「冒険は、人間がどれだけ強くなれるか、どれだけ自由になれるか、という実験」

三浦雄一郎インタビュー

  • FEATURE
  • 2021.7.14 WED

 1932年生まれ、今年89歳を迎える冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さんは、6月27日、富士山五合目を走る聖火ランナーを務めました。取材は聖火リレーの翌日。昨年の頚髄硬膜外血腫による脊髄損傷後、いま住んでいる札幌を出て東京に来ること自体初めてだったそうです。挑戦を続け何度も自分を超え続けてきた三浦さんの遊びと冒険のこれまでとこれからを、インタビューと著作からの引用を交えながらお届けします。

自由への道

 遊びの定義は様々な説がありますが、共通しているのは自発的な行為、行動であること。そして遊びは遊びそのものが目的であるということ。まるで登山家に山を登る理由を聞いているようです。登山家ジョージ・マロリーが言った山を登る理由、「そこに山(エベレスト)があるから」という超がつくほど知られた言葉がありますが、聞き飽きたとしてもどうにも否定できない説得力があります。

 遊びについて哲学的に考察した古典、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』にこんな言葉があります。

われわれ人間はつねにより高いものを追い求める存在で、それが現世の名誉や優越であろうと、または地上的なものを超越したものであろうと、とにかくわれわれは、そういうものを追求する本性を備えている……そしてそういう努力を実現するために、人間に先天的に与えられている機能、それが遊びなのだ。

『ホモ・ルーデンス』(中央公論新社)

一方、三浦さんはかつて新聞記者にこう話していました。

「人は私のバカげた行為を冒険だというが、私の冒険は、人間がどれだけ強くなれるか、どれだけ自由になれるか、という実験なのだ。私のシュプールは“限りなき自由への道”なのである」

『三浦家のDNA』(実業之日本社)

 ホイジンガの言い換えのようにも読めてきます。そして、自由であることを実感するのに遊びほど最適なものはありません。

―三浦さんの冒険や挑戦には遊びが含まれていますか?

三浦 子どもの頃は、斜面を滑ってみたり崖をよじ登ったりという冒険が遊びであり、遊びが冒険だったわけです。子どもが発育の段階で、ちょっとした山登りをするような、自然のなかでの冒険はチャレンジであり、チャレンジすることで鍛えられ成長していきます。

ー父・敬三さんからは勉強しろとも言われず、スキーの滑り方も教えくれないという放任主義で育てられたそうですね。父の背中を追いかけながら山登りやスキーを覚えていった。それは子ども心には遊びでしたか? 試練でしたか?

三浦 遊びも教育も漠然としていましたね。僕の父親は八甲田の主と呼ばれるようなスキー好きでした。小学校4年生から6年生の時期は仙台にいたんですが、僕は小学校5年生のとき、東北大学の山岳部に紛れ込んで蔵王を登ってたりもしていたんです。それまで学校がいやで仕方なかったんですが、学校では教わらないような誰もやれないことをやったぞという、ちょっとしたことが支えになって学校生活も変わりました。好きでやっていた遊びでもありましたが、冒険体験は成長を促す大きな力にもなっていたと思います。

広瀬川という川にある岩場から飛び降りたり、川に潜ったり、台風が来て増水した川に飛び込んで丸太で下ったこともありました。いまだったら絶対やめますが、当時は大冒険でした。野球やサッカーのようなスポーツが遊びの選択肢にない時代でしたけど、自然は無限におもしろくて、チャレンジする要素はいくらでもありました。飽きもせず、毎日遊んでいましたね。

一つのイマジネーション(着想と想像)、クリエーション(創造)があってはじめて冒険はできるのです。イマジネーションとインスピレーション(ひらめき)があってはじめて、行動に結びつけるものになってくるんです。

『わたしが冒険について語るなら』(ポプラ社)

 想像力とひらめき。子どもたちが遊びのなかで発揮しているのは、まさにそれです。山に登ることそれ自体は大変で、苦労することですが、三浦さんにとってはその大変さだって子どもの頃に味わっているものと同じだと言います。

三浦 子どもの頃だって壁や木や山をフーフー言いながら登ってヘトヘトになるけど、それが楽しいわけです。登ったところから飛んだりもする。同じように、大人になっても苦しいことに耐えて結果として楽しさに変えるのは、子どもの頃に何度も繰り返して遊んで経験してきたことで力がついたんじゃないかな。

ー三浦さんはスキーヤーで山を下りるためにも山を登るわけですが、後の楽しみのための苦しさという意味もあるのですか?

三浦 下りる方が僕にとっては冒険でしたが、その過程で登ることも大変なわけです。一連の冒険のサイクルです。登ることと下りることで言えば、スキー場に行ってもリフトに乗って上に行くわけですし、スキーヤーにとって登るということがまず前提で、登ることによって生まれたポテンシャル、エネルギーが山を下る冒険につながっていくんです。

ースキーで山を下りるとき、もはや落ちるくらいの角度だと思います。エベレストの滑降では3kmを2分20秒という速さで下りています。

三浦 次元の違う、圧縮されたすさまじい体験で時間の感覚はありませんでした。やり通すということがあるだけ。最大スピード百数十キロというスピードを頭でわかっているというより、ひたすら目の前の状況に適応していくということです。

 このウェブの他の記事で為末大さんは遊びについて「ひたすら目の前で起きている、いま、いま、いまを繰り返していくということが、遊びの要素には入っている気がする」とも語っており、そことも通ずる部分があります。

ー三浦さんは、冒険は自由への挑戦だと言いました。人間は不自由だという思いからはじまっているのでしょうか。

三浦 もっと自由になりたり、早くなりたい、高く飛びたい、超えていきたいという願望や夢を自分なりにやってきました。

ー三浦さんにとって不自由さは、思い描いているけどまだできていないイメージのことで、それを超えた時に自由を感じるということなのかもしれませんね。

三浦 超えたら更にその上が無限にありますけどね(笑)。その都度クリアしていく。これをやったんだという達成感が次のステップの大きな力になっていきます。

 80歳のとき、エベレストに3度目の登頂を果たし、世界最高齢でのエベレスト登頂記録をつくりました。そして今年6月27日には、富士山五合目での聖火ランナーを88歳で務めています。その前年の2020年6月、頚髄硬膜外血腫により脊髄を損傷。体にまひが残り、約2ヶ月、寝たきりの入院生活を余儀なくされました。諦めず目の前の課題をクリアし続けてきた三浦さんは、聖火ランナーを務めることを目標に、懸命なリハビリを行い当日を迎えていたのです。「次の目標は富士山に登れたらと思います。新しいスタートになる。それが出来たら(欧州最高峰の)エルブルス」と、三浦さんは聖火ランナーを務めた後のインタビューで次なる目標を語っていました。

―宇宙は行ってみたいと思いますか?

三浦 いけるなら行きたいですね。ただ登山やスキーとは違って、自分の体と努力があればいいというものではない自分を超えたものですからね。いまのところはまだ夢物語のひとつですね。

冒険というのは精神をしばるもの、体を制限するものをつきぬけていこうとするものです。冒険、あるいは探検は人間のいい意味の進化だと思います。

『わたしが冒険について語るなら』(ポプラ社)

三浦さんは、冒険を通じて今を超え、次なる目標へと突き進んで進化していくはずです。

「そりゃ、勉強もやらんきゃならないときはあるけどね。でも勉強はからだにあんまりよくないから、キミたちはまず遊びだ」

『三浦家のDNA』(実業之日本社)

【参考文献】
『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ/高橋英夫訳(中央公論新社)
『わたしが冒険について語るなら』三浦雄一郎(ポプラ社)
『三浦家のDNA』三浦雄一郎/三浦敬三/三浦豪太(実業之日本社)