クライミングには、知識や技術とは別軸の「自分で考えるという楽しさ」がある

平山ユージ インタビュー

  • FEATURE
  • 2021.8.25 WED

“本場”アメリカでロッククライミングをするために17歳で渡米、その後ヨーロッパを転戦するなど、学生時代からクライミングシーンの最前線で活躍してきた平山ユージさん。30年以上にもおよぶキャリアを通じて追求するのは、体ひとつ、手と足だけで岩を登ることの楽しさです。平山さんが人生をかけてクライミングの取り組む理由、遊びとしての要素とは—。

「登りたい岩があるので一緒に行きましょう」

クライマーの聖地、瑞牆山にて

梅雨明けの晴天が広がる瑞牆山(みずがきやま)。ここは、日本におけるロッククライミングシーンの黎明期である1970年代から開拓がはじまり、無数のフリークライミングやボルダリングの名ルートが凝縮された、いわばクライマーの聖地。

もちろん平山さんにとってもそう。瑞牆山はクライミングをはじめた頃から通いつづけ、2016年にはボルダー・ミネルバ(五段 / V14)を完登し(https://www.instagram.com/p/BE75DR4NNPt/)自身の最高グレードを更新するなど、思い入れの深い岩場なのです。

「登りたい岩があるので一緒に行きましょう」。

ボルダリングマットを背負い、シューズとチョークバッグをまとめて軽やかな足取りで森の中へ。岩が点在する小径を歩くこと10分、空に向かってスパッと切り立った6mほどの岩が目の前に飛び込んできました。この岩の右手のルートは「裂けた青空(初段)」。瑞牆ボルダーを代表する好課題のひとつです。

軽くウォーミングアップを済ませ、岩を見上げる平山さん。これまでのにこやかな表情は一変。真剣な眼差しでルートを見つめ、神経を集中させてルートの始点へ。

素人目には手を掛ける引っ掛かりも足を置く場所も見えない岩の上をスルスルと登っていきます。時間にしてわずか40秒、岩の縁に導かれるように終了点へ

岩の上から「登ってみませんか?」と無邪気に笑う平山さん。

まるで子どものような表情を見ていると、日本のみならず世界のクライミングシーンを牽引してきたパイオニアという存在以上に、クライミングをこよなく愛するひとりのクライマーなのだと再認識させられます。

自分の手と足だけで登るクライミングのシンプルさに可能性を感じました


道具を使わない制限がもたらす楽しさ

元々登山が好きで山には登っていた平山さんがはじめてクライミングに触れたのは15歳、埼玉県にある日和田山の岩場でした。

「手と足だけを使って岩を登るという行為はもちろん、経験したことのない高度感、専門的な道具は使い方もよくわからず、とにかく怖かった。でも、今でも鮮明に覚えているのはルートを登り切って頂上に立ったときの景色。そしてクライミングをしているときのハラハラする感じから抜け出したときの解放感です」。

ルートを登り終えたあと、平山さんはすぐ次の岩を登りたいと思ったのだそう。次第にパートナーや道具への信頼も生まれてきて、1日の最後に難しいルートに挑戦します。しかし—

「何度やっても落ちる。本当に悔しかった。登れると思っても登れなくて、最後は何もつかめなくなってしまうくらい疲れ切ってしまって。帰りの電車でもどうやったら登れるのかずっと考えていました」。

その3ヶ月後、トレーニングを積んだ平山さんは日和田山へと戻ります。挫折したルートを完登。より難しい課題も登れるようになり、「もっと登りたい、いろんな岩場に行きたい」と、平山さんの好奇心は日本各地の岩場へと広がっていきました」。

その後、17歳でアメリカへの遠征を皮切りに、クライマーとしての道を突き進んでいく平山さん。しかし、なぜロッククライミングを選んだのでしょうか。登山が好きだったのなら、ヒマラヤのような峰々を目指す高所登山、雪や氷を登攀するアイスクライミングといった選択肢もあったはずです。

「山の世界には自分が目指すものがなかったんです。エベレストはすでに登頂され、厳冬期や無酸素といった難易度の高い登り方も成し遂げられていました。それに多種多様な登攀道具を使うこともひっかかっていたんです。そんななか、自分の手と足だけで登るクライミングのシンプルさに可能性を感じました。

登山のように頂上を目指すことが目的の行為よりも、どうやったら登れるか思考を巡らせたり、技術を磨いたりするプロセスに魅力を感じたんでしょう。道具を使わないという制限がクライミングを面白くしているんです。この岩だってハシゴを立てれば誰でも登れますよね。でも生身の人間が登るから無限の可能性があるのだと思います」。

自分はなんでクライミングをしているんだろう、これはなんの意味があるんだろうと考えることもありました

遊びは手段でも目的でもなく、遊びそのもの

日本、アメリカ、そしてヨーロッパと、クライミングの頂点を目指して突き進んできた平山さん。その原動力は「とにかく難しいルートを登りたい、世界最高難易度というのはどういうルートなんだろう」という純粋な好奇心でした。

「クライミングをはじめて4年くらい経つと、これまで感じていた遊びとしての感覚がなくなっていくんです。19歳のときですね。スポンサーもついてプロクライマーとなり、大会で結果を出さなければならなくなりました。また、世界最高難易度のルートを登り、クライマーとして次は何を目指すのか。自分の行き先を考える時期でもありました」。

ひたむきに打ち込んできたクライミングに、「登ること」以外の要素が介在することで起きた気持ちの変化。平山さんは、「楽しいけれど、曇っている感じ」だったと表現します。

「自分はなんでクライミングをしているんだろう、これはなんの意味があるんだろうと考えることもありました。クライミングをはじめた頃のようながむしゃら感はなくなっていました。すぐには答えが出ない。でも世の中を見渡してみてもほかに興味のあるものもないし、クライミングでやっていこうかなという気持ちでした」。

そのモヤモヤが晴れるのは、やはりアメリカでのクライミング遠征でした。

「26歳でふたたびアメリカに行くのですが、9年ぶりに空港に着いたとき、あれ?なんか変だなって。はじめてアメリカに来た17歳のときの印象とは違って、すごく違和感があったんです。

いくつもの州を越えて岩場をめぐる旅の途上。ラスベガス方面に向かうときに左右にずーっと有刺鉄線が広がっていて、一台の車が砂煙を上げて走っていくのが見えたんです。何をしに行くんだろうなって思って眺めていると、その先に小さな民家がありました。

地図を広げてみると、“インディアンリザベーション”と書いてあった。もともとアメリカに住んでいた先住民はヨーロッパ人に征服されて、今はこういう場所で暮らしているんだとそこで知ったんです。これまでクライミングのことしか考えられなかった自分が、もっと広い視野で社会のことを考えられるんだ、理解できるんだと気づきました。世の中を見るフィルターを持ちはじめていたのかもしれません」。

僕にとって自分自身が進化することが生きる喜び

その気づきはクライミングにもありました。コロラド州にあるスフィンクス・クラック(5.13b/c)というルート。17歳の頃に訪れたときは登る実力がなく、見ていただけ。しかし26歳になってその岩の前に立ってみると、岩肌が明らかにクリアに、解像度が高く見えたのだとか。

「9年間、頭の中で思い描いていたイメージ通りにオンサイト(一度目の挑戦で完登すること)できたんです。プロクライマーになってからは、なぜ登るのかと意味を考えることもありました。でも、スフィンクス・クラックを完登したとき、17歳の自分との違い、進化を感じることができました。

ああ、やっていてよかった。

曇っていながらもクライミングをつづけてきた成果を実感した瞬間でした。僕にとって自分自身が進化することが生きる喜びであって、それを体現できるのがクライミングなのだと気づいたんです」。

岩を登る楽しさに惹かれてはじめたクライミング。難易度を追求するうちに遊びとしての純度は強くなれど、同時に芽生えてきたのは「手段」や「目的」といった副次的な要素でした。その曇りを抱きながらもクライミングをつづけた先に見つけたのは、「遊びは遊びそのもの」でもあるということ。平山さんは、ノイズはあれど目の前にある登るべき岩へと意識を注ぐことの楽しさをふたたび出会ったのでした。

岩を登ることは、人間的か、動物的か

クライミング用語は哲学的なものがいくつもあります。たとえばルートのことは「problem=課題」、完登することを「clear=解決する」と表現します。これは、クライミングが身体的な行為でありながらも知的な側面も持ち合わせたスポーツであることを端的に表現している言葉でしょう。

「課題の解決は、将棋のように相手の先の手を読むことに近いのかもしれません。どうしたら登れるだろうかと、考えを巡らせることもクライミングの大切な要素です」。

そこで、疑問に浮かぶのが、岩を駆け登ることのできるサルやカモシカと人間のクライミングとの違い。クライミングとは、人間的な行為なのか、動物的な行為なのでしょうか。

「サルは驚異的な身体能力で岩場を登っていきますよね。クライミングは、その本能的な動きを人間的な脳でやっているんです。それは経験を積むうちに身についていくように思います。はじめのうちは手をあそこにかけて、足をここに置いてというようにムーブを頭に入れて登っていくのですが、ルートによっては考えずに瞬間的に判断して次の一手を伸ばすことも。心と体が動物的な判断をしている時がありますね」。

曖昧になる人と動物との境界線。クライミングとは、野生と理性を行き来するような行為なのかもしれません。それは人工的につくられたジムとは違い、外岩ならなおのこと。指先から伝わる岩の温度、吹く風の気温や梢から降りそそぐ木漏れ日。この瑞牆山のクライミングスポットも、自然が生み出した遊び場なのです。

最近、クライミングシューズの使い方が変わってきた

多元化するクライミング

「最近、クライミングシューズの使い方が変わってきたんです。これまでは、小さなエッジに立とうというときに、鋼のような硬い靴で点を捉えるように足を置いていました。でも今はもっと多元的な感じ。たとえば、少し柔らかい靴で包み込むようにしたり、バランスをコントロールしながら、重心をうねらしながらすり抜けたりと、時間軸みたいなものが感覚のなかに生まれたんです」。

その背景にはクライミングシーンの大衆化による発展もあると平山さんは話します。参加する人口が増えることにより登り方や考え方も大きく広がり、道具の進化も加速してきました。加えて、インドアのジムにおける人工壁もクライマーの技術の拡張に寄与している要因のひとつ。

平山さんがクライミングをはじめた頃と比べ、今は技術も道具も大きく変化してきました。そんなシーンの移り変わりは、平山さんをはじめクライマーの進化を促したのでしょう。もちろん、経験を重ねたからこその変化もあります。点ではなく多元的に捉えることで、選択肢は大きく広がったと考えられます。

シューズも新しくなっているけれど、自分も変わっています。生物が環境や生存競争の中で 進化するように、クライミングをする自分も進化しているではないでしょうか」。

岩登りの本質的な楽しさとは

今でこそ日本各地にジムが立ち並び、オリンピックの競技種目になり、クライミングは人気スポーツのひとつとして親しまれるようになりました。だからこそ平山さんはクライミングの本質的な楽しさを伝えたいと言います。

「クライミングをはじめたときに僕が教わったのは『自分で考えなさい』ということでした。今は与えられるものも多いから考えることを忘れがちなのですが、当時は情報が少なかったこともあり、自分で考えないと答えに辿り着けなかった。

KIDS  NATURE SCHOOL(THE NORTH FACEが主催する、自然と接し、体験し、学ぶことを目的とした教室。平山さんを講師として招聘)では、登り方を教えるのではなく『どうここ? 登れそうじゃない?』ってヒントをあげるだけ。岩に苔がついていたら登りやすいように掃除することを教えるのではなく、さりげなくタワシを渡してみるんです。

そうすると大人が気づかないような小さな岩とかも掃除して登るようになる。自分なりに考えて『あれも登れる、これも登れる』と自発的に遊ぶようになります。それは知識や技術とは別軸にあるものなんですよね。それこそがクライミングの本質的な楽しさです」。

少年時代に岩登りに感じた無限の可能性は今もずっと

かつてクライミングジムがなかった時代、平山さんは「街を歩いていても、あれは登れそうだな、このルートは面白そうだな」とビルの壁を眺め、江戸城の石垣を登ったこともあったのだそう。とにかくクライミングがしたかった。その欲求は日常の視点をも変えてしまう力があったのでしょう。

今、クライミングは、遊びとして、競技として、文化として、人それぞれの向き合い方が生まれています。しかしその根本は「岩を登る」というシンプルな行為。場所や目的、意味が異なれど、クライミングとは、岩を登ることを通じて自分と向き合い、身体的、精神的な拡張を味わうことに収斂すると言えるでしょう。そもそも岩を登ること自体に意味はないのかもしれません。ゆえに遊びとしての要素が際立つ行為とも考えられます。

「僕にとって、自分の世界を広げてくれたのがクライミングなんです。少年時代に岩登りに感じた無限の可能性は今もずっとつづいていて、やっぱり人生がいくつあっても足りなさそうだなって。挑戦したい岩場は数えきれないほどありますし、同じ岩でも経験を積んだからこその向き合い方というのもあります。こうして話しているときも、つい岩を見て『このルートは楽しそうだな』『どうやって登ろうかな』って思いを巡らせてしまうんですよね」。