PLANET vol.2 KYRGYZ REPUBLIC/YUSUKE ABE

KYRGYZ REPUBLICVol.2 / YUSUKE ABE

KYRGYZ REPUBLIC
キルギス南部の丘の所々で目にする養蜂場。ここで飼われている蜂は、地域の経済を支えると同時に、荒れた大地に緑をもたらす役割も果たしている。

キルギスという国はどこにあるのか?

そう聞かれて正しく指し示すことができる人は多くないかも知れません。

キルギスは「中央アジア」に属する小さな国です。旧ソ連から独立した五つの国のうちの一つで、日本の半分ほどの国土に約六〇〇万人が暮らしています。

国土の四割以上が標高三千メートルを超える高所にあり、南のタジキスタン側には平均標高五千メートルのパミール高原が広がり、東側の中国との国境には標高七千メートル級の山々が聳える天山山脈が横たわっています。天山山脈付近には氷河を抱いた山々など風光明媚な景色が広がっていることから「中央アジアのスイス」とも言われているそうです。

キルギス共和国。中央アジアに位置する7つの州と1つの特別区からなる共和制国家。1991年のソ連からの独立後、民主化と市場経済化が推進された。主な産業は農業と牧畜業。国土の40% が3000メートルを超える高所に位置している。

旅のきっかけ

キルギスを訪れてみたいと考えたのは、インターネットで読んだ「ある記事」がきっかけでした。それは国連大学のサイトに掲載されていた「養蜂がキルギスの土地劣化を軽減」というレポートで、キルギス南部パミール・アライ山脈付近で教師を営むウランベック・アシモフさんという男性が自然環境の改善のために養蜂に取り組み始めたというエピソードが紹介されていました。

養蜂が土地の劣化を軽減?

これは、いったいどういうことなのだろう?

記事を読むと、地域の人々が養蜂に取り組み始めたおかげで荒れた土地に緑が戻ったという話が書かれています。まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺のような謎めいた話に疑問を懐きながらも、その真相を明らかにしてみたいと思い、キルギスの養蜂家との出会いを求めて旅に出ることにしたのでした。

キルギスに滞在したのは今年の八月の終わりから九月頃にかけてのことでした。空気も土もずいぶん乾燥したところだなというのが、この国に抱いた第一印象でした。

中央アジア一帯はヒマラヤ同様に、かつては海の底だったところが隆起して出来ているため、土は鉄分や塩分を多く含み、標高も高いので空気も乾燥しています。そのため草木が育ちにくく土地は痩せ、岩肌を露わにした禿山がどこまでも連なっていました。

右/小学校で教鞭をとる傍ら養蜂を営むウランベック・アシモフさん。キルギスにかつて存在した養蜂文化を復活させ、地域経済と自然環境の改善に貢献した中心人物。
左/箱の内部につくられた巣板。ハニカム構造の巣房のなかで幼虫が蜜を食べながら成長する。

遊牧民の暮らし

そんな景色のなかに車を走らせ、インターネット記事の情報だけを頼りに養蜂家を探しました。

最初に目指したのは首都ビシュケクです。ビシュケクは90万人が暮らすキルギス最大の都市です。

ビシュケク空港に到着し、タクシーで街へと向かう途中には、まるで北海道の田舎のような広大な田園風景が広がっていました。さらに車で走ること40分。到着したビシュケク市内には小さなショッピングモールや飲食店が点在し、旧ソ連時代の面影を感じさせるような同じかたちの古い建物が何棟も並んでいました。これも社会主義国家時代の名残か、企業の広告や看板も少なく、街にはほとんどゴミも落ちていませんでした。

キルギスを象徴するモノのひとつに、国旗の図案にもなっている「ユルト」と呼ばれる家があります。羊毛を押し固めたフェルトという布で全体を覆った丸いテントのような移動式住居で、そのミニチュア版の置物がお土産として売られているのを良く見かけました。現在は少なくなってしまったそうですが、これはキルギスがかつては遊牧民であったことの証です。

かつて中央アジア地域には遊牧騎馬民と呼ばれる人々が暮らしていました。馬を乗りこなし、移住を繰り返しながら家畜を育て、生計をたててきた民族です。

遊牧民が暮らしていた地域は高地で乾燥しているため農耕には適さず、穀物や野菜を育てるのが困難な場所でした。そこで彼らは一箇所に定住する代わりに家族単位で居住場所を移動しながら家畜の群れを率いて育てあげ、その肉や毛皮を生活に必要なものと交換しながら暮らしを立ててきました。遊牧民たちは夏の暑い時期には山の上の方へ、冬の寒い時期には麓へと営地を移動させて、家畜が牧草を全て食べ尽くしてしまわないように自然を慮りながら放牧をおこなってきました。

定住化の影響

そうして長年に渡って昔ながらの遊牧生活を続けてきたキルギスの騎馬遊牧民の暮らしにも、やがて変化が訪れます。

19世紀の終わり頃、ロシア帝国の台頭によりキルギスはロシア帝国の支配下に置かれます。さらに20世紀初頭にはロシア革命が勃発。ソ連政府により定住化政策が実施され、遊牧民は一箇所に留まって暮らすことを強いられるようになります。政府は食料安定供給のための政策として国営による集団農場の経営を開始。これによって、それまで遊牧をしいていた人たちに土地や家が与えられる代わりに畜産や農作物の栽培が義務付けられました。農作物を育てるには一箇所に定住しなければなりません。そこで、それまで草木が育つ様子に合わせて放牧のために営地を変えていた遊牧民も定住地の周辺だけで牧畜をおこなうようになりました。

1991年に旧ソ連が崩壊すると国営だった集団農場が民営化されます。家畜や農地は村人たちに分与され、全員が独立自営農者になりました。そこでどんな変化があったかというと、自由競争のもとに家畜を多く育てて稼ぎを得ようとする人々による「過放牧」という事態が起こり始めたのです。

増えすぎた家畜は敷地内の牧草を全て食べつくし、それまで生えていた木や草も育たなくなってしまうという好ましくない状況を生みだします。そして、草木が生えなくなった土地は保水力を失い、動物たちの足跡に水が溜まるなどして、あちこちで土砂崩れが起こるようになっていったのでした。

養蜂を営むキルギスの人々。飼われている蜂は周囲5キロを飛び回り、花粉と蜜を集めて箱へ運ぶ。蜂の飼育は手間をとらないため牧畜や農業と兼業でおこなわれるケースが多い。

養蜂の実情

ビシュケクから車で12時間ほど走り、キルギス第二の都市オシュに到着しました。キルギスの養蜂家たちとは、そこからさらにジープで3時間ほど走ったところに広がるパミール高原で出会うことができました。

標高2000メートルの乾いた山道を走っていると、小高い丘の斜面に木箱のようなものが幾つか並べられているのを頻繁に見かけるようになりました。木箱の数は20個から多いところで100個ほど。近づいて見てみると、それらは様々なかたちに手作りされた養蜂箱でした。近くには屋台が設置され、ペットボトルに詰められた蜂蜜が販売されています。値段は500ミリリットルで300円前後。甘すぎず、まろやかな味わいで、現地の人たちはこれを主食のパンに塗ったりミルクに溶かしたりして食べていました。

たまたま近くを歩いていた老齢の女性に声をかけてみると、その女性は偶然にもインターネット記事で取材を受けていたウランベック・アシモフさんのお母さんでした。さっそくウランベックさんを紹介してもらい、養蜂にまつわる話を聞くことができました。

キルギスの食卓に欠かせない主食のパンと蜂蜜。蜂蜜はそのまま食べたり料理にもつかわれる。

過放牧の弊害

近隣の村の小学校で教鞭をとっているウランベックさんが本格的に養蜂に取り組み始めたのは、2011年に起きた地すべりによる土砂災害がきっかけでした。

ある日、ウランベックさんが自宅で過ごしていると知り合いから電話がかかってきて、家の裏の丘が地すべりを起こし始めていることを告げられます。急いで家族を連れて避難しましたが、その後わずか数時間のうちに近隣の家を含む数世帯が土砂に飲み込まれてしまいました。

後の検証によると、どうやら地すべりの原因は「過放牧」にあるのではないかということでした。狭い土地で多くの家畜を飼いすぎたせいで牧草が食べつくされ、本来は緑に覆われていたはずの大地が荒れて地すべりが起きやすくなっていたのです。

地すべり自体は自然災害ですが、そのきっかけをつくったのは人間であるという見方もできます。とはいえ、それも望んだ結果ではなく、住民がそうしたのは遡れば旧ソ連の政策による定住化政策が原因とも言える。

痩せてしまった土地を回復させるには家畜の数を減らして土地を休ませるのが近道ではありますが、放牧は収入確保するためのの重要な手段。人口の少ない山間部では他の仕事を探すのも難しく、だからといって過放牧を続けて良いわけでもない。まったく難しい問題です。

養蜂箱の数は20から100。多いところでは年間で4トンもの蜂蜜が収穫できるという。

蜂と受粉のメカニズム

そこでウランベックさんが思いついたのが、蜂を飼育することによって、人間だけでなく自然環境に対してもポジティブな影響を与える作戦でした。

それまでは生計を立てるために放牧をおこなってきたウランベックさんでしたが、植物の花粉を運ぶ媒介者としての蜂の役割を思い出します。

蜜蜂の働き蜂は巣のなかで育つ幼虫や女王蜂のために花から花へと飛び回り、花の蜜と花粉を集めて運びます。巣に運ばれた蜜は蜂の唾液に含まれる酵素の働きによって蜂蜜になるのですが、その際、個別に存在する雄花と雌花の花粉が蜂によって互いに運ばれて、雄しべの花粉が雌しべに付着します。これを受粉と言うのは御存知の通りですが、この受粉の媒介者の役割を蜜蜂は担っているのです。

自然科学に精通していたウランベックさんは蜂の働きによって花粉の行き来が盛んにおこなわれることを期待して養蜂を始めてみることにしました。収穫した蜂蜜を販売すれば、その利益が生活を支えてくれるし、蜂の媒介によって草木が繁殖して地面に広く根を張れば土砂くずれを防ぐ効果も期待できる。一挙両得を狙った作戦です。

実は養蜂はウランベックさんのおじいさんの時代から細々とおこなわれていたことでした。牧畜や農作の傍らでおこなわれてきた養蜂は、放牧とは別の収入と栄養を得るための手段として旧ソ連時代のキルギスの人々の生活を支えてきた知恵でもあったのです。

子供の頃の記憶を頼りに養蜂箱を自作して、痩せた丘の上に小さな養蜂所を構えたウランベックさん。結果的にその作戦は功を成し、ウランベックさんの荒れた土地にも緑が見られるようになっていきました。さらにその取り組みは近隣の村人たちの共感を集め、この地域で採れる蜂蜜は特産品として広く知られるようになります。現在では、その売上が地域の人々の家計を支えているそうです。

バランスを失った世界

この話を聞いて、あるニュースを思い出しました。大量の働き蜂が忽然と姿を消してしまう「蜂群崩壊症候群」と呼ばれる現象が世界各地で起こっているというニュースです。原因は農薬や殺虫剤、あるいは特殊なストレスの影響だとも言われていますが、蜂がそれまで担っていた仕事が行なわれなくなってしまったがゆえに、リンゴやブルーベリーなどの果樹が実を結ばなくなってしまうという不測の事態が起きているのです。

世界を脅かしているこのニュースとキルギスの養蜂をめぐる状況を重ね合わせてみると、植物の営みが正常に保たれるには蜂が重要な鍵を担っていることがわかります。蜂と植物の持ちつ持たれつの関係によって自然の営みが正常に維持されているというわけです。地球上の自然は本来このように目に見えない鎖のようなものでつながっていて、絶妙なバランスが保たれていますが、それを人間が断ってしまうことで起こっているのが、地球各地で起こっている自然災害や温暖化などの問題でしょう。

先々で出会った養蜂家たちに蜂を飼うことのメリットについて尋ねてみると、痩せた土地に本来は育ちにくかった草花が根付きやすくなった。蜂の働きが緑化につながっているのだと口を揃えて語ってくれました。蜂は人間の気づかないところで花粉を運び働いて、自然や人の暮らしにも多くの利点をもたらしていたのでした。

蜂が動けば緑が増えるという謎の言葉の真相は、ここにあったのです。

右/煙で燻して蜂をおとなしくさせるための燻煙器。
左/養蜂場で働くキルギスの女性。右の遠心分離機で巣から蜜を取り分ける。かつては牧畜中心だった地域の家計を今では蜂蜜づくりが支えている。

THINK GLOBALLY, ACT LOCALLY

ウランベックさんの働きかけのおかげで、養蜂場の近くの荒れた山地にも今では緑が戻っていると言います。自然の摂理を理解して、分断されたつながりを再び結び直すことで人の暮らしにも新たな潤いをもたらす。ウランベックさんの理知に富んだアイデアは非常に興味深いものであり、自然の繊細な働きに注目したローカル主義のアイデアは、現代社会が生んだ地球環境をめぐるさまざまな問題を解決していくうえでも多くの示唆に富んでいるのではないかと思いました。

養蜂の取材の合間にカラコル村の小学校を訊ねて現地の子どもたちと話をする機会を得ました。そこで彼らに「将来の夢」について質問をしてみると、全員が口を揃えて「家業を継いで今の暮らしを続けていきたい」と答えたのです。その答えを聞いて大いに感じ入るところがありました。日本の子どもたちに同じ質問をしてみたら、きっと「仕事で成功してニューヨークで暮らしたい」とか「有名人になりたい」と、大きな夢を語る子が多いのではないでしょうか。キルギスの田舎の暮らしは決して満たされているとは言えないかも知れないけれど、より多くを求めずローカルな結びつきを大切にしながら、慎ましくも幸せに暮らす考え方が、キルギスの子どもたちの心のなかには根づいているのです。

一方で、わたしたちが暮らす先進国はどうかというと、自然の繊細さやバランスを感じる場面も減り、何が問題なのかさえもが見えにくくなってしまっている気がします。より良い改善策や「もっと、もっと」と過剰な富ばかりを求めるがゆえに、わたしたち先進国に暮らす人々が失ってしまったローカルでシンプルな生き方について、もういちど考え直してみたい。

そんなことを考えさせられたキルギス滞在でした。

阿部裕介(あべゆうすけ)写真家

1989年、東京都生まれ。青山学院大学経営学科卒業。大学在学中にヨーロッパ各国を歴訪、パリでファッションショーのステージ撮影を経験したことをきっかけに写真家としての活動を開始。広告、ファッション、雑誌、タレントのポートレートなど幅広いジャンルの撮影をおこなう。現在もネパールやインドへ頻繁に足を運び、現地に暮らす人々や風景写真を撮り続けている。2019年、高知・よさこい祭りをテーマにした写真集『ヨサリコイ』(STUDIO 1.3h)を発表。

https://www.yusukeabephoto.com

Perhaps god save the queen, only man can save wilderness

神は女王を護るかもしれないが、
自然環境を護ることができるのは
私たち人間に他ならない

これはザ・ノース・フェイスが創業して間もない頃の製品カタログに記された言葉です。以来、半世紀に渡って私たちは自然保護の大切さを繰り返し訴え続けてきました。ところが残念なことに、自然環境をめぐる状況は依然多くの問題を抱えたままです。私たちは自然を護ることが本当にできるのだろうか。それには何から始めるべきか。
自らに問いかけた課題を解くためにザ・ノース・フェイスは、持続可能性や製造責任を追求し、リサイクル可能な新素材による製品づくりを始めました。プロダクトのパフォーマンスを最大限に高めながら、環境への負荷を最小限に抑える。この地球という美しい惑星を護るための私たちの新たな取り組みに、どうぞご期待ください。

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