Firefly

私と焚火  文 • 本間良二

 三年前、東京の住まいとは別に「山の家」を手に入れた。広めの庭と畑がついた一軒家。ひと月の半分をこの場所で過ごし、木や自然と戯れながら、山でしかできない生活を味わってみたいと思ったからだ。
 山暮らしの悦びはいろいろあるけれど、やっぱり裸火が身近にあることが一番だとおもう。友人たちが遊びにきて彼らは皆「焚火がしたい」と口を揃えて言うので、私は彼らのために焚火の準備をして迎えている。
 「よく燃えるね」と焚火の焔を見て友人たちはご満悦、「まぁ、乾燥しているからね」と、私は涼しい顔をして言うが、いつもの焚火はこんなに優雅なものではない。

 日常では、山の仕事で出た生乾きの雑木を処理するために焚火をすることがおおい。木に絡まったツタや、伸びた枝の剪定をして、木くずと土にまみれた私は立ち昇る煙を避けながら団扇を扇ぎ、炉を暖め熾火をつくる。
 生乾きの雑木の木口から樹液が滴る「シューシュー」という音を聞きながら、火が弱まるとまた忙しなく団扇を扇ぐ︙ というのが、お世辞にもスタイリッシュとは言えない私の焚火のスタイルとなっている。
 冬は薪ストーブを使用しているので、私の脆弱な薪棚のストックの量で、乾燥した薪を焚火にくべるなんてことは贅沢極まりない行為なのである。
 乾燥した薪の価値を理解している友人は、翌日に何も言わず薪割りや山仕事を手伝ってくれる。そうではない友人もいるが、それはそれで良し。焚火の価値に気がついていれば、いつかきっとその元となる林や森の価値にも気がついてくれると思っているので、私も野暮は言わないようにしている。

 先日、久しぶりに兄が山に遊びにきた。去年の年末に父が亡くなってから久しぶりの来訪で、私はいつものように乾燥した薪と、いつもより少しだけ上等なスコッチを用意して迎えた。
 薪に火をつけて最初に父に献杯をして、父のことを話したあとは沈黙がつづいた。その沈黙が何を意味しているのかはわからないが、焚火の焔が「パチッパチッ」と勢いよく爆ぜて沈黙の間を上手いこと埋めてくれていた。二人でその音を聞きながら焚火の焔をずっと眺めていた。
 何時間経っただろうか。しばらくすると姪っ子が家から出てきて「ねぇ、トランプしようよ!」と言ってきて兄が「よし、じゃあやるか」と立ち上がった。
 私は火の後始末をするために残り、道具を片付け、最後に小さくなった焚火の焔に「どうも、ありがとね」と礼を言ってから、ファイアピットに蓋をした。

本間良二(ほんまりょうじ)

一九七五年、東京都生まれ。スタイリストとして活動を開始。一九九八年、古着の再生をテーマにしたアパレルブランド2-tacsをスタートさせる。二〇〇七年、目黒区にフラッグシップストアThe Fhont Shopを開店。二〇〇八年、新ブランドBROWN by 2-tacsを始動。三年前、近県の山林に建つ、やや広めの庭と小さな畑がついた一軒家を入手。「山の家」と呼び、この自然に囲まれた空間をを拠点に、さまざまな創造活動を続けている。