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Mt.Chekigo(6,257m)南フェース クライミングレポート
馬目 弘仁

はじめに   私たちの当初の目的は、Mt.Chukyimago(チュキマゴ峰、6,259m)に未踏で残っていた南面を登ることであった。しかし残念ながらその姿をみることもなく断念。その後、BC(注1) としていたNa村(4,180m)のすぐ裏(北)側に広がる主稜線の一角、Mt.Chekigo(チェキゴ峰、6,257m)に目標を変更して、その南面にアルパインスタイルで挑んだ。結果は、主稜線に到達して下降。山頂に立つことは叶わなかった。 登山としては失敗。それは十分に認識しているつもりである。それでも、と思えてくる。私たちは十分にがんばった。充実感がある。これは、ほろ苦くも後味のよい記憶とその記録である。一読いただけたとしたら幸いである。 (注1)ベースキャンプ

偵察

10月30日、発熱の療養のためBeding村(3,800m)へ下りることになった上田さんを見送る。しばらくして、チェキゴ峰の南面を偵察にいくことを思いたった。だめで元々、アプローチだけでも確認しておきたい。BCでいたずらに日数を消費してもよいことはない。後にきっと役にたつものだ。

BCから裏山に向かって適当に歩きはじめる。ヤクの放牧圏内から出ると不安定なスラブ帯となり、そこから丘陵を5,000mまで上がってみた。草付きが続き、危険が少ないのでホッとする。ラウンドトリップして、おかげで下降中により歩きやすい道を見つけることが出来た。

10月31日、上田さんに付き添ってくれたライさん(BCコック兼マネージャー)がBCに戻ってきた。さっそく依頼した要件を確認する。結果はOK! 後出しでも別峰の許可が取れることが可能とわかった。これでチェキゴ峰へトライ出来る。ずいぶんと気持ちが前向きになった。

11月1日、昨日の許可取得可の件を受けて、早朝から再度の偵察に行く。軽量化のためクライミングギアは持参しない。行けるところまで上がってみるつもりで出発。前回の偵察ルートの緩い尾根は、5,100mで終わってそこからいきなり壁となり、弱点は眼前の溝状のクラックだけとなっている。一瞬躊躇したものの登ることにする。20m、Ⅳ程度(注2)をトレッキングシューズでスメアリング(注3)。なかなか悪いので心配になるが、クライムダウン出来るかどうかを考えるのは後回しだ。

その先は、簡単な岩稜が続く。なんと、途中からケルン(注4)が散見されるようになった。すでにここをルートにした隊がいるのだ。5,400m、セラック(注5)の際まで到達。ここから先は高所靴とクランポン(注6)がないと進めない。わずかに上に見えている岩壁の様子が気になるが、それほど難しくないだろう。この先も安定したビバーク(注7)地がありそうだし、南面全体の傾斜が予想よりゆるく、先行きがずいぶんと明るい見通しになった。懸案のクラックの下降は結局クライムダウンすることにした。甘いジャミング(注8)を何度も確認してなんとか下りることができた。

 

(注2)クライミング等級。IV級は「難しい (やや高度なバランスを要す)」 

(注3)シューズを壁に擦り付ける動作 

(注4)積み石で作った道標 

(注5)氷の塔 

(注6)靴底に付ける滑り止めの金属製の爪 

(注7)野営 

(注8)崖や岩などの割れ目などに、手や足を押し込んで体を保持する動作

アタック

11月5日、AM6時、BC初。高所靴まで納めてザックは大きくて重い。出来るだけゆっくりとアプローチする。晴天が続くことを期待してテントは持っていかないことにした。念のためシュラフカバーとツェルトを用意。

岩稜の起点でロープを出す。空身でリードしてユマーリング(注9)。ゆっくりだったが順調に偵察最高地点(5,400m)まで上がる。そこにトレッキングシューズをデポ(注10)、高所靴とクランポンに履き替え、さらに一段上を目指した。

5,500mの台地、雪が多いが快適なビバーク地となりそうだ。時刻はPM12:30。ここから奥の灰色の岩壁を登らなければならない。至近で見上げると、思ったよりも厳しい傾斜と規模と見受けられる。日が当たって壁が温かいうちにロープをフィックスするべきと考えて早速登りに向かう。

岩壁の端、セラックとのコンタクトラインは危険にハング(注11)しているので論外。弱点はシンハンドクラック(注12)の伸びているラインしか見当たらない。どう登るか? 実は考えるほどもなく瞬間的にクライミング方法は思い浮かんでいた。念のためにカム(注13)を1セット用意してきて本当に良かった。

まずは、氷の露出地点にスクリューを打ち、ディレクショナルでスノーバー(注14)を縦打ちしてアンカー(注15)をつくる。眼前の岩壁との間には幅2mほどの深いクレバスが開いている。黒田さんにクライミングプランを伝える、やはりここしかないだろうという結論になる。さて、うまい具合にクレバスに挟まっている巨石に向かって6mほどロワーダウンしてもらって上に乗り、そこで高所靴を脱いだ。

傾斜80度の壁に伸びるクラック(5.8+~5.9?)を登るには、フットジャム(注16)が不可欠だ。黒田さんに声をかけ、大きく気を吐いて、集中。ウールのソックスで足の痛いシンハンドを15mほどこなすと、フィンガーチップサイズまで閉じてきて右へ移らなければならなくなる。右足をスメアリングして右手のパーミング(注17)から左手を寄せようとした瞬間にフォール! ぶ厚いソックスではまったくスメアが効かなかった。ディレクショナルのスノーバーがふっ飛んだそうだがしっかりビレイ(注18)してもらって感謝だ。指先を吐息で温めてから再トライ、今度は左足をしっかりかき込むようにしてから左手を飛ばす。がっちりとホールド。カムを固め取りしてから下部のカムをクリーニングしてさらにロープを伸ばすことにする。アンカー用にカムを温存するため、最後の5.8は15mほどもランナウト(注19)せざるを得なかった。ヒマラヤのクライミングではどうしていつもランナウトするのだろう。「俺のせいじゃないよな!?」 と独り言ちてしまった。ほぼいっぱいの55mをフィックスして懸垂下降。氷河上まで戻ったのがPM3:30、まずまずの成果だ。核心部を越えたという感覚があったので明るい気持ちでビバーク地にもどった。

装備を適当に岩の上に並べ、ジェッドボイル(注20)を据えて炊事を始める。なんとか日が陰る前に完了、明るいうちにスリーピングバックに滑り込んだ。無風快晴の夜、オープンビバークには最適だ。月明かりがかなりまぶしいが、特にプレッシャーも感じずになんとなくまどろんでしまった。

(注9)ユマールという道具を用いてロープを垂直に登る動作。 

(注10)道具を置いておくこと。 

(注11)オーバーハング。壁の上方が下方より突き出ている箇所。 

(注12)クラック(岩の割れ目)のサイズ。手が途中までしか入らない程度のクラック。 

(注13)岩の割れ目に挟み込んで落下を防ぐ安全保持道具。 

(注14)雪面に打ち込む杭。 注15:安全を保持する支点。 

(注16)岩の割れ目に足を挟み込む動作。 

(注17)手のひら全体を使ってホールドを掴む動作。 

(注18)ロープを使ってクライマーの安全を確保すること。

(注19)プロテクションを取らずに長い距離を登ること 

(注20)お湯を高速で沸かすための道具

頂上へ

夜半から膝が冷えて目が覚めた。黒田さんは相変わらず咳込んでいる。AM2:45、ゴロゴロする気にならなかったので「お茶にでもする?」と隣に声をかけた。寒いけれど無風快晴だ。

AM4:30、ユマーリングの待ち時間があるので時間差でビバーク地を出発する。ジャミングプーリー(注21)とプルージック(注22)コード、厚めのグローブ+高所靴ではなかなかのアルバイト(注23)だ。

AM6:00頃、昨日のアンカーに到着、夜明けとともに本日のクライミング開始だ。4級+くらいの緩い岩壁を40mほど、セラックに突き当たってからは岩壁とのコンタクトラインを2P。次は思い切ってセラックの上部に上がってみた。これが正解だった。クレバスを迂回すると傾斜の緩い砂時計状が見えてくる。先はそう長くない。頂上には十分に行きつくと感じた。

30~40度の雪壁を延々とコンティニュアスで登る。ちょっとしたロックバンド(注24)で2回ほどアンカーをつくってビレイしてもらう。モナカ状の割と潜る雪質がやっかいだ。登れども先がさらに続いてゆく。スピードが思うように上がらなくなってきた。4~5歩進んでは荒い呼吸のためにストップ、なかなか主稜線が近づいてこない。標高差で300m程度の雪壁を登るのになんと4時間、とにかく足が疲れて、息が切れる。引いている2本のロープが異常に重く感じる。主稜線直下のセラック群が間近に見えるのに空との接線が遠い。

傾斜は50度ほどあるだろうか。ダガーポジション(注25)であがくのだけれどスッテプもアックスも崩れてゆくのでとにかく厄介だ。下手をすると滑落しかねない。「アンカーをとらないとヤバくないか」と酸素欠乏状態の頭で考える。グサグサを慎重にトラバース、焦りは禁物だが呼吸を整える時間がこんなにも長く感じるとは。スクリューを1本打って素早くクリップ、もう1本足してアンカーをつくり、黒田さんをビレイ。彼も苦しいそうに下を向いて喘ぎながらがんばっている。

時刻は、PM12時を10分ほど過ぎている。今朝方には、もうすでに登頂しているだろうと踏んでいた時刻だ。遅い。そしてこの疲労感は半端なくないか。ここから先にすすんでいいのだろうか。正直、この時はかなり後ろ向きに考えていたのだった。

登ってきた黒田さんが自然にビレイ態勢に入っている。この疲労で、まだ登るべきだろうか……「この先、あとどれくらいと思う?」「あと3Pくらいじゃないですか。そんなに遠くないですよ。」というような短い会話があって、口に出さない疑問を飲み込んでリードに向かった。

1P目、50mをノープロ、少し硬くなった雪面をダガーとダブルアックス混じりで。2P目、40m、スクリューでランナーが1本取れたものの、嫌になるほどのランナウトだ。傾斜は70度ほど。黒田さんの位置から上部見通しを確認してもらってからアンカーをつくる。3P目、私たちの見立てが正しければこれで主稜線だ。5mほど登ったところでスクリューをセット、この先はどう見ても雪壁でプロテクションがとれそうもない。セラックの直下が最悪の雪質だった。アックスを何度打ち込んでもスカスカで決まらない。息も切れる。「落ち着け!」と何度も自分に言い聞かせるように、それこそ4点支持で登り切った。バンド状に這い上がった瞬間に倒れ込んで顔が雪にまみれる。アドレナリンなど全く出てないし、辛すぎる。見上げると45度、10m弱のルンゼ(注26)が残っている。その上が主稜線(空)だ。考えず、ただもがいているうちにそこへ飛び出した。頭が機械的にアンカーをどうするか考えている。幅1mくらいの痩せた両雪庇のスノーリッジだ。スノーバーを縦に打ち込んで黒田さんを迎えた。

中国側(この主稜線はネパールと中国の国境)からの風がとても冷たい。たまらず、ビレイを時々さぼりながらジャケットを着込んだ。落ち着いてから少し辺りを見渡す。セラックが邪魔をしてチェキゴ峰の頂上は見えない。メンルンツェ峰が目の前に大迫力でそびえている。下には氷河湖が沢山ある。反対側に続く稜線のナイフエッジは大変そうだ、と、ぼんやり考えていると黒田さんが上がってきた。まずはがっしりと握手。「頂上は、(行か)ないですよねぇ。」という彼の言葉には全面的に賛成だ。いや、それよりよくここまでたどり着いたという気持ちが大きい。「ここまでだけど充実したよ。俺たち、十分がんばった。」と返事をしたと思う。彼の肩を数回強くたたいて健闘をたたえた。ここまで来れてちょっと嬉しい。

死力を尽くせば頂上に達することができるのかもしれないが、そうすればこの主稜線上でビバークしなければならないのは確実だ。そうなれば、生きては還れないだろう。さっさと下降することだ。

(注21)一方向にしかロープが流れないプーリー(滑車)。

(注22)ロープの結び方のひとつ。 

(注23)登山においては厳しい山登りを指す。 

(注24)岩壁を横断するように続く棚。 

(注25)ピッケルの尖った方を前にして構える持ち方。 

(注26)岩壁にできた水などの浸食による岩溝。 

下降

主稜線上の滞在は5分ほど。写真を数枚撮ったのち、スノーバーを横に埋めなおして懸垂下降を開始した。先ほどからガスが上がってきて視界が悪くなってきている。正直、怖い。

ここから先、V字スレット(注27)をつくって慎重に下りたいのが本音だ。この雪質なのでクライムダウンは出来るだけやりたくない、というか避けたい。途中からボラード(注28)を多用することにして、2度ほどそれで懸垂下降。40度以下の雪面では、セットしたロープをつかんで手すり補助にして、前向きにザクザクと歩いて下りた。これはなかなか良いアイデアだったと思う。真っ暗になる前には、セラック上部まで下りてくることができた。このような引き出しを持っていることは自分を多少は誉めてあげてもいいだろう。

クレバスを回り込み、続く5mほどの垂直の段差を懸垂下降。岩の上に降り立ち、ロープをゆるめて解除、そして上を見上げた途端、時間差で岩がクレバスへ崩落した。立っていたマンホールのフタがいきなり外れたようなものだ。腰をしたたかに打ち付けしばらく呻いてしまったがそのまま奈落の底に落ちなくて本当によかった。

かなり自分は疲れていると自覚する。前向きで簡単に下りられる斜面でも危険だ。クライムダウンに自信がもてなくなったので、黒田さんにお願いして次の20mほどはビレイをしてもらった。次は、岩壁帯2Pの懸垂下降だ。こういう作業は、何故かしっかり出来そうな自信がある。

岩壁の懸垂下降を無事終了して氷河に乗り上がる。昨日のビバーク地はもうすぐそこだ。今日はここまで。もう動きたくない。

月明りのビバーク地、2人とも立ったまま湯が沸くのを待つ。食欲はそれほどないけれど水分はしっかりとらなければ。疲れ切って言葉はかなり少なめだけど、ここまでちゃんと還ってきた安堵感にすっかり緊張がゆるんだ。時間を気にすることなく、飲んで食べてからシュラフに入る。その時、思い出した。疲れて面倒だったので顔も向けなかったけど「今日はありがとう」と口にしたものだ。この気持ちは日付が変わる前に伝えておかなければ、と。

翌朝、日が上がって暖かくなってから起き出す。黒田さんに声をかえる。「少しは眠れた?」、「けっこう眠れましたね。」なんていうのんびりした会話をしつつ下る用意をする。  スローモーションのように体がゆっくりとしか動かない。「気をつけて慎重に下ろう」と、互いに言い聞かせるような感じがなんだか可笑しかった。クライムダウンは出来るだけ避けて、ギアを惜しまず積極的に懸垂下降をしていこう、と。

PM1時頃、BCに到着。出迎えてくれた上田さんに「ずいぶん今日はゆっくりだったですねぇ」と心配されてしまった。BCテントの前にうずくまってしまうくらいに腰が抜けている。ゆっくり立ち上がり、上田さんが用意してくれたビールを受け取ってとにかく乾杯。とても美味しく、すっきりさっぱりした味わいだった。

(注27)アイスクライミングにおける支点保持技術。 (注28)安定したアンカーポイントを作るための雪や氷の塊。

その後

翌日から鬱に入ったように身も心もぐったりしてしまった。それから3日間ほどは続けて12時間睡眠。朝は、起こされるまで熟睡していた。足の筋肉疲労と肩こりも酷かった。ヒマラヤ遠征登山でこんなに疲れたのは初めてかもしれない。

 今回、自分の限界のようなものを感じることができたように思っている。それは悪いことではないかもしれない。よりよく生きることとアルパインクライミングを楽しむことは私にとっては同じ意味をもつのだから。

遠征メンバー
馬目弘仁
上田幸雄
黒田誠
期間:2022年10月13日~11月15日

チェキゴ峰南フェース・アタックメンバー
馬目弘仁
黒田誠
期間:2022年11月5日~11月7日

馬目 弘仁
Hiroyoshi Manome

1969年福島県生まれ。渓流釣りをしたい一心で高校山岳部に入部し、山登りをはじめる。フィールドが近い信州大学農学部林学科へ進学し、本格的なロッククライミングの世界へ。半年間休学してヨーロッパへ渡り、ドリュ西壁やグランドジョラス北壁、フレネイ中央ピラーを登る。2008年テンカンポチェ峰(6,446m)北東壁初登攀など、国内外の山々で先鋭的な初登攀を重ねる。2012年43歳のとき、キャシャール南ピラー(6,770m)初登攀で登山界のアカデミー賞、ピオレドールを受賞。若手育成、クライマー交流の場として2008年から『ウインター・クライマーズ・ミーティング(WCM)』を主催し、日本のアルパインクライミングシーンを牽引する。ザ・ノース・フェイス・グローバルアスリートとして、アルパインクライミングに特化した商品開発に携わっている。2019年に日本山岳フリークライミング協会より、第8回山岳グランプリを受賞。ヒマラヤでのアルパインスタイルによる新ルート開拓に情熱を注ぎ続けている。TNF ATHLETE PAGE

馬目 弘仁 / Hiroyoshi Manome
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