”最も完成度の低い遊具”としての「砂場」

砂場の誕生とそのポテンシャル - 砂場研究者・笠間浩幸さんに訊いた

  • FEATURE
  • 2022.6.9 THU

いつも行く公園をぐるり見渡した時、最もシンプルな遊具は何でしょうか。きっと砂場ではないでしょうか。言ってしまえば囲いの中に大量の砂を集めただけの場所。でも、そんな砂場は子どもをひきつけます。砂をすくい、器に入れ、型をつくる、具体的なかたちをつくる、泥団子でおままごとをする、果ては大きなお城をつくることまでするかもしれません。子どもが砂場で遊ぶ姿は、成長を感じるわかりやすい機会でもあります。遊具として完成度が低いがゆえに、大いなる可能性を秘めた遊具としての砂場について、20年以上砂場の研究を続けてきた笠間浩幸教授に歴史を紐解きながらお話を伺いました

笠間浩幸
1958年宮城県生まれ、福島県育ち。同志社女子大学現代社会学部現代こども学科教授。
幼児教育学で教鞭をとるかたわら、「砂場と子ども」について20年以上にわたって研究。近年は大人が砂遊びを楽しみ、その魅力や意義を知るためのワークショップ「プレイフル・サンドアート」も主宰。

「砂遊びの何が子どもの心を惹きつけるのだろう?」

なぜ子どもは大量に砂が集められた場所が好きなのか

― 笠間さんは現代社会学部現代こども学科の先生ですが、どんな研究をされているんですか。

教育学の中でも幼児教育が専門です。「幼児期の教育とは何か?」と言うと、基本は具体的な経験、活動としての「遊び」なわけです。「遊び」は本来、そのこと自体が楽しいから行うという「自己目的的」行為ですが、身体的な発達、知的な発達、社会性の発達など、様々な子どもの能力を無意識のうちに引き出すものでもあります。遊びを通して、自分の経験や感性を幼児期に豊かにしていくことが、ゆくゆくは将来の学びや成長への土台となるんじゃないかと。

― 中でも、幼児期の重要な遊び環境の一つとして「砂場」を研究されているわけですね?

そうです。専らこの三十年以上、「砂場」に焦点を当てています。きっかけは私の娘が三歳の時です。その日、最初は私に一緒に遊ぶことを求めてばかりいたのが、砂場に行った途端、私の手から離れて自分一人で遊び始めました。そうしたら1時間以上ずっと遊んでいたわけです。 その時、「なぜ三歳の子どもがこんなにも一人で夢中になって遊べるんだろう?」、「砂遊びの何が子どもの心を惹きつけるのだろう?」という疑問が浮かんだんです。

― たしかに砂があるだけの場所にずっといますよね。

砂場って、単に砂が大量に集められただけの空間なんですね(笑)。それこそ海辺に行けば砂浜があり、川原にも砂地が多いところはある。でも、砂場は決して自然のままの砂地ではなく、砂のある場からわざわざ切り取って都会のど真ん中、あるいは幼稚園や保育園に持ってきたもの。ということは「そこになんらかの意図があったのだろう」と考えたわけです。その意図を探るべく教育の歴史研究を始めました。

最初、本を開けば、この答えはすぐに見つかるだろうと思っていたんですけれども、いざ調べ始めると、なかなかそれが見つからなかったんです。そこから「砂場は一体いつから当たり前の遊具として我々の日常に入り込んできたのだろう?」と、どんどん砂場の歴史にはまっていきました。そしてまず、日本の砂場のルーツはアメリカにあることがわかりました。アメリカでは、貧困層の子どもたちの健康的な発達のために行われた、砂場や遊具のある公園を設置していった「プレイグラウンド・ムーヴメント」という運動があり、それが日本に伝わり児童公園を作るきっかけにもなったのです。さらにそれを追いかけていくと、いよいよ砂場の起源であるドイツに辿り着きました。

17、18世紀のヨーロッパでは、「子ども」という存在はいわゆる「小さな大人」「中途半端な大人」として捉えられていました。そして「いち早く大人にして、早く生産に従事させるべき」ということが、社会の子ども観だったわけです。ところが、産業革命を経て社会が進歩してくると、「子ども時代」なるものにしっかりと着目し、その子どもが普段に行なう行為、つまり「遊び」に注目する人が現れた。そうして幼児教育の施設ができていく時、そこにしっかりと「園庭」=グラウンドが作られ、さらにそこに「砂場」が作られていったのでした。そう考えると「新しい子ども観、遊び観の、まさに象徴的な存在として『砂場』があったんだ」ということがわかったのです。

― ドイツ、アメリカ、そして日本へという流れがあったと。

アメリカから日本に「児童公園」が持ち込まれ、普及していく中で、戦後の公園には「砂場・滑り台・ブランコ」が三種の神器として必ず設置されていきました。ところが、1993年の都市公園法等の改正によって、「児童公園」が「街区公園」となります。つまり「公園は子どもだけのものではなく、幅広い年齢の人に活用されるべきものだとして変わったわけですが、それによって三種の神器の設置義務が外されて、そこから砂場の新規設置率も一気に落ちていきました。

― なるほど大人が使う公園に遊具はいらないとしたわけですね。予算的にも安く済んで、そういう選択をしそうです。

「砂場がなぜなくなっていくのか?」のもうひとつの理由として、ここ二十年で最も大きいのは衛生上への懸念であり、特に犬猫の「糞害」といった問題があります。このことによって公園を管理する行政や自治体としても、苦情対応や清掃実施にお金と手間がかかり、そういうものは避けようとする傾向が強まったように思います。同時に、若い親世代の「遊び」への捉え方の変化もあると思っています。

― 変化ですか。

あまり子どもの砂遊びの意味が理解されず、それよりももっと子どものためになりそうなことを早くから教えることが大事と思ってしまうような傾向です。砂遊びは、大人から見たら無意味と思われることもしばしばあるようです。

でも、私はこれって子どもの歴史が獲得してきた、とても大事な子ども観を失ってしまうことではないかと思っています。逆に、現代は何を子どもに残そうとしているのかと考えれば考えるほど、砂場の消滅は単なる物理的消滅ではない、とても由々しき問題ではないかと考えています。

― そうした概念や価値観の大きな変化が起きているかもしれないという危機感があったんですね。

はい、そこでもう一つの私の疑問であった「子どもにとって砂場の何が面白いのか」を追究しました。この疑問を解くためにある保育所に6年間、ほぼ二月に一回通い続けて、0歳から6歳までの同じ子どもを対象にビデオを録り続け、砂遊びの大きな展開を解明することができました。撮りためたビデオには、ものすごくおもしろい子どもたちの砂遊びの様子がたくさん撮れていました。

徐々にモノがいわば自分の手の延長としての道具に変わる

発達段階で変わる砂遊びのバリエーション

赤ちゃんは最初、砂に触れると嫌がることがとても多いのです。どうも、砂の刺激が強すぎるようなのです。そんな時、保育者はどうするか。砂がこぼれ落ちる様子や、型抜きなどをして、じっくりと砂の様子を子どもに見せるということをしていました。すると、そんな砂の様子に興味を持った子どもは自分から砂に手を出すようになりました。子どもと砂場へ行くと、大人は何気なく型抜きしてあげますよね。実は、これがどれほど大事かということなんです。

― 風景に馴染んでいる砂ではなく、かたちとして個別化させるということですね。

そうそう。心理学的には「図と地」と言ったりしますね。「視覚的に図と地がしっかり認識されるかどうか」が、この時期は非常に重要です。茫漠とした砂場ではつまらないけれど、しっかり何らかのかたちとして見えれば、そこに子どもは向かっていく。だから、2歳でも3歳でも初めて砂遊びをやった子どもは、意外に砂場の触覚的な刺激が強いので嫌がる子も多いんです。

親御さんから「子どもが砂場を嫌がるんですけど、どうやったら遊ぶようになりますか?」と聞かれることがあります。その質問には「無理に遊ばせようとするのではなくて、むしろ親自身が楽しめばいい」とお答えします。楽しそうに遊んでいると、子どもの方から手を伸ばしてきます。1時間もしないうちに、子どもは砂に自然に触れるようになっていくと思います。これは何度も私は経験してきました。遊びの中で「子どもの感覚の発達的課題と環境とをどううまく結びつけるか」ということですね。

―  なるほど手取り足取り一緒に遊ぶのではなく、楽しいことだということを伝えて、あとはそれを自分ひとりで体験させる。

そうです。次の段階は「砂で遊ばない砂遊び」と名付けた、一歳児期の砂場です。子どもは砂場にいても砂で遊ばず、モノで遊ぶようになります。モノで遊んで、たまたまそこに砂があるから、モノで遊ぶ対象として砂が選ばれたわけです。

1歳を過ぎた子どもたちはスコップなどを持っても、最初はいわゆる「グー握り」の逆手握りだったりします。これではまだスコップで砂をすくうところまではいきません。興味があるのはスコップそのものです。ところが、自分自身でモノにいっぱい触れることによって、徐々にモノがいわば自分の手の延長としての道具に変わる。それがこの時期の特徴なんですね。そして2歳前ぐらいには「順手握り」の持ち方をして砂をすくうまでの動きができるようになるわけです。「順手握り」でしっかりスコップを握り、砂を違う場所に入れています。「すくう」「手首を返す」「右手ですくったスコップの砂を左手で持った容器に上手に入れる」、これは左手と右手の「統合動作」と言います。右手と左手の運動が統合されている。目の視覚的刺激を、頭の中で調整したかたちで統合させているわけです。

ぼーっとしていたり「子どもにとっての居場所になる遊び」もある

何をしても、何もしなくてもいい

―  砂場を通じて段階的な発達を見ることができる。

砂場は、「一人でも少人数でも、また大勢でも遊べる、人数を問わない遊び場」です。一人で遊んでいたとしても、全然不思議じゃない。それが許される遊び場なんです。二つ目は、年齢を問わないんですよね。異年齢でも一緒に遊べる。5歳、6歳になってもう砂場は飽きてやらなくなると思う方も多いのですが、興味深いモノなどの環境や挑戦的な遊びのテーマがあればまだまだ楽しむ様子を見ることができます。

あるいは、「必ずしも何らかの活動してないと遊びじゃないのか?」というと、そうでもないんです。お座りしていたり、ぼーっとしていたり「子どもにとっての居場所になる遊び」もある。あるいは砂場はその周辺も面白い。面白い道具を砂場の脇に置いておいて、さらにテーブルを置けば、テーブルまで砂場が広がっていく。だから「遊具として砂場と周辺環境が一体化していく面白さ」というのもあるんですね。

砂場自体が歴史の中でソーシャル・イノベーションの役割を果たしてきた

砂場は最も完成度の低い遊具である

砂場は子どもの発達的にはもちろん、保育環境としてもとても重要です。あるいは大人と子どもという親子関係、あるいは地域、町づくりでもすごく意味があります。砂場自体が歴史の中でソーシャル・イノベーションの役割を果たしてきたわけでね。特にかつて貧民街に作られた砂場はその役割が強かった。「子どもたちの健全な育ちに向かわせる有効な手段である」ということも言われてきました。

― 笠間さんの『〈砂場〉と子ども』でも書かれていた貧民街と砂場の話がすごく興味深かったです。100年〜200年前の上流階級とは「子どもを教育させられるような階級」で、砂場と上流階級は結びつきにくく、充分な保育、学習環境のない貧しい層の子どもたちにこそ必要な場所でもあったということですよね。

1840年に幼稚園をはじめて作った幼児教育の祖であるフレーベル(1782〜1852年)は、「恩物」と呼ばれる教育用の積み木を作りました。のちに特に上流階級や富裕層の子どもが通うフレーベル主義的幼稚園と、もう一方に無料もしくは安い月謝で通える民衆幼稚園といった分化もありました。アメリカでは、民衆幼稚園は公立幼稚園運動につながるものでもあります。フレーベル主義的なものこそが大事な教育で、砂場のような本能に任せた遊びではダメなんだということはありました。しかし、やがてそれは駆逐されます。

アメリカは南北戦争後(1861~1865年)、都市への移民の増加と急速な都市化が進み、貧困や衛生問題、スラム化が問題となり、子どもをめぐる環境も悪化していました。そんな中、1885年、アメリカのボストンに砂場が設置されたことをきっかけに、先程も少し触れた子どもたちの遊び場をつくる「プレイグランドムーブメント」が全国的に展開されていきます。砂場に加えてブランコ、滑り台といういわゆる公園「三種の神器」が備わった児童公園がつくられ、世界中に「児童公園」が広まっていきました。

― 「砂場」は「場」なのでしょうか「遊具」なのでしょうか。

「遊具」であり、遊びの「場」でもありますね。私はその意味では、砂場は「最も完成度の低い遊具」と言っています。

― なるほど。

それこそジャングル・ジムやブランコ、複合遊具などとハードの完成度が高くなればなるほど、遊びとしてのソフトの幅は逆に狭まるなと。

― そうですよね。行為や遊びの質や選択肢がソリッドになりますよね、どうしても。

どうしてもね。物理的要素に制限を受けてしまう。逆に砂場は、一人でも二人でも三人でも遊べるし、寝転がっていてもいいし、ぼーっとしていてもいい。型抜きでもいいし、泥遊びでもいいし、みんなでイメージを共有しながら遊んでもいい。ブランコやジャングル・ジムではここまでの遊びの広がりはありません。そういう意味では、完成度が一番低い分、広がりが最も大きい遊び場として「完成度の低い遊具」と定義をしているんです。

「なぜフレーベルは砂場を作らなかったのか?」

消えゆく自然と最後に残る砦としての砂場

― 本の中で砂場が畑仕事からの流れとしてあったことが書かれていました。いわゆる「遊び場」として砂場を設置する以前は、田畑に限らず広いフィールドに土がたくさんあって、それが遊び場としてもあったのではと想像しました。それが制度化されていく流れは、幼児教育のムーヴメントの流れから作られていったんですね。

まさにそうなんですね。これは「なぜフレーベルは砂場を作らなかったのか?」という私の問いと仮説でもあったんです。フレーベルの幼稚園には当初砂場はなかったのです。だから、それをそっくりそのまま真似をした日本最初の幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園にも砂場はなかった。「なぜあれだけのことをやったフレーベルは砂場を作らなかったのか?」、これがずっと疑問でした。でも一方でフレーベルは畑を作っていました。だから決して「砂」や「土」を避けていたわけではなく、彼にとっては農業的な活動において子どもが触れる土が自然のイメージだったのかもしれません。

― なるほど。

残念ながら、現代は遊び場はもちろん、自然環境も当時とは違います。自然環境がどんどん消え去っていく中で、「最後に残る砦が砂場」じゃないかと思うんです。だから、「その砂場すら失ってしまったら、何を子どもに残すんだろう」と。本当に豊かな自然環境があるのだったら、ここまで私が「砂場」「砂場」と言う必要はないかもしれない。でも、日に日にそうではなくなっていく中で、最も身近かつ気軽に自然に触れられるものとして砂場を残し、そこを自然とのつながりの出発点にしてほしいと思いますね。

― 砂場が最後の自然となる未来も怖いですが、砂場にはまだまだ知らない可能性があるということですね。

海外には本当に独創的な砂場がたくさんあります。3階建てにした砂場とか、斜面を生かして作っているものもあります。プラスチックではなく金属製の重たいスコップが用意してあったり、砂場で遊ぶ道具も日本とは違っていたりもしますね。危険だとして全部外してしまうことはせずあえて置いておき、使い方によっては危険だけれど、使い方を知ればいい道具に変わるという考えがちゃんとある。

あとおもしろかったのが、ある幼稚園で「砂場」と「泥場」があって、その脇にA3くらいの張り紙がありました。「あなたの最初の子どもが泥を食べた。あなたは医者を呼んだ。あなたの二番目の子どもが泥を食べた。あなたは子どもの口を洗ってあげた。あなたの三番目の子どもが泥を食べた。あなたは、子どもに『あなた、お腹空いたの?』と訊いた」と書かれていました(笑)。わずか7〜8行の文章ですが、私はものすごく感動しましたね。

「約95パーセント前後の砂の分量が最も良い砂」

砂場のこれからの100年

今、日本全国のいろんな砂を採取しています。目指しているのは、「日本全国の砂マップ」を作って「どこにどういう砂がある」のかをしっかり認識してもらえるようにしたい。というのも、私も以前そうだったのですが、現場の保育の先生方や自治体の方々も実は「砂」に詳しくなくて、業者が持ってくるものが「砂」だと思っているんですね。ところが、その砂は全然「砂らしい砂」ではないことが少なくない。砂はJIS規格で0.075〜2.0ミリという粒の大きさのものを指すと決まっています。それより小さいものは「シルト」や「粘土」と呼ばれ、大きいものはザラザラのザラメのような「レキ」と呼ばれます。レキが混ざれば、粒と粒の間がスカスカになるし、粘土が多ければカチカチになる。ところが本来の砂であれば、水をかけるとぐっと固まるけれど、乾くといずれまた離れていく。ただそれだけのことなんですけれども、そういう「砂の良さ」がある砂を全国的にどういう風に確保できるかも研究しています。現時点において私自身は「約95パーセント前後の砂の分量が最も良い砂」と考えていますが、今後もう少し研究を深めていくつもりです。将来、全国の砂場が、砂場に適した砂で満たされ、いつでも子どもたちが楽しく砂遊びができる日が来ることを夢見ています。

― 私たちは与えられた砂場で遊ぶしかないという意味では、作られている時点で安定的にクオリティがキープされるのはうれしいです。

砂場は約二世紀にわたる歴史に裏打ちされた子どもの遊び場です。そしてこの砂場がこれからの100年後にも残すことができるようにすることが自分のライフワークだと思いながら研究と活動に取り組んでいます。