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アルパインクライマー佐藤裕介
復活を果たしたモチベーションの怪物 後編

南米でのクライミング中の事故から奇跡的な生還を遂げた佐藤裕介は、モチベーションの低下という事態にもがき苦しんでいた。思うように体が回復しないことから、クライマーとしての自信を完全に失っていたのだ。前編に引き続き、佐藤の復活までの道程をたどりながら、アルパインクライマーとしてのモチベーションの源に迫る。人はなぜ岩を登るのか。これはそのひとつの答えである。

モチベーションの低下は事故以前から始まっていた

2019年2月に南米パタゴニアで事故を起こすまでの佐藤は、破竹の快進撃といえるほど濃密な登攀実績を挙げていた。

 

だが、「振り返ってみると、問題はこの頃から始まっていた気がします」と佐藤は言う。

 

まずは2015年春、20日間のトライで日本最難クラックルートとなる「情熱の薔薇(5.14b R)※」を初登。続いて秋には日本最難トラッドマルチピッチルート「千日の瑠璃(5.14a R/X)※」を第二登。

 

年が明けた2016年2月には、自身7回目となる厳冬期黒部横断。このときは32日間を要しながら長野から富山に抜け、途中19日間の雪洞泊の停滞日をはさんで、未登の「黒部ゴールデンピラー」初登攀を果たしている。

 

2016年からは秋のヨセミテを訪れ、エルキャピタン「ノーズ」でのフリークライミングにトライし、翌年秋には全ピッチで成功させている。

 

同時にパキスタンやネパールにも毎年のように遠征し、未登の大岩壁での初登攀を重ねていた。

 

 

※カッコ内はルートの難易度を示すグレードだが、末尾に記されている「R」と「X」は大ケガや致命傷のリスクがあることを意味しており、数ある国内のハイグレードルートでも、この二文字が加えられる超高難度ルートはごくわずかだ。

Photo:Kazuaki Amano
Photo:Kazuaki Amano

「問題が始まっていた」というのはどういう意味ですか?

パタゴニアの事故で俺のモチベーションはどん底まで落ちたんですけど、振り返ってみると、その2年ほど前から下降線をたどっていたんです。ひとことで言えば、燃え尽き症候群ですね。ちょっと頑張りすぎました。

 

「情熱の薔薇」のときは、ほぼ食べない、水も飲まないという減量でトライを始めたんです。で、夏までに体重を戻してパキスタンに遠征して、帰国した秋からは「千日の瑠璃」を前にまた減量。冬になったらまた体重を増やして「黒部横断」……。

 

もう激烈な追い込みです。10kg減らして、また10kg増やして、というのを半年ごとに繰り返していました。やると決めたら絶対に登れるまでやるタイプなので、健康に悪いんですよね。

 

その間、登れなかったこともありました。たぶん、5.14cくらいある超難しい課題で、それをまた過激な減量をしながらトライを重ね、結局、1カ月くらいがんばって、最後は登れずに終わるという報われない努力。そのあとに「ノーズフリー」へのトライでしたからね。あのあたりから、僕の心は壊れ始めています。

頑張り過ぎたのは「千日の瑠璃」と「ノーズフリー」のパートナーだった倉上慶大さんの影響もありますか?

それはありますね。もう倉上君にやられちゃったようなものです(笑)。一緒に登るようになってすぐに気がつきました。コイツ、すごいモチベーションだなって。なにせ、今までは自分より高いモチベーションを持つクライマーに出会ったことがなかったので、これは負けちゃうかもって思いましたよ。

ボルダリング経験しかなかった倉上さんを、ルートクライミングに誘い込んだのは佐藤さんと聞いています。

たしかに誘ったのは自分です。瑞牆山の難しいマルチピッチルートを何本か一緒に登りました。倉上君にとってはそれが初めてのマルチピッチで、結果、見事にハマった。その過程で、彼はあるルートの終了点から対面に見えるモアイフェースという岩壁に目を付け、そこから彼の「千日の瑠璃」へのトライが始まるわけです。

 

パキスタンから帰国したら、倉上君がモアイフェースにトライしているっていうじゃないですか。確かに「ボルトを打たないであの壁を登ったらすごいぞ」って彼に言ったのは自分です。でも、本当にやってると知って驚きましたよ。

 

だって、僕やジャンボなら、先入観もあるし、あれがどんなに危ないことかわかるわけです。あんなプロテクションもろくに取れないようなツルツルの壁なんて、命がいくつあっても足りないって、もう最初からあきらめるわけですよ。

とはいえ、トライを始めた倉上さんをサポートするなかで、佐藤さん自身も火がついた。

 

それはどうしたって影響を受けますよ。僕は人のビレイで終わったことなんて、一度もないんです。目の前にロープが延びているわけで、自分でもちょっと試して少しでも可能性が見えたら、それはもう、自分もキッチリ登らせてもらいます、ってことになります。だから、倉上君にはほんと感謝です。

 

で、登れるまでやるぞ、ってことになるんだけど、それはそれでつらいんですよね。ずっと「オンサイト命」でやってきたから、超難しい課題を何回もトライしてレッドポイント(完登)することに、あまりモチベーションが沸かないんです。それでも、素晴らしいルートなのでやり始めたら、登り切れるまで頑張ってしまうわけです

Photo:Rightup-inc
Photo:Rightup-inc

知らないことを知りたい。やってないことをやりたい

クライミングには「オンサイト」と「レッドポイント」という2つの完登スタイルがあり、それらは明確に区別されている。「オンサイト」とは、試登などのリハーサルなしで取り付き、初見でそのまま落ちることなく完登することを言う。

 

逆に「レッドポイント」は、何度もトライを重ねながらルート攻略の糸口を見つけ出して完登に至ること。ルートが難しいほどトライの回数は増え、完登するまでには時間を要することになる。

 

実力あるクライマーほど難しいルートでのオンサイト率は高くなるが、そこから先、自身の最高グレードの限界をプッシュするには、登れないルートに何度も挑戦することになる。それを「レッドポイント・トライ」と呼ぶ。

Photo:Rightup-inc
Photo:Rightup-inc

「オンサイト命」ですか。

クライミングで一番好きなのはオンサイト。もう完全にそうです。ただ、これはクライマーによって好みが分かれるところで、仲間内でも違ってきます。何度もトライを重ねてクライミングの動きを洗練させ、そのラインを完成させることにやり甲斐を覚える人もいる。でも、僕はそうではない。好きじゃないというか、何度も通うのは性に合わないんです。

 

「情熱の薔薇」では、たしかに20日間かけてレッドポイント・トライしましたよ。けれど、本音を言えば、とっとと早くに終わらせて、自分にとっての新しい課題をやりたくてウズウズしていたんですよ。

 

「お前はオンサイトのときにはやたら力が出るな」と仲間からは言われています。逆に、ここは以前に登ったことのあるルートだなと思ってトライすると、もう、まったく力が出ない。なんとなくルートを覚えているから2回目のほうが登りやすいはずなのに、ぜんぜんダメなんです。

ネタバレした物語は、読む意欲が沸かないと。

まさにそんな感じです。ネタバレしてもいい人っているじゃないですか。でも僕には信じられません。映画でも小説でも、それは絶対にダメです。同じ映画を繰り返し観ることすらあり得ませんから。

オンサイト、つまり未知へのトライ。それはまさにアルパインクライミング的ですね。

そこなんですよ。アラスカでもヒマラヤでもいいけど、人がまだ誰も登っていない岩壁を登り出す一歩って超怖いですし、そこがホントに人間が登れるラインなのかもわからない。

 

マジで怖いよなぁって思いながら、それでも勇気を持って前に進む。その真剣さこそがアルパインクライミングであって、僕たちアルパインクライマーはその魅力と達成感を存分に味わってしまっているわけです。

佐藤さんのモチベーションの源は、オンサイトする喜びにある。

知らないことを知りたい、まだやってないことをやりたい。突き詰めると、そうしたところからモチベーションが湧いてくるのだと思います。

 

ところが、甲府周辺の身近な岩場や瑞牆山で、自分がオンサイトできそうなルートはほぼ全部登り尽くしていて、新しい課題を見つけて、本気でトライするというのができなくなっていたんです。そういうマンネリ化も、やる気を失っていったひとつの要因だったと思います。

Photo:Suguru Takayanagi
Photo:Suguru Takayanagi

あ、、復活したわ。これ、完全に復活したんだなって

2021年6月、どん底まで落ち込んでいた佐藤のモチベーションは突如として復活した。

 

自身も呆れるほど落ち込みすぎた結果、開き直ったことが良かったのか。それとも家のリフォームで強制的に頭と体を動かす必要があったからか。あるいは、クライミング仲間のトライに刺激を受けたのか。

 

まだ体には多少の不具合は残っていたが、少なくとも、心は完全に復活を遂げたことを佐藤は確信した。

モチベーションが復活したきっかけはなんですか?

なにがきっかけだったのかと聞かれても困るんですが、富士山に向けて車を走らせている最中に、来年はあれをやってこれもやって、家もリフォームして……と、自分がやりたい、やろうと思う妄想が頭のなかをぐるぐる回り出したんです。

 

昔、そういう状態があったんですよ。その状態になっていることを運転しながら発見して、あ、俺、復活したわ。これ、完全に復活したんだなって自覚しました。

 

火を付けたのは家のリフォームだと思います。最初は業者に見積もりを出してもらったのですが、結局、大半を自分でやることにしました。完全に昭和の間取りの家だったので、畳の部屋をフローリングに張り替えて、ダイニングキッチンに造り変えてと思っていたら、まさか土台からやり直すことになるとは思いもよりませんでした。

 

子どもたちが新学年になるタイミングで転校させたいから、来年春までに引っ越しを終えたい。そこに間に合わせようと思ったら、1日の休みもなく作業しなきゃいけなかった。だからここをこうして、ああしてと考えるうちに、やってやるぞ、という気持ちが沸き起こってきた。そうなったら、すべてが良くなったんです。

Photo:Rightup-inc
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リフォームがクライミング意欲向上に役立ったというのはおもしろいですね。

まったくです。自分でも信じられない。でも、考えてみたら昔からそうでした。金曜夜に出て、土日でフルに登って、ボロボロに疲れ果てた状態で帰ってくるんだけど、気力だけはすごく充実していた。そうして、また明日からがんばろうって思えた。いいクライミングができると、すべて上手くいく感じがありました。あれと同じ感覚です。

無意識下でフツフツとクライミング熱が沸き始めていたが、あと一歩を踏み出せなかったときに、リフォームへの気力を奮い立たせたことで、クライミング魂にも飛び火した。

完全にそれです。最初はリフォームだって自分ではやりたくないと思っていましたよ。道具を揃えて一歩踏み出すまでが相当めんどくさい。登山もそれと同じです。山からいったん離れて再開するときって、そこがネックなんですね。

 

たいへんだとわかっているから、なおさら二の足を踏んじゃうんですよね。でも、やり始めてしまえば、ああ楽しかった、来週もまた行こうとなる。

クライマー仲間の影響もありますか?

いつまでウジウジしていてもしょうがない。とりあえずはやってみよう。そういう気持ちにさせてくれたのは、やはり仲間の存在もありました。瑞牆山の「現人神(5.12b)」をオンサイトしたのも、友人たちのトライに刺激を受けてです。彼らもいいクライミングをしているから、俺もがんばりたいなと。

 

「現人神」は身近にあってオンサイトを狙える稀少な課題でした。クライミング自体をあきらめかけていただけに、オンサイトできて嬉しかった。クライマーであることをあきらめないで本当に良かった。そう思いましたね。

Photo:Suguru Takayanagi
Photo:Suguru Takayanagi

生まれ変わったクライマー佐藤裕介

復活してから、以前とはなにかが変わりましたか?

マインドが完全に変わりました。仕事でも、クライミングでも、家庭でも、自分が楽しいと思えることだけをやる。それ以外はやらないと決めました。

 

ガイドの仕事も、事故を機にやりたいことだけやるんだと言ったら、「今までだって、好き放題やってるじゃん」ってガイド仲間に笑われましたよ。それでも、なんとなくガイドとはこうあるべきだという考えに囚われていた部分もある。

 

でも、そういうのはもうやめよう。完全に自分が楽しいと思って、実のあることだけやろう。そうすればお客さんも絶対に楽しいから。それを受け入れてくれるお客さんと山に行きたいと思うようになりました。

ご自身のクライミングという点ではどうですか?

注目度の高いリスキーな難ルートを狙った遠征や、そうしたクライミングをやりたいという気持ちは失せました。クライマーとして成果を残さなければ、という意識は薄いほうだったと思うんですよ。それでも、なにか記録に残るようなトライをという意識が心のどこかにあった。

 

でも、これからはそれを全部取っ払って、自分がやりたいこと、楽しいことだけをやろうと思っています。

アルパインクライミングは困難でリスキーなほど、達成したときの喜びはほかに代えがたいものがある。

当然、それはあります。あのヴォイテク・クルティカがヒマラヤでのアルパインクライミングを表現するときに使った、「苦しみの芸術」という表題でスライドショーをしたことがありますね。

 

リスクはあります。死ぬ可能性をゼロにはできない。それはどんな登山でも同じなんだけど、本気系アルパインクライミングのときは絶対にある。それは家族にも言っています。ゼロにはできない。それでも行くと。

 

でも、僕は死ぬために登りに行くわけではない。生きて帰ってこられる可能性が少しでも見えたら、最後の最後はすべてを取っ払って突っ込む。そのさじ加減がそれぞれクライマーによって違うわけです。

 

だから「苦しみの芸術」も理解できるんだけど、今の自分の嗜好には合わないかな。楽しいほうにシフトしていきたいですね。苦しさのなかというか、苦しみの先にも楽しさがあることはよくあることなので、「それ系」もやるはずですけどね。

新生佐藤裕介は始まったばかりだけど、楽しいことへの欲求って、どんどんエスカレートしていくじゃないですか。だから、まだこの先はわかりませんよね。

ま、それはありますね。黒部横断はもうやらない……とか言ってたくせに、また行くかもしれないですしね。

 

まあ、安全側にシフトするとは思いますが、結局、レジャークライミングを楽しめばいいという気持ちにはなれなかったわけで、この先の自分のクライミングについてはちょっとわからないかな(笑)。

新しいことをしたいというオンサイトマニア。それがある限り……。

そうなんですよね。そういう意味ではザ・ノース・フェイスの「NEVER STOP EXPRORING」って言葉、あれは完全に僕のためにあるようなものですよ。

Photo:Rightup-inc
Photo:Rightup-inc

TEXT:CHIKARA TERAKURA

佐藤 裕介
Yusuke Sato

1979年12月生まれ。21歳で冬の北アルプス黒部単独横断を成し遂げ、新世代アルパインクライミングのホープとしてその名が知られ始めた。海外の髙峰にも足を延ばすようになり、2008年にインドヒマラヤ・カランカ北壁初登攀でピオレドールを受賞、世界的にその名を知られるクライマーとなった。ライフワークとなっている冬の黒部では、2016年に32日間をかけて「黒部ゴールデンピラー」を初登攀。北アルプス称名滝や台湾やハワイの沢など、沢登りにも情熱的に取り組んでいる。2014年に専業の山岳ガイドに転身。現在は、年間200日近く山に入る日々を送っている。TNF ATHLETE PAGE
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