「佐藤さん、雪男や宇宙人ているんですか?」

『奇界遺産』の写真家 佐藤健寿さんに聞いてみました

  • FEATURE
  • 2022.3.16 WED

宇宙人やUFOから民族、宗教、廃墟など世界の”奇妙なもの”を追い続け写真集『奇界遺産』やテレビ番組「クレイジージャーニー」でも知られる写真家の佐藤健寿さん。世界の不思議に分け入ってきた佐藤さんに、いつの時代も子どもたちが気になる、伝説のような存在「雪男」や「宇宙人」の存在について教えてもらいました。

ここではじめて「雪男」という呼び名が誕生する

雪男と宇宙人。どちらも「不思議な存在」というところでは似ているし、例えば「世界不思議大百科」みたいな本には仲良く並んで載っている。しかし雪男はもともと古くからヒマラヤで目撃され、その存在が噂された未確認生物の仲間。一方の宇宙人は、全世界でその乗り物とされるUFOが目撃されているが、その存在はまだ不明のまま。つまりその目撃範囲も、歴史も、まったく違う。しかしひとつ共通項があるとすれば、それはどちらも20世紀半ばに、その存在が全世界に知られ始めたということだろう。

雪男伝説が広まるヒマラヤ。もとはシェルパの信仰する精霊であったが、いつしか未確認生物となった。

雪男、目撃の歴史

 まずは雪男の歴史から整理してみたい。イエティとも呼ばれる雪男は、19世紀の初め、ネパールやチベット、インド北部のヒマラヤ地域でその存在が噂された。最初はインドに駐留していた英国人がネパールの山岳部を訪れ、そこで現地の人々から「悪魔」と呼ばれる生物の目撃談を聞く。その後も何度か英国軍人により、雪男らしき足跡が発見される事件が相次いだ。そんな状況が変わりはじめたのは、20世紀に入ってから。1921年、再び別の英軍の高官が高山地帯で不思議な足跡を発見。彼はこの出来事を英国に報告するとき、現地人の言葉を間違って訳してしまい、「Abominable Snowman」(いまわしい雪男)と名付けた。現地では別に「いまわしい」とは呼ばれていなかったのだが、何にせよ、ここではじめて「雪男」という呼び名が誕生することになる。

1937 Frank S. Smythe photograph of alleged Yeti footprints, printed in Popular Science, 1952

 そして1951年、今度はエベレスト登頂を目指していた英国の登山家エリック・シプトンが再び足跡を発見し、写真に収めることに成功。それは全長33cmほどもある巨大な生物の足跡で、深い雪山の斜面に点々と続いていた。シプトンが撮影したこの写真によって、それまで噂でしかなかった雪男の存在は真実味を帯びた。報告を受けた英国では「雪男」の存在をめぐって大論争を巻き起こしたのだ。そうして1954年、この話に食いついた英国の新聞社は、大規模な調査チームをヒマラヤに派遣した。それは史上初の大規模な調査だったが、残念ながら雪男は発見できなかった。

 すると今度は米国の石油王が、再び莫大な予算を投じて研究チームをヒマラヤへと送った。調査自体はこちらも失敗に終わったが、この時、米国の研究チームは足跡よりもさらに強力な雪男の「証拠」を発見する。それはヒマラヤのお寺に保管されていた雪男の「手の骨」や「頭皮」なるものだった。米国の調査隊はこれを現地の人々から高値で買取り、米国に持ち帰って、今度は生物学的な方法で雪男を調査することにした。当時、発展しはじめた遺伝工学の技術を使って「証拠」の正体を調べたのだ。ところがこれも結果は散々だった。調査隊の期待もむなしく、その正体は「ヒグマ」や「鹿」(中には人骨もあった!)といった、特に珍しくもない生物のものだと判明したのだ。がっかりしつつ、彼らはこう発表した。「DNA調査の結果、雪男とされた生物の正体はヒグマや鹿だった。目撃された生物も多分、動物の見間違えだろう」。その後も、現代に至るまで世界各国の研究チームや物好きたちによって、雪男の調査は行われている(1959年には日本の東京大学も研究チームを派遣している)。しかしそのいずれも、大きな成果はなく、50年代の調査をなぞるものだったといっていい。

エベレスト。一説には標高6000m以上に生息すると言われた。ヒラリー卿やラインホルト・メスナーも目撃を報告している。

ヒマラヤにおいて雪男=イエティは古くから山の精霊とされ、主にチベット民族を中心とするシェルパの人々に信仰されていた

イエティの手の骨

 ではヒマラヤで数百年に渡って信じられてきた雪男は、本当にただヒグマや鹿の見間違いだったのか。問題は、米国の研究チームが発表した雪男のDNA調査結果である。先に書いた通り、この調査のもとになったのは、米国の調査隊がヒマラヤの寺院から持ち帰った「手の骨」や「頭皮」などであった。しかしこの調査のとき、米国の調査隊とヒマラヤの人々の間に、大きなすれ違いがあったことは、あまり知られていない。米国人が持ち帰った「イエティの手の骨」や「頭皮」。それらはもともと、ヒマラヤのお寺で厳重に保管されていた。しかしヒマラヤの人々はどうして、そんな大事なものをあっさり外国人に売り渡してしまったのか。

 実はそもそも「手の骨」や「頭皮」なるものは、ヒマラヤの一帯で人々がお祭りで用いる祭具だったのだ。本来、ヒマラヤにおいて雪男=イエティは古くから山の精霊とされ、主にチベット民族を中心とするシェルパ(山岳民族)の人々に信仰されていた。だから祭りの時期になると、ちょうど日本の祭りでも人々が鬼や獅子の面を被って踊ったり、祭壇に供えて祈るように、ヒマラヤの人々も雪男の面を被り、手の骨などを祭壇に供えて、山の神様(イエティ=雪男)に祈った。この時に使う祭具とはつまり、動物の皮や骨を加工して作った、神様の姿を真似るためのもの。それが20世紀半ば、突然ヒマラヤに現れた外国人たちがお祭り道具を高値で買い取るというのだから、ヒマラヤの人々もきっと喜んでそれらを売り渡してしまったに違いなかった。つまり米国人が興奮して持ち帰ったそれら「雪男の骨や皮」とされたものは、実は調べるまでもなく、はじめから動物のものだったのだ。

クムジュンの僧院。雪男の「遺物」とされたものはこうした僧院に保管されていた。

精霊と未確認動物

 こうして雪男の話は振り出しに戻る。実際のところ、現在に至るまで、雪男にまつわる具体的な情報といえば、いくつかの目撃談と不完全な状況証拠だけであり、最初の報告の頃からほとんど何も進展していない。では雪男は存在するのか、しないのか。現在の「常識」的視点でいえば、ヒマラヤのどこかに巨大な類人猿のような姿をした雪男が今も生存していると考えるのはなかなか難しいだろう。かつては世界の秘境だったヒマラヤやエベレストも、今では登山道に渋滞が起こるほど、多くの人々が訪れている。そんな状況の中で、雪男がひっそりと隠れられる場所はもう少ないかもしれない。しかし一方で忘れてはいけないのは、そもそもヒマラヤの人々にとって、雪男とは何だったのか、ということだ。イエティ(雪男)とはもともと、ヒマラヤのチベット民族にとって民族発祥の伝説とも繋がる半人半猿の姿をした神様だった。それが20世紀半ば、偶然外国人に目撃された謎の生物の足跡と結び付けられ、「いまいましい雪男」と言う恐ろしい呼び名を与えられ、英語のニュースとなることで一気に全世界へと広まった。そして同時期に発展した遺伝子工学、そして「カメラ」によってそれらは精霊から「証拠」のある生物としてイメージされ、ついには正体を突き止めるべき「未確認生物」として、世界に認知された。

 でもちょっと考えてみてほしい。例えば日本には10万以上の神社やお寺が存在し、多くの日本人は神様のようなもの、が「いる」ことをぼんやりと認めている(もちろん信じていない人たちもたくさんいるけど)。でもそれは何となく「いるのかな」と思っているだけで、その存在を写真に写せるものだとか、ましてやDNA調査して正体を突き止めることができるものでないことも、多分みんな知っている。ヒマラヤの人々にとって、雪男もちょうどそんなものかもしれない。それは山の精霊であって、ヒマラヤの人々に古くから神様として信仰されている存在なのだ。だから実際に正体を突き止めたりできるものでもなければ、それがそもそも「動物」と違うことも、彼らは知っている。だから雪男がいるかといえば、正解はない。ひとつだけ言えるとすれば、そもそも西欧の人々が探し求めた「雪男=未確認動物」と、ヒマラヤの人々が古来信じていた「雪男=精霊」は同じようでいて、実は同じものではない、ともいえるだろう。

 ちょっと説明が難しいけど、わかってもらえるだろうか。雪男についてそんな感じで、次は宇宙人について考えてみたい。

人間は「私たち以外」の宇宙人をどうやって探してきたか、その歴史を駆け足で振りかえってみたい

有名なエリア51の側にたつエイリインというモーテル。世界のUFOマニアたちが集う聖地となっている。

宇宙人探索の歴史

 「宇宙人」はいるのか、いないのか。まずこれは雪男と違ってはっきりと「いる」といえる。なぜなら私たち地球の人類そのものが、宇宙に暮らす人だからだ(ここで私たちは真に存在するのかどうか、という難しい話があるが、それはもう別の問題だから、また大人になってから考えよう)。これはつまらない言葉遊びに聞こえるかもしれないが、実際のところ、だからこそ、人間は悩んできた。私たちが宇宙にいるからこそ、他にもいるんじゃないだろうか、と考えたのだ。つまり宇宙人がいるかどうかという問題は、正確にいえば、宇宙に私たちのような生命体が他にいるのか、ということになる。それでは人間は「私たち以外」の宇宙人をどうやって探してきたか、その歴史を駆け足で振りかえってみたい。

 宇宙人、より正確にいえいば地球外知的生命体が存在するのかという疑問は古代ギリシアの時代からはじまっている。かつて西欧の人々は宇宙は地球を中心に回転していると考え(「天動説」)、それゆえに人間は神様の創った唯一の存在だと信じていた。それが中世、月の観測や天体望遠鏡の発明により、どうやら回っているのは宇宙でなく、地球の方だったことを知る。この考えは有名なイタリアのコペルニクスが主張し、ガリレオ・ガリレイによって裏付けられた。この「地動説」の発見が宇宙人の存在を考える上で大きな意味を持つのは、それまで信じられていたように地球と人間が宇宙の中心、つまり特別な存在なのではなく、むしろ地球が巨大な宇宙の中の部分にすぎない、ということを示したところにある。もしも地球が小さな点にすぎないのならば、他にも似たような星があり、似た生物がいるのではないか、そう考えることはむしろ自然なことだった。そうして16世紀から19世紀にかけて、天文学は発達し、太陽系の惑星も次々と観測されはじめたが、この頃はまだ当の天文学者たちさえも、地球外の惑星には人間以外の生物が住んでいる可能性を信じていたといわれる。

 そんな状況の中で、ひとつの事件が起こる。1877年、イタリアのスキャパレリという天文学者が火星に水流の跡のような地形を発見する。彼はそれをイタリア語で水流の跡を意味する「CANALI」と呼んだが、報告を読んだ米国の熱烈な火星の研究者、パーシバル・ローウェルが誤ってそれを人工的な水路を意味する「運河」(CANAL)と誤訳した。人工物のような痕跡があるということは、火星人もいる証拠だ、と考えたのだ。ローウェルの主張は大きな論争を呼び、当時の天文学者らにも強く批判された。しかし一度世界に解き放たれたこの衝撃的な火星人説は、天文学よりむしろ、その頃から流行しはじめたSF小説などに大きな影響を与える。中でも小説家、H.G.ウェルズの著した「宇宙戦争」では、私たちがよく知るあのタコ足の宇宙人が描かれ、後世の「宇宙人観」に大きな影響を与えることとなった。

「ロズウェル事件」で有名なロズウェルにあるUFO博物館。グレイと呼ばれるこうした宇宙人の姿が一般化するのは70年代以降。

UFOの出現

 こうしてはじめは哲学や信仰の問題としてはじまった宇宙人の存在は、天文学の発達とともに実体を帯び始め、20世紀のはじめにはSF小説によってついに具体的な姿を得た。そしてそんな状況の中で、宇宙人をめぐる再び大きな事件が起こる。第二次世界大戦が集結した20世紀半ば、米国とソ連は冷戦の時代に突入。お互いを牽制するために核兵器と大陸間弾道ミサイルを量産し、互いに注意深く空を監視するようになる。そしてこの頃から、米国では奇妙な現象が報告されはじめた。空を飛ぶ銀色の飛行物体、そう、UFO(未確認飛行物体)の目撃である。UFOははじめ民間で目撃報告が急増し、米国の軍部はそれをソ連の偵察機であると考えて情報収集につとめた。調査ののち、米軍はそれがどうやらソ連のものではないと結論したが、その結果はむしろ人々の興味を集めることとなった。もしUFOが当時世界最大の軍事力と科学力をもつ米国のものでもソ連のものでもないとすれば、一体飛ばしているのは誰なのか。「地球外の誰か」が飛ばしていると人々が想像を膨らますのに時間はかからなかった。

 事実、その後もUFOは頻繁に目撃され、米国に追従するように世界各地でも報告されるようになる。雪男の場合もそうだが、時は50年台後半、カメラが一般に普及しはじめ、単なる目撃のみならず、写真として撮影され、それが情報として人々に伝播されるようになったことも大きい。そうして世間がUFOに沸くなか、やがて1970年台にはついに宇宙人と会ったとか、UFOに誘拐された、と主張する人々まで現れた。中でも「アダムスキー型UFO」にその名を残すジョージ・アダムスキーはカリフォルニアの砂漠で着陸した空飛ぶ円盤に遭遇し、そこから現れた金髪の女性型宇宙人に誘われ、金星へと旅したという逸話を発表。この本は今読めばあまりにも荒唐無稽な内容だが、当時は世界中で大ベストセラーとなった。こうして、かつてタコ足姿だった宇宙人の姿は、洗練されたヒューマノイドとしてイメージされはじめる。

 また70年台後半から80年台にはUFOや宇宙をモチーフにしたSF映画、『未知との遭遇』(78’)や『スター・ウォーズ』(同年)が世界中でヒット(日本では国民的歌手のピンクレディーが「UFO」という歌で大ヒットを記録したのも、同じ78年である)。こうして宇宙人やUFOの問題はいつしか天文学の問題からかけ離れ、いわば奇妙なポップカルチャーとして世間に定着していった。今日私たちが考える宇宙人という存在も、どちらかといえばこうした映画や小説、あるいは有象無象の目撃談などに影響された、寓話化された宇宙人の姿かもしれない。

エイリインの中に張り出されたUFOや宇宙人とされるものの写真。

地球外生命体と、地球外知的生命体

 さて、こうした世間の「宇宙人」のイメージはさておいて、天文学の方に話を戻すと、いわゆる「地球外生命体」(知的ではないただの地球外生命)については、昨今の宇宙探索の結果、どうやら存在してもおかしくはない、というくらいのレベルまできているらしい。かつての天文学においては、別の惑星に生命が存在するというのはおとぎ話だった。灼熱の水星や乾ききった火星、見渡す太陽系の中でも地球のように生命が発生しやすい場所はなく、またそんな物質もない、とされていたからだ。しかし昨今の各国の宇宙探索の結果、例えば木星の衛星エンケラドゥスのように、水や熱が存在し、生命の元となる物質が存在する可能性がある、という場所も見つかり始めている。

 もちろん、私は天文学の専門家ではないし、ましてや宇宙の専門家でもない。だから確かなことはいえなくて申し訳ないのだけど、地球外に少なくとも生命が存在してもおかしくはない、というのが今の宇宙生物学の認識になりつつある、と考えて大きく間違ってはいないだろう。ただその先に、私たちのように高度で複雑な思考をする「知的な生命体」、つまり「私たち以外の宇宙人」がいるかどうかは、まだ何もわかっていない。実際、過去には米国を中心に太陽系外の宇宙に向かってメッセージを含んだ電波を送信する実験も幾度か行われてこそいるが、いまだ「彼ら」からの返信はないのだ。

 しかし例えば、かつて宇宙は地球の周りを回っていると考えられていたように、あるいは無いとされた火星の水も、いまではその存在が認められ始めたように、科学の世界においても、ある日常識が変わる時はある、ということは覚えておいて損はないだろう。ましてまだほとんどが未知である宇宙においてはなおさらである。はたして宇宙人が存在するか否か、その答えに変わって、最後に筆者が敬愛する20世紀の元祖超常現象研究家、チャールズ・フォートという人物の言葉を紹介しておこう。

「今日の科学は、明日の迷信である。明日の科学は、今日の迷信である」