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THE NORTH FACE

わたしたちの忘れられない、アウトドア体験談

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Photo: Kasane Nogawa Photo: Kasane Nogawa

アウトドアがライフスタイルの
一端を担うようになってひさしい。
日々の生活のなかで、
誰もが各々の距離感と形で、
外遊びと向き合っているような気がします。
山を愛し、旅を愛し、
アウトドアを満喫している女性たち。
それぞれに、その想いをきいてみました。
彼女たちが語る言葉や
その記録となった写真から、
アウトドアが持つ魅力の一片を
紡いでいきましょう。

Interview & Text : Yuho Nomura

↓

小島聖

子役としてデビューし、10代から役者の世界を生きる小島さん。彼女が登山を始めたのは、30歳を迎えた頃だった。それはネパールを旅した際に、トレッキングの魅力に惹かれたことがきっかけだったという。そこから小島さんの本格的な登山ライフは始まった。「ネパールで初めてトレッキングの気持ち良さを知って、日本でも山に行こうと思いました。その頃、仕事で知り合った写真家の野川さんと山の話で意気投合し、何度か一緒に山を登るようになりました。そして父の死をキッカケに名前の由来でもある聖岳にも登ってみました」。

それ以降、プライベートで多くの時間を費やすようになった登山で、自身の見識を広げた印象深いエピソードがある。その体験について小島さんは思い出を丁寧に紡ぐように話してくれた。「旅をすることは昔から割と好きだったんだと思います。だから山登りも自然と馴染めたというか。これまでに印象的だったのは、アメリカのヨセミテ国立公園にあるジョン・ミューア・トレイルというトレッキングルートを20日間かけて歩いたことです。もちろん楽な道のりではなかったし、大変なことも多かったのですが、歩くことの醍醐味と、日本では決して味わえることのない景色や空気、コミュニケーションに触れることができて、かけがえのない経験ができたといまでも思っています」。ロングトレイルの聖地としても知られる憧れの地。そんなスポットで、男性でも過酷と言える20kgの荷物を背負いながら歩いた経験は、小島さんの貴重な財産ともなっている。

大人になってから出会った趣味は一生モノ。小島さんにとっての登山は、女優業を真摯に極めてきた彼女の新たな刺激となり、現在も変わることのないライフワークとなっている。その一例とも言えるのが、自身初となるエッセイ集だ。その作品には、彼女が10年間で出会った登山や旅の記録として、ネパールやジョン・ミューア・トレイルはもちろん、フランスのモンブラン、スイスのマッターホルン、アラスカなど過去に歩いた経験のある山々の思い出が小島さん自身の言葉と写真を中心に構成されている。「エベレスト街道を歩いたネパールでの形容しがたい絶景や甘いミントティー、夏季にベリー天国を迎えるアラスカの荒野に広がるサーモンベリーを摘んで食べたこと。山は登ることだけが魅力というわけではないんです」。

そんな旅と山歩きは、小島さんの日常を多色に彩り、豊かにしていく。そしてプライベートでは母となったいま、小島さんの心境になにか変化はあったのだろうか。「まだ子供が小さいので海外などの遠出はなかなかできないけれど、それでも登山や旅行には一緒に行っています。子供と行く山は大変なことも多いですが、それはそれで楽しい部分もあります。願わくば、子供が将来自然を嫌いにならないでいてくれたら嬉しいです(笑)。いつかは自然のある場所に住みたいと考えていた時期もありましたが、結局いまの仕事は街にいる方が便利だし、拠点を変えることは現実的ではないかなと。デュアルライフのような感覚で、仕事とプライベートのアクティビティ、あるいは街と自然を自在に行き来できる生活が、私や家族のライフスタイルにはあっているのかなと思います」。人生を変えるほどの出会いとなった小島さんにとっての登山は、スタイルを変えながら、これからも貴重な自然体験として続いていく。

小島聖

小島 聖

女優

1976年生まれ、東京都出身。1989年、NHK大河ドラマ『春日局』で女優デビュー。その後、ドラマや映画、CMなど様々な分野で活躍。柔らかな雰囲気と存在感には定評があり、映像作品はもとより話題の演出家の舞台にも多数出演。また30代で出会った山の魅力に魅せられ、プライベートでは国内外の様々な山を登るなどアウトドアに関するライフスタイルでも注目され、2018年には自身初のエッセイとなる「野生のベリージャム(青幻舎)」を刊行。

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小島聖

子役としてデビューし、10代から役者の世界を生きる小島さん。彼女が登山を始めたのは、30歳を迎えた頃だった。それはネパールを旅した際に、トレッキングの魅力に惹かれたことがきっかけだったという。そこから小島さんの本格的な登山ライフは始まった。「ネパールで初めてトレッキングの気持ち良さを知って、日本でも山に行こうと思いました。その頃、仕事で知り合った写真家の野川さんと山の話で意気投合し、何度か一緒に山を登るようになりました。そして父の死をキッカケに名前の由来でもある聖岳にも登ってみました」。

それ以降、プライベートで多くの時間を費やすようになった登山で、自身の見識を広げた印象深いエピソードがある。その体験について小島さんは思い出を丁寧に紡ぐように話してくれた。「旅をすることは昔から割と好きだったんだと思います。だから山登りも自然と馴染めたというか。これまでに印象的だったのは、アメリカのヨセミテ国立公園にあるジョン・ミューア・トレイルというトレッキングルートを20日間かけて歩いたことです。もちろん楽な道のりではなかったし、大変なことも多かったのですが、歩くことの醍醐味と、日本では決して味わえることのない景色や空気、コミュニケーションに触れることができて、かけがえのない経験ができたといまでも思っています」。ロングトレイルの聖地としても知られる憧れの地。そんなスポットで、男性でも過酷と言える20kgの荷物を背負いながら歩いた経験は、小島さんの貴重な財産ともなっている。

大人になってから出会った趣味は一生モノ。小島さんにとっての登山は、女優業を真摯に極めてきた彼女の新たな刺激となり、現在も変わることのないライフワークとなっている。その一例とも言えるのが、自身初となるエッセイ集だ。その作品には、彼女が10年間で出会った登山や旅の記録として、ネパールやジョン・ミューア・トレイルはもちろん、フランスのモンブラン、スイスのマッターホルン、アラスカなど過去に歩いた経験のある山々の思い出が小島さん自身の言葉と写真を中心に構成されている。「エベレスト街道を歩いたネパールでの形容しがたい絶景や甘いミントティー、夏季にベリー天国を迎えるアラスカの荒野に広がるサーモンベリーを摘んで食べたこと。山は登ることだけが魅力というわけではないんです」。

そんな旅と山歩きは、小島さんの日常を多色に彩り、豊かにしていく。そしてプライベートでは母となったいま、小島さんの心境になにか変化はあったのだろうか。「まだ子供が小さいので海外などの遠出はなかなかできないけれど、それでも登山や旅行には一緒に行っています。子供と行く山は大変なことも多いですが、それはそれで楽しい部分もあります。願わくば、子供が将来自然を嫌いにならないでいてくれたら嬉しいです(笑)。いつかは自然のある場所に住みたいと考えていた時期もありましたが、結局いまの仕事は街にいる方が便利だし、拠点を変えることは現実的ではないかなと。デュアルライフのような感覚で、仕事とプライベートのアクティビティ、あるいは街と自然を自在に行き来できる生活が、私や家族のライフスタイルにはあっているのかなと思います」。人生を変えるほどの出会いとなった小島さんにとっての登山は、スタイルを変えながら、これからも貴重な自然体験として続いていく。

小島聖

小島 聖

女優

1976年生まれ、東京都出身。1989年、NHK大河ドラマ『春日局』で女優デビュー。その後、ドラマや映画、CMなど様々な分野で活躍。柔らかな雰囲気と存在感には定評があり、映像作品はもとより話題の演出家の舞台にも多数出演。また30代で出会った山の魅力に魅せられ、プライベートでは国内外の様々な山を登るなどアウトドアに関するライフスタイルでも注目され、2018年には自身初のエッセイとなる「野生のベリージャム(青幻舎)」を刊行。

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野川かさね

野川さんが大学生だった当時、時代はHIROMIXさんを始めとする女性写真家が活躍したガールズフォトブームの真っ只中。その潮流を追うように手に取った「Nikon FM」のフィルムカメラで撮る何気ない日常が、写真家としての第一歩だった。その後、本格的に写真の世界へと飛び込んだ野川さんは、第一線で活躍する写真家のアシスタントを経て、独立。当時のことを聞くと、懐かしく語り出してくれた。「アシスタント時代は脇目も振らずに日々の仕事と格闘する中、“自分の写真”を模索し、様々なモチーフを撮影していました。そんな折に出会ったのが、山だったんです。そして実際に撮影のために山へ行ってみると、これまで写真の中で見ていたり、頭でイメージしていた山とは違う印象を抱きました。それまでは雄大で野生的に感じていた山の姿だけが山ではなく、実は山道の途中にある植物やその地に住まう動物たち、あるいは山小屋など、小さな要素がいくつも重なって、ひとつの山を構成しているのだと気付いたんです。そんな些細な発見が、私の知的好奇心を刺激したんだと思います」。

誰にとっても普遍的な存在であった山との邂逅が、その後の野川さんの写真家としての道筋を大きく左右していく。それからは取り憑かれたように山をテーマにした写真や資料集などを読み漁り、時間があれば実際に様々な山へと足を運んだという。「元々はインドア派の人間だったので、山登りなんか当然初心者。それでも山を知っていくうちにどんどん夢中になっていく自分がいたんです。そして私なりの山への視点を作品にすればいいのでは? と思い立ったんですよね。それから鹿や山小屋に焦点を当てた写真を撮るようになっていきました。それが今でも私の作家的な活動の基盤にもなっています。山のシリーズ本にしていきたいんですよね。いつ完結するかは分からないですが、それほど山というモチーフは奥深く、追求し甲斐のあるテーマなんです」。写真家にとって、その被写体となる存在に夢中になることは、最も大切なモチベーション。そんな思いを彼女の言葉から感じ取った。

そこまで話を聞いたところで、彼女にとって山はどんな存在なのか。山の持つ魅力について訊いてみた。「魅力というとたくさんあるんですが、そのなかでも感じることは、いざ山の中に飛び込むと四季の区切りが曖昧なことに気付かされたんです。なんというかグラデーションのように日々山の景色は変化している気がしていて。それは遠目に眺める山の風景では決して実感できなくて、一歩一歩自分の足で山を歩き、自然と触れ合い、己の目で向き合うことで改めて知れたことなんじゃないかと思います。そしてそんな発見が得られたのも、きっと自分が居心地が良いと思える自然のある場所だと、感覚が研ぎ澄まされていくからなのだろうとも。とはいえ別に山や自然に対してストイックなわけではないんですよ(笑)。都会も好きですし、そうした対極にある環境でそれぞれ自分の居場所を見つけられることが、自然体でいられる要因なんだろうと思います」。

そう真摯に山と向き合う野川さん。最後にこれまでで、いちばん印象的だった出来事についても尋ねてみた。「日常の延長として捉えている部分もあるので、そんなに印象的な出来事っていうのはないんですけど、私にとって居心地が良いと思える山はありますね。やっぱり山ならではの季節を感じたいのと、先ほども話したように、山小屋や高原など山を構成するものすべてが魅力だと思っています。そうした感覚に出会える山が好きですね。国内なら尾瀬や北八ヶ岳はとても心地の良い場所で、高原もよく行きますね。いわゆる低山と呼ばれる標高の低い山も。登山をしているときはなにかを意識しすぎたり、考えすぎたりすることから解放されて、感覚に素直でいられるところが良いのかもしれないですね。なにをするわけでもなく。そうした特別な体験を求めないことが、私なりの山との付き合い方だと思います」。

野川かさね

野川かさね

写真家

1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、写真家のホンマタカシ氏に師事。2005年に独立後、様々な雑誌や書籍、ブランドのクライアントワークに携わりながら、クリエイティブユニット「kvina」の一員としても活動中。また近年は山や自然をテーマにした個展の開催や作品も数多く発表。主な代表作は、写真集に「Above Below」、「with THE MOUNTAIN」、著書に「山と写真(実業之日本社)」、「山小屋の灯(平凡社)」などがある。現在ウェブマガジンの「&w」で連載企画『東京ではたらく』の撮影も担当している。

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野川かさね

野川さんが大学生だった当時、時代はHIROMIXさんを始めとする女性写真家が活躍したガールズフォトブームの真っ只中。その潮流を追うように手に取った「Nikon FM」のフィルムカメラで撮る何気ない日常が、写真家としての第一歩だった。その後、本格的に写真の世界へと飛び込んだ野川さんは、第一線で活躍する写真家のアシスタントを経て、独立。当時のことを聞くと、懐かしく語り出してくれた。「アシスタント時代は脇目も振らずに日々の仕事と格闘する中、“自分の写真”を模索し、様々なモチーフを撮影していました。そんな折に出会ったのが、山だったんです。そして実際に撮影のために山へ行ってみると、これまで写真の中で見ていたり、頭でイメージしていた山とは違う印象を抱きました。それまでは雄大で野生的に感じていた山の姿だけが山ではなく、実は山道の途中にある植物やその地に住まう動物たち、あるいは山小屋など、小さな要素がいくつも重なって、ひとつの山を構成しているのだと気付いたんです。そんな些細な発見が、私の知的好奇心を刺激したんだと思います」。

誰にとっても普遍的な存在であった山との邂逅が、その後の野川さんの写真家としての道筋を大きく左右していく。それからは取り憑かれたように山をテーマにした写真や資料集などを読み漁り、時間があれば実際に様々な山へと足を運んだという。「元々はインドア派の人間だったので、山登りなんか当然初心者。それでも山を知っていくうちにどんどん夢中になっていく自分がいたんです。そして私なりの山への視点を作品にすればいいのでは? と思い立ったんですよね。それから鹿や山小屋に焦点を当てた写真を撮るようになっていきました。それが今でも私の作家的な活動の基盤にもなっています。山のシリーズ本にしていきたいんですよね。いつ完結するかは分からないですが、それほど山というモチーフは奥深く、追求し甲斐のあるテーマなんです」。写真家にとって、その被写体となる存在に夢中になることは、最も大切なモチベーション。そんな思いを彼女の言葉から感じ取った。

そこまで話を聞いたところで、彼女にとって山はどんな存在なのか。山の持つ魅力について訊いてみた。「魅力というとたくさんあるんですが、そのなかでも感じることは、いざ山の中に飛び込むと四季の区切りが曖昧なことに気付かされたんです。なんというかグラデーションのように日々山の景色は変化している気がしていて。それは遠目に眺める山の風景では決して実感できなくて、一歩一歩自分の足で山を歩き、自然と触れ合い、己の目で向き合うことで改めて知れたことなんじゃないかと思います。そしてそんな発見が得られたのも、きっと自分が居心地が良いと思える自然のある場所だと、感覚が研ぎ澄まされていくからなのだろうとも。とはいえ別に山や自然に対してストイックなわけではないんですよ(笑)。都会も好きですし、そうした対極にある環境でそれぞれ自分の居場所を見つけられることが、自然体でいられる要因なんだろうと思います」。

そう真摯に山と向き合う野川さん。最後にこれまでで、いちばん印象的だった出来事についても尋ねてみた。「日常の延長として捉えている部分もあるので、そんなに印象的な出来事っていうのはないんですけど、私にとって居心地が良いと思える山はありますね。やっぱり山ならではの季節を感じたいのと、先ほども話したように、山小屋や高原など山を構成するものすべてが魅力だと思っています。そうした感覚に出会える山が好きですね。国内なら尾瀬や北八ヶ岳はとても心地の良い場所で、高原もよく行きますね。いわゆる低山と呼ばれる標高の低い山も。登山をしているときはなにかを意識しすぎたり、考えすぎたりすることから解放されて、感覚に素直でいられるところが良いのかもしれないですね。なにをするわけでもなく。そうした特別な体験を求めないことが、私なりの山との付き合い方だと思います」。

野川かさね

野川かさね

写真家

1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、写真家のホンマタカシ氏に師事。2005年に独立後、様々な雑誌や書籍、ブランドのクライアントワークに携わりながら、クリエイティブユニット「kvina」の一員としても活動中。また近年は山や自然をテーマにした個展の開催や作品も数多く発表。主な代表作は、写真集に「Above Below」、「with THE MOUNTAIN」、著書に「山と写真(実業之日本社)」、「山小屋の灯(平凡社)」などがある。現在ウェブマガジンの「&w」で連載企画『東京ではたらく』の撮影も担当している。

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澤野 彩

Instagramを見ていると、世界には旅をする女性が多いことに驚かされる。「さわーた」というアカウントで自由気ままに世界各国を旅する彼女もそのひとり。そのきっかけは、高校時代に遡る。「修学旅行でオーストラリアに行ったんですが、その時はじめて世界の片隅を垣間見れた気がして、小さい頃からの夢だった海外暮らしを絶対に実現させたいとその時強く思いました。それまでは金沢で暮らしていて、古き良きものと最先端のカルチャーが混在している空気感が好きで、海外にへの一方的な憧れは抱きながらも、なかなか行動へと移すきっかけがなかったんです」。日本人の多くが訪れる国のひとつでもあるオーストラリア。澤野さんもこの国のスローな空気感と壮大な自然に囲まれた土壌に魅了されてしまったらしい。そしていつしか海外移住を志し、その事前準備として海外の語学学校へと進学する。「海が好きだったこともあって、たくさんのリゾート地に恵まれたセブ島に留学しました。海外に住むならなにより英語を話せないといけないと思いました。昔から行動力だけはあったんですよね」と笑いながら語る澤野さん。その後、無事に単身渡豪。晴れて憧れの海外移住を果たした。

「たまたま友人が働いていたこともあって、オーストラリアではずっとメルボルンに滞在していました。すごい良い街で、これぞ私の求めていた場所だって思いましたね」と当時を回想する澤野さん。その後、一度は地元の金沢へ帰郷するが、また新たな刺激を求めて再度海外への移住を志すようになる。それが現在も続く世界一周旅行の発端なのだという。「いざ、また海外に住もうと思っても、オーストラリア以上に魅力を感じる国が見つからなくて。それなら思い切って旅をしながら、探せばいいかって(笑)。ちょうど旅行用に貯めていた100万円があったので、それを軍資金に今年の1月から世界一周の旅に出ました」。誰もが一度は思い描く、世界一周の旅という野望。多くの人が挫折していくなかで彼女の言葉から、踏み出す一歩、その勇気の大切さを教えてくれる。

「1カ国目は仲の良い友人が住んでいる台湾に行きました。台湾での思い出は、台南の宿でオーナーさんと仲良くなり、色々なスポットにバイクで連れて行ってもらえたこと。人の温かさに触れられた国でしたね。それから2カ国目は、第2の故郷でもあるオーストラリア。主にビーチワースという片田舎を拠点にしながら、トータルで3週間くらい滞在していました。友達のおばあちゃんがカンガルーやウォンバットなどのオーストラリアならではの動物の保護をしている施設を経営していたんですが、そこで赤ちゃんカンガルーのお世話をしにいったり、友達家族と一緒にご飯を作ったり、今後の旅の計画をしながら過ごしていました。やっぱり居心地の良い場所だなと再確認できました。そしていまはタイに来ています。どんな思い出ができるか楽しみですね」。そう瞳を輝かせながら話す澤野さんは、いままさに夢を実現させてる真っ最中。そんな彼女に、旅をする際に欠かせないマイルールはあるか、と尋ねてみた。

「現地の人と目があったら笑うこと。言葉は通じなくでも笑顔の人には悪い人はいないと思っているので。あとはお気に入りの居場所を探すことです。お洒落なカフェでも、本屋さんでも、自分が“ホーム”と呼べる場所ならなんでもいいんです。私がホテルで働いていたこともあって、お洒落なホテルに泊まるのが好きなので、そう思うのかもしれませんね。もうひとつ、これは大好きな作家である松浦弥太郎さんがよく著作で書いていることですが、なるべく同じカフェでコーヒーを飲んだり、朝ごはんを食べて、公園やホテルでゴロゴロと寛ぎながら、本を読むこと。それがいちばんの贅沢なんじゃないかって最近気付いたんです」。世界各国に自分だけの居場所を持つこと、そして旅先でも変わらず日常を過ごすことが、澤野さんにとって最も大切な旅の掟。そしてそんな魅力に気付いた彼女だからこそ、世界一周旅行への勇敢な一歩も踏み出せたに違いない。

澤野 彩

澤野 彩

インスタグラマー

1995年生まれ、石川県出身。高校卒業後、セブ島への語学留学を経て単身渡豪。メルボリンで2年近く暮らし、2017年に帰国。その後、故郷の金沢で海外ゲスト向けのホテルに就職し、地元の魅力を国内外の人々に伝えるべく、日々奮闘する。また自身のインスタグラムに投稿される旅の風景や金沢での日常の写真が話題を呼び、ローカルに住むインフルエンサーとして注目が集まる。念願でもあった世界一周の旅を始め、現在は3カ国目のタイに滞在中。

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澤野 彩

Instagramを見ていると、世界には旅をする女性が多いことに驚かされる。「さわーた」というアカウントで自由気ままに世界各国を旅する彼女もそのひとり。そのきっかけは、高校時代に遡る。「修学旅行でオーストラリアに行ったんですが、その時はじめて世界の片隅を垣間見れた気がして、小さい頃からの夢だった海外暮らしを絶対に実現させたいとその時強く思いました。それまでは金沢で暮らしていて、古き良きものと最先端のカルチャーが混在している空気感が好きで、海外にへの一方的な憧れは抱きながらも、なかなか行動へと移すきっかけがなかったんです」。日本人の多くが訪れる国のひとつでもあるオーストラリア。澤野さんもこの国のスローな空気感と壮大な自然に囲まれた土壌に魅了されてしまったらしい。そしていつしか海外移住を志し、その事前準備として海外の語学学校へと進学する。「海が好きだったこともあって、たくさんのリゾート地に恵まれたセブ島に留学しました。海外に住むならなにより英語を話せないといけないと思いました。昔から行動力だけはあったんですよね」と笑いながら語る澤野さん。その後、無事に単身渡豪。晴れて憧れの海外移住を果たした。

「たまたま友人が働いていたこともあって、オーストラリアではずっとメルボルンに滞在していました。すごい良い街で、これぞ私の求めていた場所だって思いましたね」と当時を回想する澤野さん。その後、一度は地元の金沢へ帰郷するが、また新たな刺激を求めて再度海外への移住を志すようになる。それが現在も続く世界一周旅行の発端なのだという。「いざ、また海外に住もうと思っても、オーストラリア以上に魅力を感じる国が見つからなくて。それなら思い切って旅をしながら、探せばいいかって(笑)。ちょうど旅行用に貯めていた100万円があったので、それを軍資金に今年の1月から世界一周の旅に出ました」。誰もが一度は思い描く、世界一周の旅という野望。多くの人が挫折していくなかで彼女の言葉から、踏み出す一歩、その勇気の大切さを教えてくれる。

「1カ国目は仲の良い友人が住んでいる台湾に行きました。台湾での思い出は、台南の宿でオーナーさんと仲良くなり、色々なスポットにバイクで連れて行ってもらえたこと。人の温かさに触れられた国でしたね。それから2カ国目は、第2の故郷でもあるオーストラリア。主にビーチワースという片田舎を拠点にしながら、トータルで3週間くらい滞在していました。友達のおばあちゃんがカンガルーやウォンバットなどのオーストラリアならではの動物の保護をしている施設を経営していたんですが、そこで赤ちゃんカンガルーのお世話をしにいったり、友達家族と一緒にご飯を作ったり、今後の旅の計画をしながら過ごしていました。やっぱり居心地の良い場所だなと再確認できました。そしていまはタイに来ています。どんな思い出ができるか楽しみですね」。そう瞳を輝かせながら話す澤野さんは、いままさに夢を実現させてる真っ最中。そんな彼女に、旅をする際に欠かせないマイルールはあるか、と尋ねてみた。

「現地の人と目があったら笑うこと。言葉は通じなくでも笑顔の人には悪い人はいないと思っているので。あとはお気に入りの居場所を探すことです。お洒落なカフェでも、本屋さんでも、自分が“ホーム”と呼べる場所ならなんでもいいんです。私がホテルで働いていたこともあって、お洒落なホテルに泊まるのが好きなので、そう思うのかもしれませんね。もうひとつ、これは大好きな作家である松浦弥太郎さんがよく著作で書いていることですが、なるべく同じカフェでコーヒーを飲んだり、朝ごはんを食べて、公園やホテルでゴロゴロと寛ぎながら、本を読むこと。それがいちばんの贅沢なんじゃないかって最近気付いたんです」。世界各国に自分だけの居場所を持つこと、そして旅先でも変わらず日常を過ごすことが、澤野さんにとって最も大切な旅の掟。そしてそんな魅力に気付いた彼女だからこそ、世界一周旅行への勇敢な一歩も踏み出せたに違いない。

澤野 彩

澤野 彩

インスタグラマー

1995年生まれ、石川県出身。高校卒業後、セブ島への語学留学を経て単身渡豪。メルボリンで2年近く暮らし、2017年に帰国。その後、故郷の金沢で海外ゲスト向けのホテルに就職し、地元の魅力を国内外の人々に伝えるべく、日々奮闘する。また自身のインスタグラムに投稿される旅の風景や金沢での日常の写真が話題を呼び、ローカルに住むインフルエンサーとして注目が集まる。念願でもあった世界一周の旅を始め、現在は3カ国目のタイに滞在中。

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福井由美子

海外や国内の観光地へ行くと、意外にも一人旅をする女性が多いことに驚かされる。そして今回ご紹介する福井さんもそんな旅好きな女性のひとり。女性の一人旅を応援する編集者であり、女子の一人旅を指南した書籍「ひとりっぷ」シリーズの著者「ひとりっP」として活動中だ。会社員でありながら年間25回以上プライベートで海外に出かけるという、生粋の旅好きである福井さんが一人旅を始めたきっかけは、20代の頃に遡る。「初めての海外は、学生時代に友人と出かけたハワイ1か月。この旅で海外旅行の楽しさにハマってしまい、社会人になってからも友人や会社の同期などを誘ってあちこちに出かけていたんですが、ある時、香港に行きたいけれど都合の合う同行者がどうしても見つからず、だったら一人で行ってみるかと思ったのが始まりですね」。

女性一人旅。「最初の一人旅は多少の不安もありましたけれど、それは香港に着くまで。空港を一歩出たら、自分の好きなように行動していい自由さに気づいて感動。以来すっかり“ひとりっぱー”です。そして、旅をしていく中で、一人旅女性は、危機管理意識が強いし、出発前の下調べにも余念がなく、旅先での行動にも慢心がない人がほとんどなことに気づきました。男性はむしろ無茶をしてトラブルに会っている旅人が多い(笑)。なので、、女性はじつは一人旅に向いている、というのが私の持論です。もちろん気心の知れた友達と旅するのも楽しいんですが、同行者に遠慮することなく自由に行動できるとなると、旅の楽しみ方もそれまでとはかなり違ってくると思いますよ」。そう語る福井さんの言葉から、自身の行動を裏付ける確かな信念と説得力が感じられる。

そんな福井さんは実際には、どんな旅をしているのか。「じつは、ひとりっぷ回数400回のうち300回は弾丸旅で、うち150回以上は香港なんです。好きすぎてとうとう、ここ3年くらいは月イチで出かけるようになってしまいました。羽田発着の深夜便があり、金曜日の仕事終わりにささっと飛行機に搭乗。帰りは香港を日曜の深夜に出て、月曜早朝に羽田戻り。会社を休まず、でもほぼ土日丸々の滞在が可能なんですよ。もはや山手線に乗る感覚で出かけていますね。香港ってとにかく街の新陳代謝が激しくて、日本よりずっとスピーディ。行くたびに様相が変わっていて、月イチの訪問でも追いつけるかどうか。そんな変化を見ているだけでも楽しいんです。そもそも香港は、歴史的な背景もあって、社会システムなど含めていろんな意味で日本より断然グローバルスタンダードだし、先進的。その一方で、一本隣の道に入ると超ローカルな市場街があったりして、歩いているだけでも本当に面白い。。そんな街、なかなかないですよね」。

一人旅歴25年、渡航回数も400回を超える福井さんにとって、今までの旅はすべて人生の貯金となっているという。「学生時代に行って以来40回以上リピートしているタイとシンガポール、子どものときから憧れていただけに大感激した中国のシルクロード、すばらしすぎて通算4度も出かけているペルーのマチュ・ピチュ、日本の震災に心を痛め、私のことを心配してくれていた現地の人との再会もあった2度目のオマーンなど、どの旅先での経験も本当に一期一会。まさに人生の貯金だと思っています」。最後に海外旅行を楽しむためのコツを訊いてみた。「私は、初めて行く場所のガイドブックは、タイプの違うものを最低3冊、最初から最後まで読むようにしています。現地で落ち着いて行動できる、危機管理として必須、という以外に、基本的な知識を持って出かけるのは訪問先への最低限の礼儀だと思っているので。ただ、ガイドブックがすべてではないんですよね。現地に着いてからは、空港のツーリストインフォメーションや観光局では必ず各種パンフレットをチェック、宿の人や他の国からの旅行者にはおすすめを聞きます。ガイドブックがカバーしきれていない情報って結構あるんですよ。もうひとつ、私自身は、海外では自分は日本の親善大使だと思って行動しています。日本の代表として相手の国に失礼のないよう、その国を旅させてもらってありがとうございますという気持ちを忘れずに。逆に日本に帰ってきてからは、私自身が訪問先の国の『日本での“勝手に親善大使”』になってしまいますね。“すべての旅は世界平和に通ず”。旅することには意味があるんです。なので、みなさんにもどんどん旅に出ていただきたいと、心から思っています!」。

福井由美子

福井由美子

編集者

福井由美子

女性の一人旅を「ひとりっぷ®︎」と名付け応援中の編集者。大学卒業後、集英社に入社。「non-no」、「MEN’S NON・NO」編集部を経て、2013〜15年に「SPUR」の編集長を務め、現在は雑誌デジタル室室長に。会社員にもかかわらず、海外ひとり旅歴25年、回数は実に400回(全て自腹)を超える、自称旅バカ。その圧倒的実体験をもとに、女子ひとり旅について指南した書籍「今日も世界のどこかでひとりっぷ(集英社)」、「明日も世界のどこかでひとりっぷ2~秘境・絶景編~(集英社)」を編集、執筆、撮影。同シリーズの第3弾となる「昨日も世界のどこかでひとりっぷ3~弾丸無茶旅編~(集英社)」が4月20日に発売されたばかり。座右の銘は「旅は人生の貯金」、合言葉は「Have a nice ひとりっぷ!」。

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福井由美子

海外や国内の観光地へ行くと、意外にも一人旅をする女性が多いことに驚かされる。そして今回ご紹介する福井さんもそんな旅好きな女性のひとり。女性の一人旅を応援する編集者であり、女子の一人旅を指南した書籍「ひとりっぷ」シリーズの著者「ひとりっP」として活動中だ。会社員でありながら年間25回以上プライベートで海外に出かけるという、生粋の旅好きである福井さんが一人旅を始めたきっかけは、20代の頃に遡る。「初めての海外は、学生時代に友人と出かけたハワイ1か月。この旅で海外旅行の楽しさにハマってしまい、社会人になってからも友人や会社の同期などを誘ってあちこちに出かけていたんですが、ある時、香港に行きたいけれど都合の合う同行者がどうしても見つからず、だったら一人で行ってみるかと思ったのが始まりですね」。

女性一人旅。「最初の一人旅は多少の不安もありましたけれど、それは香港に着くまで。空港を一歩出たら、自分の好きなように行動していい自由さに気づいて感動。以来すっかり“ひとりっぱー”です。そして、旅をしていく中で、一人旅女性は、危機管理意識が強いし、出発前の下調べにも余念がなく、旅先での行動にも慢心がない人がほとんどなことに気づきました。男性はむしろ無茶をしてトラブルに会っている旅人が多い(笑)。なので、、女性はじつは一人旅に向いている、というのが私の持論です。もちろん気心の知れた友達と旅するのも楽しいんですが、同行者に遠慮することなく自由に行動できるとなると、旅の楽しみ方もそれまでとはかなり違ってくると思いますよ」。そう語る福井さんの言葉から、自身の行動を裏付ける確かな信念と説得力が感じられる。

そんな福井さんは実際には、どんな旅をしているのか。「じつは、ひとりっぷ回数400回のうち300回は弾丸旅で、うち150回以上は香港なんです。好きすぎてとうとう、ここ3年くらいは月イチで出かけるようになってしまいました。羽田発着の深夜便があり、金曜日の仕事終わりにささっと飛行機に搭乗。帰りは香港を日曜の深夜に出て、月曜早朝に羽田戻り。会社を休まず、でもほぼ土日丸々の滞在が可能なんですよ。もはや山手線に乗る感覚で出かけていますね。香港ってとにかく街の新陳代謝が激しくて、日本よりずっとスピーディ。行くたびに様相が変わっていて、月イチの訪問でも追いつけるかどうか。そんな変化を見ているだけでも楽しいんです。そもそも香港は、歴史的な背景もあって、社会システムなど含めていろんな意味で日本より断然グローバルスタンダードだし、先進的。その一方で、一本隣の道に入ると超ローカルな市場街があったりして、歩いているだけでも本当に面白い。。そんな街、なかなかないですよね」。

一人旅歴25年、渡航回数も400回を超える福井さんにとって、今までの旅はすべて人生の貯金となっているという。「学生時代に行って以来40回以上リピートしているタイとシンガポール、子どものときから憧れていただけに大感激した中国のシルクロード、すばらしすぎて通算4度も出かけているペルーのマチュ・ピチュ、日本の震災に心を痛め、私のことを心配してくれていた現地の人との再会もあった2度目のオマーンなど、どの旅先での経験も本当に一期一会。まさに人生の貯金だと思っています」。最後に海外旅行を楽しむためのコツを訊いてみた。「私は、初めて行く場所のガイドブックは、タイプの違うものを最低3冊、最初から最後まで読むようにしています。現地で落ち着いて行動できる、危機管理として必須、という以外に、基本的な知識を持って出かけるのは訪問先への最低限の礼儀だと思っているので。ただ、ガイドブックがすべてではないんですよね。現地に着いてからは、空港のツーリストインフォメーションや観光局では必ず各種パンフレットをチェック、宿の人や他の国からの旅行者にはおすすめを聞きます。ガイドブックがカバーしきれていない情報って結構あるんですよ。もうひとつ、私自身は、海外では自分は日本の親善大使だと思って行動しています。日本の代表として相手の国に失礼のないよう、その国を旅させてもらってありがとうございますという気持ちを忘れずに。逆に日本に帰ってきてからは、私自身が訪問先の国の『日本での“勝手に親善大使”』になってしまいますね。“すべての旅は世界平和に通ず”。旅することには意味があるんです。なので、みなさんにもどんどん旅に出ていただきたいと、心から思っています!」。

福井由美子

福井由美子

編集者

福井由美子

女性の一人旅を「ひとりっぷ®︎」と名付け応援中の編集者。大学卒業後、集英社に入社。「non-no」、「MEN’S NON・NO」編集部を経て、2013〜15年に「SPUR」の編集長を務め、現在は雑誌デジタル室室長に。会社員にもかかわらず、海外ひとり旅歴25年、回数は実に400回(全て自腹)を超える、自称旅バカ。その圧倒的実体験をもとに、女子ひとり旅について指南した書籍「今日も世界のどこかでひとりっぷ(集英社)」、「明日も世界のどこかでひとりっぷ2~秘境・絶景編~(集英社)」を編集、執筆、撮影。同シリーズの第3弾となる「昨日も世界のどこかでひとりっぷ3~弾丸無茶旅編~(集英社)」が4月20日に発売されたばかり。座右の銘は「旅は人生の貯金」、合言葉は「Have a nice ひとりっぷ!」。

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鈴木優香

国内最高峰の藝大を卒業し、アウトドアブランドのデザイナーとして社会人生活をスタートさせた鈴木さん。学生時代には触れてこなかったアウトドアアクティビティとの出会いは、入社して間もなく同僚の誘いから始まったという。「社員が皆アウトドア好きな人ばかりで、金曜日になると大きなザックを背負って出社してくる人もいたくらい。そんな環境だったので、私も自然と山のあるスポットに連れ出されるようになったんです。そこで登山を始め、カヤックやクライミングなども経験しました。最初はプレゼン時の説得力向上のためと、半ば義務的に山へと向かっていましたが、回数を重ねるごとに次第に山に惹かれていくようになりました」。この原体験があったからこそ、現在の生業である「MOUNTAIN COLLECTOR」の活動をスタートすることができたのだろう。

「前職を離れてから少しフリーで仕事をする時期があったのですが、登山への想いだけはなぜか強まる一方で。絶えず増えていく山の風景を記録した写真を眺めていたら、この体験を形に残したいと思うようになったんです。学生時代から布素材を扱うプロダクトを手がけていたので、それなら布にその景色をそのまま落とし込もうと思いました。それも広大な山の景色を、あえて四方を縫っただけの最小のプロダクトに収めるのが最適だと感じたんです」。美しい山の景色を、プロダクトに残すという斬新な発想。それはデザイナーである鈴木さんならではの視点だった。それから鈴木さんのライフワークとなった登山活動。しかし、たとえ身を置く環境が変わったとしても登山を通して見る景色は不変だった。

「『MOUNTAIN COLLECTOR』の活動は、ハンカチ作りだけではなくて、あくまで私の視点で山を記録し、その思いを綴るためのプロジェクト。山を純粋に楽しむ気持ちというのは変わりません。山を好きになったきっかけでもある、冷たくて気持ちの良い山の朝の空気。その感覚を大切にしながら、日々登山とテキスタイルの制作を繰り返しています」。鈴木さんにとっての創作意欲の源には、純粋な愛がある。そのベクトルはいまも変わらず山に向けられている。そして彼女は、過去に印象的だったという山にまつわるエピソードを話してくれた。「昨年の秋に、ネパールにあるエベレスト街道をトレッキングしてきたんです。圧倒的なスケール感を誇るヒマラヤの山々はもちろん、地元の人たちが暮らす村を通りながら、ゆっくりと歩いていく時間がとても心地よくて、忘れられない旅になりました。それ以降は、海外の山に心を持っていかれてしまって、もう一度ネパールに行くのも良いし、インドやスリランカの山もいいな、なんて思っています」。

それまでは国内の山々に心を奪われていた鈴木さんが、山というフィルターを通して、世界を知った出来事だった。その体験は、当然「MOUNTAIN COLLECTOR」の作品にも影響を与えている。さらには海外の山に憧れながら、その一歩を踏み出せないでいる同志へのエールとして、新たなクリエイションに発展させていくつもりなのだそう。最後に鈴木さんに登山をする上でのマイルールについて訊いてみた。「予定を詰め込みすぎず、早めに山小屋に着いたら、ゆっくりとコーヒーを飲むこと。そして小屋の前のベンチに腰掛けて何もしない時間を味わうこと。それは山を好きになった頃から変わりません。あとは、どんな山に対しても期待しすぎないことと、こんな写真が撮りたいと決めつけて行かないことですかね。山は天候の移ろいやすい場所なので、たとえ雨でも曇りでも楽しくやれるだろうと楽観的に向き合うことが大切だと思っています」。

鈴木優香

鈴木優香

デザイナー、山岳収集家

1986年生まれ、千葉県出身。東京藝術大学のデザイン科を卒業後、同大学の大学院へと進学。その後、新卒でアウトドアブランドに就職し、企画・デザインに携わる部署に配属。2015年に独立し、その後さまざなな山で見た美しい景色をハンカチに仕立てていくプロジェクト「MOUNTAIN COLLECTOR」を2016年に始動。前職時代に同僚に連れられ行った登山に感銘を受け、現在も定期的に足を運び、自身のクリエイションにも欠かせないライフワークとなっている。

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鈴木優香

国内最高峰の藝大を卒業し、アウトドアブランドのデザイナーとして社会人生活をスタートさせた鈴木さん。学生時代には触れてこなかったアウトドアアクティビティとの出会いは、入社して間もなく同僚の誘いから始まったという。「社員が皆アウトドア好きな人ばかりで、金曜日になると大きなザックを背負って出社してくる人もいたくらい。そんな環境だったので、私も自然と山のあるスポットに連れ出されるようになったんです。そこで登山を始め、カヤックやクライミングなども経験しました。最初はプレゼン時の説得力向上のためと、半ば義務的に山へと向かっていましたが、回数を重ねるごとに次第に山に惹かれていくようになりました」。この原体験があったからこそ、現在の生業である「MOUNTAIN COLLECTOR」の活動をスタートすることができたのだろう。

「前職を離れてから少しフリーで仕事をする時期があったのですが、登山への想いだけはなぜか強まる一方で。絶えず増えていく山の風景を記録した写真を眺めていたら、この体験を形に残したいと思うようになったんです。学生時代から布素材を扱うプロダクトを手がけていたので、それなら布にその景色をそのまま落とし込もうと思いました。それも広大な山の景色を、あえて四方を縫っただけの最小のプロダクトに収めるのが最適だと感じたんです」。美しい山の景色を、プロダクトに残すという斬新な発想。それはデザイナーである鈴木さんならではの視点だった。それから鈴木さんのライフワークとなった登山活動。しかし、たとえ身を置く環境が変わったとしても登山を通して見る景色は不変だった。

「『MOUNTAIN COLLECTOR』の活動は、ハンカチ作りだけではなくて、あくまで私の視点で山を記録し、その思いを綴るためのプロジェクト。山を純粋に楽しむ気持ちというのは変わりません。山を好きになったきっかけでもある、冷たくて気持ちの良い山の朝の空気。その感覚を大切にしながら、日々登山とテキスタイルの制作を繰り返しています」。鈴木さんにとっての創作意欲の源には、純粋な愛がある。そのベクトルはいまも変わらず山に向けられている。そして彼女は、過去に印象的だったという山にまつわるエピソードを話してくれた。「昨年の秋に、ネパールにあるエベレスト街道をトレッキングしてきたんです。圧倒的なスケール感を誇るヒマラヤの山々はもちろん、地元の人たちが暮らす村を通りながら、ゆっくりと歩いていく時間がとても心地よくて、忘れられない旅になりました。それ以降は、海外の山に心を持っていかれてしまって、もう一度ネパールに行くのも良いし、インドやスリランカの山もいいな、なんて思っています」。

それまでは国内の山々に心を奪われていた鈴木さんが、山というフィルターを通して、世界を知った出来事だった。その体験は、当然「MOUNTAIN COLLECTOR」の作品にも影響を与えている。さらには海外の山に憧れながら、その一歩を踏み出せないでいる同志へのエールとして、新たなクリエイションに発展させていくつもりなのだそう。最後に鈴木さんに登山をする上でのマイルールについて訊いてみた。「予定を詰め込みすぎず、早めに山小屋に着いたら、ゆっくりとコーヒーを飲むこと。そして小屋の前のベンチに腰掛けて何もしない時間を味わうこと。それは山を好きになった頃から変わりません。あとは、どんな山に対しても期待しすぎないことと、こんな写真が撮りたいと決めつけて行かないことですかね。山は天候の移ろいやすい場所なので、たとえ雨でも曇りでも楽しくやれるだろうと楽観的に向き合うことが大切だと思っています」。

鈴木優香

鈴木優香

デザイナー、山岳収集家

1986年生まれ、千葉県出身。東京藝術大学のデザイン科を卒業後、同大学の大学院へと進学。その後、新卒でアウトドアブランドに就職し、企画・デザインに携わる部署に配属。2015年に独立し、その後さまざなな山で見た美しい景色をハンカチに仕立てていくプロジェクト「MOUNTAIN COLLECTOR」を2016年に始動。前職時代に同僚に連れられ行った登山に感銘を受け、現在も定期的に足を運び、自身のクリエイションにも欠かせないライフワークとなっている。