Switzerland Tour - The Story of 2 Worlds / THE NORTH FACE Climber中嶋徹

限界を押し上げることが出来たという事実はその過程がどうであれクライマーにとってはとても大切な事だ。

頭の中が真っ白になった。
2/9The North Face Cup Division1決勝第二ラウンド。右手の薬指に感覚が無かった。裏に戻って冷静になった時に真っ先に頭に浮かんだのは2週間後に控えていたスイス遠征の事だった。自分の順番になる直前まで決心がつかなかったが「ここは自分の居場所じゃない」と言い聞かせて3ラウンド目を棄権した。登らない、それが僕がクライマーとして出来る精いっぱいの事だった。
昨年の11月に自転車で事故にあってから体の調子は最悪だった。身の回りの電子機器が壊れたり、人間関係がこじれたり、これ程まで流れが悪くなったことが無かったので、正直困惑してしまった。その不調から回復してきた矢先、今度は指を痛めた。ツアーが直後に控えているにも関わらず何もすることが出来ない。生活の中で生産的な事をする気が無くなってしまい、体はどんどん鈍って行った。早くクライミングを再開したい一方、スイスに対するモチベーションがみるみる落ちてゆくのがわかった。

2/25出国。1ヵ月のツアーが始まった。最初の1週間はほとんど雨か雪で濡れた岩を拭きながらのクライミングとなった。モチベーションは上がらないが、やる気が出ないなんて情けないこと言っている場合ではない。来ないという選択をしなかった時点で、無駄に出来る時間などない。雨の中クレシャノのThe Story of 2 Worlds 8Cへ向かった。Photo 1
この課題は前半パートが完全にルーフの中なので、雨でもムーブの解析は出来た。時々感じる指の痛みにひやひやさせられたが、慎重に持ち方を選んで、この日大まかなムーブを作った。トライ2日目に後半に当たるThe Dagger V14を登り、前半パートも繋げることが出来た。暫くは晴れる予報が出ていたため、これは意外と速く登れるかもしれないと期待した。しかし期待に反してここからが長かった。

繋げ初日は出だしの負荷がかかるホールドで指を切り敗退。その直後に気温が20℃近くまで上昇してしまった。フリクションを重視するホールドが多い上に、25手ある核心セクションにはチョークアップできる場所が無い。その後はThe Daggerの核心を越えた後、ホールドのヌメリでひたすら落とされ続けた。
とにかくこの課題を早く登りたかった。純粋に登りたい気持ちはあっという間に消え去り、早く終わらせて他の課題をトライしたいと思うようになった。下部の細かいカチを握り込んでいる左手の指は、肉が潰れ紫色に変色してしまい、物に触れるだけで痛みを感じるようになった。それでも他の課題を後目にStoryに通い詰めた。Photo 2

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3/12 トライ7日目。The Daggerの落とされ続けた部分に、ヌメってもこなせるムーブを発見した。最後のピースがはまった瞬間だった。気温は高く、風も全く吹いていなかったが、いてもたってもいられずスタートからのトライを始めた。11月からのダメな流れをここで終わらす。2/9に自分にできなかった事を、自分がしたかった事を、ここでやるのだ。
下部の核心で指が痛くて何回か落とされたが、何回か思い切り握り込んで感覚を麻痺させたトライで下部を突破した。更にムーブを変更した箇所も。ここから先は完全に自動化したパートだったがもうほとんど余力が無く、1手1手本当にギリギリだった。叫びながら振り絞りに振り絞ったせいで、マントルを返した後スラブに座り込んでしまった。アドレナリンが切れたのか腕が重くて上がらなかった。

The Story of 2 Worldsは今まで登った課題の中では間違いなく最難だった。それは気温の高さや体調と関係ない、ただ単純に自分にとっての関門だったという意味である。終わってしまえば、最初からもっとムーブを詰めておけばとか、気温が低ければとか考えるが、それは自分にとってそれほど重要ではない。限界を押し上げることが出来たという事実はその過程がどうであれクライマーにとってはとても大切な事だ。指はまだ痛むものの、ダメな流れはもう終わっていたと確認できた。やっと前を向くことが出来た。

Storyが終わってからの二週間は肩の力を抜いてクライミングをすることが出来た。Big Paw 8B+/CPhoto 3, 4やInsanity of Grandeur 8CPhoto 5といった高難度課題の完登や、Second Life 8BPhoto 6のフラッシュを含め、やりたいと思った課題をひたすら登った。こういった成果を首尾よく出せたのは、何よりクライミングが楽しかったからかもしれない。思えば、自分にとってクライミングとは本来そういうものだったのだから当然と言えば当然である。気付けば指の痛みも感じなくなっていた。

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帰国後、山梨県の瑞牆山で1年間トライし続けたプロジェクトを初登することが出来た。トライできなかった3ヵ月間、このプロジェクトの事を思い続けたからこそ、昨年8日間打ち込んで出来なかった課題が、この日は落ちる気がしなかった。しかしそれは全くムーブがこなせなくても、地道に通い詰めた8日間があった事を忘れているからかもしれない。Storyとこの課題を登って、限界というものが自分のやりたい事の中に無いことが分かった。Storyは登った後も尚、クライミングにおいて乗り越えなくてはならない関門を僕に示しているのである。

THE NORTH FACE Climber / 中嶋徹