02 島津 冬樹

自らを“段ボールピッカー”と称し、段ボールを求めて各地を旅する島津冬樹さん。彼のアイデアが生まれるアトリエの扉をたたくと、“CARTON OR DIE”と書かれたキャップをかぶった、にこやかな島津さんが出迎えてくれた。

“好き”を信じて、物語を探し集める旅へ

世界中で段ボールを収集し、財布やカードケースなどに生まれ変わらせるアーティストの島津冬樹さん。彼の収集趣味が始まったのは幼稚園のころから。海で貝を拾っては、丁寧に特徴を描いて図鑑をつくっていたという。

「なにかを拾うことと作ることが、その頃からすでにセットでした。なんていう名前の貝なんだろうって調べて、綺麗な標本をつくる。それから集めるということがすごく好きになって。車、飛行機の模型を作ったり、きのこ、花のユリをスケッチして図鑑にしたり……。マイブームの対象はコロコロ変わるけど、好きになるポイントは結局同じなんです」

収集欲を掻き立てるポイントは、形が似ているけど模様などのバリエーションがあるものだ。現在の段ボールというジャンルにも通ずるものがある。また集めるだけでなく、きのこを見つければスケッチするし、紙飛行機も作っていたのだとか。
ものづくりの好きが高じて、多摩美術大学でデザインを学んだ島津さん。在学中に初めて作った段ボール財布が、現在の原点になっている。

「自分の財布がボロボロだったので、とりあえず家の段ボールで間に合わせで自作したことが最初です。とりあえず1カ月くらい使うつもりが、1年以上も長持ちしてびっくりでした。それを機に学祭のフリーマーケットでたくさんつくって売ろうと、段ボールを集め出したら、こんなに種類があるんだって気づいて、今までの茶色い箱のイメージが覆りました。酒屋や八百屋にはいろんな種類があったんです」

段ボールを巡って世界を旅する

学祭の翌年に訪れたN Yへの旅で、島津さんはさらに段ボールの多様な魅力を発見することになる。

「街に落ちている段ボールがどれもカッコよすぎて、観光どころじゃなったんです!日本とアメリカでもこんなに違うんだから、世界にはもっとたくさんの種類があるはずだと思ったんですね。それからアメリカでもいろんな州に行ったけど、久しぶりに2019年にNYに訪れたら、やっぱりあの街は段ボール天国でした。狭い地域にいろんな国籍の飲食店があるからでしょうか」

“段ボールピッカー”として訪れた地域は35カ国。拾いに行く地域はどのように決めているのだろうか。

「コレクション性から考えるとやっぱり言語。イタリアにはイタリア語の、ロシアにはロシア語の箱がある。現地でもむやみやたらにすべて拾いたいわけではなく『これは見たことないぞ』っていうご当地性で厳選しています。自分と段ボールが目が合うような出合いがあって、その瞬間が1番ときめきます」

それぞれの国のスーパーや青果店、週末のファーマーズマーケットなどにめぼしをつける。いろんな国から仕入れた野菜が集まる市場なんかも手っ取り早い。落ちている現場は、自分で撮影して記録する。通行人から不審がられながらも、ゴミ箱をガサガサと漁ってピックアップする。恥を忍んでも欲しいと思ったらなんとしてでも手に入れたいんです、と島津さんは熱く語る。

身近なアップサイクルとして

「不要なものから大切なものへ」というコンセプトで2009年にブランド〈Carton〉をスタートさせた島津さん。この活動は、初めからエコだからという観点ではなく彼のピュアな「段ボールが好きだ」という気持ちが先頭に立っている。それが結果として、捨てられるはずものものに価値を与えているのだ。

「段ボールそのものの魅力をたくさんの人に知ってほしいんです。そのために、財布やバックにすることで日常のファッションとして昇華できるんだということ通して伝えていくことがわかりやすい。段ボールに限らず不要とされているものに目を向けるきっかけになれば、よりいいかなと思います」

彼のアトリエは廃校になった中学校を改装したシェアアトリエ〈世田谷ものづくり学校〉の一室。ここで朝は仕事などの考え事をして過ごし、午後は財布やプロトタイプを制作して過ごすことが多いという。

「アトリエで、作業の合間にコレクションを眺める時間がすごく好きなんです。拾った瞬間の光景が目に浮かんで、その旅のことを思い出す。ここの段ボールが地震とかで倒れてきて死んだら、僕にとっては名誉ある殉職です(笑)」

つづけてきたというより夢中になってた

大学卒業後はデザイナーとして3年半ほど働いた。会社員として働くことでより一層段ボールが好きな気持ちを再確認し、退職を決意する。個人でデザインやイラストの仕事しながらも晴れて大好きな段ボールに集中できる環境だったが、不安と葛藤もあった。

「好きの本気度を測る境界でもあったと思います。ここでやめるんだったら、そこまで好きではないということ。今年で11年目になるけど、はじめの7年間はワークショップをしてもお客さんが来ないし、変な人だなってリアクションだけでした。でもなんとか今段ボールで生きてきている。つづけてやろうと無理する気持ちはまったくなくて、いつか認められるはずだっていう根拠のない自信だけ抱えてて。つづけてきたというより夢中になってたんですね」

原動力は「好きだから」。その一点を信じてやってきたと振り返る。コレクションの中のお気に入りは?と尋ねると、拾ったときのエピソードやその国の背景を交えながら我々にベスト3を見せてくれた。1位は意外にもシンプルなデザイン。白地に小さな赤い三日月マークと、リストのような文字が書かれている段ボールだ。

「赤十字団体の救援物資(正確には赤新月社)のものです。難民キャンプや紛争地域でしか手に入らない貴重ものですが、なぜかブルガリアの街中に落ちていたんですよ。ずっと欲しいと思っていたので、奇跡的にゲットできたんです」
話しているときの島津さんからは、段ボールへの並々ならぬ愛情が伝わってくる。そんな彼の活動は、次のステップへと進んでいく。活動を記録したドキュメンタリー映画『旅する段ボール』の制作などを通して、段ボールの魅力を伝える方法がたくさんあることに気づいた。

「どんなものにも物語がある。デザイナーなり農家さんが何かしらの思いで作っているんですよね。それが発送されて、だれかに届いて。段ボール自体がどういう旅をしてきたかというのを伝えていけたらいいな」

まだ訪れていない国もあるし、いつかミュージアムを建てて世界中の段ボールが展示できたらおもしろそう。これからの夢を楽しそうに話してくれた。まだ見ぬ段ボールを求めて、島津さんの旅はこれからもつづいていく。