LADIES & MOUNTAIN 150 YEARS ADVENTURE

Climbing
My Way

自分の山をしなやかに登る人。

INTERVIEW

01

野川かさね

写真家

KASANE NOGAWA

Photographer

見たことのない、“山写真”。

SNSに投稿される様々な山の写真。雄大な風景はもちろん、名もなき花や、雨の雫、手製のおにぎりなど、どれも固有の視点があって、自由に、その人らしい山歩きを楽しんでいることが伝わってくる。山というものがただのレジャーやスポーツではなく、ひとつの表現の場となっていることは、ここ数年の大きな変化だ。

写真家の野川かさねさんは、こうした流れに大きな影響を与えたひとりだ。15年ほど前から山で撮影を始め、山岳雑誌などで作品を発表してきた。が、当時の山岳雑誌で王道とされていたのは、いわゆる「山岳写真」。誰が見ても美しく、雄大な風景や構図を求められる世界だった。

そんな中、野川さんの写真は異彩を放っていた。霧にけむる山、雨に濡れる森、今まさに命を終えようとする草花。それまで山岳雑誌に掲載されることのなかった山の姿はどれも素朴で派手さとは無縁だったが、多くの人のページを繰る手を止めた。

山はいつも晴れているわけではないし、晴れている山でないと美しくないというのは思い込みだ。たとえ曇りでも、雨の中だとしても、自分が歩くその瞬間、自分だけが見つけた山の表情を心ゆくまで楽しめばいい。野川さんの写真に手を止めた人々は、そんなメッセージを静かに受け取り、大きく頷いていたのだと思う。

写真は世界とつながる接点だった。

野川さんが写真を始めたのは大学生時代。祖父の形見のフィルムカメラで、見よう見まねで撮影を始めた。

「ひとりっ子だったせいか、集団の中で空気を読んで振る舞うというのが小さな頃から苦手。女子同士で一緒にトイレに行くとか、集まってわいわいするとかも楽しいと思えなくて。でも、ひとりでも平気だと思えるほど強くもなかった。高校を卒業してもずっとそういうモヤモヤした感情を持て余していました」

みんなが簡単に“うまくやっていける”のに、自分だけができないのはなぜだろう。この世界とは、どういうものなんだろう。野川さんにとって写真を撮るという行為は、そうした「?」に対するヒントを探す術だった。

「考えていても一向にわからない外の世界と自分。写真を撮ることで、その接点を見つけたかったし、心の内に溜まったモヤモヤを発散したいという気持ちもあったんだと思います」

目に止まった風景や食べ物、好きな人。夢中になって撮影した。本を読んで学び、自宅の風呂場で現像をした。即席の暗室の中で、印画紙にゆっくりと像が浮かび上がるときには胸が躍ったし、自分ひとりで心ゆくまで楽しめるという点も性に合っていた。これを仕事にして食べていけたらと思うようになったのは自然なことだった。

大学卒業後は著名な写真家の元で4年間アシスタントをしながら学んだ。自分はこの先、何をテーマに写真を撮っていけばいいのか。それを考え続けた日々でもあった。

「何かしら内面に抱えていることを表現していこうかと考えていました。でも、そうしたテーマで表現する先駆者たちの作品や姿勢を知るうちに、浅はかな考えだったと気づいたんです。私が抱えてきた悩みなんて、取るに足らない。自分にとっては大きなことだったとしても、表現にまで昇華できるものではなかったんです」

山との出会いと、葛藤。

それからは、自分が“ピンとくる”対象を探して歩いた。その中のひとつが、植物だった。絡み合った枝や精巧な花弁の形。よく見ると造形が面白くて、時間ができれば植物園にも足を運んだ。その延長線上に、山があった。

「山へ行ったらもっと植物があるんじゃないか。そんな単純な理由です。初めて登ったのは地元の丹沢。途中で鹿の角を見つけたりして、お、これはなんだか面白いぞと」

冬の入笠山で、風に舞う雪の美しさに目を見張った。冬を越して早春。残雪の八ヶ岳・硫黄岳で雪と新緑のコントラストを見たときに、心は決まった。自分は山で、写真を撮っていこう。

従来の「山岳写真」とは明らかに違う野川さんの“山写真”。どんな瞬間にシャッターを切っているのかと尋ねると、「『あ』と思ったとき」と返ってきた。うんと冷え込んだ朝に足下に広がる霜柱。盛大な朝日が登る前、紺と橙が混じった空のグラデーション。山小屋から漏れる、柔らかな光。人知れず流れる山の時間に触れたとき、「あ」と思う。

その「あ」には、好奇心もあれば、素直な感激もある。そしてまた、つらい道のりを歩き、ようやく山小屋に辿り着いたときの安堵感も。つまり、山を歩くなかで心が動いたとき、「あ」が生まれる。それはたぶん、山を歩く人の数だけあって、だからこそ、野川さんの写真は見る人に山を想わせるのだ。

山岳雑誌で写真を発表し始めてしばらく、空前の“山ガール”ブームが到来する。野川さんの写真はいっそう注目を集めたが、女性登山者からの人気が高まるにつれ、「ほっこり」という枕詞が定着するようになった。

「写真を見ていただけるのは嬉しかったのですが、その半面、自分の写真のイメージが、思っているのと違う形で固定化していくことには不安を覚えていました。女性が喜ぶ“かわいい”山小屋や、山ごはん。そういった写真を期待される期間が長く続いて、仕事と割り切ってやるべきかどうか、悩んだこともありました」

「母」と「私」のはざまで。

お腹に子どもがいるとわかったのは、ちょうどそんな頃だった。キャリアが停まってしまうことに不安を感じつつも、「サクッと産んで、サクッと復帰しよう」くらいに考えていた。でも現実は違った。何より苦しんだのは、自分の意志とは無関係に「母」という枠組みに入れられたと感じたことだった。

「仕事に復帰しても、『子どもがいるから無理だよね』となることが多くて。気遣いであるとわかっていても、自分の人生が子どもの人生にすり替わってしまったような気がして。どうしたら自分の人生を生きられるのか。2、3年はあがいていました」

でも、あるときハッとした。子どもの幼稚園を選んでいるときのことだった。

「送迎バスがあって、延長保育があって……。気づいたら、自分が都合よく仕事ができるような条件を最優先にしていたんです。子どもだって意思を持ったひとりの人間なのに、そこにあるのは、私、私、私。それに気づいてから、どちらかを優先するのではなく、お互いの都合や意見を踏まえて、できるだけ対等に物事を選んでいこうと決めました」

社会が決めた枠組みというものがあるのなら、家族や仲間と一緒にそれを解体し、自分たちで作り直していけばいい。骨が折れるとしても、そのほうがみんな幸せになれるはずだから。

山が導いてくれた、写真家としての道。

私生活における考え方と行動の転換は、表現活動にもいい変化を与えた。自分の写真のイメージの固定化を打ち破るためにも、特に思い入れのある北八ヶ岳と尾瀬だけに絞って撮影をすることにした。

尾瀬で撮影した野川さんの作品に、雪に覆われた尾瀬ヶ原で花を咲かせた水芭蕉の写真がある。本来真っ白の花は茶色く、腐りかけている。

「通常、水芭蕉の開花はもう少しあとなのですが、随分と暖かい日があったんでしょうね。春が来たと思って花を咲かせたものの、朝晩の冷え込みで枯れてしまったんだと思います」

ある人は、この写真を美しいと思わないかもしれない。実際、野川さんも、「以前の自分だったら撮影しなかったかも」と言う。「でも今は、この水芭蕉の中に、山の季節が詰まっていると感じるんです」とも。

1日として同じ日がないからこそ、季節は移り変わってゆく。その中のとある1日に、うっかり者の水芭蕉が人知れず花を開いた。様々な季節に何度も尾瀬に足を運んできた野川さんには、そんな山の物語が、かすかに聞こえ始めている。

「山で撮影をするとき、これまではどこかに自分のエゴがあったんです。こんな写真が撮りたいとか、撮らなくちゃ、とか。でも今は後付けのストーリーも、誰かから期待されるイメージもない。山を通して自分を表現するのではなく、ただただ山を撮っているという感じ。それが楽しくて仕方ないんです」

山の声は控えめで、いつだって人目につかないところから語りかけてくる。だからこそ耳を澄ませ、目を凝らして、ゆっくりと歩く。それはまるで山の一部になるような感覚で、野川さんはそんなふうにして、ひとり静かにシャッターを切る。

INTERVIEW

野川かさね

写真家

KASANE NOGAWA

Photographer

1977年、神奈川県生まれ。山や自然の写真を中心に作品を発表する。クリエイティブユニット〈kvina〉の一員としても活動。作品集に『Above Below』(Gottlund Verlag)、『with THE MOUNTAIN』(wood / water records)、著書に『山と写真』(実業之日本社)、『think of your mountain』(BCCKS)、共著に『山と山小屋』(平凡社)、『山小屋の灯』(山と溪谷社)など。

Photography / Kazumasa Harada
Edit & Text / Yuriko Kobayashi