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INTERVIEW ON CONCEPT

The Innerspaces
of Running

今の時代の「ほんとうのランニング」とは? 後編 鏑木 毅(プロトレイルランナー)×藤代 きよ(編集者)

日本のトレイルランニング史を切り開いてきたプロトレイルランナーの鏑木毅と、マインドフル・ランニングの名著『ほんとうのランニング』の発行人である走る編集者、藤代 きよ。「山を走る」という共通言語を持つ異色のふたりが対話のテーマに選んだのは、現代を生きる僕らは、なぜ”走るのか”。前編に続く、後編では「ランニングとウェルビーイング」にも言及する。

ランニングにはそうした力があると信じていないとダメなんじゃないかな。走ることで、身体だけでなく脳も変えられると。

──── 鏑木 毅

「自分のビートに合わせて走れているか」
身体と脳にそう問いかける
鏑木 本書はランニングの瞑想的な側面にも多数言及されていますよね。日経新聞に週一回コラムを寄せているのですが、もう5年もやらせてもらっていて、そのネタってほぼ間違いなく走っているあいだに浮かぶんです。人生において、ランニングに出会えてよかったなと。

藤代 確かに、仕事上のちょっとした思いつきって、朝、走ってるときに浮かびます。だから走り終わるやいなや、すぐに電話を掛けることがよくあります。

鏑木 悩んでいるときも、走っている最中に自分の気持ちが上向く考え方に思い当たります。走りに行く前と後では別人だと、よく妻に呆れられています(笑)。本当に走ることに助けられていますよ。
でも、誰しもがそうなるわけではなく、ランニングにはそうした力があると信じていないとダメなんじゃないかな。走ることで、身体だけでなく脳も変えられると。

「ランニングとは身体を鍛える手段であると同時にひとつの芸術形式(アートフォーム)だと私は考えている。」

●本書『ほんとうのランニング』
第1章「わが道を走る-」
CHAPTER1: Running to a Different Drummer より

藤代 第一章の邦訳が「わが道を走る」なんですが、原題がRunning to a Different Drummerで。このフレーズをどう日本語に置き換えるかは翻訳者の近藤隆文さんとかなり話をしました。
英語で「March to [the beat of] a different drummer」、ドラムにあわせて行進する、という言い回しがあるそうです。スピーノさんは、これをもじって「Run to a drummer」や「Run to the drummer that is you」と書いていて、どう訳すか難しかったんです。走るだけではなくて、その人のリズムや心臓の鼓動というニュアンスも加味して、章タイトルを「わが道を走る」、本文では「あなた自身のビートに合わせて走る」という日本語にしました。鏑木さんも含めトップランナーの方々は、身体と感覚も含め自分自身のビートで走るという経験はよくおありですか?

鏑木 直接的な回答ではないかもしれませんが、競技力が一番高いレベルにあった頃は、「ここでテンポ上げて疾走しておくと後々コンディションがあがるな」という感覚がよく訪れて、それを重視していました。そういうビートが降りてきたときは、リカバリージョグの最中でもテンポ上げて。こういう柔軟さがトップ・オブ・トップの世界でも重要なはず。
コーチに言われメニューをなぞるだけではきっとダメで、僕の場合は自分の身体の声に耳を傾けたからこそ、トレイルランで大成できたのだと思っています。

藤代 指導者に言われただけでなく、ですね。それは今も?

鏑木 ものすごく頑固なんですよ(笑)。聞く耳は持っているつもりだけど、自分なりの答えは身体や心にあるんです。もしかすると悪しき面もあるかもしれませんが、そのやり方だからこそ結果を残せてきた。今のアスリートはいい子になりすぎてると言いますか、SNSの影響が多大で、テクノロジーや情報に感性をジャマされているのでは?  <UTMF> なら、この160kmを最も効率よく駆け抜けるにはどうしたらいいか、と自分自身に徹底的に問いかける、その感性こそが重要だと思います。

藤代 頭でっかちはよくないということですね。

でも、そのセラティさんが最終的に言っているのは、力は自分の内側にあるということでした。

──── 藤代 きよ

「強くなる答えは自分の中にある」
インプットしたものの8割くらいは捨てている
鏑木 そこで大事なのは、逆説的かもしれませんが、情報はたくさん入れておくこと。その中から何をチョイスするか。

藤代 鏑木さんもインプットはたくさんされている?

鏑木 そうなんです。インプットは厭わないんですけど、それを食べるか、見るだけにするか、食べ続けるかは自分で決めます。インプットしたものの8割くらいは捨てているかな。

藤代 スピーノさんが師事して、本書でも頻繁に引用されている伝説的なランニングコーチであるパーシー・セラティさんも、ものすごい量の情報をインプットしている方だったそうです。
でも、そのセラティさんが最終的に言っているのは、力は自分の内側にあるということでした。

鏑木 いろんなヒントは与えられるけど、最後は自分のことを真剣に考えて、身体と対話しているかどうか。強くなる道筋は何通りもあるはずなんです。走ることだけでなく、何ごとでもそうじゃないでしょうか。

藤代 セラティさんは、心身を患ってから40代でシリアスに走り始め、オーストラリアの五輪代表チームの監督になりました。その経験からか、人種とか出自には関係なく、誰であっても自分の「内なる力」を高められるということを言っていると思いました。そんな不思議なニュートラルな心持ちがランニングに出てくるのでしょうか。

鏑木 走っていると、自由主義的と言いますか、物事をそれまで以上にフラットに見られるようになりますよね。こだわりがなくなるというか、器が広くなる気がします。本質を求めたくなるからなのかな。「ランニングは世界を平和にする」って、実際にあると思いますよ。
完全なイコールではないかもしれませんが、修験道の世界にも通じていて。苦しい局面を乗り越えたときに、感謝の気持ち、寛容な精神に達するのだそうです。許して飲み込めるような精神がないと、そもそも耐えられない。

鏑木毅にとっても、
最も苦しかった100マイルレースとはなんだったのか?
藤代 これまで一番苦しかった100マイルって何でしたか?

鏑木 じつは2009年の 〈UTMB〉 で3位に輝いたときは、誰かに走らされている感じで、楽ではなかったけど苦しくはなかったんです。対して、2011年の7位が一番苦しかったかもしれません。
前年は天候不順で競技途中に中止となり、自分の体力的にも残り少ないチャンスなのに、アキレス腱に大きな故障を抱えていて3位以上はどだい無理というのも分かっていて。それを最後まで乗り切ったのは今でも自信になっています。
メディア的には2009年だけど、自分の中でより誇りに感じているのは、最後まで走りきった2011年の 〈UTMB〉 なんです。

藤代 そのときは急性でなく慢性の故障だったのですか?

鏑木 はい。一度に2~30kmしか走れなくて。年齢による衰えからフィジカル的なパフォーマンスの急降下を感じていたこともあって、精神面でも非常にタフでしたね。

藤代 体力が落ちていく経験のあと、その後もまだまだ長い期間活動されているわけじゃないですか。心を含むそこからのいろんな変化にはどう向き合ってこられたんですか?

鏑木 レユニオンという大会で心臓系のトラブルを起こしたときに、考え方を大きく変えました。プロとしての全盛期は短かったかもしれないけど、その2、3年の日々はこれ以上努力できないくらいのギリギリの努力をしてきました。だから、これからは現時点でできることを精一杯やり切って、その結果として自分が納得できる走りができればと良いのだという思いに至った。そこからふっと楽になりました。
今は老いに対する面白さを感じつつ、楽しくやれていますね。どうやったらこれを食い止められるかって。

藤代 メンタルや思考だけでなく、フィジカル的にも創意工夫することが楽しいんですね。

鏑木 全盛期のトレーニングは全盛期の身体にあっていただけ。今は違います。その点、セラティさんのトレーニングは耳学問で聞きかじっているだけですが、このメソッドが特効薬だ!というのではなく、柔軟性がありそうですよね。そういう方が面白いです。

走ると、世の中がよくなる。それはもう絶対的に。後はそれを伝える人や、ツールが充実するといいのかもしれませんね。

──── 鏑木 毅

ランニングによる身体と心の変化は、
ウェルビーイングに繋がる
藤代 セラティさんはそのトレーニングを実際に全部自分で実践しているのが、また面白いなと。最後、病気になったときに友人に残した一言が素敵なんです。「俺はより良くなって戻ってくる」。

鏑木 ものすごいエネルギーですよね。成し遂げる人はとてつもないエネルギーを持っているんだよなぁ。先天的な資質なのか、後天的なものなのか、分からないですけど。

藤代 アスリートとして、これまで100マイルというレンジにこだわられていたと思うんですけど、今後、もっと長いとか、ショートとか、どうお考えですか。

鏑木 それはもう自分でも分からないんですよ。そのときどきの嗅覚に従いたい。ただ、200マイルという距離は経験したことないので、一度は経験してみたいなと思っています。寝ないで一気にゴールというのが通用しないはずなので、睡眠をどう挟むか。それによって疲労や痛みはどうなるのか。
いずれにせよ、プロトレイルランナーという肩書きで活動しているので、自分のやったことが何かしら世の中に還元されるといいなと考えています。今ある人生観の中で、できるかぎり楽しい、納得感のあるものを求めたい。そのよさを皆に伝えたい。おこがましいかもしれませんが、それが今の自分の生き様なのかなと思います。

藤代 僕も以前はいち勤め人でしたが、ランニングを通してなのでしょうね。今は自分でいろんな工夫をしてどこまでいけるかやってみたくなって、小さな出版社をスタートしました。

鏑木 ランニングによる身体と心の変化はウェルビーイングに繋がるはずなんです。走ると、世の中がよくなる。それはもう絶対的に。後はそれを伝える人や、ツールが充実するといいのかもしれませんね。

藤代 欧米のメディアでは、ランニングの魅力をそうした文脈で語るケースは珍しくないんですよ。それを紹介するのが今の自分の一つの役割だと思っています。

鏑木 確かに、日本ではあまり目にしませんね。日本も古来より深い精神世界を持っているはずなのに、何でだろう。

藤代 ダイエットだけでなく、精神的な、形としては残らない何かを、ランニングを通じて実現できるといいですよね。

鏑木 そこに本質がありますよね。

藤代 ランニングと読書は遠いところにある、というのが世の中の一般的な認識かもしれません。

鏑木 でも、実際はそうじゃない。

藤代 それぞれ一歩一歩、一字一字辿ると、世界が広がって思いもよらぬ深いところまで連れて行ってもらえますから。そういう何かを作っていけるといいなと、「出版不況」とか言われるこの時代ですが、苦労しながらやっています(笑)

鏑木 そうですよ。海外に行かないと冒険できないなんてことは無くって、ランナーはいつも内なる冒険をしているはずなんです。今だって、あのトレーニングを50本やったら自分はどうなっちゃうんだろう?と、前の晩からワクワクしていますから。

PROFILE

鏑木 毅
Tsuyoshi Kaburaki

1968年群馬県生まれ。プロトレイルランナー。早稲田大学競走部に所属し、箱根駅伝を目指すも、故障で断念。群馬県庁に勤めていた28歳で野山を走るトレイルランニングと出会う。2005年国内三大レースを制覇。2007年世界最高峰の100マイルレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」を日本人過去最高位の12位で走破、2012年まで連続出場(最高3位入賞)。2009年、The North Faceをスポンサーに得て独立。2012年5月、日本初の100マイルレース「ウルトラトレイル・マウントフジ」を実行委員長として開催。

藤代 きよ
Kiyo Fujishiro

京都市生まれ。出版社・木星社代表。「心躍る本」をテーマに文芸/アート作品を出版している。刊行物は『ほんとうのランニング』『チャンピオンへの道』『アメリカを巡る旅』『ニュー・ダイエット』など。メディアへの寄稿やポッドキャスト番組『Thursday』、インタビューシリーズ『Orbit』も展開している。同社設立以前は、コンデナストで『WIRED』日本版や『GQ』『VOGUE』に携わる。トレイルランナーとしては「ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)」や「タラウェラウルトラ」などロングレースを走っている。

Edit: Ryo Muramatsu(SHIKAKU inc)
Text: Shinsuke Isomura
Photograph: Eriko Nemoto