「僕の話は30年前には笑われていた」前編

自然界の報道写真家・宮崎学が撮った動物の遊び場

  • FEATURE
  • 2021.8.11 WED

【前編】

 地球上に生きているのは人間だけではないわけですが、というよりも、地球で生きている生命のうち、人間はごく一部であるにも関わらず、そのほとんどを我が物顔で利用し、消費し、環境を自分たちに都合のいいように変えてきました。

 環境の変化に対応できずにいなくなる動物もいれば、好奇心と警戒心を合わせ持ちながらたくましく環境に適応してきた動物たちもいます。「自然界の報道写真家」として、動物の生態や行動を50年近く撮り続けきた宮崎学さん。宮崎さんが、自分の身体とカメラを通じてみていた環境と動物の関係と変化。

 前半は、木登りは写真家にとって必要な技術であることやうんこのことなど

動物の持つ内臓器官や精神性まで迫っていくおもしろさ

鳥の巣を見つけられたのは、鳥にも言葉があるのを知っていたから

 オンライン取材。画面に映る宮崎さんにウェブサイトの趣旨をお話した直後。

 「動物の遊びや自然のことをお話するなら、その前に自分の幼児期のお話からいいですか?」

―― もちろん。ぜひ。

 「今の大人社会は人間の目線でしか自然を見ていません。70歳すぎまで楽しく生きてこられたのも、幼児体験がめちゃくちゃ豊かだったからだと考えています。」

―― 豊か、とはどんなものだったのでしょうか。

 「昭和24年生まれで、親は忙しかったけど保育園もありませんでした。2歳、3歳くらいから親にほったらかされていて野山で遊ぶしかなかったんですね。」

―― それは早いですね。

 「ドラム缶よりも太い大きな桜の木が自宅のお墓にあって、その木に登って遊ぶのが唯一の遊び。体幹が鍛えられたのか、その後あらゆる木に登れるようになりました。5歳頃、木の上にある鳥の巣を見つけました。鶏の卵しか知らなかった自分は、小指の先みたいな小さな卵に興奮したのを覚えています。」

―― 5歳の子どもにはワクワクする出来事ですね。

 「鳥の巣を見つけられたのは、鳥にも言葉があるのを知っていたからでした。近くに行くと鳥は警戒した声を出します。警戒しているということは、巣に子どもがいるのだろうと。警戒の声が収まるまで少しづつバックしていく。段々警戒の声が穏やかになり、声がしなくなります。その距離は鳥が安全だと判断した距離。安全な距離から見ていると、鳥は餌を採り、すっと巣に飛んでいく。それで、そこに巣があるとわかったんです。」

―― おぉ、なるほど。鳥との付き合いをその頃からできていたんですね。

 「当時満足に図鑑もなくて、自分の目で生き物の行動や生態を見て、考え、覚えてきました。そんな経験を経て、写真の世界に入ったらこんなにおもしろい世界はないわけですよ。動物の持つ内臓器官や精神性まで迫っていくおもしろさがあります。図鑑育ちで育ってきた人は通り一遍の動物写真しか撮れません。何事も自分で切り開いていく必要があるし、それがおもしろいんです。」

 取材開始早々、「図鑑だけで育ってきた人は通り一遍の動物写真しか撮れない」と厳しいひとことが刺さる。

ロボットカメラのアイディアは、アイヌが狩猟で仕掛ける自動弓矢の罠「アマッポ」からヒントを得ていた

僕の話は30年前には笑われていました

 1949年、中央アルプスの麓、長野県上伊那郡南向村(現・中川村)に生まれ、植物や動物が豊かに存在する場所で、動物の生態を全身で観察しながら育ってきた宮崎さん。野生を野生のままに動物たちと向き合う姿勢は、宮崎さんの写真の根となっています。

 その視点と姿勢は、代名詞ともいえる無人のロボットカメラによる撮影シリーズ『けもの道』や、北は北海道から南は西表島まで、鷲と鷹の“巣”を追いかけた『鷲と鷹』、動物の死から土に還るまでを定点で追った『死を食べる』や人間の生活空間で生きる野生動物を追った『アニマル黙示録』などの代表作へと繋がっていきました。

 「『鷲と鷹』という写真集は40年前に発表したものですが、発表までに15年かかりました。今になってあの写真集が鳥に興味を持った子どもたちにとても参考になっているみたいです。バードウォッチングの時代を過ぎて、もっと奥に入っていく時代。その時、巣を探すために木を登るわけですけど、木登りも写真家の技術のうちだと言ったら、みんな嫌な顔していましたね(笑)」

 確かに写真家にとって木登りは必要な技術だ! と言われたら、ほとんどの写真家は対応できない気がします。

 「普通の人は20m、30mも木に登れないから見上げる写真しか撮れません。巣を探すなら、平行か上から撮るべき時があるんですよ」

 精密機械会社に勤務していた宮崎さんが開発した、動物が横切ると赤外線でシャッターが切れるロボットカメラのアイディアは、アイヌが狩猟で仕掛ける自動弓矢の罠「アマッポ」からヒントを得ていました。

 「ロボットカメラを作って撮影しているのも、アイヌでいうアマッポと同じ。トリカブトの毒を鏃に仕込んで動物の通り道に仕掛ける罠。ヒグマや鹿など種類によって高さや位置を変えて、刺さらなかったらちゃんと背後の木に刺さるようにも計算している。25歳頃にそれを知って、これは自分でもできると思ってカメラに置き換えて作ったのが最初のロボットカメラでした。」

 ロボットカメラをはじめ、宮崎さんは様々なオリジナルの撮影方法、撮影機材で動物の未知なる姿を捉えてきました。こんなにおもしろい発想で動物の姿を捉えてきた宮崎さんですが、同業者からの視線は時に冷たかったと言います。

 「僕は30年先を読んで仕事をしてきました。僕の話は30年前には笑われていました。それでいいんだと僕は思ってやってきたから今もやっていられるんです。」

日本海側のタヌキは漂着した魚を食べたりするけど、内陸部になる信州のタヌキは海の魚を半世紀前は食べなかった

うんこを調べるのは今でもよくやっている

 深い森から渋谷の植え込みの中まで、様々な環境で生きる動物を撮り続けてきて、動物が活動する場所は様々に変化したきたそうです。

 「高速道路の脇に熊が出てくることがあります。車の騒音のような人間の作り出すノイズがもはや警戒に当たらないということを知ったわけです。つまり学習です。狸で5年、熊で15〜20年で世代交代するわけですが、高速道路は20年前にはとっくにある。動物は世代交代が早いから母親のお腹にいるうちにイマドキ社会にあるノイズは胎教になっている。母親がそのときに驚かないのなら、子どもだって大丈夫と学習していく、だから轟音が来ても無害だとわかる。人間が危険を含んだ自然の中で遊ぶことが減っている一方で、動物たちは危険を乗り越えて活動範囲を広げています。」

 熊が里に下りきた!というニュースを見たりすることも増えましたが、宮崎さん曰く熊は「貴重でも何でもなく、めちゃくちゃ増えている」そう。どうやら我々はそのことに気づいていないというのです。熊ほど大きな動物に気づけていないとしたら、私たちの勘は鈍っていると言われても仕方がないのかもしれません。

 「キツネやタヌキ、ツキノワグマが来ているのに足跡にもうんこにも気づけない。図鑑や何かで覚えても野生生活では役に立たないことがたくさんあります。動物は自然や環境を三次元で立体的に認識しているんですが、僕も同じように、おしっこの匂いで動物の種類を判断したり、うんこを見て何を食べてきたのかを知ったりするんです。」

うんこを調べることでどんなことがわかるのだろう。

 「うんこを調べるのは今でもよくやっていて、内容物を調べるために川でざるを使って洗います。キツネのうんこであれば臭腺があって独特の甘い匂いがある。ネズミの毛やイノシシ、シカの毛が出てきたりすると、シカの死体を食べていたことがわかって、キツネは直線で10キロも移動しないと考えると、4、5キロ圏内にシカの死体があるはずだとか。」

事件が起きた時のわずかな手がかりから犯人を追う刑事のようでも、探偵のようでも、ハンターのようでもあります。

 「自然界の広さは100キロ単位で見ていくとおもしろい。日本海側のタヌキは漂着した魚を食べたりするけど、内陸部になる信州のタヌキは海の魚を半世紀前は食べなかった時期があります。食わず嫌いなんですね。ところが社会のインフラが進み、海の魚が長野県の内陸までトラックなどで届くようになると、タヌキも人間の残滓を通して少しずつ海の魚を食べるようになっていった。そうやって食性が変わってくるし、排泄物からそうしたこともわかってきます。」

 動物に食わず嫌いという概念があることにも驚きます。宮崎さんは動物の日常から、たくさんの自然の摂理や環境の変化を読み解いていきます。「自然界の報道写真家」という名前は、まさにそうしたことを意味しているのです。

 「ツキノワグマもハチミツとドングリばかりが食べ物として言われますが、どちらも食べないクマも多い。しかもこれだけクマの数が増えるとシカの死体を食べる肉食タイプも増えています。昔は人間の土葬もありましたから、クマがお墓を掘って食べるということもありました。僕がツキノワグマのいるところに住んでるから写真を撮れるのだと言われることもよくありますが、どこの山にもクマはいます。『山を見て木を見ず、木を見て山を見ず』といいますが、自然環境を読むそういう目線が消えている。そういうところを呼び戻していくのが自然環境、社会教育にもなるわけです。」

後半に続きます