親と子とアスリート vol.01 為末大

為末大の「育児とスポーツ」論

  • FAMILY
  • 2021.7.28 WED

 元陸上五輪選手であり、男子400メートルハードルの日本記録保持者(2021年4月現在)でもある為末大さん。現在は子を持つ親に向けた情報発信や、子どもに陸上を教えるなどの活動を勢力的に行う一方で、プライベートでは父親として日々6歳の子どもと向き合っています。親になる前と後では、子どもに対する考え方も世の中の見え方も大きく変わったという為末さん。今回は多角的な目線から、スポーツや遊びを介した子育てについて伺いました。

生後5ヶ月の為末さん
1歳の誕生日
幼稚園の運動会

リアリティに触れることは、

自立して生きることにも繋がっている。

—— 子どもにはスポーツをしてほしい、外でたくさん遊んでほしいと願う親御さんは多いと思います。一方で、なぜスポーツが大切なのか? という問に対しては、意外と答えに詰まることも少なくありません。そこで最初にお伺いしたいのが、為末さんの考える「子どもがスポーツに触れるべき理由」を教えてください。

為末 我々がスポーツと呼んでいるものは、大きく二つあると思っています。一つは、ルールやフィールドが決まっていて、その中で競い合い、結果が出るというもの。もう一つは、ルールやゴールが曖昧で、さまざまなやり方があるもの。登山やクライミングなど、自然の中で行うものが多いですね。

 勝ち負けがクリアになる前者は、努力が目に見えやすく“できた”という実感を得やすいもの。自分自身で目標を立て、そこに向かって自らを向上させていくことができます。一方後者は、「リアリティと遊ぶ感覚」に近いでしょうか。自分の身体を使って実験をするように、考えながら、思い付いたことを行動に移していくもの。僕はどちらかというと、このリアリティに触れることが本質的な部分ではないかと考えています。

 たとえば、「この器の中にこのぐらいの水を入れると、水があふれるよ」と人から言われるのと、自分で実際に水を注いでみて、容器の表面に水が盛り上がり、そこからあふれていくのを体験するのとでは質がまったく違うと思いませんか? 「この容器にこれだけの量を入れるとどうなるんだろう?」と自分で考えるところからスタートするとさらに違いますよね。勝手にこうすればどうなるんだろうと思って、勝手に試して学ぶことを促すには僕は自由しかないと思っています。ただ、このさじ加減がすごく難しい。完全に自由にすると何から始めていいかわからないので手がつけられなくなる可能性があるし、反対に、やり方を決めて教えれば教えるほどこれをやったらどうなるんだろうと好奇心を掻き立てられることが少なくなる。“押し付けはしないけど、プレイグラウンドは提供する”というような、ほどよい枠組みを提供するのが親の役目だと考えています。

—— その“ほどよい枠組み”を与えるために、為末家で実践していることはありますか?

為末 息子が一時期、湧いてきた疑問に対して予想を立て、これは無理そうだからとやりたがらないことがあったんです。そのとき息子と一緒に「♪やってみよう、やってみよう、やってみなけりゃ分からない」という歌を作って、とにかく何でもやってみよう! と提案しました。仮説も大切ですが、まずは実際にやってみて、「やっぱりそうだった」「違ったね」という、体験を子どもにはしてほしいと思っていて、子育てをするうえでそこだけは意識しているかもしれません。

 ただ一つ注意しなければいけないのが、親が本気になり過ぎないことですね。これは我が家で自制していることでもあるのですが、親が子供より熱くならないようにしています。親の夢の実現のために子どもに頑張ってもらうというのは実際によくあるパターンで、親がやってるんじゃない、あくまで子どもがやってるんだということを理解しておかないと、結果的に子どもの自由を奪うことになってしまいます。

 それから、「勝ち負け」よりも「何を学んだか」のほうが重要であるということも、親がきちんと理解しておく必要があります。勝負自体は大事だけど、勝ち負けは大したことじゃないということを親が理解していれば、それを子どもに伝えることができる。子どもは理解しがたいかもしれませんが。でもこれはオリンピアンにとっても大事な考え方なんです。

—— 為末さんの親御さんも、為末さんがやることに対してあまり介入される方ではなかったのですか?

為末 無関心なほうではなかったけれど、ほとんど介入されなかったです。星飛雄馬を見守る星明子のように、ちょっと斜め後ろから見ているような。陸上に対して、続けなさいと言われることはなかったので、「これは自分がやりたくてやっているんだ」という自己認識が常に回っている状態でした。もしも辞めたいと言ったら、本当に辞められちゃいますからね。そういう意味では自由だったと思います。

 足の速さでいうと、母親はまあまあ、父親は遅かったらしいので、オリンピアンの家庭としては特殊な例だと思います。ただ昔から、同じことを延々と反復してその中の小さな変化をおもしろがる、という性質のある家族ではありました。とくに母親は、自宅からおよそ1時間強で登れる山に54歳から登り始めたんですが、先日実家に帰ったら2000回登頂記念が飾ってあって驚きました。同じ山に2000回ですよ? それから朝食も、ウインナー2個と卵焼きとブロッコリーというメニューが20年間ずっと変わらなくて。そうやって同じことを繰り返す力がものすごく強い母親なんです。僕も集中して1個のことを繰り返せるほうなので、母親に近い性質は持ち合わせている気がしますね。

 陸上がまさにその代表的な例。陸上が好きだったのか、陸上なら自分の能力を発揮できると思ったのか、今となっては分かりませんが、本当に面白いぐらい記録が伸びた中学3年生のときは、とにかく夢中になりました。100mと200mで全国1位になって、シンプルに勝てて嬉しいのと、走っているとどんどん遠くの世界が見えてくるような気がしておもしろかったのを覚えています。

 さらに遡ると、自転車でいろいろな場所へ行くのが好きな子どもでした。自宅から20~30kmの場所にある山口県との県境まで行って、県の境目を見て帰ってくるという遊びをしていたぐらい。橋があって、その真ん中に『ここから山口・ここから広島』って書いてあるだけなんですが、へぇ〜と思って帰ってくる(笑)。その自分の世界が広がっていくのが楽しいという感覚が、原点にはある気がしています。

—— まさにやってみよう精神! 自ら考えて行動に移すことを、為末さんご自身も体現されていたのですね。

為末 そうですね。しかもそういった子どもの頃の体験は、大人になってからも繋がっているなと感じています。たとえば僕の意思決定は、データよりも勘に頼っている部分が多いのですが、その根源的なところは小さい頃の遊びの中にあるなと。自分の能力や条件とこれから取り組む案件の難易度を考えて、体感的に何が無理で何ができるかを見極める感覚と、川辺でAからBの石まで跳んでみて、届くかも、届かなかった、ばしゃーん。といったさじ加減はすごく似ている気がするんです。結局身体を通じて学ぶとすごくリアリティがある物差しが自分の中に出来上がるのだと思います。

 それから緊張をコントロールするという面でも、子どもの頃の体験は役立っています。緊張という体の反応は、自分の意思とは別に起こりますよね。これが小さい頃から「心臓はバクバクするものだ」ということを理解していると、多少なりともコントロールができて、落ち着けることができる。僕も緊張しやすいタイプでしたが、自分の中で起こる変化と向き合い、どうすればうまくいくかというのを常に考えていました。そういう意味でも先入観に囚われずになんでもやってみるというのは、すごく大切だと思っています。

—— 自然体験が思うようにできない環境にいる方もいると思うのですが、子どもの可能性を広げるという意味ではマルチスポーツも有効でしょうか?

為末 すごくいいと思います。子どもの頃に多様な運動体験しておくと、違うスポーツを始めた際に引き出しが多く、さまざまな動きを組み合わせることで新しい動きにも順応しやすくなるというメリットがあります。一方、単一スポーツでいくと、ある固定化された動きの繰り返しになるので、突き抜けるときに差が出ます。言葉と動きは似ていて引き出しの数が多いほど、イメージしたことを身体で表現できるからなんですね。子供の頃の身体体験が少ないと少ないボキャブラリーで表現せざるをえなくなるのと似ています。そういう意味でマルチスポーツと頂点の高さは関係すると思っています。

 親御さんの勘違いとしてすごく多いのが、早い段階にぴったりくるスポーツを見つけて、狙い撃つことで成功率が上がると思っていることなんです。でもこれで成功するのは、極めて珍しい例。ところがその珍しい例をメディアが取り上げるので、勘違いが生まれてしまうのです。オリンピアンは600人いますが、実際に一つのスポーツだけをずっとやり続けていた選手はそれほど多くない。多くの子どもたちは、違うスポーツも同時並行でしていたり、違うスポーツから転向してきてトップに上り詰めているのです。頂点を目指すにしても、スポーツで人生を豊かにするにしても、複数のスポーツに挑戦することはとてもいいことだと思います。