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ミッドナイト サバイバー:走力や山の技術の勝負だけでない、
山岳100マイルレースのもう一つの戦い

THE NORTH FACEアスリートのトレイルランナー、宮﨑喜美乃が2021年10月に初開催された100マイルレースLAKE BIWA 100に挑んだ。この大会が自身3度目の100マイルレースとなる宮﨑だが、過去に出場した100マイルレースはいずれも完走こそはしているものの、自身の思い描くレース展開とはならなかった。今回は険しい山岳レースにおいて、これまでの課題を乗り越えるべくスタートラインに立った。宮﨑本人の手記で、この100マイルレースを振り返る。

静けさを纏った22時。落ち葉を踏みつけ走る足音と、弾んだ呼吸が山の中で響いていた。見える景色は、頭に付けたライトで照らされる前方3メートルの世界と限りなく狭い。頭上には秋のすっきりとした空に無数の星が現れ、澄んだ空気も気持ちいい、心地よい夜だった。耳を澄ますと、チリンチリンと鈴の音が聞こえた。後続の選手がザックに付けている熊鈴だと分かり、すぐ近くに迫ってきていることに気がついた。

暗闇を走るのは得意である。自らライトで照らし出す情報以外は闇の中にあり、昼間よりも想像力と好奇心を掻き立てられる。両手足そしてポールを巧みに使い、いかにスピードを落とさずに短いカーブを繰り返すトレイルをクリアしていくか、常に判断を迫られる世界こそが夜の山を走る楽しみの一つである。

しかし、この夜は焦っていた。夜間のトレイルランニングは睡魔との戦いでもあるのだ。眠気は脳と身体をだるくさせ、前へ進むパワーが生まれず急激なスピードダウンに苦しまされる。ライバルからは突き放され、後ろからも追い抜こうと選手がやってくる、そんな緊張感漂う時間帯にも関わらず、私の最大の敵 “睡魔” は容赦無く猛烈に攻撃してくるのだ。睡魔との激しい攻防を繰り返し、やっとの思いでたどり着いた73kmの休息地点。明らかなペースダウンをサポーターにも気づかれた。走り始めて15時間が経過した。時刻は深夜0時を回り、まだ夜は始まったばかりだ。

初開催、未知の山岳100マイルレース

標高1,200m級のテクニカルな山岳地帯と琵琶湖を一望できる稜線を繋いだ走距離167km、累積標高9,580mの100マイルレース「LAKE BIWA 100」が今年初開催された。三重県の朝明渓谷をスタートし鈴鹿山脈の主峰である御在所岳を皮切りに、東海道自然歩道を抜けて京都の大文字山や世界遺産の比叡山延暦寺といった観光名所を越える。滋賀県に入ってからは比良山地に向かい、冬はスキーが盛んな琵琶湖バレイまで登ると、一気に琵琶湖へと駆け下りる100マイルレースだ。走力はもちろんのこと山岳スキルも重要となるこのコースレイアウトは、海外の過酷な山岳レースとも肩を並べる日本屈指の山岳レースだった。

スタートしてすぐに歩行区間となる鈴鹿山脈は、急峻な岩壁が多く1,212mの御在所岳まで一気に標高が上がり気温もぐっと下がる。この日は台風が過ぎた後の暴風により、体を支えるためのポールも風に煽られ、髪も、着ている服も縦横無尽に暴れた。立つことすら拒まれるほどの強風に圧倒されながらも、花崗岩が侵食されてできた奇岩怪石が随所に現れ、私の目を楽しませてくれた。

眠気こそが最大の敵だった

寝ずに走れる最長距離は100マイルと言われるが、私の最大の弱点は深夜帯に必ず襲いかかる睡魔である。オーバーペースによる疲労・エネルギー不足・脱水など原因は人によって様々であるが、私は何度走っても夜間の眠気に勝てたことがない。100マイルという長い距離を走る上でペースメイクが重要だが、早過ぎても遅過ぎても命取りとなり、完走が約束されないこの種目は、独特の緊張感が全ての選手にもつきまとう。レース序盤は何度も、このペースでいけるのか、遅すぎはしないかと、自問自答を繰り返しながら前へと進んだ。

毎回やってくるのが「22時の壁」だ。今回もまた、高級時計よりも正確な時を知らせる私の体内時計が働き、眠気が忍び寄ってきた。自然と瞼が重くなり、睡魔が頭の中をのったりと這いずり始める。必死に耐え休息地点で休んでいると、予想していなかった後続ランナーがやってきた。争うかのように、その場を出て並走し、一気にペースアップした。お互いペースの探り合いをしながらも、特に話すことはなく沈黙の戦いがここから始まった。いつもならこのペースでは走らない。だがこの夜は違った。息も上がることはなく、疲労感もない。一種のランナーズハイなのか、戦うことで眠気が一気に吹っ飛び、レースに集中することができた。このペースで進むと最後まで走り切れるのか、不安が襲ったが迷う暇もない。夜をなんとか克服したい、その気持ちを胸に一心不乱に走り続けた。

並走しながらも相手の走りを分析し、飛ばしどころを考えた。トレイルランニングレースの面白さはここにもある。上り下りと単純に分けるのではなく、林道の走りやすい上り、手で足を押しながらハイクする急登、木の根っこが連なる下りや、岩場のセクション、と要素は様々である。ランナーそれぞれに得意不得意があるので、ただ走るだけではなく、戦略も大事な勝負要素となってくる。自分のペースで走るため、相手の不得意なセクションであえてペースをあげ、レースをコントロールしようと試みたが、中々思うように離すことが出来ない。まだレースの中盤ということもあり、際どいラインを攻め続けていた。

終盤、勝負に打って出る

京都の音羽山を下り大文字山へと向かうトレイルを走っていると、気づいたら辺りが薄明るくなり、頭に付けていたライトも必要無くなった。苦手だった夜が嘘かのようにあっという間に終わり、前日の悪天候から一転、真っ赤な朝日で照らされた街が見えてきた。そして、思わぬことに、前のランナーに追いついてきたという情報が入った。ここから休息時間を一気に短縮させた。さながらカーレースのピットインのように、サポーターが飲み物を入れ替え、食べ物を追加し、必要な装備を整えてくれる。私は食べることだけに集中し、次のセクションのために足を休めませた。

残り47km、勝負を仕掛けた。前を意識することで挑戦者の気持ちが湧き上がってきたのだ。先を走る2人の選手に勝つには上りしかない。止まらずに前に進めば後ろは突き放せる。歩かずに走り続ければ前に追いつける。ただひたすら自分にそう言い聞かせ、既に130kmを共にした足で動かせる限り走って登り続けた。

極限の世界。それは人を興奮させる一種の麻薬的なものである。人は安全な世の中では何も生まれない、常に戦いを通して進化してきた私たち先祖の血が騒ぐのかもしれない。100マイルという距離では、その極限の世界を誰もが味わうことになる。そしてそれを乗り越えることで、自信となり、活力となり、次の一歩を踏み出す勇気をもたらしてくれるものだ。

最後の難関、蓬莱山の頂きから、これまで走ってきた山々を見渡せる。160km近く走ってきた足が悲鳴をあげているが、もうすぐ終わるのかという寂しさ、切なさを噛み締め、最後の急斜面を全力で降り始めた。よろめく足で必死に踏ん張り、何かに取り憑かれたかのように無心に降っていたレース最後の林道で、2位で走る選手の後ろ姿を捉えた。もう後ろを振り向くことはなかった。ゴール会場にはガッツポーズをしたサポーターが待ち構えてくれていた。

宮﨑 喜美乃
KIMINO MIYAZAKI

1988年山口県出身。トレイルランニングを始め1年目の2015年9月に〈STY〉にて女子優勝を果たす。現在ミウラ・ドルフィンズで健康運動指導士、低酸素シニアトレーナーとして活動中。2018年〈UTMF〉で8位入賞。2019年〈OMAN by UTMB〉で3位入賞。2021年「山陰海岸ジオパークトレイル」230kmを、40時間27分15秒で走り切りFKTを樹立した。同年〈LAKE BIWA 100〉2位。TNF ATHLETE PAGE
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宮﨑 喜美乃 / KIMINO MIYAZAKI
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