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スタイルの力
#MICHIKO
KITAMURA_
STYLIST

スタイルとは何かを
突き詰め続ける、
ラディカルな求道者。

PROFILE
北村道子 / MICHIKO KITAMURA
スタイリスト
1949年、石川県生まれ。『それから』(85)以降、『幻の光』、『殺し屋1』、『アカルイミライ』など数々の映画衣装を手掛ける。2007年には『スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ』の衣裳で第62回毎日映画コンクール技術賞を受賞。作品集『tribe』(朝日出版社)、著書『衣裳術』『衣裳術2』(リトルモア)など。

人間の体は、
前に進むようにできている。
強い興味と好奇心を持って、
生きていくしかない。

数々の映画衣装を手がけ、多くの俳優から厚い信頼を得る北村道子さんですが、幼少期はどのような子供だったのでしょうか。

石川県で生まれ、小学校1年生までは母親の異母兄弟の家、富山県小矢部市で育てられました。その時はよく事情がわからなかったから「どうしてうちの親は私を他所へ出すんだろう」って、ネガティブに捉えているところがありましたね。だからその後、家に戻ったときにも落ち着かなくて、一人遊びが得意になったんです。その頃から図鑑が大好きで、隅から隅まで眺めていました。そうすると、色々なことがわかるようになる。海岸にはヒトデがいて、夜になれば空には星が見える。地上には熊がいて、空にはこぐま座がある。狩猟民族や、農耕民族がいるということも。そういうことが本質なんじゃないかと思ったんです。

「じっと観察をする」という特技はその頃から養われていたのですね。

とにかく周りのことをよく見て、観察していましたね。例えば、父が亡くなったときのこと。父は鉄道の仕事をしていて、ものすごくダンディな人でした。彼が38歳のときに亡くなってしまったけれど、身長が180cm以上あったから当時用意された棺桶のサイズが合わなかった。それでも棺桶に納めないといけないから、トンカチで足を折るんですよ。それを見ていたら私は具合が悪くなっちゃって、隣の家に逃げ出したんです。そこで第九を初めて聞いて……、そのときのこともすごくよく覚えています。

北村さんが、興味を持つ対象に共通点があるとしたら、どのようなことでしょうか。

それは、「群れから外れている」ということです。30人のクラスで、29人が興味を持たないことに1人だけのめり込むやつがいるとする。そういうやつにすごく興味が湧きます。異質な1人と仲間になった方が面白いに決まってるって思っちゃうんです。その意識は幼少期から、今までずっと変わらないですね。

その異質さに、Respectや尊敬の気持ちを抱くということですか?

私、日本語の「尊敬」という言葉と英語の「Respect」は全く別物だと思っているんです。唯一、尊敬しているのは母。それも、つい4、5年前からですけれどね。母以外の人を尊敬することはなくて、人に対して抱くのは興味と好奇心。例えば、鈴木親の写真が良いからって、彼のこと尊敬はしていないですよ。彼の写真がどこまでいくのかということに、強い好奇心を抱いているんです。

99.9%のペテンが好きなんですね。
正義は大っ嫌い。

強い興味や好奇心を抱く感覚というのは、北村さんにとってはどういうことなんでしょうか。

「やられちゃった」という感じですね。リドリー・スコットの『ブレード・ランナー』を初めて見たときもそうだった。「なにこれ!?」って、かなりのショックを受けました。当時、上映された映画館はガラガラで私を含めて3人くらいしか観客がいなかったんです。上映前はみんな後ろの方に座っていたのに、終わる頃にはみんなで前の席に並んでいる。そういえば、押井守さんと会った時も撮影そっちのけで『ブレード・ランナー』の話で盛り上がっちゃった。押井さんとは、似たタイプなんですよ。とにかく、『ブレード・ランナー』を初めて見たときには、自分が奪われてしまったような気がした。その感覚を、私は「やられてしまう」って言うのよ。

最近の作品で、その感覚を得られたものはありますか。

ブラット・ピット主演の『アド・アストラ』は、すごく良かったですね。ジェームス・グレイ監督に注目していて、追いかけているんです。ストーリーも良いし、衣装がすごく良い。監督が最新のものに興味がなくて、アポロの頃に近くしているみたい。あれは、最高の宇宙服ですよ。私たちは月に行っていなくても、月に行った風に感じられる才能があるでしょう。私はそう感じさせてくれるものに、飛びついちゃうわけです。99.9%のペテンが好きなんですね。正義は大っ嫌い。スタイリングにおける、ファンタジーとリアリティの関係についてもそうです。

自分が着るものを選ぶときと、人に着せるものを選ぶときの感覚は全く異なるものですか。

全く違う。洋服は空間理論だと思っています。とある空間があって、そこに裸じゃない人がいる。では裸じゃないなら、何を身につけているのか。ファッションというのは異質を作ることだから、私はそこで異質なものをチョイスするんですよ。例えば空間がヒマラヤだったとき何がテンションになるかというと、ヒマラヤの白い空間に反発する黄色や赤です。普段自分では黄色や赤はチョイスしないけれど、ヒマラヤの空間に漂っているとその場所にそれが必要だということがわかる。それがファッションの面白いところですね。

着せるっていうよりは、構築しちゃうのね。私、「お金がないんだったらここにあるものでやっちゃおう!」ということができるんですよ。もともと彫刻をやっていたから、安物を買ってきてそれを立体にできる。以前、300人分の衣装が必要な現場で、どうしてか10人分衣装が足りなくなっちゃったことがあった。その時は、東宝スタジオのモップで洋服を作りました。そこにないものを、どうやってあるものにしようかということに、興味があるの。

北村さんは映画衣装においてもスタイリストとしても、パイオニア的な存在です。これまで、「立ちすくむ」ということはなかったのでしょうか。

私の中には、ないですね。まず「立ちすくむ」という言葉自体が好きになれない。好きにはなれない言葉というのは、私のボディから外していくんです。仕事をするときも、「心地よい」と思う人とタックを組むべきじゃないですか。心地よくない人とタックを組むというのはまず私の中にはない。その場合は断る。打ち合わせでその場にいる人たちを見れば、大体わかりますよ。そういうときはすぐその場で言いますね。明確に言葉にして伝えるから嫌われることもあるけれど、会ってみて合わないから、「この仕事は私じゃないです」と伝えるのは礼儀じゃないですか。でも、いつもそう捉えてもらえるわけじゃなくて、「北村さんはワガママだ」っていうレッテルがついてくるわけ。でも嫌われるのも好きですからね、私。

その勇気は、経験から身についたものなのでしょうか。

経験なのか何かはわからない。でも人間って、生きるしかないわけじゃない。生きるしかないって思ったら後ろを向くことはできないんですよ。人間の体って、前に行くようにできているわけ。バックはできない。振り向くってことだって、前進じゃない。私はそういうことを考えながら生きています。


  • Photo / Chikashi Suzuki
  • Movie / Yu Nakajima
  • Illustration / Keisei Sasaki
  • Interview / Rio Hirai