視覚障がい者や車椅子ユーザー、上肢・下肢障がい者に向けてクライミングの普及活動を行うNPO法人モンキーマジック。「見えない壁だって、越えられる!」というメッセージを掲げるモンキーマジックがクライミングを通じて目指すのは、多様性を認め合う社会づくりだ。クライミングは、障がいのある人もない人も、子どももお年寄りも、あらゆる人がボーダーレスに楽しめるソーシャルスポーツである。こうしたスポーツを通じてそれぞれが交流する機会を広げるとともに、障がい者への理解を促進するという。こうした活動の根源にあるのは、代表を務める小林幸一郎さんのクライミングへの情熱だ。小林さん自身、熟練の視覚障がいクライマーである。

「クライミングには障がい者用の特別なルールはありません。ですから、障がいのある人もない人も同じルール、フィールドで一緒に楽しむことができます。障がい者と健常者が『仲間』として助け合いながら、同じ課題に向き合うことで互いへの理解を深める。昨日できなかった課題が今日できるようになれば、達成感や自信も味わえる。クライミングは心身の両面で素晴らしい機会をもたらしてくれる、稀有なソーシャルスポーツなんです」

2005年にスタートしたモンキーマジックは、視覚障がい者向けのクライミング教室の開催から多様性理解を促す交流型クライミングイベントの主催まで、幅広い活動を担っている。交流型イベントは全国16地域で開催されるほどの広がりを見せているが、はじめから順風満帆だったわけではない。「設立当初は『障がい者に危険なスポーツはさせられない』と、あらゆる施設、団体で門前払いを食った」と小林さん。クライミングが障がい者のQOL(Quolity of Life)向上に寄与することを、アカデミックな場で地道に説いてまわり、少しずつ賛同者や理解者を集めていった。そうした支援者のひとつがザ・ノース・フェイスである。ザ・ノース・フェイスでは毎年、「ザ・ノース・フェイス モンキーマジックティー」を製作し、その売上の一部をモンキーマジックの活動に寄付しているが、この取り組みは2006年にスタートして以来、15年にわたって継続されている。

開催のたびにキャンセル待ちが出るほど人気の交流型イベントでは、障がいのない参加者から「障がいのある人たちへの見方が変わった」、「障がい者をこんなに身近に感じたことはなかった」という声を耳にするという。今後は視覚障がい以外の障がいを持つ人、アスリートやベテランクライマー、学齢期の子どもたちなどさらに多様な層に参加してもらうべく、広く発信を続けていくそうだ。

人生の転機となったクライミングとの出合い

小林さんがクライミングと出合ったのは、16歳のときのことだ。当時の山岳雑誌に載っていた、アメリカ発の新しいアクティビティ――フリークライミング――の記事に強烈に心を掴まれ、クライミング教室に参加したことがきっかけだった。「運動は苦手、勉強もだめ、将来の夢も打ち込めるものもなかった」高校生の小林さんが、なぜかクライミングにだけは真剣に向き合うことができた。大学生になると、アルバイトをして資金を貯め、ヨセミテやオーストラリアといった海外のフィールドにまで出かけるほど、クライミング漬けの毎日を送る。つまりはクライミングでがらりと人生が変わったのである。卒業後はクライミングで培ったスキルを活かし、アウトドアメーカーに就職。顧客をキャンプやカヌー、フィッシングへ連れて行くアウトドアガイドとして充実した日々を過ごしていた。ところが28歳のある日、進行性の網膜疾患を患っていることが判明する。

「医者に宣告されたのは治療法がないことと、近い将来、失明するということでした。これからどうやって生きていこう、仕事はどうすればいいんだろう。新緑も紅葉も満天の星も、大好きなあの風景をもう目にすることはできないんだ……。毎日そんなことで頭がいっぱいで、不安とストレスで押しつぶされそうでした」

全盲のアルピニストが教えてくれたこと

病気を宣告されて以来、「次にできなくなることばかりを考えていた」という小林さん。救いをもたらしたのは、全盲のクライマー、エリック・ヴァイエンマイヤーの存在だった。
「エリックのことを紹介してくれたのは、現在、パラクライミングで私のパートナーを務めてくれている鈴木直也くんでした。直也くんとは2002年にコロラドで出会ったのですが、彼が『アメリカに全盲のセブンサミッターがいて、彼はエベレストも登ったよ』と教えてくれたんです。それを聞いてものすごくショックを受けました。私が思っていた以上に、視覚障がい者というのは大きな可能性を秘めた存在なのかもしれないって」

実際にエリックを訪ねると、アメリカではたくさんの障がい者がクライミングに取り組んでいること、そうやって可能性や自信を取り戻していることを教えてくれた。また、「日本で誰もそれをやっていないなら、それこそコバの仕事じゃないのか」と励ましてくれた。それは、ぼんやりと小林さんが描いていたアイデアを後押ししてくれる言葉でもあった。

「病気の宣告以来、“できなくなること”ばかりを悲観的に考えていました。それが、ケースワーカーの先生に『自分が何をしたいのか、どうやって生きていきたいのかを考えろ』と言われて自分に“できること”に思いを馳せるようになり、エリックとの出会いによって“自分にしかできないこと”を追求するようになった。障がいはある機能を持っていなかったり失うことではあるけれど、私たちの未来の可能性や希望までを摘むものではないんです」

クライミングとの出合いが人生の転機だったとするなら、小林さんの人生を変えたのはエリックだったと言えるだろう。帰国した小林さんはエリックの言葉を胸に、モンキーマジック設立に向けて動き出す。純粋に自分が楽しむためのものから、人に伝え、共有するものへ……。それは小林さんの中でクライミングとの向き合い方を変えた瞬間でもあった。

パラクライマーとしての挑戦

「スポーツの世界で誰かと表彰台を競い合うなんて、昔の自分には想像もできなかった」という小林さんは、実は2014年から2019年のパラクライミング世界選手権視覚障害者男子B1クラスで4連覇を果たした、現役パラクライマーでもある。障がいを負うというライフステージの変化を受けてコンペに出場する機会に恵まれ、クライミングを楽しむ手段のひとつとして大会に出る面白さを知った。勝ち負けよりも、自分が楽しく出場する機会があるなら、それを喜んでくれる仲間がいるなら、いくつになっても出場したい。小林さんはそんな風に感じている。「確かなことは、僕がクライミングを引退することはないということ。いくつになっても、どんな状況にあっても岩に登っていたい」

「見えない壁だって、越えられる!」。それは誰かに向けたエールであり、自分を励ます言葉でもある。小林さんは知っている。信じればきっと、どんな壁も越えられることを。

小林幸一郎

1968年、東京都生まれ。NPO法人「モンキーマジック」代表理事、日本パラクライミング協会共同代表。16歳でフリークライミングを始め、大学在学中から海外クライミングも始める。大学卒業後、旅行会社を経てアウトドアメーカーに就職。28歳で進行性の眼病を患っていることが判明し、将来の失明を宣告される。2005年、NPO法人「モンキーマジック」を設立、同年にアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ登頂を果たす。パラクライマーとしては2006年ロシアで初開催されたパラクライミング国際大会にて視覚障害男子の部優勝。2011年に初開催されたパラクライミング世界選手権で優勝、その後視力低下に伴いB1クラス(全盲)となり2014年から2019年の世界選手権で4連覇を果たす。
https://www.monkeymagic.or.jp
https://www.jpca-climbing.org