歌人 穂村弘が抱えた惨めさと世界を解明する言葉

子どもの頃、どんなことしてました? vol.4

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  • 2022.6.4 SAT
歌人。1962年札幌市生まれ。1985年より短歌の創作を始める。2008年『短歌の友人』で伊藤整文学賞、2017年『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、2018年『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。

現代短歌を代表するひとりである穂村弘さん。短歌だけでなくエッセイの名手としても知られ、性別、年齢を問わず多くの読者に愛されています。他の人たちのようにスムーズにフィットしない自分を抱えながら、馴染みきれない世界とのズレや違和感、おかしみを、言葉にしてきた穂村さん。どこか惨めさを伴う経験は、小さな頃からあったといいます。ジャッジができない、イニシアティブをとりたくない、何をしたいのかわからない、そんな穂村さんはどんなことをして育ってきたのか。60年を辿ります。

人間は「ある年齢を過ぎると願いや欲望はものすごく固定化されるんじゃないか」

「鯉のぼりを買ってもらった」

人生でもっとも大事なもの3つ

—— 穂村さんは本の中でも子ども時代のことをよく書かれています。子どもの頃の記憶は残っていますか?

生まれは札幌なんですけど、昭和39年、2歳の頃に小田急線の相模原に来ているんですね。まだその頃の相模原は本当の田舎で、森や池もあって夜は懐中電灯がないと道を歩けないくらい暗くて。『ドラえもん』に出てくるような土管が積まれた空き地もありました。

—— 今では想像もできないですね。

このところ考えていたことで、人間は「ある年齢を過ぎると願いや欲望はものすごく固定化されるんじゃないか」と。「大事なものを3つ」と聞くと、まず「健康」、次に「お金」、それからもちろん「愛情」が要るから、みんなほぼ一緒になっちゃう。

—— 三種の神器的な。

これってすごく残念な感じもあって。全員が同じこの3つだというのはおかしいんじゃないかと。「おれは不健康でいい」とか「お金なんて全くいらない」とか「愛情なんて一切必要ない」という人がいてもいいはずなのに。一方で、僕が子どもの頃に聞かれたら、「カブトムシ」「クワガタムシ」「プラモデル」だったと思う(笑)。

—— なんとなくみんな硬そうなラインナップ。

子どもが「お金」を心配しなくていい前提ですけど、同様に子どもは「健康」なんて考えないし、「愛情」についても恋愛的なもの以前の世界に生きている。そんなバリエーションが大人になるとなぜかなくなって、みんな「健康」と「お金」と「愛情」になる。

—— 確かに。いままさに自分もそんな答えになる気がしました。

子どもの頃は、カブトムシやクワガタムシを毎日捕りに行きながらも結局ほぼ捕れないみたいな世界。スルメで釣ったザリガニは、一匹目を解体して餌にしてまた釣って、バケツにいっぱいになるまで釣ったのに、共食いしちゃって結局一匹しか残らなかった。そんなものだと思うんです。あ、あとはアリジゴクにアリを落とす遊びもしましたね。

—— どれも生死を伴うものばかりですね。

アリジゴクにアリを落とすのはどきどきしました。でも、意外と、かなりの確率で脱出するんですよ。あとミノムシを色紙を細かく切った中に入れておくと、きれいな色紙のミノを作るんです。生き物系がやっぱり大きい要素のひとつを占めていましたね。

「幼稚園のお遊戯会で浦島太郎役に」

うすうす大人たちの言葉とかから「死」の概念は少しづつ入ってくる

世界が銀色に見えた時

—— 子どもの頃に怖かったものはありますか?

みんな経験すると思うんだけど、ある時「死」という概念を理解した瞬間があったの。「お父さんとお母さんも死ぬの?」っていうことを理解した後で、「えっ、じゃあ、もしかして僕も死ぬの?」っていう。その瞬間、世界が銀色に見えたのは覚えていて、ものすごい恐怖なわけです。「みんなそれなのに平気で生きてるんだ!」とびっくり。不思議でしたね。「まずそれを全員でなんとかしなくちゃいけないのでは!?」みたいな。

—— 取り組むべき問題はそこだと。

でも、それ以降、自分も徐々にその恐怖と向き合う能力を失ったと思う。たぶん死ぬ直前まで、自分で自分に麻酔を打ち続けて死ぬんだろうね。最初に知った瞬間だけはノー麻酔の状態で死の恐怖を浴びた。それが本当の知覚だったと思うのね。本当なら全員が、世界が銀色に見えてなくちゃいけないはずなんだけど、とても耐えられないから脳内で勝手に麻酔を分泌して「まあ10年くらいはたぶん死なないよ」みたいにしている。でも、年を取った順に死ぬわけでもないし、病弱な人から死ぬわけでもない。「若くて健康な人も何の理由もなく次の1秒で死ぬ可能性がある」が正解なんだけど。

—— 「死ぬんだ」ということに気づいたきっかけはなんだったんですか。

わからない。でも、うすうす大人たちの言葉とかから「死」の概念は少しづつ入ってくるわけでしょう? もちろん、すぐにはびんとこないんだけど。それがある時、ビンゴが揃うみたいに「あ、もしかして僕も死ぬの?」と気づく。

—— 何か大きな出来事があったんじゃなくて、細々した出来事が組み合わさって、その瞬間がきた。

たぶんそうだったと思う。「ピースが揃って完成」みたいな感じ。

—— そのことは誰かに話しましたか?

親に話した記憶があるね。

—— 特にそこで解決はしない。

もちろんそれはしません。慰められたような記憶はありますね。

大人になってもその優先順位が狂ってるような人を見ると、心を動かされる

重要さの序列が狂った大人

あとは、「図書室で借りた本を無くしちゃう」みたいな小さなことで、学校に行きたくなくなって「もう学校を燃やしてしまいたい」みたいになりますよね、子どもは。

—— わかります(笑)。

原因と反応が、何か不均衡な感じが起こりますね。

—— 子どもの世界が揺らいで、「これで世界が終わる」と思ってしまうようなことって本当に些細なことで起こりますよね。

その重要さの序列みたいなものも、大人になって固定化する感じがあります。「摺り合わせ完了!」みたいに。一方で、大人になってもその優先順位が狂ってるような人を見ると、心を動かされる。美術家の横尾忠則さんは「Y字路」というシリーズを描いているんですが、取材でY字路探しをご一緒したことがありました。横尾さんはいいY字路を見つけると写真を撮り始めるわけです。ところがY字路のいいアングルって、当然、道の真ん中。だから写真を撮るのがめちゃくちゃ危ない。周りの人たちがやってくる車を必死になんとかしようとするんです(笑)。

—— 車からしたら横尾さんだろうが知らないですもんね(笑)。

そういうのを見ると、「ああ、この人は今も一番がカブトムシの人だ」みたいな(笑)

—— 自分にとって何が大事であるかと。

みんな、こういうことしたら死にますよと、「死」を人質に取られてるわけだから、逆にいえば死んでもいい人はなんでもできる。ただ、一般的には死んでもいい人の多くは絶望してるわけです。絶望から犯罪に向いてしまう人もいる。そうじゃなくて、社会の価値観を理解した上で、なんなら死んでもいい人とか、お金が全然いらない人とか、特に愛が全くいらない人に僕は興味があります。

一人ではいろいろな世界に入っていく入り口を見つけられなかった。

一人遊びが苦手だった一人っ子

—— 「死を恐れる」というのは「未来を恐れる」ということですよね。

現状、我々はそうなっていますよね。昔、借りてきたCDやレコードを一日中カセットにダビングしたことがあって、一日かけて「わあ、こんなに録れた」と思うんだけど、そこにはものすごい充実と同時にものすごい無駄感があった。未来の音楽のために今日という日を使ってしまった。明日「死ぬ」とわかっていたら、ダビングとか貯金なんて意味ないですから。

—— 「遊びとは何であるか」と考えると、「常に現在のものである」と。

そうそう、「現在が拡大される」ということなんですよね。

—— 「常に現在であることが遊びの本質」と考えると、遊んでる人が「死」を恐れないように見えるのも、納得感があります。さきほどカブトムシやアリジゴクの話はありましたが、友だちと遊ぶ時はどんなことをしていましたか?

そういう遊びには友だちと行っていましたね。

—— 逆に一人で遊ぶときはどうでしたか?

一人っ子だったんだけど、一人遊びがかなり苦手だった気がします。今もなんですが。友だちのほうがたいてい先に何らかの関心を発動してるんですよね。友だちにはお兄ちゃんがいたりして、いろいろ伝授されていて情報量が違った。そこにちょっとコンプレックスがあったように思います。一人ではいろいろな世界に入っていく入り口を見つけられなかった。

—— きっかけのようなものが?

そう。興味の対象となる細部から入るんだけど、具体的な細部を見つけるのが不得手。今もそういう感じがあります。

イニシアティヴをとりたくない。

イニシアティブをとりたくない

—— 一人でいることがつまらなかったり、恐怖だったり、不安だったりみたいなことはありましたか?

今もそれはあります。エッセイでも書きましたが、僕は自分の恋人とずっと一緒にいるようなタイプで、「ランチどこで食べる?」とか聞かれても、相手の言う通りにしたい。イニシアティヴをとりたくない。誰かと一緒にいると、道を歩いていても主体性や当事者意識がないから、連れて行かれて何十回も行ったお店に後から一人では行けなかったりもします。

—— 毎回「どうやっていくんだっけ?」って。

そうそう。電源をオフにしちゃってる。だから、主体的な友だちと仲良くなりがちです。

—— それは昔からですか?

昔からですね。しゃべっていて思い出しましたけど、いつも惨めな感じがありました。

—— その感覚から得られるものもあったんですか。

今の僕の職業を成立させているのは、たぶんそういうものだと思うんですけど、どうつながってるのかはよく分からない。「ずーっと保留」みたいなことなんですかね(笑)。とにかく決断とかジャッジが苦手。メニューもみんなが頼んだものと同じでいい。でも主体的に決断できる人には、その感じが伝わらないんですよね。そもそもそういう人がいることを想定していないから。なんか決断すると死に近づくような気がするんです。保留にしてる限りはずーっと延命できる、という錯覚。例えば「ずっと学生のままでいられる」とかね。

—— 長いですねぇ(笑)。

でも、若干その気持ちもわかるでしょう? 僕はモラトリアムの感覚が強くていつまでも保留のまま。自分がそうだから、他人にアドバイスとかもしたくない。「アドバイスすると死ぬ」みたいな。

—— 「コマを進めさせてしまった」みたいな。

そうそう。「コマを進めると死ぬ」みたいな。

—— 人生ゲーム上がっちゃうと死ぬわけですね(笑)。そこに対する劣等感とか負の感情はありました?

ありますよ。

—— 子どもの頃から?

あった。惨めでしたね。

—— その「惨めさ」は克服すべきものではない? 

家庭環境のせいにしたりしていましたね。「親がダサいんだ」「友だちのうちはもっとかっこいい」みたいな(笑)。

—— なるほど。外側に理由を作った。

「うちのおにぎりは丸くて真っ黒でダサい。友だちんちのは三角で海苔がちょっとしか貼ってなくてかっこいい」みたいな。

—— 「自分が理由ではない色々な何かがつながって、今こうなってしまってるんだ」と。

まあ、実際そういう面もあったと思います。

子どもの頃から「自分が何をしたいのか」が分からない

自分のほんとうの欲望は叶わない

—— 常に社会からは主体性を求められます。「あなたはどう思う?」と聞かれ続けますよね。

その連続とも言えるよね。

—— 「そうあれ」とも言われます。

もちろん保留にしたからといって解決するわけじゃない。かなり根深い問題ですよね。僕は子どもの頃から「自分が何をしたいのか」が分からない。日本は同調圧力が強い上に、子ども同士は更に強くて、みんなの遊びをしなくちゃいけない。子どもの頃、モデルガンが流行ったことがあって、みんな口々に欲しいピストルの型を言うわけ。そんな中、僕はほとんど銃しかないモデルガン屋さんで鞭を見つけた。

—— 鞭なんて売ってるんですね。

銃じゃなくて鞭が欲しかったんです。でも、これはみんなには言ってはいけない気がすると思って、親しい数人にだけ「僕は鞭」と言ったら、一気に広まってみんなが「鞭〜!?」みたいになった(笑)。

—— (笑)

すごく傷つくというか。「やっぱり本当の自分の欲望は通用しないんだ」って……。

—— なるほど…

そうすると嘘をつかなきゃいけない、「ルガーP-08」とか「ワルサーP38」がいいみたいな。それは苦しくもありましたね。

「赤いスリッパを履けば解決」なんてことはあり得ない

赤いスリッパを履いていったあの日

—— 子ども時代は全能感があったり、「最強な状態」みたいな時期でもあると思うのですが。

全能感はありました。でも、商店街が実家の子どもは早熟で、すごい圧倒されたのを覚えています。

—— 普段、大人と触れ合ってるっていうことですよね。

そう。お金の意識があって、「ものを買う」ことや「電車に乗る」ことを知ってたりもしました。すごく進んでる感じがして惨めに思えた(笑)。自分から与えられるスキルがなくて、彼らとの関係がギブ・アンド・テイクにならなくて。あっちにお兄ちゃんがいたりしたら、もっとですね。

—— 先行者が強いってことですよね。

「じゃないほう」は、どんな局面でも「じゃないほう」。

—— 逆転が起きない。

そうですね。

—— 場合によっては、「勉強ができる」ことがあるタイミングで優位に働き始める場合もありますね。

そうですね。でも、ずっとその駄目感はあったなぁ。なんか失敗するんだよね(笑)。高校生の時、上履きに代えて突然真っ赤な毛のスリッパを学校で履いてみたことがあって。

—— 赤いスリッパを履いた高校生。

でも、みんなにスルーされた(笑)。唯一のリアクションは、生徒指導の先生に腕を掴まれて「スリッパ変えてこい」と言われただけ。怒られもしない。友だちのトースケが丸坊主にした時、教室に入った途端みんなが大騒ぎして「マルガリータ」っていうあだ名をつけられて人気者になったのを見て、自分もそうなるイメージでした。でも僕のスリッパはスルー。

—— かわいそう(笑)。想像したら悲しくなってきました。

そもそも僕がいじりにくいタイプだったのもあると思う。いつも緊張してて、いじれる空気感じゃない奴が、急に赤いスリッパなんて履いてきても…。

—— そういう意味では、自分を客観視できていないところもあった。

近道みたいなものをね、探しちゃってた。これはみんなにもある錯覚だろうけど。実際には「赤いスリッパを履けば解決」なんてことはあり得ない。「ポケットに将棋の桂馬を入れておけば解決」とか、そういう不気味な魔法もない。

—— 他の人と論理を共有できていないですよね。 

他者と論理を共有しない陰謀論やオカルトって、そういう不全感から発動しやすいわけで。でも、自分にとっては短歌もそのひとつだったと思う。「ポケットに将棋の桂馬を入れる」とか、「赤いスリッパを履く」の延長線上に、「この魔法の呪文で全部解決」みたいなオカルト的感覚で始めていたと思う。「自己救済のためのオカルト」が、たぶん自分にとっての入り口で、短歌はたまたますでに世の中にジャンルとしてあっただけ。

詩や短歌のような韻文は、超長期的な時間差で自然科学が解明する以前のものを指し示している

一番惨めなくせに、一番偉い

—— 本は小さい頃からずっと読んできましたか?

そうですね。あの頃は本の地位がもっと高かったんですよ。「本は素晴らしいもの」っていう社会的通念があって。だから、おもちゃとかは何か理由がないと買ってもらえないんだけど、「本はなんでも買っていい」という家庭内ルールでした。

—— 穂村さんにとって本はどんな存在だったんですか。

特別ですよね。自分の機能しきれない感じと必然的に結び付くというか。思春期のどこかで、「友だちも学校の先生も親もみんな愚かなのではないか」というような感覚に取り憑かれました。自分が一番惨めなくせに。先生に習い、親に守られ、友だちにイニシアティブを取ってもらっているくせに、その全てを見下すような感覚が思春期に発動する(笑)。そういう人は本の向こうに、「本当の何かがある」と考えてしまう。友だちや先生や親が愚かな理由は、「本当の何かへの感度を欠いている」からとなる。自分がそれを知っていれば提示できるわけだけど、その本当の何かを自分もまだ知らない。でも、本の向こうの、遠くのどこかに、本当の何かがあるということだけは知っているから、優越的であるという。それを証明すべくトライアルして失敗することを職業化したわけで、やはり思春期の中二病的な感覚からまだ抜けていないんだと思う。

漫画が好きだった穂村少年

—— 「言葉」を意識したのはいつ頃ですか。

わりと昔からありました。アニメ『サスケ』の冒頭で流れる「光あるところに影がある」と始まるナレーションとか、料理番組の冒頭の「愛情は塩にも勝る調味料。とは言っても愛情だけでは料理はできませんね」みたいな決まり文句。また惹句やコピー的なものに興味がありました。世界への散文的なアプローチではない、韻文的な別ルートのアプローチというのか。情報量だけで言えば、冒頭に毎回同じ決まり文句があるという事は奇妙なことなわけだけど。でも、「情報量とは違う役割が、そこには何かある」みたいなことは子どもの頃から感じていたと思います。

—— 決めゼリフは、その発生する世界を肯定する感じがありますね。

そうですね。これもややオカルトな話に聞こえるかもしれませんけど、現状の自然科学でものごとをすべて把握できているわけではなくて、先程話した横尾忠則さんのオカルトも含めて、超長期的には今で言う自然科学のレベルで解明されると思っているんです。ただそれは相当先の話。
でも現状あるもので、例えば詩や短歌のような韻文は、超長期的な時間差で自然科学が解明する以前のものを指し示しているだろう、とも思うんです。砂山を反対側から掘り合うように、遠い未来のどこかで詩と自然科学がつながってトンネルが貫通するイメージがあります。

ポストの周りをぐるぐる回ってしまう

いま本当にポスト投函できたのか、という不安

—— 何かジンクスとかは信じていましたか。

ジンクスはないけど、吃音やチックがあった上に神経症っぽくなってしまったんです。何度も同じ動作を繰り返しまうのですが、最後まで残っていたのは、ポストに封筒を投函した時、「ここ(手の中)にあったものが、この中(ポスト)に入った」ということに確信が持てず、ポストの周りをぐるぐる回ってしまうというもの。何回か回ると、どこにも落ちていないから「ほぼいいだろう」みたいな。あとは一時期あったのは、「一歩目を順番に逆の足から歩き出す」とか、「111から110、109ってカウントダウンしていって、0にならないと動き出せない」というもの。

—— それは小学生くらいですか?

チックやどもり、111はそうだったかな。ポストぐるぐるは大人になるまで残ってたね。

—— それは自分の中では「悩み」というか。嫌なことだったんですか。

もちろん嫌なこと。

—— 周囲との関係においても、それは不便だったりしましたか。

不便だよね。だって変だもん。ただ子どもは許容度がけっこうあるから、「あいつはああいう人」っていう。他にもいたしね。

—— 今は名付けられることで分けられたりします。

今でもポストはちょっと不安だから、実績のあるポストにしか入れないの。

—— 実績?

そこに入れて届いた実績のある旧知のポストってこと。初めてのポストは一見ポストのようだけど「本当にポストか?」みたいに思うから。あと投函するときに同行者がいるときには「今入れるから見てて」って言う。で、後から「入れたよね?」って確認。だいぶ軽くなったんですよ。

無条件では自分から口火を切れなくて、まず様子を見るようになる

ジスコッピを知っているか。

—— お父さんの仕事の都合で何度か転校をしたと本に書かれていました。「転校」は緊張の度合いとしてはマックスですよね。

嫌なものですよ。春になって、クラス替えがあるといつも吐いていました。環境が変わるのがダメなんですよね。

—— 転校は何回したんですか。

二回して小学校には三つ行きました。じゃんけんの掛け声が違うことを知らなくて、衝撃を受けました。相模原の小学校では「ジッケンエス!」って言うの(笑)。

—— なんだそれ(笑)。

それが、横浜の瀬谷に行ったら「ジスコッピ!」になった(笑)。

—— なんだそれ(笑)!

どっちもないよね(笑)。三つ目の名古屋の学校は「ジャンケンポン!」だったんだけど、リズムが全然違ってて、「ジャーンケーンポン」。

—— 落ち着かないですね(笑)。

そういう遊びのルールみたいなものが都度変わっていきました。だから性格も変わるんです、転校すると。無条件では自分から口火を切れなくて、まず様子を見るようになる。

—— 置かれた環境下に合わせていく必要がありますよね。

標準語を笑われたりしたこともあるから。「いや、そっちが訛ってるんだよ!」ってここまで出かかるけど(笑)。

—— 名古屋の時ですか?

そうですね。「メ(↑)ガネじゃなくて、メガ(↑)ネだろう」って。

—— ありますね。転校すると遊びかたも変わるし、ローカルルールも刷新されます。そういう意味でも、「見ながら」溶け込んでいくみたいなことが身についてきたということですね。

そうですね。前の学校のじゃんけんを元気よく発声してしまった時の異様な空気感を覚えています。

—— それはちょっと震えます(笑)。でも、それを言えれば馴染めるという入り口でもありますね。

恐る恐るね。相対化が一切されてないわけですから、子どもなんて。「なんだジスコッピ!って」みたいに思う。
でも当時は、高校生であっても「まだ人生の本番ではない」というメタレベルの共有があったと思うんです。だから、ぎりぎりまで追い詰められはしなかった。今みたいにネットやSNSがあると、高校生の頃からどこか「本番性」がありますよね。

—— 人生一回で属する社会ごとに切れ目がなくて、リセットされないですよね。

それがきついんじゃないかなと。自分の子ども時代がスクールカースト的なものとSNSが結びつく時代じゃなくて良かったと思いますね。