The Creativist

AREA 241 Journal 未来を手づくりする人たち
Chapter 2 Vol.One
NATURAL DYEING CRAFTSMANYukihito Kanai

金井志人

TEXT & PHOTOGRAPHS by NUMA
鹿児島と沖縄のほぼ中間に位置する奄美大島。世界遺産のひとつに数えられる野性味あふれるこの島では、自然から採取した素材による"ものづくり"が、千年以上変わらぬやり方で今なお続けられているという。化学技術に頼らない、持続可能なものづくりの在り方を求めて、フォトジャーナリストNUMAが奄美大島を訪ねた。
2021年の夏に、奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島がユネスコ世界自然遺産に登録されたことは、すでに多くの人が知るところだ。
とりわけ奄美大島は、アマミノクロウサギやルリカケスのような希少な固有種を育む生態系を有する地域。
この島特有の生物多様性が高く評価されたわけで、大袈裟な言い方をすれば、文明の発展と引き換えに世界のあちこちで姿を消している"生命のゆりかご"としての重要性が認められたことになる。
僕の愛する奄美大島の自然が世界に認められたことを誇りに思っていないわけではないが、それが生み出す弊害に対する心配事の方が先に立ってしまう。
オーバーツーリズムが起こるのでは?
静かだった浜に大型リゾートホテルが建つんじゃないか?
経済効果の恩恵を受ける人と、そうでない人の間で対立が起きてしまったら?
もっとも、島に住んだこともなければ血縁者がいるわけでもない上に、旅行で訪れても大した金を落とさない僕が、なにか物を申したところで「大きなお世話だ!」となるわけなのだけれど。
いま僕は5年ぶりに奄美大島に向かっている。
この島を訪れるのは、これが6回目か7回目だ。 これまで色んな離島へ頻繁に足を運んできた僕の島旅歴のなかでもダントツに多い回数。これは何か目に見えない力に引き寄せられているに違いないという思いが、渡航するたびに強まる。

この島を初めて強く意識させてくれたのは、かれこれ20年くらい前に仲良くしていたオリヴィエというフランスの友人だった。
オリヴィエは島に何度か滞在して、現地で聞こえる生き物の鳴き声や海の音など自然の音をあつめたフィールドレコーディングのアルバムを制作していた。
その彼から手渡されたサンプル盤に収録されていた、あまりにもパワフルな生命の音を聞いて、「一体どんな島なんだろう?」と想像を膨らませ、この島を旅してみようと思い立った。
2003年のことだ。

当時、時間を持て余したバックパッカーだった僕は、テントを担いで鹿児島から船に乗り、途中にあるトカラ列島の宝島で下船した。
「噛まれたら自衛隊のヘリで鹿児島市内の病院へ搬送だから、くれぐれも気をつけて」と役場出張所の人に脅され、毒蛇ハブの恐怖に怯えながら無人のビーチで孤独なバケーションを過ごしたが、そこで数日を過ごすうちにどうにも街のネオンが恋しくなって、奄美大島に上陸した。名瀬の繁華街に並ぶ居酒屋の看板を前に、心底ホッとした心境を、まるで昨日のことのように鮮明に覚えている。
その後、サンセットポイントとして有名な大浜海浜公園に隣接する小浜キャンプ場で1週間ほどを過ごしてから、再びフェリーで鹿児島に戻るために名瀬に戻ったとき、船の出港時間までの時間を潰そうと入った港近くの居酒屋で偶然にも小浜キャンプ場の受付をしていた女の子と隣り合わせた。
その子はNOVOといい、パートナーのYASATOと「アマンジャブ」というバンドを結成して活動していた。
当時DJをやっていた僕とバンドで歌っていた彼女は連絡先を交換した。
それが、奄美大島との新たな縁の始まりだった。
東京に戻って、しばらくすると「イベントをやるからDJをしに来てくれないか?」と打診され、再び奄美大島に滞在した。さらに、2009年の皆既日食パーティに出演するアマンジャブのライヴを観るために僕は奄美大島を訪れ、ステージ上の彼らに拍手喝采を送った。
こうして仲を深め、ふたりの家に泊まり込み、多くの時間を一緒に過ごすうちに、僕は島の様々な生活文化に触れることになる。
男なら一度はまわしをつけるというほど相撲が盛んな土地柄のこと。
薩摩藩に搾取された時代が壮絶すぎて、今だに鹿児島の人を信用しきれない島民性。
三味線をパンクロックのように掻き鳴らす、六調というダンスミュージックのヤバさ。
ノロとユタという異なるカミサマが島のあちこちにいる霊的な側面。
そして、これら独特の風習と密度の濃い自然が密接に関連しているという興味深い事実など。
その後も僕は何度か奄美大島へ足を運び、祭りや伝統行事にお邪魔したり、この島にしか存在しない風習と接しながら、次第にこの島の深部へと近づいていったのだった。
羽田空港を離れて、すでに2時間が経過していた。
飛行機は、ゆっくりと下降を開始している。
眼下には、ごくたまに小さな漁船が通り過ぎるだけの広くて青い海が広がっている。
やがて機体が大きく傾くと、広々としたリーフに囲まれたクリームソーダ色の浅瀬が目の前に迫ってきた。
暦の上ではすでに秋。しかし奄美大島に注ぐ太陽の光は、相変わらず真夏のそれだった。

空港がある笠利町は平坦な土地の多い地域。さとうきび畑が延々と続くのどかな風景が、南の島へやって来たことを改めて実感させてくれる。
今回の目的地は戸口という、観光客があまり訪れることのない集落だ。
レンタカーをピックアップして、国道58号線を一路南へ。
龍郷町に入ると大小の起伏に富んだ山の景色に様変わりした。
海に迫る山々のわずかな隙間に里が点在する、いかにも奄美大島らしい景観の始まりだ。
奄美大島では「大島紬」という世界一緻密な織物が作られていて、その代表的な工程に絹糸を泥で染めるユニークな作業がある。
この「泥染め」を生業とする染色工房が戸口には軒を連ねているのだ。

大島紬は、薩摩藩主が江戸幕府に上納したことをきっかけに高級織物の代名詞として知られるようになった、奄美群島を起源とする絹織物だ。
見た目の美しさと機能性から"着物の女王"と呼ばれたり、"世界三大織物"に数えられたりと、大島紬は現在も国内外で織物の最高峰に位置づけられている。
手で紡いだ絹糸を泥染めし、経(タテ)糸と緯(ヨコ)糸を一本づつ浮き沈みさせる「平織り」。
前もって染めた糸を織り上げて文様や図柄を表す「絣(かすり)合わせ」。
インド発祥といわれる絣はマレーシアやインドネシアなど東南アジア各地で花開き、沖縄を経て伝わった技法。アジアの染めと織りの技術が、着物という日本のシンボルと奄美大島でひとつになったのだ。
丁寧に織られた柔らかな表面の質感と、優雅に輝く黒褐色のツヤ。そこに繊細な織柄を紡ぐことで、唯一無二の気品が醸し出される。
30以上の工程を経て、完成までに半年から1年近くを要する生地は、質の高い新品であれば100万円以上の値がつき、200年以上着ることができる。
重厚な見た目とは裏腹に軽くて着心地がよい。
刷り込まれた泥は織物を丈夫にし、冬場の寒さも感じにくさせ、虫除けの効果もあるという。
3世代に渡って受け継いでいけるのも、大島紬の際立った特徴だ。
いっぽう泥染めは、分業制で行われる大島紬の生産工程のひとつで、絹糸を黒く染め上げる作業のことを指す。
煮出した木から出る液体と鉄分たっぷりの泥で綿や絹を染め上げる。古代から受け継がれてきた技術である。
地球上には少数ではあるが泥染めの技術を持つ部族が存在する。しかしながら、それを産業として成立させているのは世界広しといえども奄美大島だけ。
もっとも、泥染めと聞いたところで、ピンとこない人の方が圧倒的に多いはず。日常生活の中で着物や織物に触れる機会は、ほとんどないからだ。
産業革命に端を発する科学と化学の発展と技術革新によって、便利なモノに囲まれる暮らしを手に入れた僕たち。
合成繊維や化学繊維が次々と発明されたおかげで衣類はより身近なものになったけれど、便利で廉価なものが当たり前になればなるほど、"天然"、"自然"と名の付くものは逆に遠ざかっていった。
先人たちが渇望し、手に入れ、僕たちに託した"発展"という大きな遺産。しかし、それは同時に小さな違和感を生み出すことになった。
例えば、なにかひとつが欠けれるだけで多くのモノが使えなくなる不安定さや、とたんに大混乱に陥る社会の脆さ。
こうした違和感は次第に大きくなり、いまではその反動ともいえるライフスタイルが身の回りにあふれている。
ハンドメイド、セルフビルド、DIY、ナチュラル、オーガニック…。
一度手放したはずのものを再び取り戻してはどうだろう? そんな発想から"オルタナティブな思想"が生まれたのだ。

僕は、かつてNOVOとYASATOが「はるか昔から受け継がれてきたサステナブルな技術が島にある」と話していたのを思い出した。
それが、泥染めだった。
奄美大島の自然を利用した、天然の草木染め。この古代の技法が現代まで失われなかったのは、なぜか?
僕はその答えを知るべく「古代天然染色」を名乗る工房に向かっていた。

58号線沿いにひと際目立つ「ビッグII」という大型ホームセンターがある。奄美大島から鹿児島へ進出した企業で、島人たちの誇りでもあるのだが、その商業施設の裏手あたりから太平洋側の一帯が戸口という集落にあたる地域だ。
それほど高くない山が連なり、ふたつの川が合流するあたりに小さな漁港がある。
それにしても、このあたりは過去に何度も行き来したことのあるはずなのに、戸口という集落のことは知らなかった。
"戸口"という言葉の本来の意味は家の入口、つまり集落が太平洋に面していることから「海からの玄関口にあたる」ことで、そう名付けられたようだ。
ちなみに集落内には平行盛神社なるものが鎮座している。1185年の壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武将が奄美大島に逃げ(歴史書では入水自殺もしくは討ち死にしたとされる)、この戸口に城を構え、源氏の襲来に備えながら住民に農業や学問を伝えたとされている。
小学校と保育所、小さな商店のある集落の中心から戸口川に沿って山の方へと進む。
ドラセナやサンスベリア、パパイヤといった、いかにも南国らしい民家の庭木が目につく。
壁や電柱に蛇のように絡みつく紐サボテン状の植物が見事な花を咲かせていた。きっと、ドラゴンフルーツだ。

金井志人/染色家。
〈古代天然染色工房 金井工芸〉

奄美大島生まれ。奄美の伝統工芸品・大島紬の泥染めを担う〈金井工芸〉の後継者。自然素材を原料とした「泥染め」をはじめとする天然染色に携わる一方で、アパレルメーカーとのコラボレーションや空間装飾など多様なジャンルで伝統工芸の枠を超えた活動を展開している。
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