幼いころから基礎スキー、アルペン、ハーフパイプの競技スキーに親しみ、数々の世界大会で戦績を残してきた、プロスキーヤーの小野塚彩那さん。ソチ五輪の女子スキーハーフパイプで、銅メダルに輝いたオリンピアンです。その後も、数々の世界大会に挑み続けて、2018年にハーフパイプの現役引退を表明し、フリーライドに転向。2021年に待望の第一子を出産しました。その2か月後に復帰戦となったJAPAN FREERIDE OPEN(以下JFO)では見事、優勝。彼女を勝利へと駆り立てた強さは、アスリートであることへの誇り、それから雪山を自由に滑り降りることへの渇望でした。
スキーヤーにとって、冬は大本番。出産は雪山のトップシーズンに被らないように計画していたと語る小野塚さん。2020年4月に妊娠が発覚し、その年の12月に男児を出産しました。世の中の動きが止まり、大会が軒並み中止となったコロナ禍での出産は、アスリートの彼女にとってはトレーニングができないことへの焦りを感じずに過ごせたそう。
「フリーライドは母親になる前にやりたいと思い始めたことで、新たなスタート地点に立ったばかり。でも、オリンピックという目標がなくなったことで、最初は向き合い方がわからなかったんです。“何を持って成功とするか”を考えたとき、これからも大会に出場することだと思いました。妊娠して環境が大きく変わりましたが、夫と家族が理解してサポートしてくれています。普通なら、お腹が大きい母親が運動をしたいだなんて許してもらえないでしょう(笑)?」
ポジティブで力強い語り口調の快活な彼女も、マノア君をあやす手つきはすっかり慣れたもの。笑顔で話す姿からは想像できませんが、初めて経験した出産や妊娠はひとつひとつ壁を乗り越えていったのだそう。特に産後、1、2か月の間はポジティブな気持ちになかなかなれなかったと語ってくれました。
「出産はいつかは通る道だと思っていたから、恐怖はなかったんです。でも100%競技者として戻ってこれるのかな、という心配は0ではなかったですね。帝王切開だったので産むときは痛くなかったけど、産後は痛みで動けないし、しばらくはトレーニングもできない。入院している間も、『10日間も運動していないんだけど!』って思っていましたね。入院もしたことがなかったし、競技でする怪我とは全くの別物でした」
出産後は、身体の回復のために運動が制限され、同時に不慣れな子どもの世話で手一杯の毎日。母親としてのタスクの多さに「こんなはずではなかった」と思わず口から本音が出る瞬間もあり、常に心の中は雪山に行ってスキーをしたいという気持ちで溢れかえっていたといいます。
「妊娠中は母体に良くないので、呼吸を止めてしまうようなウェイトトレーニングなど激しい運動は禁止されていました。それでも、ハイキングや軽いトレーニングはしていました。産後はホルモンバランスが崩れてイライラすることもあったけど、これは時間をかけて回数をこなして育児を心得ていくことでしか解決できないと思いますね。やるしかないといった感じ。そんなときも、早く復帰したいという気持ちに支えられていました。でも、やっと回復して再開したトレーニングも、これまでの2割程度の量しかできなかったんです」
出産して2か月後にJFOで優勝というスピード復帰には、小野塚さんがどうしても大会に出場して勝利を手にしたいという想いがあったといいます。母になったことで変化した身体と環境に不安を抱えながらも、大会出場に至ったモチベーションはどこにあったのでしょうか。
「日本のスキー界にある“子どもができると第一線で滑れなくなる”というムードを打破したくて出場はずっと決めており、夫も賛同してくれました。アスリートが大会に出る以上、求められるのは結果。優勝することで他の女の子たちが頑張れるきっかけになりたかったし、出産してもアスリートとして復帰できるんだということを証明したいと思っていました。産後はいろんなことを諦めがち。それは出産を経験したいま、よくわかるんです。でも、自分の中にある『本当はやりたい、引退したくない』って気持ちは大事にして貫きたいと考えています」
大会に向け準備を進めていくなかで、なぜ海外には産後も最前線で活躍するアスリートがいるのに、日本では競技生活を離れるアスリートが多く、“ママアスリート”はいても結果が出すことが難しいのかがわかったという小野塚さん。それは、個人の身体やマインドの変化だけが理由ではないといいます。
「特に冬の競技に少ないのは、環境やサポート体制が整っていないからだと思います。JFOに出るためにまず何をしたかというと、ベビーシッター探し。自分が行くフィールドにはどこへでも子どもを連れて行きたいのですが、まだ産後間もないこともあり、結局、目の前にいると気になって競技に集中できないという結論に至り、連れて行きませんでした」
むかえた大会当日、これまでに経験したことのない長いブランクがあり、滑るのにありったけの勇気を振り絞ったという。大会に緊張はつきもの。自分がプレッシャーを感じているだけだということはこれまでの経験からわかっていたと教えてくれました。
「基本的には出産前後で競技へのマインドセットは変わっていません。トランポリンでトリックの練習を続けていて向上心もある。でも大会中は、これまでの滑りはできなくて、まるで自分の身体じゃないみたいに感じました。さらに、滑り終えると体力がなくて立ち上がれない。『怪我がなく滑り終えた』と安心はしたけれど、『どうだったんだろう?ちゃんと滑れていたのだろうか?』とずっと自問自答していて。嫌な緊張感のなかで何とか滑り切れたのは、これまで場数を踏んだ積み重ねがあったから。フリーライドは場所のコンディションが滑るまでわからないし、ある程度のスピードを出さないと死に関わるので、危険な競技なんです。一方で、アドレナリンが出て楽しくて、スリルを求めてしまうのですが。いまは経験とトレーニングが足りていないから、まだ“いつでも滑れる”という域に心が達していないんです」
街で働くOLが搾乳機を持って出社するように、山に搾乳機を持っていく。日本でそこまでするアスリートは少なく、そういった選択肢があることを世の中に見せたいと思っていると語ります。そんな彼女にも、競技と育児の間で結論が出せずにいることがあるのだとか。
「競技を続けるためにはアルパインエリアでのアグレッシブさが必要で、ある程度の無理をしなければいけない。でも、『万が一何かあったらこの子は誰が育てるの?絶対に家に帰らなきゃいけない』と思うと無理はしない方がいいという考えも当然あって。その矛盾はずっと心にあり、いまも折り合いがつかない状態です。子どもは守るべき存在で優先されるべきだけど、ほどほどのいい距離感でいることが大事なのかもしれません。母である前に1人のアスリリートだし、フリーライドも子育てもいましかできないこと。何とかやれている以上は挑戦を続けたい。いつか表彰台に子どもを乗せて、母親が何をやっているか、どんなことをしている人間なのかを見せたいですね」
迷いながらも、前進する。これまでの人生も、自ら外の世界に飛び出して手にれたものが多かったため、やらない後悔は考えられない。子どもにも怖気づかずに、自分のフィールドに出ることは当たり前だと思って欲しいといいます。
「普段から山や沢辺の散策は、当たり前にしています。まだ乳児には早いとか親のエゴだといわれるかもしれない。けれど、そういう母親の元に生まれたんだし、保育園ではできないことを私は教えられると思っています。今後は、子どもが成長して手がかからなくなるにつれトレーニングを増やしていきたいです。トレーニング量に対しての成果を知っているからこそ、そのバランスを取れたらいいコンディションになると確信しています。いいトレーニングが身体を作り、いい結果につながって、精神状態も良くなっていく。いまはトレーニングが十分にできないけど、子どもと一緒に過ごす時間は人間的に成長できる。最低でも、アスリートとしての現状維持はできているのでマイナスはなく、これからはプラスしかない。復活してきている実感はあるんです」
今後は育児をしながら、フリーライドのためにアルパインの知識を身につけていくことが目標。女子のスキーヤーの前例がないことに挑み、常にオンリーワンでいたいのだと意気込む。この先、アスリートとしての人生がもっと豊かになっていく明るい見通しがたっていると笑顔を見せてくれました。
PROFILE
小野塚 彩那フリースタイル スキーヤー
新潟県出身。2014年ソチ五輪スキーハーフパイプ銅メダリスト。W杯総合優勝2冠を達成し、2017年世界選手権優勝。2018年に山を滑るフリーライドに転向。日本人女性スキーヤー初Freeride World Tourのワイルドカードを獲得し世界中を転戦する。