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Letter from The North Face
Letter from The North Face
What I Talk About When I Talk About Walking
Interview with Craig Mod

クレイグ・モドのことを一言で説明するのは難しい。Flipboardのプロダクトデザインを手がけ、SmartNewsやMediumといったテック企業のアドバイザーを務めたかと思えば、パブリッシャーとして圧倒的なクオリティを追求したいくつもの本をつくっている。作家として『The New York Times』や『WIRED』に寄稿すると同時に、フォトグラファーとして自ら写真を撮る。カメラのレビューからデジタル時代の出版のかたち、日本の喫茶店カルチャーまで、彼が興味をもつテーマは多岐にわたる。

ライターで、フォトグラファーで、デザイナーで、パブリッシャー。そんな数々の肩書をもつクレイグには最近、「ウォーカー」という新しい肩書がついている。あるときはひとりで、あるときは仲間たちと、日本中を歩くことに夢中になっているのだ。テクノロジーとストーリーテリングの未来を探求してきた彼はいま、どうして何日も、何週間もかけて、日本を歩いているのだろう? そして、「歩くこと」からどんな景色を見ているのだろう?

Craig Mod クレイグ・モド
日本在住のアメリカ人ライター/フォトグラファー/ウォーカー。早稲田大学留学中にアートディレクターとして出版社「Chin Music Press」に入社して以来、作家、デザイナー、パブリッシャーとして数々の本を手がけている。代表的な著作に、東京のアートスペースガイド『Art Space Tokyo』(2010)、デジタル時代の出版とストーリーテリングについて綴った『ぼくらの時代の本』(2014)、ライカとのコラボレーションで出版した熊野古道の写真集『Koya Bound』(2016)、1,000km以上の中山道を歩くなかで出会った喫茶店とトーストの記録を束ねた『Kissa by Kissa』(2020)がある。
https://craigmod.com/
Craig Mod  <span>クレイグ・モド</span>
Q1クレイグさんと日本のかかわりについて教えてください。

日本には21年前、早稲田大学に留学するために来て、それ以来ほとんどの期間を東京で、最近の6年間は鎌倉で過ごしている。20代の頃に、僕が低賃金でインディペンデントの、そして“風変わりな”アートプロジェクトに取り組むことができたのは、完全に東京の生活費の安さ(矛盾したことのように聞こえるのはわかっているけれど、実際のところ、東京は最も安い先進国のメガロポリスなんだ)と国民皆保険のおかげ。僕のデザインや芸術への感性の多くは、日本での生活のなかで自然と鍛えられていった。

日本にやってくる多くの外国人とは違って、僕はアニメやマンガにはそれほど興味がない。テレビを所有したこともないし(だから日本のテレビについては何も知らない)、ビデオゲームは25年前にやめたし、日本のポップミュージックについても知らない。日本の現代建築、グラフィックやプロダクトデザインのテイストが好きになったのは、ここにやってきて、住み、日本を探索するようになってから。21年前に日本に来た主な理由は、ヨーロッパなどで1年間留学をするよりもやり甲斐があると思ったからなんだ(それから、アメリカの大学との関係や奨学金のおかげで、日本で学ぶための費用が例えばスペインと比べて3分の1で済んだということもあった)。

Q2日本のどんな文化に惹かれて、大学を卒業してからも住み続けることを決めたのでしょうか?

僕は一度も日本に残ることを「決めた」ことはない。多くの人と同様、日本に住むのは一時的なものだと思っていた。でも何年も経つと、関わりが深まり、自分の文化的な感性も変わり、「母国」がますます外国のようになってくる。いまでは日本に「出国税」の法律ができたおかげで、日本を離れるのにお金がかかりすぎるようになってしまった! というのはもちろん冗談、冗談(まぁ、ある意味では)。

さっきも言ったように、僕はアニメやマンガ、日本のポップカルチャーやファッションに興味があって日本に来たわけじゃない。ただ子どもの頃から、「日本」という国が存在することはぼんやりと知っていた。任天堂のゲーム機をもっていたし、それが大好きだった。それが「日本」と呼ばれるはるか遠くの国から来たことは知っていたんだ。

そういえば、13歳の頃に日本人のビジネスマンと一緒にハワイでゴルフをしたことがあるんだけど、彼らは親切でちょっと変わっていた(ティーンエージャーの僕に「結婚はしているんですか?」と訊いたりしたんだ)。もしかしたら僕は、彼らを“つくった”のがどんな場所かを見るのは楽しいと思ったのかもしれない。

日本のどんな文化に惹かれて、大学を卒業してからも住み続けることを決めたのでしょうか?
Q3どのようにして「歩くこと」がライフワークになっていったのでしょう?

歩くことが「ライフワーク」だと言うにはまだ早すぎるくらい、人生の時間が残っていることを願っているよ(笑)。でもこの数年、歩くことは自己形成に大事な役割を果たしているし、これからもそうであればいいと思っている。

2013年、カリフォルニアでの仕事から戻ってきたばかりの頃に、「どうして自分は日本にいるんだろう?」と考えたことがある。日本の会社で働いているわけでも、日本語で本を書きたかったわけでもない。日本のスタートアップや出版の世界とかかわっていきたいと思っていたわけでもなかった。僕はただ、日本を拠点にすることが好きだったんだ(その少しあとにはアーティストビザから永住権に切り替えることになった)。

そんなときに、友だちのジョン・マクブライドが熊野古道を歩いてみないかと誘ってくれたんだ。それまで聞いたこともない道だったけれど、僕は行くことにして、それは楽しかった。僕らは次の歩きに出かけ、また更に次の歩きに出た。歩くうちにその古い道の魅力がわかってきた──それは「侍がここで戦ってたんだよ!」的な視点ではなく、それらの道が生きた美術館であるという視点、あるいは人文地理学的な視点のもの。ある意味では、それは屋外のメトロポリタン美術館を歩いているような体験だった。それに加えて、道中には町や村、産業(漁業や伐採)がある。それから僕は、​​日本語を話せることが、これらの歩きをもっと深く、意味のあるものにしてくれることにも気付いた。そうして僕は、ますます古い道を歩くことに夢中になっていった。初めて“本格的”に長い歩きに出たのは2019年で、中山道を中心に40日以上かけて歩いたんだ。

Q4日本各地を歩くなかで、歩くことでしか見ることのできない自然というものに出会うことはありますか?

歩くことのひどい「退屈さ」と、自分を強制的に「オフライン」にさせることは、自分の感覚を──必然的に、そして正気を保つために──高めてくれる。そうすると、日本中にある普段なら気が付かないようなパターンやテクスチャに気付くことになる。例えば、人里離れたところの物置や家に貼られたキリスト教の看板やポスター。それらは同じようにデザインされていて──黒の背景に黄色の文字──、不思議なことに至るところにある。正直に言えば、僕は歩くことにまつわるわかりやすい自然の要素よりも、人間的な要素──道中の過疎化した村や、そうした村に残された生活の名残──に興味がある。だから森の中を歩くことは多くない。2020年11月に僕は東海道を歩いたけど、そのときの様子を配信したニュースレターの名前は「Pachinko Road」。というのも、パチンコ店や競馬場を通り過ぎることが多かったからで、僕はそれが大好きだった。そうした風景も、その場所独自の「自然」と呼べるのかもしれない。

日本各地を歩くなかで、歩くことでしか見ることのできない自然というものに出会うことはありますか?
日本各地を歩くなかで、歩くことでしか見ることのできない自然というものに出会うことはありますか?
Q5「歩くこと」を通して、クレイグさんが学んだことを教えてください。

僕が学んだのは、歩くことは、うまくやればプラットフォームやツールになるということだ。大工に金槌についてどう思うかと訊くのはバカげたことで、金槌は金槌だ。同じように、歩くことは歩くこと。でも、うまく歩けば──つまり、何日も何週間も何カ月もかけて、オフラインになり、手にはカメラとペンと紙をもって、よく観察し、いわゆる「オープンハート」と好奇心、そして優しさをもって、道すがら出会う人たちとつながりたいと思い、先入観なく毎日を過ごせば──それが何であれ、まったく別のものになる。だから僕が学んだのはこういうことだ。ほとんどのツールは退屈なものだけれど、それが退屈でなくなるときには奇跡みたいなものになる。その退屈さからいかに抜け出すかが、職人の腕の見せ所なんだ。

Q6日本と西洋の「人間と自然」の捉え方にはどんな違いがあると感じますか?

日本は細かい時節を意識して生きてきた歴史が長いから、例えばパロアルトよりも軽井沢に住んでいる人のほうが、時節の移り変わりに対する感性があるのかもしれない。でも全体的に見れば、日本と西洋でそこまで大きな違いがあるかどうかわからない。確かに日本の陸地は常にそこに住む人たちにとって命の脅威となってきたから、日本は多くの西洋諸国よりも、自然との関係がもともと複雑だと思う(これは「東洋」と「西洋」の違いというよりも、単純に地質的な話)。日本には地震があるからこそ、「自然には逆らえない」という運命論のようなものがあって、それは僕の好きな考えだ。概してアメリカ人は、たとえどんなに質が下がろうとも、寿命を延ばすことに執着しているように見える。一方ここ日本では、水害や津波による死についてもっと話すことに気付いた。日本には個人レベルでそうした死を防ぎたいという“願望”もそんなにないし、避けることのできない死そのものに、優しく寄り添っているような気がするんだ。

同時に、国家規模では、日本の政治(?)には”防波堤”でも何でもコンクリートで固めて、メガトン級の自然災害から生活を守ろうとする執念が見られる。予めコンクリートを建てておけば、役に立つこともあると思う(確かに土砂崩れなんかには)。でも、どんなに高い防波堤も、本当に破壊的な津波が小さな入り江に向かって押し寄せるのを止めることはできないと思う。だから日本中の田舎で海と村が分離しているのは、ものすごくがっかりする──そうした村はまるで刑務所のようだし、僕の意見では、リスクと自然のバランスをとることに慎重になりすぎて生活の質を犠牲にしている。そして悲しいことに、それはますます悪化しているように見える(3.11後の東北の海岸線を見ればわかるように)。また、戦後に杉の木を植えすぎたことで、日本の原野の大部分が単一的なデッドゾーンになってしまった。ありがたいことに、若い世代は自然により「意識的」なようで、こうした状況を少しでも解決しようとしているように見える。三重県の大台ケ原のように動植物の多様性が守られている地域もあって、こうした地域が日本中に増えればいいと思う。

日本と西洋の「人間と自然」の捉え方にはどんな違いがあると感じますか?
Q7この地球の未来を持続可能なものにするために、私たちはどのように地球と関わっていけばいいと思いますか?

すぐにゴミになりそうなものを買わないこと。買ったゴミについてもっと考えること。自転車に乗ること。クルマに乗るのを減らすこと。もっと歩くこと。飛行機に乗るのを減らすこと。自分勝手にならないこと。1枚のジャケットを10年着ること。肉を食べるのを減らすこと。

ただ本当の意味でインパクトのある大きな変化は、世界規模の政策レベルで行われなければいけない。多くの豊かな国々は歩み寄り、貧しい国々が化石燃料に依存せず、自然エネルギーに投資しやすくする必要がある。気候をコントロールするために、地球工学的なアプローチも必要かもしれない。

でも全体的に見れば、日々Twitterで見るような悲観的な意見に反することはわかっているけれど、物事は(すべて考慮したうえで)うまくいっているように思う。大事なのは、40年というタイムスケールで考えること。この過去10年を振り返ってみても、自然エネルギーのコストは70%低下した。テスラも(基本的には)存在しなかったし、電気自動車だってほとんど注目されていなかった。企業がカーボンニュートラルを目指すという話もほぼ聞かなかった。このポジティブな変化は、これからも加速していくと信じている。

パンデミックに直面したときに、どれだけ効率的にワクチンが開発されたかを考えてみてほしい。同じように、連邦・国際政治レベルでインセンティブ(減税やカーボンクレジットなど)がさらに強化されれば、もっと早く、もっと多くのことができるようになると(歴史的なデータや過去の傾向を考えれば)僕は確信している。1925年当時、アメリカでは半分の家庭にしか電灯がなかった。半分だ! その100年後、僕らは毎日、ほとんどいつでも、手に持った何百万もの小さなランプに吸い付いている。テクノロジーの進化の速さと、それが当たり前のものになる早さは奇妙なものだ。僕らのサルの脳は指数関数的な成長や変化を予測するのが苦手だけれど、それこそがこの100年間に起きたことにほかならない。いまから100年後にも人類は地球温暖化の問題に取り組んでいると思うけど、最悪の事態は免れているだろう。

Q8未来の世代に残したい、あなたの理想の風景はどのようなものでしょうか?

ひとつ前の回答で書いたこと、つまり避けられない気候問題に対処するための技術的な基盤が必要になる。自然エネルギー(とおそらくは核融合? あるいはそこから派生したもの)によって、近い将来(つまり100年後)には、エネルギーはほぼ「無料」になり、それだけで社会の性質は劇的によい方向に変わると僕は信じている(賢明なリーダーシップと誰もが無限の教育にアクセスできることを前提として)。

個人的には、世界から切り離されて、それによって世界をよく見ることのお手本を残したいと思っている。未来の世代は、僕らが50年代の喫煙文化を見るようにこの瞬間を振り返るだろう──え、飛行機のなかでタバコを吸ってたの? いったい当時の人たちはどうしちゃってたの?ってね。僕らのひ孫たちは、いまの世界がどれほど豊かだったか(お金も食べ物もたくさんある)、そしてその豊かさがいかに偏っていたか(アメリカのような豊かな国に真の社会的セーフティネットがなかったり、他の国ではメンタルヘルスのサポートがひどく不足していたりする)に戸惑うことだろう。そして、スマートフォンやソーシャルメディアに気を散らされていることが、過去の喫煙やアスベスト、有鉛ガソリン、ヴィクトリア朝時代の児童労働と同じように、ある種の健康障害とみなされるようになるだろう。だから少なくとも、ひ孫世代の誰かが僕の著書を手にとって、「ああそうか、農家や漁師と話しながら、ときどきその混乱から逃れようとしていた変なヤツが少なくともひとりはいたんだな」と思ってもらえたらうれしいね。

未来の世代に残したい、あなたの理想の風景はどのようなものでしょうか?
Research & Creative Direction: SUB-AUDIO Inc
Text & Photography: Craig Mod
Design: Tomomi Maezawa
Translation: Yuto Miyamoto