極地から学び、宇宙に備えよ

極地建築家 村上祐資さんに聞いた「極地/閉鎖環境で遊びが必要な理由」

  • FEATURE
  • 2022.3.23 WED

2008年、第50次南極地域観測隊に越冬隊員として参加し、2017年には模擬火星実験Mars160での160日間の実験生活を完遂した“極地建築家”の村上祐資(むらかみ ゆうすけ)さん。北極、南極、エベレストをはじめ、様々な閉鎖環境、極端な環境条件での生活実験を1000日以上に渡り経験してきました。宇宙建築の興味から、宇宙で生きることへの備えを極地を通して身につけてきた村上さんに聞いた“備えとしての遊び”。

様々なバックグラウンドのメンバー7人と160日間を過ごす、模擬火星実験「Mars160」

「火星に最も近い男」とも呼ばれる村上祐資さんは、宇宙飛行士でもなければ、宇宙飛行士の候補でもない。でも、そう呼ばれている。極地建築家という肩書きで仕事をしているが、建物を建てているわけでもない。

村上さんが「火星に近い」と言われるのは、村上さんが南極越冬隊やエベレスト登山隊などある種火星の環境に近づくような極端な気候、状況に身を置いてきたことがひとつ。そしてもうひとつ。2017年、北極のデヴォン島とユタ州の砂漠を「地球にある火星」と仮定し、宇宙関連の人をはじめ様々なバックグラウンドのメンバー7人と160日間を過ごす、模擬火星実験「Mars160」に参加してきたからだ。

つまり火星を始め、宇宙や他の惑星に行くことになったら、そこで人間はどう振る舞い、どうやって日々を過ごしていくのかということについて、多くの時間を仮想的にだが経験的に学んできたということ。Mars160は、NASAやロシアがこれまで同様の実験で苦労してきたなか、初めてに近いかたちでうまくチームがかみ合った事例になったという。

極地も宇宙も、環境が地球に比べて極端なことはもちろん、欲しい物があればコンビニに行き、気分転換したければ散歩するということも簡単にはできない閉鎖的な状況でもある。しかも火星に到着するまでの約3年間ずっと同じメンバーと狭い船内で共に過ごさなければいけない。それが宇宙時代に突入していく人間がこれから体験していくこと。そんな窮屈そうな日々において、遊びはどんな存在になるのだろうか。そんなことを考えた我々は、村上祐資さんに話を聞いてみたいと思った。

建築家のすることは、三つの“間”を取りもつこと

自分の仕事は忘れ物をなくすこと

極地建築家を名乗る村上さんの宇宙への興味は、やはり建築から始まっていた。明治大学の建築学科時代、周囲が目指すスタイル重視の建築に馴染めなかった中、アメリカのアリゾナにある宇宙時代の生態系をシュミレートする巨大な密閉空間の人工生態系空間「バイオスフィア2」での実験を知ったことがきっかけだった。もっと生きることの原点と建築が近づけるのではないかと思ったという。

(TED「ジェーン・ポインター:バイオスフィア2での生活」)

「明治の卒業設計では月面基地をやり、慶應SFCの大学院では宇宙ステーションのモジュールについて研究しました。その後、東大大学院で宇宙文脈での建築生産や構法を研究してきました。ただそうした研究をしているとどうしても気密性や耐熱のようなスペック論に偏ってきちゃうんです。それはもちろん大事な話なんですけど、『無防備ではいられないから鎧を分厚くする』ということを考えていくのがスペック論だとするなら、『いや僕は、どんな鎧を着たとしても着心地を考えたいんだ』と思ったんですよ。でも普通に都会で生まれ育ってきて、極地を経験したこともないから厳しい環境自体を知らない。まずはそれを知らなくちゃいけないと思って、なんとかつてを辿って南極観測隊に参加させてもらったんです。」

そして名乗ることになった極地建築家という肩書。

「正直に言うと何でもよかったんです(笑)でも肩書で誤解もされたくない。宇宙飛行士を目指しているわけでも冒険家でもない。いろいろ考えた末に、極地建築家という名前なら、いらぬ誤解は避けられるんじゃないかと。」

とはいえ、“建築家”と名乗っている以上その眼で見られてしまうことはあるのではないか。

「15年の間にやってきた閉鎖空間でのミッションで、極地建築家と名乗ったことが僕自身の助けには間違いなくなっていて。ミッションにおいて僕自身はクルーでありながら観察者でもなきゃいけない。それって難しいんですよ。没入しやすい時間であり空間なので、何かしら迷ったときのアンカーポイントがないとダメで、客観視できなくなってしまいます。そんな時、暮らしを預かる建築家という視点を自らに意識付けしておくことで、南極や宇宙に行きたい人間ではなく、あくまで極地建築家であると冷静になれる。」

当事者でありながら、こなすべきミッションの中核となることよりも、俯瞰して自分のポジションやその場での役割を見極め、全体をつないでいくような役割。

「人間と空間と時間の3つどれにも“間”が入っていますけど、建築家のすることは、三つの“間”を取りもつことだと思っているんです。最近は『極地建築家ってなんですか?』と聞かれると、『とにかく忘れ物をなくす人です』と答えています。これまでの実践から、宇宙のような極地を目指す挑戦者たちは忘れ物が多いということがわかりました。物というよりも、考え方や心構えのようなもののことです。例えば科学も忘れ物が多い。科学は、僕なりの解釈で言うと再現性をコアにした戦術なんですね。今日起きたことが10年後、100年後にもひとつの法則で再現できたら素晴らしいですけど、実際はたった一ヶ月間の閉鎖環境生活だけでも、“生きてくためのディテール”を科学は何ひとつ再現できないんです。」

現実の生活を科学で再現するというのは、たしかに途方もない気がする。わたしたちの生活は必ずしも自分たちの意思や思惑だけで持って動いているわけでも、動かせるわけでもない。

「例えば誰かと会ったり、恋愛したり、結婚したりなんて再現できませんよね。建築家として暮らす、家を考えるというのは再現できないことを考えることなんです。でも現実には科学者がコックピットの延長として宇宙の居住空間を研究開発しています。ということはいつまでたっても家の設計にはならない。そこでこぼれ落ちてしまう忘れ物をなくすために僕のやることがまだあると思っています。これからは子どもも宇宙に行くようになります。子どもは何を忘れるのか、子どもも含めた家族という単位をどう宇宙の建築の視点で再発見していくかなども考えていく必要があると思っています」

極地では常にチョイスを三つぐらいはキープしておかなきゃいけない

持っておかなければいけない余裕としての”遊び”

閉鎖空間における遊びってどんなものなのだろう。こなすべき仕事もあれば、ストレスのある状況でもあり、滞在する人も多様で言語も違う場合もある。

「遊びの時間は作ろうと思えば作れます。極地の閉鎖環境って、そもそも完全に人間がコントロールして自分勝手に何かするということ自体が難しい。普段の僕らは何かしらのインフラに頼っていて、インフラがそのとおりに動いてくれることが前提ですが、それが保証されていないのが極地。例えば南極観測隊では、僕は観測機器のメンテナンスをしていました。機器の調子がよければ毎日の定常ワッチ(見張り)だけでいいんです。1時間に1回とか3時間に1回とかのチェックだけで済むんですね。でも調子が悪いと途端に休みも関係なく付きっきりにならなくちゃいけない。」

「ワッチと簡単に言いましたけど、ワッチも限度がないんです。さっきと比べて異常な部分があるかを確認し続けるだけなので、数値を見るならまだしも、船の上で何か異常がありましたかという質的な観察には限界がない。細かなところを気にすればするほど消耗していくんです。人間は絶対鈍化していくので、毎日同じ風景を見ていて異常を発見しろといっても分かんなくなってくる。極地は変化が乏しいんです。気を抜こうと思えば抜けるし、鈍感なやつは見えてないものには気を留めない。でも繊細なやつは抜けなかったりする。でも本来は抜くことが不得意な人にこそ遊びや休憩をしてもらうことで気を抜いてもらわなきゃいけないんです。」

遊んで気分転換をしてほしい人がむしろ遊べない、マイナスのスパイラルが生まれてその人は弱っていってしまう。

遊びが“作ろうと思えば作れる”ものだとするなら、作らなければ生まれないものともいえるのではないか。そこで村上さんは、もうひとつ違う余裕=ある種の遊びの生み出し方を教えてくれた。

「別な意味で遊びというのと、極地では常にチョイスを三つぐらいはキープしておかなきゃいけないということがあります。要は「何か起きました」「対処方法があります」でOKじゃないんですよ。対処方法は1種類に絞られたとしても、これしか打つ手がありませんではダメなんで。いくつも選択肢がある中で今これをやっていますであれば、失敗しても他のクルーたちはまだ大丈夫だと安心できるけど、唯一の手がダメだったら命に関わるかもしれないわけです。」

常に精神的な余裕を確保しておくこと。その余白の存在が、遊びそのものではなかったとしても関わる仕事に遊びの要素を持たせてくれる。

「残された選択肢は使わなくてもいいけど、別のやり方があること、これは僕にとって遊びの一種なんです。1個に絞られちゃうと精度が重要になってしまって、精度を求められるとその仕事がつらくなってしまいますから。」

”食糧”、”食事”、”食卓”という3つは違うこと

食のシーンは遊びが生まれる大事な場所、時間

そうした精神的な余白しての遊びではなく、実際に閉鎖環境上で行ってきた遊びにはどんなものがあるのだろう。映画「オデッセイ」では、火星にひとり残されたマット・デイモン演じるマーク・ワトニーは、他の隊員が残していった古い映画を観たり、ディスコミュージックを聴いて気分を紛らわせていた。

「これまで僕がしてきたなかだと、一番害のない遊びは落書きですかねえ」

落書き?

「南極にいた時は、食べ物に関する落書きをめっちゃやりました。メニューボードにその日のメニューを書いてくれるんです。ただそれは単なる文字の羅列なので、例えば大根のスープだったら、“妖怪大根男”みたい絵を横にちょろっと描いたりしていく。そうすると今日は何が描かれてるんだとみんな癖になってくるんです。」

日々の業務的な遊びのない場所をハックして、余白をもたせる。ここまで聞いていた意味においてたしかにこれは遊びだ。

「閉鎖環境において食は遊べるシーンの最たるもの。基本みんなばらばらに仕事をしている中で、みんなが顔を合わせるのは1日のうちでも食事時くらいなんです。集団内で個別に遊んだり楽しいことをしてると、そうしたくてもできない状況のメンバーとの間で確執が生まれるので、遊ぶ時はみんなが関わる場でということになります。僕は食について、”食糧”、”食事”、”食卓”という3つは違うことだとよく言うんです。食糧はカロリーや栄養である意味での“餌”。食事は自分が食べる好みのごはんやメニュー。最後の食卓は、複数人でテーブルを共にしながら、自分が食べたいものと他の人が食べたいものが一緒に並び、それをみんなで食べること。つまり自分と自分と異なる部分をひとつにまとめることなんですよね。自分と違う新しいものが入ってくることで食卓に遊びが生まれてくる場所だし、逆にけんかが生まれる場所でもある。違うことはしょうがないことだから受け入れ、どれだけ楽しめるかということが遊びのような気がします。つまりコミュニケーションの場なんですよね。」

日本以外の観測隊基地ではバイキング形式にしているところもあるという。忙しくバラバラの時間であれば好きなものを好きなようにというのは理に適った部分もありそうだけれど、「そこに遊びは生まれない」と村上さんは言う。1日3回、1年間であれば1000回を超えるコミュニケーションの機会が失われてしまうことを考えると、どれだけ食事の時間が意味のあるものか想像に難くない。

子どもは弱くない

南極観測船を使った閉鎖空間の滞在シュミレーション

食の重要性は、使われなくなった南極観測船「初代しらせ」を、地球から火星へと向かう宇宙船に見立てて生活をシュミレーションしたプロジェクト「SHIRASE EXP.」でも現れた。子どもが宇宙に行き、滞在できる時代は遠くない未来にやってくるはず。「SHIRASE EXP.」では、4人の大人のクルーで行われた実験以外にも子どもを含めたメンバーで行った回もあった。

「両親と小学校5年生と3年生の兄弟の一家と、小学校1年生の男の子とシングルマザーのお母さん家族、小学校2年生の女の子とお母さんだけ参加の家族の3組。そこに南極観測隊経験者を3人、以前行った閉鎖実験参加者から若手のクルーを2人入ってもらって実施しました。」

宇宙航海の実験と謳っていたが、子どもたち向けの防災訓練の側面も含めていたと村上さんは話す。防災訓練と言われて参加すればその意識でやってしまうし、スキルを習得するための場になりがち。宇宙という特殊な環境を設定し、そこで過ごすことが実は足りないものに思いを巡らし、いつもの当たり前が当たり前でないことに気づく、避難生活のシミュレーションになっているという状況を用意していた。

「食べ物も全部お湯で戻す保存食にしていました。作る人によって味も変わらず、誰が作ってもいい。でも水はお湯も出るウォーターサーバーは1台だけ。子どもは楽しくなって、やりたい!と列をなして動き始めるわけです。15人もの人がいる時、そうしたらどうなるか。段取りもバラバラに好き勝手動いた結果、最後の人の食べ物が揃ったのは二時間後。バラバラに冷めたごはんを食べることになってしまいました。じゃあどうするか。『みなさん、極地での“いただきます”の役割を知ってますか? これは点呼なんです』と話しました。狭い空間にみんなで一緒にいると、みんなどこかにいると安心しちゃうんですけど、これが本当の宇宙だったらどこか別のエアロックから外に出ちゃって干からびしまっているかもしれないわけです。だから『慣れってすごい怖いんだよ』と。」

地震や台風、大雨などによって避難生活を余儀なくされる事態が頻繁に報じられるようになった。この実験での体験は、そうした緊急事態に直面した時の練習にもなっている。

「狭い船内でずっと同じ場所でいるわけにはいかないし、みんなそれぞれ動くわけです。そうした時、1日3回ある食事はご飯を食べるだけじゃなくて、みんながいるかの確認をしたいと。もっとできるんだったら、ご飯を食べてる間に隣の子は食欲があるかなとか、食べてる時に笑っているかなとか、ちょっとおかしなところないかなとか、そういうことを1日3回みんなでみんなをチェックするための時間なんだよと。『それをするためには、バラバラに食べていたらチェックはできるかな? どうしようか?』と子どもたちに投げかけたんです。そうしたら、子どもたちは素直だから自分たちで考えて、その後の食事は子どもたちの手で毎回ピタッと料理が揃うようになったんです。子どもたちはミッションを与えられてもう楽しんでるわけです。大人だけだと心も身体も膠着状態になりがちですが、子どもたちの力は大きいですよ。」

自分たちで考え、自分たちで行動する。言われたことをやるのでは、そこに自由はない。自由のないところには遊びも生まれない。極端な状況において自分を失わず、協調性も保つためにも自由と意思のもとに生まれる遊び=余裕/余白/選択肢を持ち続けることの大切さを村上さんの経験は教えてくれる。

「子どもは弱くてケアされるべき存在と思われています。もちろんその側面はありますが、自分で役割を見つけるし、自分の仕事を終えればできない人を助けることもします。子どもは弱くないんです」