「遊びと真面目のあいだで」 子どもたちの哲学対話 with 焚火 後編

一人でいる時の自由と、みんなでいる時の自由は違う。ランニング仲間と考える、共に走り続けるための哲学。

  • FEATURE
  • 2021.11.10 WED

不自由の中で自由を獲得していった

神奈川県逗子市の山々を、毎週自主的に走りまわっている小・中学生のランニングチーム「ZUSHI SKY RUNNERS(逗子スカイランナーズ)」の子どもたちが焚火を囲みながら『自由』をテーマに哲学対話をする今回の企画。

前編では、自由ってなんだろう? という問いに対して、制限されない、気持ちいい感じ、自分で決めること、選択肢が増えること、楽しいと自由は関係がありそう……と、自分たちなりの定義を語り始めた。

さらに話は深まりをみせる。新型コロナウイルスをきっかけに仲間を増やし、不自由の中で自由を獲得していった自分たちの活動のこと。リーダーの走ることへの想い、一人とみんなの自由の違いをどう両立するか…。

気づけば日は沈み、一人ひとりの顔がオレンジ色に照らされはじめた。

哲学対話とは:
日々の忙しい生活のなかでは通り過ぎてしまうような問いについてあえて立ち止まり、みんなで、ゆっくりじっくりと考えてみること。

ファシリテーターは、本記事の共同企画者であるNPO法人こども哲学おとな哲学アーダコーダの鳥羽瀬有里さんが担当。子どもたち同士の対話を尊重するため、他の大人は少し離れたところで波音まじりの対話に耳を傾けた。

メンバー
(ZUSHI SKY RUNNERS)

タイシ:中学2年生。 立ち上げ人 / 初代部長。
コア:小学6年生。現部長
アン:小学6年生。
コウゾウ:中学1年生。2代目部長
ユウナ:小学6年生。

一人でいた方が自由だけど、みんながいた方が楽しい。

ー みんなで一緒に走り始めたのはいつなんだっけ。

タイシ:最初は4年前に、俺ともう一人同級生の友だちと「一緒にその辺走ろうぜ」って小学生のよくわからないノリではじめた。そうしたらコアとかが入ってきて走るの続けてたら、体験でやってみたいっていう子が来たりして、アンとかコウゾウとか。

アン:コロナの自粛の時にね。

タイシ:で、今に至る。

ー チームになったことによる変化って何かあるのかな。

タイシ:やる気っていうのがすごい変わった気がして。もちろん元々やる気はあったんですけど、人数が増えるとライバルも増えるわけだから、二人でやってた時の10倍くらいやる気はあがった。二人でやってると散歩みたいになっちゃうので。

ー 一人で走る時と、この逗子スカイランナーズで走る時の自由の違いってあるのかな。

タイシ:あー、ひとつは一番遅い人にペースを合わせるのでそこは自由じゃないかな。

アン:でも、一人でいた方が自由だけど、みんながいた方が楽しい。

コア:いろいろ楽しいこととかできるから。

アン:モチベーションがあがるよね。

タイシ:でも一人でいることによって集中できるとかはあるかな。

アン:タイシとかはそういう感じだと思うけど、うちは一人でいると疲れた時ペースダウンしちゃったりするからさ、みんなが前にいたりすると、

コア:ひっぱってくれるから。

アン:ちょっと頑張れる。

タイシ:支え合えることはあるよね。

ー みんなと走っていたり、こういうグループ活動していて不自由と思うこと、自由じゃないなと思ったことはある?

タイシ:ない。

コア:特にないな。不快に感じることとか全然ない。

タイシ:不快に感じたら改善すればいい。僕の目標は、スカイランとかトレランの人口が今まだ少ないので、もっと盛り上げられたらいいなって思っていて。盛り上げたいのにそこで逗子スカイランナーズでつまんねぇなって、ちょっとでも思っちゃったらやだなって。だからそういうことがあれば改善する。

ー なにかルールとかってあるの? 逗子スカイランナーズのルール。

タイシ:自然を守りながら、自然に気を配りながら。たとえばものが落ちていたら拾うみたいな。

アン:あとは通りすぎる人に挨拶したり。

コア:マナーをしっかり守るように。

ー それはみんなで決めるの?

コア:いや、そもそも基本的に山とか自然の中でのルールだから。

なんでも自由だと走るコースも決めないで走っちゃって、走るのが不自由になっちゃう

みんなの自由を守るために

ー いま逗子スカイランナーズは何人いるんだっけ。

コア:15人くらい。

ー 15人か。これからメンバーは増やしていく意向ある?

タイシ:うん。

コア:でも増えすぎても。一応子ども主体でやっているから。

タイシ:いま身内でやっているんですけど、誰かがケガした時に何十人とかもいたら、責任とれーとか言われても責任取れないので、そこどうなのかなってのはあるかな。

アン:お互いがお互いの顔知ったくらいでやりたいなあとは思ってる。

コウゾウ:習い事みたいになっちゃうと、新しい友だちはできるかもしれないけど……

アン:やっぱり自由にやりたいから。

ー タイシがさっき「みんなでやっていても不自由感はない」って言ってたよね。人数が増えてくるとまとめたりしなくちゃいけないと思うんだけど、そういう時にどうしたらみんなの自由を維持できるんだろう。

タイシ:まとめれる人に部長になってもらって、ちゃんとまとめてもらう。

アン:中学生になると部活とかもあって毎週火曜日の練習に参加できないから、1年ごとに部長を変えているんだよね。最初はタイシ、その次コウゾウ、いまはコア。なんでも自由だと走るコースも決めないで走っちゃって、走るのが不自由になっちゃうから。

ー そっか。じゃあさ、みんなが自由に走れるように部長が意識していることってある?

タイシ:常に一人ひとりに気を配るとか、みんながきつそうだったらペースを落としてあげるとか。あと、なんだろう。たとえば、みんなが楽しめているかとか。

コア:あ、それはある。

ー ペースを合わせてあげることによって、タイシは不自由にはならないの?

タイシ:不自由ではないかな。そのあとに自分でしっかりと練習すればいいかなって。

続けることがやっぱ大事だなって。走るにも、速くなるにも、何するにも。

遊びと真面目のバランス⑴

コウゾウ:俺は同じ学年のやつがもう一人いて、ちゃんと真面目っていうかきちんとやる時と、わあわあってやっている時とあったから、交代ばんこみたいな感じでやっていた気がする。ふたりのうち、どっちかがふざけていたらどっちかがちゃんとやってたから、別に自由が制限されたという感じは全然なかったかなって。

ー 他のメンバーが自由に走れるかなって、意識していたこととかはあるのかな。

コウゾウ:ずっと走っているだけじゃ飽きるっていうか、疲れたりしちゃうこともあるから、山の上にある披露山公園とか行って遊具で遊んだり、鬼ごっこしてたりしてた。それを交互にやってたことでしっかりいろんなことができたっていうか。結構楽しめたかなって感じ。

ー 走るだけが活動じゃない感じにしたんだ。

コウゾウ:走るだけだったら、自分はできるか心配だなとか辛そうだなとか思っちゃったりするから、鬼ごっことかもやるよって感じになったら、誰でもみんな楽になるっていうのはあるかなあって。

ー それはもうちょっと気楽な気持ちで参加してもらいたいなっていう気持ちがあったから?

コウゾウ:なんかきっかけがあって、ちょっとずつ慣れてくる感じ。走るのも鬼ごっことかならやりやすい。

ー 今年はコアがリーダーなんだよね。どう? リーダーやってて。

コア:みんながなるたけ楽しくなるようにしているかな。

ー 楽しくなるように。具体的にどういうことだろう。

コア:みんな遊ぶの好きだし、あとは基本走るのが好きできているから、好きなことやるとだいたい楽しいから。まあそういうシンプルな感じ。

コウゾウ:走ることが好きで集まっているから、やっぱり。

コア:だから走ると特に楽しくなる感じ。

タイシ:でも俺、スカイランナーズつくったきっかけは、速くなりたいっていう気持ちだったんだけど、いつの間にか方向性が楽しみながらに変わった。それはそれでいいかなって思うけど。続けることがやっぱ大事だなって。走るにも、速くなるにも、何するにも。

アン:新しい4年生とかが入ってきて、一時期すごい鬼ごっこの時間とか遊具で遊ぶ時間が長くなったりしたんだけど、いまだけ楽しいとかじゃなくて、走る時と遊ぶ時と両方つくるのをコアが気をつけているのはわかる。

コア:遊びすぎても楽しいけど、それだとただ遊びに来ているのと同じような感じだから、スカイランナーズだからこそできることをもっとちゃんとやっていけばいいかなって思った。

アン:レースの後とかは、やっぱりもうちょっと練習しておけばよかったなと思ったりするから、うちも鬼ごっこしたり遊具で遊ぶのも好きだけど、自由に遊んで違う時に後悔が残らないようにしたいかな。

タイシ:メリハリだよね。

ー そういう時にもっと遊びたいという自由を主張してくる人がいたらどうするの?

タイシ:逗子スカイランナーズの趣旨は走ることだよって。

アン:「あと5分だけだよー」とか言うこともよくあるよね。

一緒にやるとなんでも楽しい

遊びと真面目のバランス⑵

ー 遊びたいっていう自由を制限してでも、やっぱり走ったほうが楽しいのかな。

アン:遊ぶのを我慢して走るとかそういうのじゃないんだけど、まえの遊び中心になってた時の走っている気持ちより、いまの走っているときの方が楽しい。

コウゾウ:たくさん遊んでから「走ろう」だとやる気がね。

アン:そうそう、走ることが移動手段みたいになっちゃう。

コウゾウ:だから、主な活動は走る。走って、休憩でリフレッシュでちょっと遊んでまた走る。

コア:まあ、遊ぶことが悪いということじゃ全然ないんだけど。

アン:最近はいろんなルート組んでみたり、距離が長かった次の週は短くしてみたり、いろいろ工夫してるよね。

コア:みんなに走ることに集中してもらうために、楽しいスポットを通過するとか、みんな逗子の中で好きなコースとかあるらしくて、披露山のコースが好きな人もいれば、第二古墳のコースが好きな人もいるから、いろんなルートで走る。走る楽しさをみんなにもっと味わってもらいたいから。

コア:みんな走り終わった後に楽しいって言ってる。前は遊んだだけで「楽しかった」だけど、いまは全部が終わって「楽しかった」だから。まぁ、一緒にやるとなんでも楽しいと思う。

ー いいね、みんなで走るの。

アン:うちは走ることが特別得意なわけじゃないし、そんなに早くなりたいから走っているわけでもないし、目標を持って走っているわけじゃないけど、みんなでわいわいやるのが楽しかったり。一人の方が気楽な感じはするけど、うん、走るって決めた時はみんなと走ったほうが楽しい。

ー 最後に、みんなのいまの気分を聞いて終わりにしようかな。

コア:焚火があったかい。

コウゾウ:こっちは寒いけど、こっちはあったかい。

ユウナ:ここら辺が熱いけど……。

タイシ:わかる。背中側が寒いよね。これから葉山から逗子にまた戻るの寒いなー。

アン:たしかに、焚火ないもんね。

コア:帰りも走るか!!

みんな:えぇーー、走り!!

《哲学対話おわり》

焚火はそんな哲学対話の特性を、暖かく守ってくれる

焚火は、沈黙を守ってくれる

対話が始まったとき、焚火はほとんどマシュマロを焼くための調理器具だったが、日が沈み肌寒くなってくるにつれて、暖をとり、みんなが眼差しを向ける共通の対象へと変わっていった。

時間の経過と共に、対話の内容も深まっていく。と同時に、ここまで走ってきた適度な疲労も手伝ってのことか、ただ、焚火を見つめている時間も長く感じられた。

対話は他者との間にだけ成立するものではない。周囲の意見に耳を傾けながら、自分自身と対話することなくして哲学はできないはずだ。焚火はそんな哲学対話の特性を、暖かく守ってくれる。この記事をつくるにあたって、発言を文字に起こすことで、沈黙の中にある自分との対話の存在を無かったことにしたくないと思った。

ユウナはこの日参加したメンバーの中では一番の新参者。歴代の部長たちの想いに静かに耳を傾けていたが、発言だけを拾うと数行で終わってしまう。そこで、ユウナが他のメンバーの話を聴きながら、自由について、逗子スカイランナーズについてどんなことを考えていたのか、あとで聞いてみた。送られてきたテキストをそのまま載せて、この企画を終わろうと思う。

私が思う自由は、「誰かに指定されることなく、自分でやりたいことはやって全て自分で決めること」と、「私は、3年生の2月ごろ、眼窩底骨折(がんかていこっせつ)をしてしまい、眼がその期間の時は、二重に見えたりしました。2回手術をして、1回目の手術は、良くならず、違う病院に行き、2回目の手術で、だいぶよくなりました! それで、2ヶ月くらい学校に行けないリハビリの日々でした。その時は、自由ではなかったんですが、学校に行った時、運動した時、すごく自由! って思いました!」。
逗子スカイランナーズに入って思うことは、「私は、逗子スカイランナーズに入る前は、自分の意思がとうせない子で、いつも思っていないことでも、いいよ! といってしまっていたけど、逗子スカイランナーズに入ったら、自分はこうがいいな❤️と言えるようになったと思います!」後、「昔は、みんなどう思っているんだろう? とは、そんな思っていなかったけど、部長がみんなにいろいろ聞いていてくれて、学校でも習い事でも、みんなの気持ちや、心の中がどうなっているのかとか考えるようになってきていると思います!」後、「昔は、みんなにこうして!と言えなかったけど、今は、みんなにこうして! や、こうしたらいいんじゃない?と言えるようになったと思います!」。

fin

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