小さな冒険家 文 • 河野 健児
家族や仲間たちと森のなかでキャンプを楽しんだときの出来事だ。 目を細めたくなるような西日は、森の中では心地よい木漏れ日となり、我々を照らしてくれている。 森のなかを探検し、木の間に吊るされたハンモックをブランコのようにして遊ぶ子供たち。自慢のアウトドア料理を準備する大人たち。 それぞれが森のなかで、それぞれの時間を楽しんでいる。 季節は晩秋。 やがて西の山々に日が落ちると、ぐっと気温が下がりはじめた。 ひとり、また一人と、焚き火を取り囲むように人が集まってくる。 大人たちはグラスを傾けながら会話を楽しみ、遊び疲れた子供たちは揺れる火をぼんやりと眺めながら、ゆっくり夢の世界へと入っていき、日付が変わる頃になると大人たちも皆テントに戻り、深い眠りについた。 そんな中、私と五歳の長男だけが、まだ焚き火を囲んでいる。 私が生まれ育った長野県野沢温泉村には日本三大火祭りの一つとして知られる「道祖神火祭り」という壮大な祭りがあり、私は幼少期の頃から火をより身近に感じ、その魅力に引き込まれていた。 そんなこともあり、大人になった今でも焚き火を囲むと自然に手が動き、時間を忘れて薪を焼べてしまう。 経験のある人ならわかると思うが、キャンプで焚き火をするときには必ず火の管理をする人が出てくる。厳密に言うと「する人」ではなく「したい人」である。そんな人が、いつも必ず二、三人はいる。 焚き火は一つしかないのに、それぞれがこだわりを持ち、薪を焼べて、燃えやすく薪を組む。このときは誰もがいつも決まって無言で、各々の焚き火術を見せ合う時間が続く。 そして最後の一人が残り「火の番人」となるのだ。 私は長年の焚き火の経験から、ナタを使い木々を燃えやすくする術を身につけていた。 そしてその経験から、大人になってからも高い確率で「火の番人」となることが多く、いつしかここが自分の指定席になっていた。 しかし、この夜だけは指定席を長男に譲ることにした。 彼は森のなかへ入って木々を拾い、それらを焚き火に焚べる。 火はさらに大きくなり、暗い森が明るく照らされる。 自分一人でおこなった行動により強い光を生み出し、暖かい温もりを得られたことに喜びを感じているようだ。 本当に好きなことや楽しいことをすると、人間はそれに没頭し、時間を忘れることがある。心理学でいうフロー状態に入るということだろうか。このときの長男は、まさしくこの状態に入っていたのだろう。 そこには、今までに見たことがない目をして、火と向き合う彼がいた。 そのときの彼は壮大な冒険に挑戦している冒険家のようにも見えた。 山々の頂を目指し歩みを進めているとき、そして頂に立ち、眼下に広がる急峻な斜面を滑りだすとき、自分もこんな目をしているのだろうか。 ふと、そんなことを思った。 すでに日付は変わっていた。 いつもであればテントに戻り、子供を寝かしつける頃だが、この日は彼が自分の意思で眠りにつくまでは、この小さな冒険家を黙って見守ることにした。 彼はその後も私に話しかけることさえせず、火との会話を楽しむように、同じ行動を幾度となく繰り返していった。 一人で焚き火をしはじめてから約三時間後の午前三時過ぎ。彼が森から持ってくる木々は、より大きなものになっていた。大きくて焚き火台に入らないと思った彼は、私の椅子の横に置いてあったナタに目をやると、それを使いたいと、三時間ぶりに私に話しかけてきたのである。 彼は、道具を使い火を操る術をすでに身に着けていた。 人間が歩んできた進化の縮図を垣間見た気がした。 最初に火を発見した人も、きっと今の彼のような状態だったのだろう。 火は、我々に光や温もりを与えてくれる。 火があることで料理にも様々な色が出せる。 あるときは祭りの主役となり人々を魅了し、我々の脅威となることもある。 その多様性が人々を惹きつける火の魅力である。 それを彼もこの夜に初めて知ることとなったのだろう。 さらに四時間が過ぎた午前七時。 小さな冒険家の傍観者だった私は、この冒険を最後まで見守ることなく、やがて深い眠りについた。 彼の冒険は、まだ続いていた。
河野健児(こうのけんじ)ザ • ノース • フェイス • アスリート。一九八三年、長野県野沢温泉村生まれ。四歳の頃からスキーを始め、アルペンスキー競技の選手としての活動を開始。二〇〇三年からワールドカップに参戦。二〇一四年までに計六五大会に出場。最高四位。年間ランキング一四位。選手引退後は野沢温泉を拠点に冬はスキー、夏はSUPツアーガイドをおこなっている。