子どもは遊ぶ権利を持っている

子どもの権利条約と子ども基本法

  • FEATURE
  • 2021.7.28 WED

 子どもが遊ぶことはふつうのことですが、そのふつうが難しい子どももいます。紛争下のような大きな社会の出来事もあれば、家庭での虐待もあるかもしれません。障がいのある子どもは、遊ぶ場所が十分に整備されていないということもあるでしょう。勉強や習い事を親に強いられていることもあるかもしれません。

 子どもは、子どもの権利条約が定める「遊ぶ権利」を持っています。しかし、まだ子どもが権利を持った主体とは広く認識されていません。それはなぜなのか、どうあるべきなのか。国連子どもの権利委員会への日弁連報告書の作成提出に関わるなど、子どもの権利条約に詳しい一場順子弁護士に話しを聞きました。

子どもには遊ぶ権利が認められていることを知っていますか?

 日本が1994年に採択した国際条約「子どもの権利条約」を知っていますかという3万人へのアンケートで、「内容までよく知っている」と回答したのは、子どもで8.9%、大人で2.2%。一方「聞いたことがない」と回答したのは、子どもで31.5%、大人で42.9%。大人の40.7%は、名前だけ聞いたことがあると答えています。(公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン調べ)

 つまり大人の8割以上は、子どもの権利の詳細や根拠を知らないということになります。情けない話ですが、かく言う自分も今回この仕事でいろいろ調べるまで大雑把な把握しかしていませんでした。知らない我々大人は子どもをどんな存在として日々接してきたのか、不安になってきました。

 国際条約を批准するということは国内法と同じような効力を持つことになるのですが、日本として独自に子どもの権利を包括的に定めた法律はないというのです。これはどういうことなのか。子ども庁の創設が話題になりましたが、そのOSにもなるような包括的な国内法が整備されていないということなのでしょうか?

第二次大戦で一番被害を被った存在はある意味で子どもでした
その子どもにちゃんと権利を認めて法をつくろうとして作られたのが「子どもの権利条約」

子どもの権利を保障するための「子どもの権利条約」

― 子どもの権利条約とはどういうものなのでしょうか。

一場 「子どもの権利条約」は1989年に国連で採択された、子どもの基本的人権を国際的に保障するための条約です。

― なぜこの条約がつくられたのですか?

一場 第二次大戦で一番被害を被った存在は、ある意味で子どもでした。その子どもにちゃんと権利を認めて法をつくろうと、ナチスから多くの被害を受けたポーランドが素案をつくり、国連での長い議論を経てできたんです。

― なるほど。そこで決まった子どもの権利とはどんなものがあるのですか?

一場 子どもの権利条約では4つの一般原則を掲げています。一般原則は成長発達の過程にある特別な存在としての子どもの権利についての理念と権利保障の基準を述べているものであり、子どもの権利を守り支援する大人の側に向けられた規定といえます。

― 大人側にとっての原則という意味なんですね。

一場 一方で4つの権利は、子どもの権利条約に定められている具体的な権利を、子どもの側から捉えて、「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」と分け、法律用語ではなく子どもにわかりやすい言葉で説明しているのだと思います。

4つの一般原則

「生命、生存及び発達に対する権利
すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けることが保障されます。

「子どもの最善の利益
子どもに関することが行われる時は、「その子どもにとって最もよいこと」を第一に考えます。

「子どもの意見の尊重
子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に尊重します。

「差別の禁止
すべての子どもは、子ども自身や親の人種、性別、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。

4つの権利

生きる権利」
すべての子どもの命が守られること

育つ権利」
もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療や教育、生活への支援などを受け、友達と遊んだりすること

守られる権利」
暴力や搾取、有害な労働などから守られること

参加する権利」
自由に意見を表したり、団体を作ったりできること

(公益財団法人 日本ユニセフ協会)

― 子どもの自由と同時にいかに守られる存在であるか、そして保護者や社会がすべきことですね。

一場 日本は1994年にこの条約を批准しています。批准した国際条約は、基本的に国内法と同じ効力があると言われているんですが、実際には弁護士も裁判官も使いやすい条約とは言えない状況でもあります。

― と言いますと?

一場 批准はしたわけですが、国内法との兼ね合いがあるんです。子どもをめぐる問題は養育、教育、保健、医療、福祉など様々な分野に横断的に関わりますよね。

― 貧困の問題は、経済の話だけではなく教育や医療とも関係してきますよね。

一場 そう。政府は、「児童福祉法」や「母子保健法」「教育基本法」「少年法」「児童虐待の防止等に関する法律」「子どもの貧困対策の推進に関する法律」など、子どもの権利を守るそれぞれの現行法があるとして、包括的な新しい法律はいらないといっています。こども庁の創設という話もありますが、それぞれの法律で「子ども」「少年」「児童」等子どもの定義が違っている中で、「子どもとは」を法的な概念で決めていくべきだと思っています。例えば、児童養護施設で生活してきた子は、児童福祉法でいう「児童」としての扱いが18歳になると終わって社会に出されます。でもこれまで民法では18歳は「未成年者」で、その子ひとりでは社会に出ても20歳まで家すら借りることができなかったのです。そうしたことも含め、子どもを守るための「子ども基本法」という包括的な法律をつくろうと日本財団が提案し、日弁連でも活動しています。

日本財団:「子ども基本法WEBサイト」

憲法には、生まれたときから人は人としての権利を持っていて人として尊重される存在だとある。生まれたときからということは、生まれたての赤ちゃんだって権利を持った主体であるはず

子どもは指導の対象でしかないのか?

― なぜ子どもの権利を明確に規定したくないのでしょうか?

一場 これまでも各地の弁護士会で子どもの権利条例をつくろうと運動をしてきたんですが、いつも反対されてきました。反対勢力は、子どもに権利を許したら勝手を許すことになると。

― ちゃんと物事を判断をできない未熟な存在に権利など与えてはダメだと。

一場 そういう考えはあると思います。教育とは指導するもの、子どもは指導の対象だと。でも子どもが引きこもりや不登校になるのは、学校が息苦しいからでもありますよね。「学校教育は指導や管理の対象として子どもを捉えているから息苦しい」わけです。

― 個別の権利を持った存在として子どもを扱っていない。

一場 学校で子どもは権利の主体だと教えてもらったことはありますか? 校則を守るのは子どもなのだから、校則を決める中に子どもが入ってもいいと思いませんか?

― たしかにそう言われるとそうですね。

一場 憲法には、生まれたときから人は人としての権利を持っていて人として尊重される存在だとある。生まれたときからということは、生まれたての赤ちゃんだって権利を持った主体であるはずなのに、多くはそう捉えられていません。ちゃんと国内でも法律としてつくらないと、条約をいくら批准していたとしても、「子どもを権利の主体として捉えず、ただ恩恵を施す存在として捉えてしまっています」。でも、一方で「権利の主体であると同時に、保護が必要な存在でもある」という矛盾も孕んでいるんです。この話は、よく図に書いてお話するのですが、下の図では横軸が年齢、縦軸が支援と権利行使できる能力の割合を示しています。

― 右に行くほど子どもの年齢が上がり、親の支援の量が減り、子どもが権利を行使できる能力が増えていくわけですね。

一場 そうです。私も3人の子どもを育てて、孫は7人になりました。小さくても子どもには主体性と自意識があって、社会との関係、親との関係のなかで様々なことを身についていく。赤ちゃんに理屈で説明しても通じないですよね。じゃあ子どもたちに何が必要かというと「遊び」なわけです。子どもは自由な遊びの中でやりたいことをやって失敗していろんなことを体験から学んでいくわけですから。

年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い
並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める

一場 子どもの権利条約の中に、子どもが遊ぶ権利を認めている31条というのがあります。先程の4つの権利のうち「育つ権利」に相当します。

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第31条

 締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。

 締約国は、児童が文化的及び芸術的な生活に十分に参加する権利を尊重しかつ促進するものとし、文化的及び芸術的な活動並びにレクリエーション及び余暇の活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する。

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― やはり条文は読みにくいですが、子どもの遊ぶ権利を認めて、国はそのための機会を提供してくださいということですね。

一場 そうです。堅苦しい言い方ですが、子どもは遊ぶ権利があって、大人はそれを支援しましょうねということです。

― セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの「第31条 休息・余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加」について「子どもの権利が守られていないと感じるとき」というアンケートではこんな声が上がっていました。
https://www.savechildren.or.jp/news/publications/download/kodomonokenri_sassi.pdf

・・・よくゲームばかりせず外で遊ぶべきなどという決めつけた意見を大人が言っているが、公園などでボール禁止やそもそも公園がない場合もあるので大人のせいで遊ぶ場所が不足しているのではないかと感じている。(福岡県・17歳・男子)

・・・学校などで休み時間があっても休まる場所がないとき。(熊本県・15歳・男子)

・・大人が「勉強をしろ」「遊ぶな」「休むな」と言うことによって、子どもは「遊んではいけない」と刷り込まれている。(三重県・15歳・女子)

・・・部活に入りたい子どもが経済的な理由ではいれないとき。(秋田県・16歳・男子)

一場 先ほど話した支援と権利行使の能力の図にあったように、成長発達していく子どもに合わせて支援の必要性は減り、権利の主体として子どもは自分でできることが増えていくわけです。社会や大人は、成長と発達に応じた意思表示を尊重する。これは12条にある意見表明権です。日本ではなかなかこれが認められにくい。これは「参加する権利」でもありますね。

影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する

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第12条

 締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。


 このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。
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― 子どもが自ら声を上げていいのだと。例えばスケボーをやりたいという子どもたちは、街中でやっていると煙たがられることがあります。滑る場所がなければ、場所がほしいということを請願することも可能なのですか?

一場 声をあげることはできるでしょう。大人は子どもの声に耳を傾ける必要はあります。国や地方自治体は子どもの声を聴き、その都度判断することになります。でもそもそも国はそういう機会を保証しましょうとも権利条約には書かれています。だから「多くの子どもたちがスケボーをやりたいという状況があるのであれば、公共的な場にそういう場所を作ってあげるべき」ということです。国や大人がやるべきことは、近所からクレームが出ない範囲で場所を確保すること。子どもが演劇とか音楽とか、芸術的なものに触れる機会を保障することもそのひとつですね。

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第4条

 締約国は、この条約において認められる権利の実現のため、すべての適当な立法措置、行政措置その他の措置を講ずる。締約国は、経済的、社会的及び文化的権利に関しては、自国における利用可能な手段の最大限の範囲内で、また、必要な場合には国際協力の枠内で、これらの措置を講ずる。

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― 一方で親は、将来の選択や自由のためにと、塾や習い事に行かせたりもします。子どもの権利と親の保護はどうバランスが取られるべきなんでしょうか。

一場 大人は「子どもを権利の主体として同じ目線で話をすることはとても大事」です。そうじゃないと子どもは自分のしたいことをちゃんと言えない。言えるようになって初めて、親はあなたの思いを実現できるようにこうしようとか、こういう理由でダメだよと説明し、納得してもらえるようになります。子どもに権利が認められているとはいえ、未成年にはまだできることとできないことがあるわけで、「権利の主体であるとともに一定の制約があること」を理解できるようになるのが教育でありしつけです。社会においては一定のルールを守る限りにおいて自由があるよと教えてあげることが大事です。

すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める

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第6条

締約国は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。

締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する。

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― いま立法化すべく進めている「子ども基本法」をつくり、子どもを権利の主体として明確化しよう、そして主体であると同時に支援が必要な存在であると改めて表明しようとしているわけですね。

一場 現在、子どもの権利を明確にうたっているのは児童福祉法だけです。「子ども基本法」として権利をうたうことができれば、赤ちゃんから18歳になる前までの子どもまで「子どもは権利の主体」だよねと明確化できます。

そうすることで、虐待や体罰への対応だって変わっていくはずです。守られる存在としての子どもの権利が廃れていかないように国として基準を示していかなければいけません。子どもは1歳でも10歳でも助けてほしければSOSを発します。それは言葉であったり、態度であったり、赤ちゃんであれば泣くことで伝えます。子どもの意見表明権はそうやって行使されていきます。

― 虐待で小さな子が亡くなる事件もたくさん起きています。虐待されていた子たちは、生きることさえままならなかったわけで、家の中で遊ぶことはあったかもしれませんが、十分ではなかったろうなと思うんです。心身ともに自由とは言えない状態だったはずで、遊びは自由のもとに生まれてくるものであるなら、子どもの自由を保護することは、子どもの遊びを約束するものでもあるのだろうと思いました。

一場 自ら主導する遊びを通じて能力を行使する機会があれば、やる気や身体活動性およびスキルの発達が増進されます。文化的生活に没頭すれば、楽しみに満ちた交流が豊かになります。休息は、子どもたちが遊びや創造的なやりとりに参加するために必要なエネルギーややる気を持つことにつながる。失敗すれば失敗する経験として、成長の糧になる。それが必要です。

― 子ども基本法は現実的に成立しそうでしょうか。

一場 こども庁が創設されるならそれよりも先にできなくてはいけません。子どもはこういう存在で、こんな権利が保障されていて、保護も必要なのだと定義する「こども基本法」がなくては。「こども庁を動かすOSみたいなもの」なんですから。