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世界を股にかけて壮大に遊ぶ!プロスノーボーダー中川伸也のパキスタン冒険譚

プロスノーボーダーにして山岳ガイドの中川伸也はこの春、数年越しの海外遠征に出発した。向かったのはパキスタン北部に位置するカラコルム地方。クライマーたちから「人喰い鬼」と恐れられる岩峰、バインターブラックを取り囲む氷河を周遊し、行く先々で現れる急斜面を滑降しようという遠征だ。標高5,000mを超えるパキスタン・ヒマラヤの高所にて繰り広げられた、純粋な滑降を目的とした旅のなかで、中川はなにを感じたのか。冒険の旅を振り返る。

中川さんが2019年にスキーヤーの佐々木大輔さんらと企画した、パキスタン・カラコルム地方のスキー&スノーボードエクスペディション、名付けて「パキスタン遠征隊(別名・パキスタン苦行隊)」。2023 3月に実現した遠征についてお話しいただければと思います。まずは今回の遠征の概要を教えてください。

パキスタン北部に位置するカラコルム地方の氷河を、テントや食料、登攀具などの装備を積んだそりを引いて移動しながら、周辺の山を滑りつくそうというもので、スキーヤーの佐々木大輔、佐伯岩雄、伊藤裕規、スノーボーダーの小西隆文、僕、そして写真&映像を担う國見祐介、元起大地という総勢7人のメンバーで臨みました。2018年にフランスのスノーボーダーのチームがこの界隈を滑っているのですが、その映像作品を目にした佐々木くんが「標高5,000mを超える高所の急斜面で、滑降できるところがあるなんて!」と興奮しまして、それならメンバーを募ってパキスタン遠征に出かけようと話したことがきっかけでプロジェクトを立ち上げました。当初は佐々木、佐伯、小西、僕の4人でスタートしましたが、どうせなら写真や映像にも残したいということで、写真家とムービーディレクターにも声をかけて、今回の「パキスタン遠征隊」となったのです。

 

2019年にプロジェクトを立ち上げ、2020年春に実施予定でしたが、ちょうどコロナによるパンデミックが起きたタイミングということもあり、延期を余儀なくされたと聞いています。

そうですね、コロナ禍、そしてロシアによるウクライナ侵攻もあって、2020年から3度に渡って延期となり、今回のチャレンジは4度目の正直でした。計画して、それに向けて国内でトレーニングを重ね、結局、延期になって……が何度も続き、今回が中止になったら一度プロジェクトを解散しようかという話も出ていました。延期が続いたことでモチベーションの維持には苦労しましたが、国内でそりのトレーニングを重点的に行えたことは不幸中の幸いといえるかもしれませんね。そり行のスキルが向上したおかげで国内外の他のフィールドの可能性が広がりましたから、今後そり遠征が増えるかもしれません。ネガティブな状況にあっても、ポジティブな要素って見つけられるものなんですよ。

実際には国内でどのようなトレーニングを行ったのでしょう?

まずは2019年にメンバーの顔合わせを兼ね、立山でトレーニングを行いました。このときはクレバスレスキューやロープワークの確認などを一通り行っています。その後、そり移動の経験も必要だということで、鳥海山と北海道の暑寒別岳(しょかんべつだけ)エリアでそりを使った縦走山行を実施しました。本番のそりの重量に合わせるため、必要もないのにビール数ケースや箱ワインなどをそりに乗せて(笑)長距離を引いたほか、そりを斜面から下ろす・斜面を引き上げるなど、そり行にまつわるスキルを上げるトレーニングを行いました。そのほかにもピッケルとアイゼンワークの確認に五竜岳〜鹿島槍北壁のクライミング、12月の十勝岳でのクライム&ライドなどなど。国内のトレーニングは充実していました。

日本を経って1週間、ようやくスタート地点に立つ

今回の目的地、パキスタン、インド、中国の国境付近に位置するカラコルム地方は、5,000mを超える高峰群と大氷河で知られる、トレッカーの憧れのエリアです。なかでも世界で4 番目に長いとされるビアフォ氷河は、「世界でいちばん美しい氷河」と称されている純白の氷原。現地までのアクセスを含めて、中川さんのファーストインプレッションを教えてください。

まずは日本からイスラマバードに入り、そこからチラスを経てスカルドゥという街まで、約700kmを2日間かけてハイエースで移動します。昔は山賊が出る危険なルートだったと聞いていましたが、コロナ禍中に路面を直したようで、すごく快適な道中でした。壮大なナンガ・パルバットを眺めて旅の情緒に浸ったことを覚えています。

カラコルム山脈中央部に位置するパンマー氷河とビアフォ氷河。当初はパンマー氷河を北上してスキャム・ラ峠を越え、ビアフォ氷河を南下するという氷河のラウンドトリップを予定していた(赤い線)が、実際にはスキャム・ラ峠の手前で引き返すことになった(青い線)。
カラコルム山脈中央部に位置するパンマー氷河とビアフォ氷河。当初はパンマー氷河を北上してスキャム・ラ峠を越え、ビアフォ氷河を南下するという氷河のラウンドトリップを予定していた(赤い線)が、実際にはスキャム・ラ峠の手前で引き返すことになった(青い線)。

その後、ポーターやガイドで賑わうスカルドゥへ。この村はその昔、独立した王国として栄えた歴史があるそうで、パキスタン中心部とは異なる文化が息づいていることを感じさせてくれました。スカルドゥの先でハイエースからジープに乗り換え、カラコルム登山のトレイルヘッドであるアスコーレという集落を目指します。

 

アスコーレから先、パンマー氷河の入り口4,050m付近までは、ロバとポーター、そして僕たちで、5台のそりと15日分の食料やテント、各自の滑降道具を運びました。今回はガイド、14人のポーターにシェフ、キッチンボーイと総勢30人近いパーティです。ネパールのようにロッジや小屋が整備されているわけではないので、食料品やテント、キッチン道具など衣食住を運びながら移動するキャラバンスタイルを取りました。道中、周囲を見渡すと標高6,000m〜7,000mの、クライマーでない僕からみてもほれぼれするような岩峰がそびえている。シェルパに尋ねると、どれも未踏の無名峰なんですね。ヒマラヤのスケールに圧倒されました。

こうして4日に渡るキャラバンの末、ようやくスタート地点となるパンマー氷河の入り口に到着。ポーターたちに別れを告げ、いよいよ遠征の始まりです。日本から飛行機、クルマ、キャラバンと、ここまで1週間かかりました。ここから7人で5台のそりを引きながら、パンマー氷河を登り詰め、標高5,650mのスキャム・ラ峠を越えてスノーレイク大氷河帯に至り、全長約60kmのビアフォ氷河を下るという、およそ2週間の周遊ルートを予定していました。

氷河上の雪は「春先のパウダー」というとイメージしやすいでしょうか。60〜70kgの荷物を積んでいるそりの滑降面に重く湿った雪がつくものだから、ちっとも前に進まない(笑)。少し進んで、そりをひっくり返して雪を剥がして……という工程をひたすら繰り返していました。おまけに、氷河があまりにも広大なものだから景色がまったく変わらなくて、進んでいるのか進んでいないのか体感ではわからないんです。「見える景色が変わらない」って地味にメンタルが削られるんですね。それでも「人喰い鬼」ことバインターブラックが見えてきたときは、誰もが高揚していました。

「別の惑星で滑っているみたい」

パンマー氷河上の移動も含め、アスコーレからは1日300〜400mずつ高度を上げ、1,000m上がったところで1日レストを取るというように、高度順応しながら進みました。ポーターと別れた地点で4,000mを越えていますから、水をこまめに摂る、スープものを中心に、食事でも水分をとれるものにする、など高山病対策をしっかりと。スキャム・ラ峠の手前、標高5,200mくらいまで標高を上げてきたところで天候が安定してきたので、「この周囲の斜面で2、3日滑って、滑り尽くしたら峠を越えよう」という話をしていたのです。そうしたらなんと、メンバーの1人が肺水腫になってしまって…… 。重篤ではないにしろ、ここから5,600mの峠を越えるわけにもいきません。結局、標高を下げて戻ることを決断しました。とはいえ、ここまで来て滑らない手はない。復路では、病人を安全に下ろすことを最優先にしつつも、それ以外のメンバーで周辺の斜面を滑り尽くしました。

氷河を取り囲む斜面はものすごく急かメロウかの二択で、その上に驚くほどの雪がついていました。急斜面のラッセルには手こずりましたが、稜線まで登り、そこからそれぞれが氷河にむけて思い思いのラインを描いて……最高に気持ちがよかったですね。周囲の景色も相まって、地球ではないどこか別の惑星で滑っているように感じました。印象に残っているのが、「世界で最奥かつ最も標高の高いスキーパラダイス」という佐々木くんの言葉です。アクセスに10日かかり、標高5,000mを超えて滑れるフィールドなんて、他ではめったにお目にかかれないでしょう。アラスカなど海に近いエリアならともかく、これだけ内陸部にある高地の、50〜60°というエグい斜度の面に雪がついているというのは、普通では考えられないことなんです。もう少しだけメロウな、40°後半程度の斜面を見つけられるとよかったのですが、地形図を見た限りでは峠を越えた先にちょうどいい塩梅の斜面がありそうでした。これはまた次の機会にとっておこうと思っています(笑)。

復路はこのように、朝、テントから出て斜面を登り、滑降してテントに戻って移動する、を繰り返しました。夜間は気温がマイナス25度くらいまで下がりますが、天気がいいと日中は気温がぐんぐんあがります。滑り終える時間帯には気温があがり、病人の体調も安定してくるので、彼を荷物と一緒にそりに乗せて運ぶ。次に滑る場所を探しながら移動し、いい場所を見つけたらテントを張る……というように、滑りながら少しずつ標高を下げていきました。最終的に4,000mまで降りてきたら病人も無事、復活したので一安心。そのあとはみんなでそりを引き、キャラバン隊に合流しました。

知らない文化に触れることが、旅の醍醐味

今回は中川さんにとっても久々の海外遠征だったと聞いています。あらためて今回の旅から得られたもの、そして中川さんにとっての旅の意義についてお話しください。

そうですね、今回の遠征は自分にとってもチャレンジングなものでした。まず、現地の情報が極端に少なく、ゆえに不確定要素が多い。標高5,000m以上を滑降しますから、高所の耐性は不可欠。さらに、2週間近くかけて氷河をそり移動するということで、リスクマネジメントも問われます。2週間分の食糧計画の立案もなかなか大変でした。でもいま振り返ってみると、そうした不確定要素一つ一つを詰めていくプロセスもおもしろかったんですね。
このトリップで学んだことは、「できないことはない」に尽きます。60kgのそりを毎日引き続け、急斜面をラッセルし、最高に楽しく滑ることができた。でも、それにはやっぱり仲間の存在が不可欠だったんですね。わいわい言い合える仲間がいたからこそ、充実した時間を過ごせたと感じています。また、コロナ禍を経験して改めて実感したのは、「海外の旅はいいな」ってこと。知らない土地に出かけ、言葉もわからないなかでなじみのない文化に触れ、カルチャーギャップを感じる。それは最高に刺激的な経験ですよね。言葉やマナー、宗教、食事、車窓の風景……日本との違いに旅情を感じる。自分はそれが好きなんだって、あらためて実感しました。

今回の遠征で、人生の記憶に残る一本を刻むとともに、ヒマラヤで滑ることにさらなる可能性を見出すことができたと感じています。近い将来、カラコルム地方に戻り、コンプリートできなかったパートを成し遂げられたらうれしいですね。

なかがわ・しんや
中川伸也

1978年、北海道生まれ。14歳でスノーボードを始め、大学在学中の2000年にJSBA(日本スノーボード協会)の公認プロ資格を取得、ライダー活動を開始。当初はジブやフリースタイルで活躍していたが、2005年アラスカでのライディングを機に、活動の中心をバックカントリーでの映像や写真撮影にシフト。バックカントリースノーボードを通じて山や自然の魅力を感じたことから、より多くの人に安全で楽しい山旅を提供したいとの思いが芽生え、ガイド業の道へ。旭岳自然保護監視員などを経て2011年にガイドカンパニー「Natures」を旭川で設立。プロスノーボーダー/日本山岳ガイド協会登山ガイドとして雪山から夏山まで安全で楽しい山旅を提供している。主な出演作品に『車団地(CAR DANCHI)シリーズ』(2014年)、『icon7』(2012年)などTNF ATHLETE PAGE

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