The Creativist

AREA 241 Journal 未来を手づくりする人たち
Chapter 9 Vol.Four
FORESTER
Shigeaki Adachi

足立成亮

TEXT & PHOTOGRAPHS by NUMA
〈outwoods〉こと足立成亮さんがつけた作業道は、森の景色と一体化する、この上なく心地のよいものだった。地形に沿って緩やかな曲線を繰り返し、歩みを止めるのが惜しくなるほど愛おしい道筋。それは単なる「道」という概念を超え、「僕たちはこれから、どのように森と関わるべきか?」という設問に対する解をを示唆する、未来へのメッセージが含まれていた。
〈outwoods〉の由来

道なき森をさまよい歩いた僕は、想像をはるかに超えるタフな1日を過ごした。ササと格闘した足腰が悲鳴を上げている。「森は人の手が入っていない本来の姿の方が美しいけれど、道をつけなければ人間はなにもできない」。足立さんは何度かそう口にしていたが、まったくそのとおりであることを、嫌というほど思い知らされた1日だった。

森を1歩外に出ると、別の惑星に降り立ったような不思議な気分になった。聖なる空間と俗世間を隔てる、目には見えない結界のような線引きがそこにはあって、森の中と外では明らかに異なる空気が流れている。しばらくして車が市街地に差し掛かると、「早くシャワーを浴びてビールを飲み干したい」と僕は安堵の気持ちで満たされた。

表通りを行き交う人々を車窓越しに眺めながら、足立さんは言った。

「僕らは夜が明けると森に入り、日が傾くころに里へ下りる毎日を送っているけれど、木こりが1日を終えてハッピーな気分で我が家に向かう様子は、仕事を済ませて家族のもとへ急ぐホワイトカラーの日常と変わらないと思うんです。林業に従事する人が増えて、自分たちのような存在がオフィス街のビジネスマンと同じくらい当たり前になれば、都市と森林が混ざり合う新しい時代が訪れると思うんです」

彼の心の中にあるその景色こそが〈outwoods〉という屋号の由来なのだそうだ。木こりたちが森に出入りする日常があって、彼らがつくった道を歩いて人々が森から様々なものを持ち出し、そして持ち込む。そんな暮らしをイメージした造語だ。実はこの言葉は、とあるミュージシャンの楽曲から拝借したものだそうだ。
独立するにあたって屋号を考えていたある時、カーステレオから流れてきた音楽にふと吸い寄せられた。どんな曲かを確かめてみると、ベルリンをベースに活動するヴィブラフォン兼マリンバ奏者、Masayoshi Fujitaによる別名義のプロジェクト『El Fog』によるトラックだと分かった。心地よさと浮遊感が入り交じり、どことなく無垢な森を連想させるエレクトロニカ/アンビエント。その曲には『Out Woods』という名前がつけられていた。

彼はその言葉について調べてみたものの、特定の意味は持たないようだった。けれど自らが理想とする森と人との関係性や、自分がこれから実践しようと考える林業の形を簡潔に示していると感じたことから、ふたつの単語を合わせた形にして自らのものとした。
間伐という仕事

翌日は札幌市清田区にある札幌南高校の所有する学校林を訪れた。学校林とは、学校が自然教育の場として活用したり、資産形成のために所有する森林のことで、私有林のひとつに分類される。

札幌南高校の学校林は、1911年、当時は皇太子だった大正天皇が同校で植林したことを記念して誕生した。長らく在校生や同窓生、教職員らによって守り育てられてきた森を、改めて原生林へと近づけるべく、足立さんが管理を任されるようになった。約120ヘクタールの森に15kmほどの作業道をつけたが、まだ計画の半分程度だそうだ。

この日は間伐作業を進めるためにやって来た。「今日の仕事は『ザ・林業』です!」とチェーンソーを片手に足立さんは笑う。

トドマツとエゾマツに加え、マカバ、ナラ、ホウ、エゾヤマザクラがひしめき合う、密度の高い森。作業道にはクリの殻が無数に転がっている。「クリを北海道の森で見かけるのは珍しい」と足立さんは教えてくれた。その昔に本州から持ち込まれたものが定着したようだ。

学校林の木々は開拓期の札幌の街づくりに使われたという。戦時中は軍需物資の材料を確保するために伐り出され、さらに火災にも見舞われた。そんな紆余曲折を経て、広葉樹と針葉樹が入り交じる天然林とカラマツを植林した人工林が混在する、モザイクのような森になった。
今日はシラカバを中心に伐採をおこなう。赤い丸印が付けられた木が間伐の対象となる木だ。選ばれた木々の多くは弱々しく曲がり、その周囲には力強く成長する広葉樹がある。シラカバは生育が早く、荒れ地でも育つパイオニアツリーである。一般的に50年ほどで枯れて土に還り、他の植物を育てる栄養素としての役目を果たす。しかしながら、この森はシラカバが過剰になってきたため、伐採して数を減らし、代わりに200年、300年と生きるであろう樹木の生育を促す。足立さんは森を見渡しながら言った。

「『この先何百年と、森の主役を張って欲しい』。そんな願いを込めて、残す木を選びます。木こりは映画のキャスティングを決めるプロデューサーと似ていると思います」。

モトクロスバイクのエンジンのように軽快なチェーンソーの音が森に響き渡る。間伐作業が始まった。

木こりが木を伐る上で最も重要視するのは「どこに向かって木を倒せば安全かつ最も収穫しやすいか」である。作業はこのようにしておこなわれる。まず、伐り倒す方角を決め、幹の低い位置に人間が口を開けたような形の切れ込みを入れる。次に木の反対側に回り込み、切り込みに向かって水平にチェーンソーを入れ、そこにくさびを打ち込む。すると、木は次第に重心を失い、ゆっくりと揺れ始め、最後は自らの重さで倒れる。もし想定外の方角に倒れると、大きく育てたい木と接触してダメージを与えたり、まわりの木に引っかかって宙ぶらりになり、収獲作業を困難にしてしまう恐れがある。当然、近くで作業している木こりに危害を及ぼす可能性も高まる。狙いどおりに木を伐り倒すには、経験と集中力が求められる。

木のそばに立つ足立さんから「そっちに倒れるよー」と声がかかる。僕はその場を少し離れて、倒木の瞬間を観察した。木はギシッと傾くと、次の瞬間にはドスンと音を立て斜面に横たわった。その一瞬、「地震が起きた!」と身構えたくなるほど地面が揺れる。木は倒れながらそばに立つ木々の枝とこすれ、無数の葉が結婚式のフラワーシャワーのように舞い散った。その様子を見ていた僕は、刑事が派手なアクションで殉職する、TVドラマのワンシーンを思い起こした。
景色を変えない道づくり

足立さんは、山を丸裸にする大規模な皆伐の現場も、間伐を軸に森を育てる林業も経験した。やがて「人間の都合で森に干渉しているという点では、どちらの林業も変わりない」という結論に行き着いた。

「西部開拓時代のアメリカの針葉樹林や、現代のアマゾンの熱帯雨林が、『開発』の名のもとに失われたように、人間が関わった森というのは、そのほとんどが破壊されました。燃料が必要だったり、家を建てるためだったり、紙を製造するためだったりと、人類が発展していく上で仕方ないことではあったけれど、こちらの都合ばかりを優先して森に干渉してしまったからです。とはいえ、こまめな間伐を繰り返す小さな林業の成果がはっきりと分かるのは、1~2世紀先。このやり方のほうが正しいという確証はどこにもありません。僕ら木こりは、先人たちが森と関わった痕跡から最適解を模索し、立派に育つ森の姿を想像しながら木を伐ることしかできないんです」

足立さんは経験を重ねるうちに、こう考えるようになった。

「森の景色が保たれているということは、環境が守られていると考えていいのではないか? そこを基準に伐る木を選んで収穫するというのが、未来の僕らの営みなのだろう」

それ以来、彼は森を美しく保つことに情熱を注いだ。

足立さんはチェーンソーを置くと、「ちょっと道を歩いてみませんか?」と僕を誘った。
山に寄り添うように、緩やかな曲線を描いた道が続いている。生い茂る木々の隙間から光が差し込み、鳥のさえずりが響いた。歩くペースが自然とスローになる。それは疲れを感じたからではなく、「ゆっくりと歩いて、この森を味わいたい」という思いに駆られたからだ。

谷の向こうに立つ山の中腹に、細長い線のようなものが見えた。目を凝らしてみると、この先に続く作業道の一部だった。「秋になって木々が葉を落とすまでは、グーグルマップにも映らないです」と足立さんが胸を張るのも頷けるほど、道は森と同化している。

自治体の示すガイドラインによれば、作業道の幅は3メートルとされている。しかし彼のつける道は2.5メートルに満たない。大型車でなければギリギリ通行できる道幅にとどめているのだ。

もし道幅を広げれば走りやすくなるけれど、森の景色に変化を与えてしまうだろう。そればかりではない。雨が当たる面積が広くなるほど道は痛みやすくなり、大量の水が流れ込めば被害はさらに拡大する。道が崩れれば山に大きなダメージを与えてしまう。
前に進めば進むほど、僕はその先の景色を見たくなった。ひとつカーブを越えると「もうちょっとだけ歩いてみよう」と欲が出る。やがて、ぽつんと立つ1本の木を迂回する小さなカーブが目の前に現れた。

「どうしてこの木を残したんだろう?」と僕が不思議に思っていると、足立さんはニヤリと笑いながら説明した。

「あの木は邪魔ですよね。普通なら、あれを切って走りやすい道にするはずです。でも快適さばかり追求してはでは面白みに欠けると思うから、歩く人の気持ちが高ぶるようなカーブをわざとつくったり、頭の中に『?』と浮かぶような仕掛けをすることがあるんです。美しいだけでなく、示唆に富んだ道をあちこちにつけていけば、ここを訪れた未来の世代が、『どうしてこのような作業道になったのだろう?』と、思いを巡らせるはず。『道がつけられた当時、この森にいた人は何を見て、何を考えていかのか?』という思想が、道にはっきりと刻まれるので」

彼がチェーンソーを抱えて仕事場に戻ってからも、僕はその場にとどまった。絵画的な曲線を描くこの道は、足立さんの思想が散りばめられた、壮大なインスタレーションのようだ。僕はしばらくの間、夢中になって作業道を歩き続けた。
森から持ち出すべきもの

想定外の自然災害が頻発し、予想を上回る規模の気候変動が地球を覆う昨今、僕たちは真剣に地球の未来を危惧しはじめた。それと比例して、森林に対する関心は高まり、「どのようにして、森を次世代に残すべきか?」と議論を交わす機会も増えた。足立さんも、世の中の変化を肌で感じとっている。

「ひと昔前までは『木こりって実在するの?』『間伐ってなに?』と聞いてくる人たちが大勢いました。それが今では、ガイさんやユズルくんのように、転職して山に関わる人が出てきたし、森林を取り巻く問題を知ろうとする人も増えた。同世代から『山はどうやって買えるの?』という具体的な相談も受けることもあります。以前に比べて、森と人が近づいているのは間違いないです」

足立さんは森林に関心を持つ人々を、積極的に森へ招き入れている。自らがそこに身を置いて実感してきたことを伝えて、森と人間、もしくは森と都市との関係性を、新たな領域に進めたいからだ。
「森に誘い出した人とどんなことを共有したいのか?」
僕は質問をぶつけてみると、彼はこう答えた。

「ヒトを含む動植物や菌類といった命あるもの、さらには水、空気、岩石や鉱物のような無機物も、自然の法則によって起きた事柄です。つまり、人類が築いた都市と多様な樹木が密集する森林は、どちらも有機体の営みによるもの、ということになります。そして両者は、『生態系』と呼ばれる、地球上のすべのものが関わりあう環のなかにある。その優れた機能に手を加えたり破壊したりするよりも、ありのままの状態で利用した方が理にかなっている。無数の生き物がうごめく森で、そんなことを感じとってほしいんです」

森を訪れる人の数が増え、自分と同じような感覚を身につけたら、森と街を同じ線上で捉える動きは加速する。そのためにも、自分のつくる作業道を、みんなが新たな概念を森から持ち出すための道にしたい。彼は林業家としての役割をさらに明確なものとした。

僕は彼と対話を重ねるうちに、ひとつの結論にたどり着いた。

利便性や合理性を追求した結果、大都市への一極集中が進んだ現代。街が過密状態になればなるほど、山は荒れてしまった。「スクラップアンドビルドを繰り返して無理やり社会を循環させる」という発想に終止符を打つ時が来ている。そのためには、視点を街の外に広げてみる必要がある。幸いにも僕たちの暮らす土地には、たくさんの森がある。当然、所有者のいるエリアに無闇に立ち入ることは許されないし、生態系を壊さずに自然の恵みを受け取るには、各々が知識と経験を体得する必要がある。いくつかの現実的なハードルをクリアする必要はあるけれど、「森に出入りする日常」という新たな選択肢を、やがて人々は獲得するだろう。その際にガイドを担えるのは、自らが生態系の一部であることを自覚し、ていねいに森を開拓する信念を持つ木こりたち以外にいない。

やがて森と街が混ざり合い、僕たちが森林を生活圏の一部にする時代が訪れる時が来るはずだ。その時、林業は息を吹き返し、日本の森林は美しく保たれることになるに違いない。

足立成亮/林業家

1982年・札幌生まれ。2009年に林業の世界へ。2013年に独立して〈outwoods〉を名乗る。自分たちが関わる山や森林を「ヤマ」と呼び、そこで生きるものや朽ちてゆくもの、すべての生態系が共存する未来を描いて、日々「ヤマ仕事」に明け暮れる。過去から現在に繋がる森の姿や、木こりが見る景色を、ワークショップなどを通じて積極的に発信し続けている。
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