The Creativist

AREA 241 Journal 未来を手づくりする人たち
Chapter 9 Vol.Two
FORESTER
Shigeaki Adachi

足立成亮

TEXT & PHOTOGRAPHS by NUMA
これまでの林業とは一線を画す、オルタナティブな思想と手法で山や森と関わる林業家が、全国各地で活動しているという。その中で、札幌を拠点に「きこり」を名乗る人物を、フォトジャーナリスト・Numaが訪ねた。そのきこりが北海道各地に赴いてつくるのは、森林に出入りするための道。実際に森づくりを手掛ける山をその人物と一緒に歩きながら、なぜ道が必要なのかを聞いた。
森が丸裸にされている

かつて森は、人間が生活に必要な物資を貯めておくことのできる、天然のストックヤードだった。里に暮らす人々は日常的に山に出入りし、山菜やきのこを採取したり、木を伐って木材や薪にして生計を立てていた。

ところが戦後に化石燃料が普及すると薪炭は不要になり、海外の木材が出回り丸太が売れなくなるにつれ、人が森に入る機会は減っていった。

それまで林業は個人や家族、集落といった小さな単位で営まれていたが、安価な輸入木材との価格競争に勝ち目がなくなると、大規模な形でおこなわれるようになった。

その主体となったのは、〈森林組合〉という組織である。山や森の持ち主が地域ごとに集まって、彼らに代わって森林の管理から林業の経営までを代行する事業体を設立し、間伐から収穫を委託する仕組みをつくったのだ。

木材価格を低く抑えるためには、コストを下げ、収量を上げる必要があった。そのために、大型かつ高性能な林業機械が導入された。一度に広範囲を伐採し、同じ種類の樹木を一斉に植えれば、将来まとめて伐採することができる。「皆伐再造林(かいばつさいぞうりん)」と呼ばれる、合理的なやり方だ。現在、一般的に流通する国産木材は、そのほとんどがこうした手法で生産されている。

しかしながら、森が丸裸にされて生態系が損なわれたり、大雨や台風で土砂が流出するなどの問題が生じるようになった。さらに、雪害や獣害によって造林が失敗するケースも目立った。林野庁は「皆伐後、計画どおりに造林される割合は全体の3~4割ほどにとどまる」とする試算を公表している。

大きな傷を負った山や森を目にして、持ち主や一般市民から「『皆伐再造林』は環境破壊ではないか?」という声が聞かれるようになった。

当時、国産材は現在より3~4倍高い価格で取引されていた。しかし輸入材の供給が年々増えたことに加え、高度成長期の住宅建設ラッシュが一段落したことから木材の取引価格は下落。山林所有者も森林組合も慢性的な赤字を抱え込むことになった。機械や設備を大型化させたことから維持費や燃料費も負担となり、森林を適切に管理する費用が確保できなくなった。そのようにして、戦後に造林した大半の人工林は、国からの補助金なしに維持をすることが困難になってしまったのだ。
皆伐から択伐へ

僕は疑問を感じた。林業が行き詰まり、森に携わる人が減る中では、これまでのような量産型の林業を続けることは、経営的にも労働力確保の面でも不可能に近い気がする。なにか別の道で日本の森を保っていくことはできないのだろうか?

調べてみると、日本の近代の林業は明治時代にドイツを手本にしたものだということが分かった。木材の生産に重点を置き、伐採と植林を繰り返して森林を循環させるという2世紀前の手法を、日本は今日まで発展させてきた。しかしドイツはすでに大規模な皆伐を禁止し、育てる木と収獲する木を選別して伐採する「択伐」という方法に転換していた。

他の欧米諸国でも、ドイツと同じ林業が主流になっていた。山や森を丸裸にはせず、伐採する木を選び、樹種や樹齢を多様化させる。同じ種類の木を一斉に育てると、病害虫や水害などが発生した際に、まとまった被害を受ける可能性が高まるが、バラエティに富んだ樹木が共存していればリスクを回避できる。生態系も豊かになり、森の景観も美しく保たれる。また、市場のニーズに合わせた木材の生産に対応できるため、臨機応変な事業が展開できる。森林の生態系に合わせた林業の方が、自然にとっても産業にとっても好循環が生まれる、という結論に至ったのだ。

日本も皆伐中心の林業から脱皮して、針葉樹と広葉樹が入り交じる植生の豊かな天然林を増やせば、森を健全な状態にできるかもしれない。僕はそのように考えた。
小さな林業という選択肢

早速インターネットで検索してみると、「環境保全型林業」「自伐型林業」といった見慣れないキーワードがヒットした。それらの情報を読み解いていくうちに、間伐を軸とした「小さな林業」を営んでいる人が、少数ながら全国各地にいることを知った。

彼らの思想と実践はおおよそ共通していた。100年、200年先の森を見据えて間伐を繰り返し、高い価値のある樹木を大切に育てる。そのために自然への負荷を最小限に抑えた林業をおこない、未来のための森づくりに取り組む、という方法だ。

僕はその発想に興味を抱き、北海道で小さな林業に取り組む、ある人物に会ってみたくなった。彼は、林業に携わる人々が出入りするための林道を美しくつくることに強いこだわりを持っているという。早速彼に連絡をして、一緒に森に入り、話を聞く約束を取りつけた。
札幌へ

北の大地が秋を迎えつつある9月の終わり、僕は空港でレンタカーをピックアップして札幌に向かった。その日は強い日差しが降り注ぎ、夏が戻ってきたような暑気が漂っていた。

高速道路を降りて札幌の市街地に入り、ある信号で停車すると、大きな公園が目に止まった。木々が空をほどよく覆い、芝生が瑞々しく光っている。それから大小いくつかの公園を通り過ぎるうちに、この街には重厚な緑に包まれた極上のパブリック・スペースが多いことに僕は気づいた。ノスタルジックなテレビ塔が見えてきた。札幌の中心部は大小様々な建造物がひしめき合っていた。ただひとつだけ他の大都市と違うのは、整然と区画され直線的に伸びる大通りのすぐ先に、山が迫っていることだった。

翌日、僕は朝6時に飛び起きると、慌ててレンタカーに飛び乗った。途中のコンビニでブラックコーヒーと弁当を買い、西区にある小別沢へと車を走らせる。広々とした北海道大学のキャンパスの地下を東西に貫くトンネルをくぐり、文化施設やカフェテリアが点在するハイソな円山地区をとおり過ぎ、さらにトンネルを抜けると、コンクリートジャングルも閑静な住宅街も消え、緑に包まれた山の景色がそれらに取って代わった。

足立成亮(あだちしげあき)さんが山の麓で僕を待っていた。彼は〈outwoods〉を名乗り、札幌を拠点に活動するフリーランスの林業家だ。40代に突入するというのに健康的で若々しく見えるのは、森の中で心身が浄化されているからだろうか。体つきは肉体労働者のように屈強だけれど、同時に都会的な雰囲気も持ち合わせているから、街ですれ違った誰もが、彼が森の奥深くで働いているとは思わないはずだ。
                                                                     
「木こりをやってます」と、足立さんは自己紹介した。
木こりという生業

木こりとは「森に入って木を伐ることを生業とする人々」を指す言葉だ。それを聞いて、長い髭をたくわえて斧を担ぐ、童話の中の人物を頭に浮かべる人も少なくないだろう。確かにその昔、木こりは斧と鋸をつかって木を伐り倒していた。しかし戦後にチェーンソーが普及し、近年はタッチパネルを装備したハイテクな林業機械を操作する機会も増えている。彼らは現代、「林業従事者」と呼ばれ、多くは森林組合や林業会社に勤務している。

木こりは森を育て、木を伐採するプロフェッショナルだ。春に苗木を植え、夏場は下草を刈り、秋や冬に間伐や枝打ちをおこなって森のバランスを整える。植物は成長期に当たる春から秋にかけてたくさんの水を摂取するが、寒くなるに連れ成長ペースが鈍り、冬には水を吸い上げるのを止めて乾燥する。季節ごとに変化する木の習性を熟知した上で、適切に丸太を収穫するのだ。
彼らのクライアントは、山林所有者たち。日本の山や森は持ち主によって呼び名が細かく分類されている。個人や企業が所有する「私有林」と、主に地方自治体が管理する「公有林」を合わせて「民有林」と呼ばれ、これらが国内の森林の約7割を占めている。対して、国の機関が保有する森が「国有林」だ。

国有林はアクセスの難しい奥地や水源地域にあることが多く、環境保全や水資源の確保といった公的な役割を担っていることが多い。対する民有林をどのように扱うのかは、所有者の考え方次第。積極的に木材を売りたいビジネスライクなオーナーもいれば、先祖代々受け継いできた財産を守りたいと考える山主もいる。木こりたちは様々な要望に答えながら、森を育てていく。
山と森に囲まれた稀有な大都市

今日は足立さんに奥三角山を案内してもらうことになっていた。2022年から札幌市が進める森林整備事業の一環として、彼が森林の管理と経営を預かっている場所だ。具体的に何をするのかというと、森に道をつけ、必要に応じて木を伐り、薪や木材として販売を行っている。僕はまず、どのような経緯からこの山に携わるようになったのかを彼に質問した。

「札幌市は大都市が山々を背負う、世界的に珍しい環境にあります。市は、豊富な森林資源を活用して林業を盛り上げ、大都市と大自然が調和する先進的な街づくりを進めたいと考え、『林業活性化と環境保全を意識した森林整備を』という新たなビジョンを打ち出し、そのモデルケースとしてここを選びました。自分のやっている林業とコンセプトが近かったこともあって、『俺がやらなきゃダメでしょ!』と思って手を上げたというわけです」

200万人近い市民を抱える札幌市は、横浜市、大阪市、名古屋市に次ぐ規模を誇る政令指定都市である。市域は非常に広く、東京都23区の1.8倍ほどの面積がある。にもかかわらず大半は山間部で、森林の七割以上を天然林が占めている。規模の大きな街と豊かな森とがせめぎ合う、世界的にも稀な都市なのだ。
山には様々な道がある

奥三角山は標高354メートルの低山。隣り合う三角山、大倉山を結ぶトレイルは、札幌中心部からすぐにアクセスできる縦走ルートとして知られている。

足立さんは登山道には入らず、尾根に向かってまっすぐに伸びる、ブルドーザーの轍が残る道を歩き始めた。

「いま歩いているところは、かつて丸太を搬出した道です。大型の林業機械が走行する直線的な道をつけたため、傾斜がきつくなっている。オフロードに強い車であれば登れないことはないけれど、スタックや事故の可能性が高い危険な斜度です。環境保全に対する意識の高い林業者がこの道を再利用することはないでしょう。

僕たちがレジャーで訪れる山には「自然歩道」や「登山道」なるものが敷かれている。しかし足立さんと僕がいま歩いているのは、林業のための道だ。それらは「森林作業道」「林業専用道」「林道」と呼ばれている。一般車が利用する「林道」以外の二つの道は、所有者や林業従事者のみの利用を想定し、公には開放しないことが多い。
「林業専用道」が大型トラックで木材を運搬するために整備された幅の広い道を指すのに対し、「森林作業道」は間伐や集材、搬出など、森の中でおこなう諸作業のために張り巡らされた幅の狭い道を意味する。

足立さんは言う。

「もし森に道がなければ、藪をかき分けながらチェーンソーを担いで歩くことになるし、伐り出した丸太を運ぶことも困難になります。間伐や枝打ちを隈なく施すにも木材を搬出するにも、道は欠かせません」


作業道づくりにこだわる理由

地域の風土と土壌の性質を踏まえた上で、森林に出入りするための装置として、必要最小限の道をつけることが好ましい。小さな林業を実践する木こりの中には、自ら小型重機を操って道づくりをおこなう者も少なからずいる。小型車両がぎりぎり通れる程度の細い道を毛細血管のように張り巡らせることで、彼らが理想とする、間伐を中心とした森林の管理が可能になるからだ。

作業道に求められるのは、第一に、効率よく仕事を進められること。山林は林業者にとって木をストックする倉庫でもあるので、ニーズやオーダーに応じて素早く丸太を運び出せなければ意味がない。

足立さんはその上で、可能な限り自然に寄り添った道づくりに徹している。なぜ、相反するふたつの思想の両立にこだわるのか。足立さんに尋ねると、瞬時に明確な答えが返ってきた。

「山は長い年月をかけて理想的な形になったわけだし、植物は土地に合わせた最適な成長法をDNAに刻んでいます。すでに完成したシステムに干渉する以上、人間の都合だけを優先して、その調和を崩すことはしたくない。山の持ち主、木こり、そこで営みを持ってきた木々や草花、動物たち。そこに関わるすべての生命体が納得する道をつくることが、最善の方法だと思ったんです」

そうして足立さんは、なるべく木を切らず、地形を変えない作業道づくりを始めた。木立をすり抜けるように張り巡らせる彼の道は、「利用しやすい上に、美しい」といった評判が立ち、道内各地から仕事の依頼が届くようになった。

足立成亮/林業家

1982年・札幌生まれ。2009年に林業の世界へ。2013年に独立して〈outwoods〉を名乗る。自分たちが関わる山や森林を「ヤマ」と呼び、そこで生きるものや朽ちてゆくもの、すべての生態系が共存する未来を描いて、日々「ヤマ仕事」に明け暮れる。過去から現在に繋がる森の姿や、木こりが見る景色を、ワークショップなどを通じて積極的に発信し続けている。
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