親と子の時間としての釣り

写真家・平野太呂、釣りがつなぐ三世代

  • FEATURE
  • 2022.7.19 TUE
千葉県鹿野の堰でヘラブナを釣る太呂少年

年1冊のペースで昨年から刊行が始まった釣りの同人誌『OFF THE HOOK』。釣りという共通の趣味を持った、アートディレクターの中村圭介、ライターの村岡俊也、そして写真家の平野太呂の3人による500部だけの小さな本には、釣りそのものだけでなく、釣りを通して執筆者のスタイルや生き方、歴史など様々な要素が絡み合いながら描かれている。なかでも親子で行った釣りの思い出は、著者を変えて度々登場するモチーフだ。

今回PLAY EARTH KIDSのために、平野太呂がグラフィックデザイナーだった平野の父、故平野甲賀と行ったヘラブナ釣り、そして父となり小学生の息子と行った早朝の釣りのことを綴ってくれた。時を超えて釣りでつながる親子のフィーリングについて。

気になる水辺を探し出し、そのほとりに立ってみる。少し手を水につけて温度を確かめる。

水辺が惹きつけられる理由

 フォトグラファーという職業柄、あちこちに出かけることが多い。そんなとき僕は大抵、水辺を探してしまう。スマートフォンの地図アプリで上空から眺め、山と川と海の位置を確認し、その土地の成り立ちに思いを馳せる。どんな土地であっても、人々の暮らしは水辺を中心に発展していることが多いからだ。そこで何かしらの仕事(撮影)をする以上、そこがどんな土地であるかを少しでも知っておきたい。そこで生まれ、暮らし、仕事をし、やがては骨を埋める人たちを相手にするのだから、無感覚でいるのではなく、どっちに海があるのか、川がどっちを向いて流れているのかを知ることは、僕なりの予習のつもりである。もし時間に余裕があるならば、気になる水辺を探し出し、そのほとりに立ってみる。少し手を水につけて温度を確かめる。周りに茂る草木の様子や、水中の生命感を確かめる。こうすることで、別の場所から自分がやってきたことを確認し、その土地に自分を馴染ませるのだ。

多摩川の河原はなかなかワイルドである。副流水が溜まっている池。

 僕がなぜそんなに水辺にこだわるのかといえば、やはり少年期にどっぷりと浸った釣りのせいなのだろう。小学4年生くらいから中学1年生くらいまでの間、週末はほぼ父親と釣りに出かけた。土曜日の登校はほぼ休んで千葉のダム湖、山梨の湖、名古屋の川などなどへの遠征もした。始まりは急だった。僕が4年生の時、学校の友達のうちに遊びに行くと、近くに釣り堀があるから行ってみようということになった。釣り堀なら簡単に釣れて楽しいだろうと。しかし、季節は冬、半日粘っても一匹も釣れなかったのだ。家に帰って、父にそのことを報告すると、釣り堀なんだから釣れないなんてことはないだろうと父は少し笑いながら言い、来週末に俺もその釣り堀に連れて行けと言った。野球観戦以外に父と出掛けたことはなかったけど、約束通り次の週末に僕らは同じ釣り堀の淵に立っていた。結果は父1匹、僕0匹。もっと簡単に沢山釣り上げて、息子に見せつけたかったのだろうか。この結果に納得いかなかったのは父。結果1匹というのは、父の想定とは掛け離れたものだったに違いない。それが「ヘラブナ釣り」という玄人好みの難しい釣りだったのだ。

三島湖でヘラブナを釣り上げて嬉しそうな甲賀

 その帰り、道端に四折りの紙を見つけた僕はそれを握りしめ、そのまま駅前にあった釣具屋へ駆け込み、紙1枚で買える安物のヘラブナ竿を買った(昭和ののんびりした時代だ、許してほしい)。一方で釣果に納得のいかなった父はその頃、猛烈に忙しかったはずだ。自宅で仕事をしていた父は、ほとんど出歩くことが無いほど仕事部屋に篭っていた。なので、お金はあった。僕が揃えた安物のヘラブナ竿とは比べ物にならないような道具をどんどんと揃えていった。手先が器用な人だったから、しまいには浮子やら、釣り小物類を手作りするようになった。釣りに行く前の晩は二人して針に糸を巻き、仕掛けを用意、餌の仕込みに道具の点検。今にして思えば、父にとってこの釣りとの出会いは格好のエスケープだったのだろうなと思う。良かったのは、父から子へという図式ではなく、一緒に初めて切磋琢磨したことだと思う。この父と毎週出かけた数年間が僕と父の関係性を決定し、その関係は最期まで変わらなかったと思う。僕と父は釣り仲間であって、あのフィーリングを共有する同志だった。

 さて、「あのフィーリング」とは何だろう。それは気持ちとか感覚の話しだから言葉にするのは難しい。もしくは、言葉として確定してしまうには勿体なく、言葉の外に溢れているものだ。涼しさが残る夏の朝5時の湖。東の山の方からすでに太陽が顔を出そうとしている。釣宿に繋がれたボートにすでに乗り込んだ釣り人達が今か今かと出船の合図を待っている。風のない湖面はピタリと止まっていて低い朝日を写す。合図とともに一斉に出船したボートで湖面は割れ、皆、思い思いの場所へと散っていく。暗い夜を経てきた水は浄化され神秘性をすっかり取り戻していて、何が起こるか分からないといった雰囲気を醸し出す。そんな時、釣り人は何故か全員、もの凄く釣れてしまうんじゃないかと思っている。

西湖で出船の合図を待つ
西湖での朝焼けとモヤ

「パパ、じいじと夜中にでかけて釣りに行ったんでしょ? オレもそれやってみたい」

 まだ小学1年生だった息子をちょっと早いかな?と思いつつ釣りに連れて行ってみた。幸い、近くに川が流れているので川魚用の小物セットを二本組んで持っていく。餌付けも、キャストを自分でできるように工夫する。すぐに小魚が釣れた。魚を火傷させないように手を濡らしてから、返しを潰した針をそっと外す。教えるのはそれくらい。

見つけた水路で竿を出す息子
釣れたのは小鮒。観察用の水槽に入れて眺める。

ある日、息子が言った。

「パパ、じいじと夜中にでかけて釣りに行ったんでしょ? オレもそれやってみたい」

近くの川だけど、朝4時に起きて向かった。周りはまだ真っ暗で誰もいない。暗い中で竿や仕掛けの準備をし、釣り始める。川の上の鉄橋を始発電車が通った頃、空が朝焼けに染まり始めた。

「パパ、朝の空ってこんなにピンクなんだねぇ、知らなかった」

竿と仕掛けを手にしばらく空を見上げていた息子が言った。その表情は確実に「あのフィーリング」を感じている顔だった。父がまだ元気にしていてくれたら三世代並んで釣りができたのにな。その時そんなことを思った。

明けていく空をみている息子