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Interview MIKIO ABE “極地でも街でも使える、優れた証し”

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50歳を過ぎて、かなった夢

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スノーモービルで調査に向かう先には、6〜5億年前、大陸衝突で誕生した山脈がそびえている。(撮影:阿部幹雄)

スノーモービルで調査に向かう先には、6〜5億年前、大陸衝突で誕生した山脈がそびえている。(撮影:阿部幹雄)

極地探検の夢を抱き続け、ひたすら山に登り、写真家への道を歩んだ。しかし、阿部さんは28歳のとき、中国のミニャ・コンガ(7556メートル)の登山中に8人の仲間を失い、自身もクレバスに墜ち死を覚悟したが、生還している。そして、長年にわたり遺体の捜索活動を行っていた。

「2005年に身元が分かった遭難者の遺骨を引き取りに、年老いた遺族のご両親をミニャ・コンガの山麓へ案内しました。遭難から24年が経ち、生き残った者の責任を十分に果たせたのではないかと、残りの人生は自分の為に生きていきたいと思ったんです。自分の為に生きるというのは、新しい人生の旅を始めたい。じゃあどこへ行くのかというと、まだ子どもの頃の夢として行っていなかったのは南極だけだったんです」

電力はすべて太陽光発電でまかない、温暖化ガス排出を抑制した。(撮影:阿部幹雄)

電力はすべて太陽光発電でまかない、温暖化ガス排出を抑制した。(撮影:阿部幹雄)

南極観測隊は公募されるのだが、南極への思いが再熱したときにはすでに50歳を過ぎ、「年だしなぁ。南極はもう行けないだろうな」と、すっかり諦めていたという。

そんなとき、国立極地研究所の本吉洋一教授から、「南極へ行きませんか」という誘いを受けた。夢への扉が再び開いたのだ。

「結局54歳のときに、子どもの頃からの夢であった南極へ行くという夢が実現しました。飛行機を降りて南極大陸に一歩踏みだしたとき、『54歳で降り立ったじゃないか!』と。年だからもうダメだといって、夢を諦めていた自分を恥じましたね」

オールテント、日本の南極観測史上初の試み

2007年7月に国立極地研究所の職員として採用され、晴れて南極観測隊員となった。阿部さんはセール・ロンダーネ山地地学調査隊として第49次隊、第50次隊、第51次隊と3回連続、調査隊のフィールドアシスタントとして参加している。セール・ロンダーネ山地は、昭和基地から西方約600キロに位置。かつては、あすか基地があり調査拠点とされていたが、現在は閉鎖され雪の下に埋没している。その為セール・ロンダーネ山地地学調査隊は、約3ヶ月間をテントに寝泊まり調査しなければならず、基地もなく雪上車もない。そして、日本と南極を飛行機で往復した。こうした形態の調査隊は、日本の南極観測史上初の試みだった。

快晴の日、カタバ風が吹きすさび、風雪がテントをたたく(撮影:阿部幹雄)

快晴の日、カタバ風が吹きすさび、風雪がテントをたたく(撮影:阿部幹雄)

「あすか基地がある場所は強風地帯で、風の通り道なんです。建設当時の輸送能力の限界からそこに作るしかなかったようです。平均風速が12.6メートル(風速10メートルになると傘がさせない)。南極は常時、カタバ風という南東の大陸下降風が吹き、冷えて重たい空気が大陸の中心から海へと吹き下ります。晴天で穏やかな日もありますが稀で、天気がいいと風速15から20メートルのカタバ風が吹きます。セール・ロンダーネ調査隊は、テント生活で移動はスノーモービルと徒歩のみです」

スノーモービルの移動にはクレバスの危険がともなう(撮影:阿部幹雄)

スノーモービルの移動にはクレバスの危険がともなう(撮影:阿部幹雄)

阿部さんたちセール・ロンダーネ調査隊が滞在していた11月から2月は、南極の白夜夏。夏とはいえども気温は氷点下10から25度、つねに風速10メートル以上の風が吹いているような環境だ。厳しい環境のもと、孤立無援の状態で調査は行われていた。

ガマンやストレスは安全をゆるがす

「フィールドアシスタントとしてのわたしの仕事は、そうした環境下での隊員の安全管理です。もしも事故が起きればレスキューの責任者として指揮を執ります。隊員(研究者)が緊張やストレスなく過ごせるようすべてのサポートをします。南極には強いブリザード(地吹雪)も吹きますが、雪原の下にはクレバス(氷の割れ目)があります。雪がかぶっていて一目ではどこにあるか分かりません。スノーモービルで走っていると、ドーン!ドーン!という雪が落ちる音がしたりします。ああ、クレバスの上を通り過ぎたのかなと思うんです。やっかいなのは、網目状のクレバス帯。どこにどう広がっているかまったく分からないので、数回入り込んでしまったことがあり、脱出に苦労しました」

見渡す限りの南極氷床。氷の厚さは約2000メートル。クレバスが待ち構える(撮影:阿部幹雄)

見渡す限りの南極氷床。氷の厚さは約2000メートル。クレバスが待ち構える(撮影:阿部幹雄)

毎日が生きるか死ぬか、本当にそんな日々だったという。

「死ぬのはすごく簡単、なんの苦労も要りません。でも生きるのはめちゃくちゃな苦労というか大変な判断力や能力を要求されます。だから隊員(研究者)に緊張感やストレスを与えてはいいフィールドワークはできません。そうした大変さはフィールドアシスタントが背負うんです。食事や装備にも言えることですが、ガマンしてストレスを感じるのは一番良くないんですよ。寒い思いをするとか、窮屈で着心地が悪いとか。そういう装備は、絶対にストレスになります。そうなってくると調査に専念できません。ガマンすると事故に結び付き、精神的にも良くない。ひいては人間関係にまで影響を及ぼしかねません」

大晦日と元旦ばかりは休暇。無事を感謝し乾杯する。(撮影:阿部幹雄)

大晦日と元旦ばかりは休暇。無事を感謝し乾杯する。(撮影:阿部幹雄)

南極で一番恐ろしいのは、チームワークが崩れることだと阿部さんは言う。小さなガマンが大きな出来事に発展しかねない。極地に限らずとも起こりうる話しだ。

南極で出会ったヌプシブーティー

「初めてヌプシブーティーを見たのは、南極です。49次隊のときに、同じ隊の小山内康人教授(九州大学)が個人装備として持って来ていました。これだ!と思いましたね。翌年は必ず、装備に加えようと思いました。使っていた防寒ブーツはデカいし重たいし、脱ぎ履きがとても面倒だったんです」

隊員が食事をするメステント内では、くつろげるように柔らかいテントシューズを履き替えていたという。でもヌプシブーティーならば、テントのなかでも快適だし、そのまま外へ出てもある程度の作業ができた。

「ヌプシブーティは、嵩張らずサンダル感覚で履けてリラックスできました。靴底もそれなりのものが付いていて、スノーモービルで短い距離を移動するときも温かく、ヌプシブーティーを履けば大丈夫なんです」

食事など隊員がくつろぎ団らんするメステントにて。(撮影:阿部幹雄)

食事など隊員がくつろぎ団らんするメステントにて。(撮影:阿部幹雄)

49次隊で隊員に採用されたときは、すでに南極で使用する装備のほとんどは決まっていた。なかには時代遅れともとれるものもあり、愕然とする。ただ、全日テント生活という調査環境から、テントだけは譲れないとザ・ノース・フェイスのドーム8やVE-25を導入してもらったという。50次隊からは調査隊の全装備に阿部さんの経験を反映することができ、その時にヌプシブーティーも加わったのだ。

「隊員に1足ずつ支給しました。とても好評で、最初はテントシューズとして履いていましたが、テント周りのちょっとした作業にも十分使えるので、だんだんと使用範囲が広がっていきました。隊員のなかには、日本へ帰るときもそのままヌプシブーティーを履いていた者もいて。帰国のときは、南極からケープタウン(南アフリカ)に飛行機で移動します。ケープタウンの街中をそれで歩いても恥ずかしくないという、どんな場面でもこれで大丈夫だという汎用性の高さですよね。いきなり気温30度くらいのところに行くので、機内で着替えます。みんなサンダルやスニーカーでしたが、彼はよっぽど気に入ったのか半袖姿に足元はヌプシブーティーでした。優れた装備というのは、街でも通用するものだと思っています。極地でも使えるし、街でも使える。ヌプシブーティーが装備として優れている証しだと思います」

調査を無事に終え、南極を離れる。寒さに慣れ、半袖でも平気に。(撮影:阿部幹雄)

調査を無事に終え、南極を離れる。寒さに慣れ、半袖でも平気に。(撮影:阿部幹雄)

Boys Be Ambitious!

フィールドアシスタントである阿部さんの最大ミッション、隊員にガマンをさせず、ストレスを感じさせないことは、装備選びから始まっていた。そのミッション遂行を、ヌプシブーティーは足元から支えていたと言えるだろう。50次隊、51次隊の隊員に、「これほど寒いとも思わず、使い勝手が悪いとも思わなかった装備を支給されたのは初めてだ」と言われたのだとか。

「わたしは一度は死を覚悟した人間です。命を助けてくれた人がいて今があります。支えてくれたたくさんの人に感謝する気持ちとしても、今後も人のため社会のために生きていきたいなと思います。それは、Boys Be Ambitiousという言葉に集約されます。私利私欲のためではなく、社会や人の為に大志を抱いて役立つことをしなさいという意味が込められていると私は思うんです」

Boys Be Ambitious.(少年よ大志を抱け)は、阿部さんの母校でもある北海道大学で教鞭をとったクラーク博士が学生たちに残した言葉。この言葉には、続きがあったとも言われている。Boys be ambitious, like this old man. …老いた自分のように、と。諸説あり、真実はもはや確認できないが、50歳を過ぎて南極行きを実現させた阿部さんの姿が不思議と重なってくる。寒い冬の日、ヌプシブーティーに足を入れるたび、遠く南極に思いを馳せそうだ。

あべ・みきお

あべ・みきお プロフィール

Nuptse Bootie

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    商品型番 NF51590
    ¥18,144円(tax included)

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    商品型番 NF51587
    ¥14,040円(tax included)

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    商品型番 NF51580
    ¥14,040円(tax included)

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    商品型番 NF51593
    ¥15,984円(tax included)

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    商品型番 NF51591
    ¥12,960円(tax included)

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    商品型番 NF51584
    ¥15,984円(tax included)

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    商品型番 NF51588
    ¥12,960円(tax included)

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    商品型番 NF51592
    ¥11,880円(tax included)

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    商品型番 NFW51585
    ¥15,984円(tax included)

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    商品型番 NFW51586
    ¥13,824円(tax included)

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    商品型番 NFJ51581
    ¥7,020円(tax included)

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商品名にもなっている「Nuptse」はヒマラヤ山脈中央、チベットとネパールの国境にある山のことなのですが、これに代表されるようにTHE NORTH FACEは永きにわたりネパール、ヒマラヤに関わってきました。2013年に世界最高齢でエベレストに登頂した三浦雄一郎氏と豪太氏のプロジェクトを始めとして、それ以外にも数多くの遠征隊をネパールのシェルパたちとともに達成してきました。
今年4月に発生したネパール地震では、そのシェルパや家族たちも大きな被害を受けています。そこで2015年1月、三浦雄一郎氏の国連WFP*協会親善大使への就任を機に、THE NORTH FACEではチャリティTシャツを発売して、売上の一部を国連WFP協会を通じてネパール地震の被災地に寄付しましたが、本キャンペーンでも売上の一部が寄付されます。

*国連WFP: http://www.jawfp.org/lp/helpnepal/ 国連WFPは、飢餓と貧困の撲滅を使命に活動する国連の食糧支援機関です。

期間:2015年11月20日(金)~12月27日(日)

応募方法:期間中対象商品ご購入のお客様へお渡しする「応募はがき」でご応募ください。
※当選者の発表は賞品の発送をもって代えさせて頂きます。

対象商品

NF51580 Nuptse Bootie Lite WP
NF51581 NSE Traction Chukka Lite WP
NF51583 Nuptse Bootie WP IV Camo
NF51584 Nuptse Bootie WP IV SE
NF51585 Nuptse Bootie WP IV
NFW51585 W Nuptse Bootie WP III
NF51586 Nuptse Bootie WP IV Short
NFW51586 W Nuptse Bootie WP III Short
NF51590 Nuptse Bootie WP IV Tall
NF51593 Nuptse Bootie WP Wool Luxe

キャンペーン

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