ON THE ROAD

オン・ザ・ロード

戌井 昭人

西海岸にやってきて一カ月が過ぎた。サンフランシスコに住んでいる学生時代の友達のアパートで数日間過ごし、彼の使わなくなったボロ車を借り、大した目的もなく一人で車を走らせて、うろうろしている。

車は恐ろしくボロい日本車で、白い塗装は剥げて赤茶けているし、シートはいたる所が切れている。ぶつけて凹んだ箇所もたくさんあって、フロントガラスには小さなヒビも入っている。

この車は、友達がアメリカにやってきた三年前に、中古で購入したものだったが、彼は一カ月前に新しい車を買ったので、廃車にしようとしていたらしい。けれども、ぼくが会社を辞めてアメリカを旅しようと思っていることを伝えると、「車あるけど使う?」と訊いてきたので、「使いたい」と答えたら、廃車にはせず、そのままにしておいてくれたのだ。「ボロボロだけどね」と言っていたが、想像以上にボロかった。

友達の家に着いて早々、ガレージに半年間放置されていた、その車にキーを突っ込んだ。最初はマフラーから黒い煙が出たが、エンジンは掛かった。そして、アクセルを踏むとタイヤはまわった。それを見た友達は、「やっぱり、日本車のエンジンは優秀だな」と感心していたが、本人は、もう乗るつもりはないから良いものの、ぼくは、これからこのボロ車で旅をすることになるのだった。

旅に出る最初の日、車に荷物を積みこんで、いよいよ走り出したときは、まわりの目が気になってしまった。でも、しばらくすると、この国には、これ以上ボロい車がたくさん走っていた。ガラスが割れていたり、サイドミラーがもぎ取れていたり、屋根がめくれていたり、すると、自分の乗っている車のボロさんなて全く気にならなくなった。慣れというのは恐ろしいもので、むしろこの車よりボロいと「負けた」気分になるのだった。それに、友達が言っていたように、エンジンは優秀なので、これまでにトラブルは一度も起きていない。

この一カ月は、アメリカの西海岸を、北上南下を繰り返しながら、脈略もなく走ってきた。大きな町や小さな町のホテルやモーテルに泊まりながら、アザラシを見たり、馬を見たり、山を越えたり、湖で休んだり、釣りをしたり。そしていまはサンタモニカの安ホテルに滞在している。

サンタモニカは海沿いの街で、無駄な陽気さが漂っている。ホテルの窓を開けると、大きな波の音が聞こえてきて、ビーチの桟橋にある遊園地の歓声が風に乗ってくる。

ぼくは昼間、海岸を散歩したり、アイスを食べたりしながら、街をぶらぶらしている。夕方は海に出て、夕陽を眺めるのが日課だ。夜は街をうろついて、映画館に入ったり、肉を食べたり、ネオンに誘われたり、ライブハウスで音楽を聴いたり、お酒を飲んだりしている。

このような感じで、サンフランシスコにやってきてから一週間、目的のない日々を無駄に過ごしている。毎日、宙ぶらりん状態で、果たして、こんな感じでいいのだろうかと思っている。

ホテルはレンガ造りの十階建、だいぶ古い建物で、一階にはカフェが併設されている。建物の裏には駐車場があって、一カ月乗り続けてきたボロ車が死んだ虫のように停まっている。

ホテルの受付の奥の壁には、ヤシの木の写真パネルが飾ってあり、化粧の濃い中年の女性がいつも座っている。真っ赤な口紅の金髪で、愛想は良いのだが、香水がきつくて、ロビーにはいつも彼女のニオイが充満していた。

ぼくの部屋は203号室で、部屋に向かって右側の204号室には老人がいて、左側の202号室にはよくわからないカップルが滞在している。彼らは、ぼくが部屋に入る前からいるので長期の滞在者なのだろう。

204号室の老人は白い長髪を後ろで束ね、いつも赤いバンダナを首に巻き、白くなった山羊髭を生やして、ぎょろりとした目をしている。廊下で何度も出くわしたことがあって、挨拶をすると、ウィンクをしてニコリと笑ってくれた。

部屋のドアが開いたとき、老人の部屋をのぞいてみると、そこには木製の置物がズラリと並んでいた。それは頭が大きく、大きな目玉があって、スルメイカのように身体から足が何本も出ていた。宇宙人をモチーフにしているのだろうか? でも、いったいなんの物体かわらなかった。

廊下ですれ違ったとき、老人の髭に木屑がついていたことがあったので、たぶんあの部屋で木を削っているのだろう。あれは、売り物としてどこかに卸しているのだろうか? それとも個人で勝手に作り続けているのだろうか?

202号室のカップルは痩せた男と痩せた女だった。この部屋は、いつも半分開いていて、部屋には、くしゃくしゃの服が大量に散らばっていて、廊下にはみ出している。古着を仕入れて、売りさばくような仕事をしているのかもしれない。

ひょろ長い身体の男と女は、セロリとキュウリみたいで、朝、ホテルの一階にあるカフェでコーヒーを飲んでいると、二人は、実際にセロリやキュウリや人参などの生野菜をかじりながらコーヒーを飲んでいた。生野菜でコーヒーを飲んで美味いのだろうか? そんなことを考えながら眺めていると、二人と目があったので、ちょこんと頭を下げると、ネズミのように目をそらされてしまった。

こんな感じのホテルなので、他の客もヘンテコな人物が多かった。夜中には、上の階からは、フランク・シナトラの歌を大声で歌っているのが聞こえてくるし、派手な化粧をしてピンク色のスウェット上下を着ている男は、いつもロビーにある椅子に座って本を読んでいる。さらに、折りたたみ椅子を車椅子に乗せて押しているお婆さんがいて、彼女は、いつもエレベーターを乗ったり降りたりしているのだった。

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