THE NORTH FACE MOUNTAIN

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看護師にしてトップクライマー。
アンナ・サフに訊く、非合理的な恐怖との向き合い方 

コロラド州の山間にある小村ユーレイに拠点を置くアンナ・サフは、世界各地で20を超えるエクスペディションを行ってきたアルピニストにしてロッククライマー。その中には、2017年のTHE NORTH FACEチームが敢行した南極大陸遠征も含まれる。アンナはこの遠征に出た2名の女性の一人だった。 2021年にはペルー遠征で新ルートを開拓するなど、その偉業は枚挙に暇がないアンナだが、クライマーとしてのキャリアが始まったのは看護師を目指していた学生時代と遅咲きだった。いかにして彼女は短期間のうちに世界を股にかけるトップクライマーとなったのか。今も看護師として活動する彼女は、クライミングにおける恐怖との向き合い方にも特有のマインドセットを持っている。その思考に、クライミングというスポーツの本質が垣間見える。

看護師をしながら、クライマーになった

看護学生の時にクライミングを始めたと聞いていますが、登山やクライミングを始めた経緯を教えてください。

私はオハイオ州で育ちました。トウモロコシ畑と牛のいる、平坦な土地です。だから、コロラド大学デンバー校の看護学部を卒業するためにコロラドに引っ越すまでは、クライミングについて何も知らなかったんです。英語のクラスにクライマーの子たちがいて、一緒にキャンプに行こうと誘われて。私は何でもいいから新しいことをやってみたいという気持ちがあったので、一緒に行ったんです。

ユタ州のインディアン・クリークという場所でした。そこではクラッククライミングができるんです。その風景に圧倒されました。それで、誰かからハーネスとシューズを借りて、初めて体験したクライミングの虜になったの。旅行から戻ってからは、クライマーたちと付き合うようになりました。

卒業後、私は病院の集中治療室で勤務していました。看護師の中にもクライマーが何人かいたんです。その中でも特に一人の女性のことはしっかり伝えたいと思います。私はその頃20代前半で、彼女は50歳近くでした。彼女はクライミングが好きでしたが、決してリードはしませんでした。クライミングには行くけど、誰かがリードしてくださいね、という感じだったんです。ただし彼女は30年間クライミングをやっていたので、ギアやアンカーについて多くの知識を持っていました。私は彼女と一緒にクライミングに行きましたが、クライミングのリードは私がしなければなりませんでした。5.5や5.6のような、とても簡単なクライミングをね。しかしこれがあったからこそクライミングのシステムを学ぶことができたんです。最初の1年間は、クライマーに囲まれ、学ぶためにできることは何でもしました。他のクライマーはとても親切で、私もそうありたいと思ったものです。

“必要なものがあったら言ってくださいね?”
“あなたのクライミングをもっと良くしたいんです”
“クライミングトリップの行き先だったらあそこがお勧めよ……”

そして、初めてヨセミテに行くことになったんです。エル・キャピタンを見たとき、どうやったら登れるのか皆目見当もつかなかったけど、どうしても登りたいって思ったの。それで、それを目標に据えてやっていくうちに、登れるようになった。それがきっかけで、もっと大きなことをするようになりました。

Photograph: Andrés Marin
Photograph: Andrés Marin

あなたのクライミング技術の上達ぶりや意識向上において、他の人と何が違ったと思いますか?

私はただ本当に楽しんでいたんだと思います。やること全てがクライミングのためでした。私は看護師として週に3日だけ働き、4日休みを取るという生活をしていました。看護師の仕事をしていたおかげでクライミングの道具を買うことができ、行きたかった場所に旅行することもできました。本当に素晴らしい人たちとの出会いがあり、その人たちがまた何かを紹介してくれたりと、世界がどんどん広がっていったんです。私にとって、それはまさにマインドセットだったのだと思います。

世界各地への遠征で見える景色

あなたはその後、トップクライマーとして世界各地で数々のエクスペディションを行ってきましたが、最近では2021年の南米ペルーへの遠征がありましたね。その様子を教えて下さい。

THE NORTH FACEアスリートのアンドレス・マリンと、コロンビア出身の友人アレックス・トーレスの3人で登りました。結果的にはとても良い遠征でした。ビヴィサックだけで稜線に寝るなんて、クレイジーな経験もしたけれど。寝袋も食料も衣類もなく、標高は5,300m。高所にいたわけです。結局、足に軽度の凍傷を負ってしまいました。アンドレスもつま先が凍傷になって、とても長い夜でしたが、最終的にはみんな無事で、いい登山でした。

一歩間違えば、別の結果になっていたかもしれませんね?

そうです。クライミング自体は氷と雪の混ざったミックスクライミングでした。初登だったので、ただ自分たちでルートファインディングしながら頂上を目指し登っていたのですが、もっと短時間で行けるはずでした。けれど太陽が沈む頃になっても、私たちはまだ頂上から3/4の地点でした。懸垂下降するためのギアをセットする場所が見つからず、そのまま懸垂下降するよりは、稜線まで行って一晩過ごす方がより安全な方法だと判断したんです。そして朝、山頂まで進み、登ってきたフェースを降りました。地形がとても広く、巨大なクレバスがあるので、日があるうちにギアをセットする場所を確認し、時間をかけて降りることができたのです。痺れる冒険でした。

2021年のペルー遠征は、いま話にあったように3人チームでした。2017年のザンスカール遠征も3人チームでしたが、全員女性でしたね。そしてその直後の南極遠征では、もっと大きなチームでした。少人数での遠征と、大人数のそれとはどう異なるものでしょうか?

南極遠征は6人チームと大所帯でしたが、全員が揃うのはベースキャンプに滞在するときだけでした。ベースキャンプではみんなで情報を共有しますが、クライミングに行くときは、毎日全員が同じチームに分かれて行動していました。私とサバンナ。シダーとアレックス。ジミーとコンラッド。あるクライミングでは、アレックスとシダーとチームを組むこともありましたが。この南極でのように、ベースキャンプで大人数と過ごすのが好きなんです。決まったクライミングパートナーはいるけれど、帰ってきたらひとつの大きな家族になって、一緒に夕食を食べる。そしてまた翌日起きると、それぞれのチームに分かれていく。1人や2人で行く遠征では、もっと静かな時間がありますね。

それぞれのチーム分けはどのように決めたのですか?

遠征前に誰と一緒に登るかは特に決めていませんでした。氷河に降り立ってみると、自然とそういう流れになったんです。もう一人の強い女性であるサバンナと一緒に登れたことは、とてもよかったと思います。南極にいるだけで大変ですから。私は女性とも男性ともクライミングを楽しみますが、女性の方がお互いを理解できることもあると思います。なぜなら、男性とは違うことを感じたり、同じ問題に直面することがあるから。例えば、トイレをどうするか、とか寒さに対しての対処法とか。女性は男性よりも寒さを感じやすかったり。だから、理解という面でも彼女が一緒にいてくれたことはよかったと思います。サバンナと私では、恐怖への対処の仕方が違います。私はすぐに怖さを覚える性格です。それを理解してくれる人もいれば、そうでない人もいる。彼女の存在に助けられました。

壁にかけてあるこの写真ですが、南極の氷河の上にみんなが並んで写っています。私たちの色はとても鮮やかで、毎日同じ服を着ていたから、それが私たちのユニフォームになっていました。氷河を滑っている人がいても、その人が着ている色で誰だかわかるんです。南極の旅では、いつも私はティールを着ていました。コンラッドはイエロー。私は自分の色がとても気に入っていたので、嬉しかったですね。

Photograph: Anna Pfaf(original photo by Pablo Durana)
Photograph: Anna Pfaf(original photo by Pablo Durana)

極地で生きたものは積み重ねていった経験

南極ではペルーのクライミングを比べて、特に難しいことはありましたか?

南極のランドスケープはクレイジーそのもの。12月は暗くならないので、24時間ずっと日照時間なんです。太陽は東へ西へと移動するけど、沈むことはない。氷河を除けば、砂漠にいるとしか言いようがない。ただただ平坦なのです。私たちは生命を見ることができませんでした。鳥もいない。私たちがそこにいる間、ずっと何もないんです。とても静かで、人里離れたところにいるような感覚です。もし、自分がどれだけ遠くにいるのか考え始めたら、おかしくなってしまうかもしれない。

幸いなことに、悪天候に見舞われることはありませんでした。風が強い日が2、3日ありましたが、とにかく寒いので、日陰に入らないように慎重に登らなければなりません。日陰に入って、動かないでいると寒くなる。そうなると、どんどん物事が悪い方にエスカレートしていくんですよ。ロープが引っかかったり、ギアを失くしたり。来る時、私たちは小型のプロペラ機で降り立ったのですが、天候が本当に悪くなったら、回復するまで飛行機は戻ってこれない。なので、そのことを考え過ぎると、ちょっと怖くなりましたね。

南極のような極限の状況に対して、これまでの遠征の経験から心構えができていたと思いますか?

今まで何回遠征を行ったかわかりませんが、毎回、新しいことを学んでいます。例えば、山頂に到達して下山するまでの時間を理解すること。これは経験することで身につくものです。また、遠征やクライミングに費やした時間のおかげで、どんな道具を持っていけばいいのかがわかるようになりました。バックパックに何を入れればいいのか。初心者の頃は、バックパックがすごく重かったんです。着ない服をたくさん入れていたし、食べきれないほどの食料の束を突っ込んでいたから。いつも「もっと欲しい」と思っていたのです。でも今は、実際に必要なものだけに絞ることを学びました。それは経験によってのみ得られるものだと思います。人は自分に合った方法を学ばなければなりません。

Photograph: Tim Banfield
Photograph: Tim Banfield

恐怖の種類を知ること

エル・キャピタンがあなたの原点とうかがいましたが、この地を舞台にした映画「フリーソロ」で監督を務めたエリザベス・チャイ・ヴァザルヘイとジミー・チンの2人とも、あなたの南極探検に同行していますね。この映画の中でインタビュアーたちは皆、アレックス・オノルドに『あのね……死ぬかもしれないよ』と問いかけ続けていたのが印象的でした。他の人が考えているクライマーのメンタリティと、あなたの実際のクライミングとの間にギャップはありませんか?  また、あなたはクライミングや看護職を通じて、リスクアセスメントが向上したと感じていますか?

いいえ、私は自分が危険なクライマーだと思ったことは一度もありません。私はかなり安全第一な人間だと思います。それにクライミングはとても安全であるスポーツだと思います。とはいえ、事故は起こるものです。

アレックス・オノルドがやったことは、別次元の話です。彼のようなことを成し遂げる人間は、今後いつ現れるかわかりません。クライマーの常識ではありえないことです。彼は恐怖に際して、脳からそれをシャットダウンすることができるんです。本当にすごいことです。まるでスーパーヒーローのような状況です。アレックスは危険を冒すためにこの挑戦をしたのではないと信じています。彼は自分の行動を完全に自身のコントロール下に置いていたと思う。さすがはトップクライマーというよりありません。

私はいつも起こりうる様々なシナリオを考え、それを軽減しようと務めています。医学的な知識がない人よりは、何が起こりうるかを理解しているかもしれない。だからといって、自分の行動や登り方が変わるとは思っていませんが、その代わり、状況をより認識できるようになりました。また、どうにもならないことが病院ではたくさん起こることも知っています。私は今までずっと看護師をしてきました。そのキャリアの中で、事故は生活の中でいつ起こってもおかしくないと実感したのでしょう。野菜を切って指を切るかもしれないし、交通事故に遭う人は一定数いて、人生がまったく変わってしまう。だから、登山をする以上、できるだけ安全に登りたいんです。山ではコントロールできない客観的な危険がたくさんあるので、できる限り最善の判断を下し、その判断を信じ、ベストを尽くすんです。

アルパインクライミングでは、氷や岩の落下、高所や人里離れた場所での作業があります。だから、私の恐怖心は2つのカテゴリーに分類されます。非合理的な恐怖と合理的な恐怖です。非合理的な恐怖とは、ボルトが破断してしまわないかと不安になることです。岩が良ければ99.99%ボルトは大丈夫です。そんなことは起こらない。でも、覚える恐怖。これが非合理的な恐怖です。

合理的な恐怖について。頭上に岩が落ちてくる。隣の人に当たったその岩が、私たちにも当たるかもしれない。これはクライミング中に、実際に起こり得ることです。そんな想定ができるなら、すぐにそこから脱出しなければならない。クライミングをするときは、ほとんど毎回そんなことが頭をよぎります。でも先程も言ったように、怖がること自体は悪いことではありません。なぜ恐怖を覚えるのか、それを知ることが大切です。

Photograph: Tyler Stableford
Photograph: Tyler Stableford

難易度ではなく、
経験と過ごした時間がよい指導者を生む

Photograph: David Clifford
Photograph: David Clifford

クライミングを始めたばかりの時に、どうしても怖い局面があって、そんなときは「あぁ、自分は今何をしているんだろう」という気持ちになりました。あなたもこんな気持ちになるのでしょうか、なるとしたらどう感情をコントロールしているのでしょうか?

私も怖いと感じる時があります。でもその時は、なぜ自分が怖がっているのかを突き止めることに終始します。例を挙げましょう。あなたはトップロープの上にいて、ビレイヤーを信頼しているし、ロープも締まっている。でも、地面に落ちそうな気がする。それは全く非合理な心情です。実際にはそんなことは起こりません。だから、自分に言い聞かせます。信頼できるビレイヤーがいて、ロープが切れることはない、アンカーも大丈夫。そんなことは起こらないんだから、登り続けよう、と。そして深呼吸。でも、恐怖心に関しては、怖がることはいいと思います。それが私たちを生かすことにもなるのですから。

クライミングを始めたいと思う女性に何かアドバイスはありますか?

アメリカではしばしば開催されているロッククライミングのフェスティバルは、いつも素晴らしいものだと感じてます。実は、モンタナ州ボーズマンで開催されたアイスクライミングフェスティバルから2時間前に帰ってきたばかりなんです。ビギナー、中級者、リードなど、さまざまなクリニックを開催しています。私は主に女性向けのクリニックを担当し、ドライツーリングやアイスクライミングなどのミックスクライミングを一緒にやりました。これだけ多くの人が集まってアイスクライミングに熱中するのは、本当にいいことだと思います。本当にエネルギーがあります。

私がクライミングを始めたのは2000年代初頭ですが、この20年近く、女性はたいてい私一人でした。アメリカ全土でなら何人かはいましたが、近くに住んでいなかったので、たまにしか会えませんでした。だから、いつも男の人と一緒にいるような感じでした。でも今は、クライミングを学びたいという女性がたくさんいて、とてもいいことだと思います。

女性に向けたクライミング・クリニックは、女性同士で励まし合える環境だと思います。単純に、女性同士だとうまくいく人もいると思うんです。新しいスポーツに挑戦する最初の一歩は、なかなか踏み出せないものだと思います。でも、女性にはどんな活動でも、とにかくやってみることを勧めるのです。私が担当しているのはクライミングのクリニックではあるのですが、プログラムが終わる頃には電話番号を交換し、ランニングやスキーに行く計画を立てている女性たちがたくさんいます。

また、ロッククライミングが上手だからといって、必ずしも良い指導者になるとは限らないことは、忘れないようにしたいですね。5.9止まりの人でも、安全対策やアンカーの作り方を教えてくれる人は、いい指導者になれます。クライミングの技術を教える方法を知っているのですから。5.14のクライマーは、そうしたことをすべて知っているわけではないかもしれない。クライミングの難易度は重要ではありません。重要なのは、その人の経験と時間なのです。

先ほど話のあった看護師の友人は、まさにこの意味でメンターだったのですね。

彼女は完璧な指導者でした。彼女は本当に……。私は登る気持ちばかりが先行した新人でした。彼女はただ「いいよ、登ってきな」みたいな感じでした。でも、すべてのピッチをリードしているのは自分で、4~5ピッチのルートを登るのに何時間もかかっていました。でも彼女は私が何をしているのかがわかっているから、「もうひとつギアを追加したほうがいいよ」って言ってくれたんです。彼女はクライマーとしては平凡なレベルかもしれませんが、安全でした。おかげで私は学びを重ねていきましたし、だからこそ良かったのだと思います。

アンナ・サフ
ANNA PFAFF

クライマー。看護学生時代に始めたクライミングに魅了され、看護師として勤務しながら世界中の山と岩場を旅している。20を超える遠征で数々の新ルートを切り開いている他、2013年ヒマラヤの〈ルンガルツェ・ピーク〉、2015年ニューファンドランドの〈アポカリプス・ナウ〉など初登も多数。2017年にはThe North Faceチームによる南極遠征を敢行。2021年はペルーの〈コンチャ・デ・カラコル〉南面の初登を達成。アイスクライミングに傾倒し、女性向けのクライミングクリニックも各地で行っている。TNF ATHLETE PAGE
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アンナ・サフ / ANNA PFAFF
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