人であっても何とはいえない何かに仕上がります。一方でどんな大きさの紙であっても(どれだけ飛ぶかは別として)誰もが折れるものに「紙ひこうき」があります。

無数の人の歴史と無意識が集まった都市のフォークロア

『Paper Airplanes: The Collections of Harry Smith Catalogue Raisonné, Volume I』

拾った紙ひこうきを大量に集める男、ハリー・スミス

 『Paper Airplanes: The Collections of Harry Smith Catalogue Raisonné, Volume I』には、画家、映像作家、音楽学者、人類学者、魔術師、詩人、言語学者、哲学者、錬金術師、浮浪者、そして蒐集家という夥しい肩書とともに語られるハリー・スミスが、1961年から83年にかけてニューヨークの街角で拾い集めた251個の紙ひこうきが掲載されています。

 蒐集家と呼ばれるように、ハリー・スミスは紙ひこうきだけでなく、様々なものを蒐集していました。人類学的興味のもと、セミノール民族のパッチワーク刺繍やウクライナのイースターエッグ、タロットカード、世界各地のあやとりまで実に様々。中でもコレクションしていた2、30年代のアメリカン・フォーク・ミュージックのレコードから編纂した『Anthology of American Folk Music』(1952)は、ボブ・ディランをはじめ、その後のフォークリバイバルを準備し、アメリカ文化史に残る大きな仕事にもなっています。

 民族にまつわるようなものでもなく、誰がなぜ折ったかもわからない紙ひこうきをハリーはなぜ集めたのでしょうか。ハリーは生前集めた紙ひこうきをスミソニアン航空宇宙博物館に寄贈していました。この本は、スミソニアンからニューヨークにある実験映画の保存、管理を行う「アンソロジー・フィルム・アーカイブス」に移され、ハリー・スミスの作品カタログとして制作されたものです。「アンソロジー・フィルム・アーカイブス」のアーキビスト、ジョン・クラックスマンはハリーの紙ひこうきについて、こう言っています。

「彼は、飛行機をいつどこで見つけたかということ以外には分類しておらず、ほとんどの場合、飛行機の現物を見てメモしています。私たちは本の中で、それを(地図に-引用者)プロットしたマップを作りました。それから、もうひとつのカテゴリーとして、彼が人に頼んで作ってもらった飛行機があります。この本では、ロバート・フランクが作ったとされているものがあります。また、紙飛行機の作り方を覚えたときの年齢を記したものもあります。
https://www.artbook.com/blog-at-first-sight-harry-smith-paper-airplanes.html

 集めたものの整理、分類、編集はされておらず、飛行機にどこで拾ったのかのメモが書かれているだけ。ある同種のものを大量に集めるタイポロジー的な蒐集であることから、何が同じで、何が違うのかという差異を見つけることが大切になってくるはずです。

 チラシやノート、レシート、チケットなど保存を前提としない、その時期にしか存在しない印刷物=「エフェメラ」を観察し、紙ひこうきが落ちていた路上を想像し、紙ひこうきの造形や折形の個性とどれだけ飛ぶのかを想像してみること。

 遠くへ飛ばそうとしたものも、何気なく折ったものも、雑に折ったものも、丁寧に折ったもの。定石通りに折られたものからどうやって折ったのか謎のものまであります。無数の誰が折ったのかもわからないものの集合を見ると、それぞれの個性が浮かび上がってきます。何気ない手慰み的な遊びでつくったであろう折り紙が、ルールや美意識、こだわりの詰まったものであることに気づき、ストーリーと歴史を想像させます。ハリーが紙ひこうきのつくり方を覚えた年齢を聞いて、書き記していることからもそのことは垣間見れます。無数の人の歴史と無意識が集まった都市のフォークロアのようです。

”失望”の記録として蒐集した

『A SERIES OF DISAPPOINTMENTS』(Nobody Books)

ハズレ馬券の捨て方のバリエーション

 そうしたアノニマスな都市のフォークロアを、タイポロジー的に追いかけたもうひとりの人がスティーブン・ギルという写真家です。

 ハリー・スミスは紙ひこうきを対象にしたように、スティーブンは、場外馬券場に落ちている握りしめられて紙の彫刻のようになったハズレ馬券を撮影し続け、”失望の連続”=『A SERIES OF DISAPPOINTMENTS』(Nobody Books)としてまとめました。

 スティーブン・ギルにとって活動の拠点であり大事な被写体であるイースト・ロンドンのハックニー・ウィック地区。移民や亡命者の避難場所であり、裕福とはいえない人々が様々な方法で自分たちの暮らしを維持している場所でもありました。2012年のロンドン・オリンピックによる再開発でインフラが整えられたことはいいことである反面、地元の小さな生命や活動は弱められもしたそう。ギルはそうした街を様々に記録しました。

 ロンドンの他の区にある場外馬券場は平均23軒でしたが、ハックニーには撮影当時で71軒もありました。つまりギャンブルは数少ない喜びであり、(一時的に)貧しさから抜け出す希望として楽しまれているわけで、お金に余裕のある人が遊びでやるのとは違う思いが“たかが”紙切れに宿っています。それを”失望”の記録としてギルは蒐集したのです。

 予想が外れ、悔しさとともに握られた手の中のハズレ馬券は、丁寧に折り畳まれたものもあれば、まん丸に丸められたもの、ねじったもの、一瞬で握りつぶしたであろうものもある。几帳面なのだろうなとか怒りっぽいんだろうなとか、めんどくさそうな人なんだろうなとか、それぞれがどんな人か不思議と伝わってきます。

 紙ひこうきの折り紙は下手でも、紙ひこうきをつくろうという意図を持ってつくられたものです。でもハズレ馬券はきっとこういう形にしようというゴールはないままに始められてできあがり、足元に捨てられます。冒頭で私がやってしまった箸袋加工は、動機も結果もたいしてありませんが、形に誘われたとは言えます。

 大事にしまっておかれるお札から水に流すトイレットペーパーまで、印刷が簡単で、一時的な仕様に適していて、簡単に形を変えることができる紙という素材は不思議な存在です。どれだけ特別な存在でも紙であるというだけで、簡単に遊び道具にもなりえます。赤ちゃんにとって本は食べ物だし、幼児にとっては店頭のどうでもいいようなチラシも宝物だったりします。

 紙ひこうきとハズレ馬券と箸袋は役割を終えて捨てられるものですが、捨てられたものには捨てられたものにしか宿らない様々な機微や歴史や社会があります。

 小さな子どものいる家では、日々大量に絵や絵ともいえない何かが紙や壁や床やその他あらゆる場所に描かれています。よくわからない絵にドキッとしたりもしますが、空間は無限にはありません。大事なものだけ取っておいて残りはゴミ箱に捨てるしかないわけですが、捨てられたゴミ箱には、紙だけでなく捨てざるを得ない無念さと後悔がちょっとずつ溜まっている気がします。結局毎週月・木には回収業者が集めて運んでいってくれるのだけれど。